エピソードXX サーカス

 広い広い宇宙。何かあるようで何もない方が多い膨大な空間。内包する容積について考えを巡らすだけで頭がボーッとしてくる気がする。人がそんな無限に飽きないようにとの配慮からか、永遠に広がるかとも思える真っ黒の中に白や青、オレンジや赤といった様々な光の粒がこれもまた無数に散りばめられている。この光の配置に規則性はあるのかないのか。この星々の並びは人間にとって意味のあるものなのかないのか。

 その宇宙のごくごく小さな一部分を切り取ってみると、そこに一際せわしなく瞬く光が見られた。チカチカと明滅する光はまるで蛍の光を想起させる。しかし、我々が傍から見てると風情だなぁと感じている蛍の光が実際、蛍自身にとって命を次の世代に繋ぐための一生懸命な行動によって生み出されるのと同様に、今宇宙で明滅しているこのチカチカもまた命を懸けた戦いによって生まれる激しい戦闘の光であった。

 外宇宙からの侵略者、ジャーグダーグの母艦破壊の使命を帯びた地球ただ一機の超高性能戦闘艇「ホープ」。その狭いコクピットの中で人類最後の希望として選ばれた宇宙戦士やまもは必死に握りしめた操縦桿をガチャガチャと操作していた。ホープはジャーグダーグ軍の繰り出した無人戦闘機6機と戦闘状態に入っていた。

 乱戦であった。上も下もない空間に散らばった無人機から放たれるビームをやまもは上に行ったり下に行ったり右に避けたり左に避けたり加速したり減速したりしながらかいくぐって死なないように頑張っていた。やまもの手繰る操縦桿に付いているボタンを押すことでホープから高速のパルスレーザーが連続で発射される。形あるものを破壊し生命あるものの命を奪う超高温の光の弾丸だ。敵の攻撃の回避に成功するとやまもはホッと安心し、パルスレーザーを直撃させて無人機を撃破できるとやまもは興奮した。

 短いとも長いともいえる時間の戦闘の結果、ともかくもやまもは勝利した。無人機6機すべての撃墜に成功した。残りの敵がいないことを確認した後、ホープは再びジャーグダーグ軍の本拠地に向けて進路を取り、やまもは操縦をオートパイロットに切り替えた。

 コクピットのシートに深く背中をもたせかけて、ひとつ大きく息を吐いた。やまもには一つ気になることがあった。ホープの操縦桿は左右に倒すと倒した方行に機体が倒れ、上下に倒すと倒した方向と反対方向に機種が向く仕組みとなっている。そして、先ほどの戦闘中、やまもは敵のビームを回避するために加速をしながら操縦桿を右に倒そうとした。しかしその時、操縦桿はロックされて、やまもの力を入れた方向とは逆の左側に勝手に倒れて機体は左方向に旋回したのだ。

 超高性能戦闘艇ホープには超高性能AI「ミオン」が搭載されている。ミオンは独自の判断でやまもをサポートする。そして、先の戦闘においてやまもが敵の攻撃を右方向に回避しようとした際、ミオンは状況から左方向への回避が正解と判断し操縦の主導権を一時的にやまもから奪い機体を左方向に旋回させたのだ。実際、ホープが左に回避したすぐ後にやまもが行こうとしていた場所を敵無人機の1機が高速で通過していった。もしやまもの操縦通りに動いていたら激突していた可能性が高かった。しかし、やまもは気になった。

 だったら戦闘も操縦も全部ミオンがやればいいじゃんって思ったし、もしあの時右に曲がってても敵機とぶつからなかったかもしれないじゃんって思った。やまもにはミオンがやまもを軽蔑しているように感じられた。

「チガウ。ソッチジャナイ。バカ」

と言いながらミオンが操縦桿を左に倒したように想像された。

 結果的にホープは無事で戦闘にも勝利したから良かったのだが、やまもには全体の成功よりも一部の失敗を引きずる、少し完璧主義なところがあった。

 例えば昔こんなことがあった。やまもが7歳の頃、日曜日に家族で出かけようということになった。その時は父親の運転する車で牧場に行くことになったのだが、やまもは遊園地に行きたかった。「遊園地はまた今度ね」と何度も両親は言ったが、牧場についてもやまもはずっとふさぎ込んでいた。兄と弟が馬に乗ったり牛の乳を絞ってはしゃいでいても、やまもはブスッとしていた。道に落ちている大きな馬糞を嫌がったり、目の部分がさくらんぼのシロップ漬けになっているウサギのパンを「おいしくない」と言って地面に投げたりした。そんな終始不機嫌なやまもに対して父親は困った顔をしており、母親は「連れてくるんじゃなかった」と言って怒っていた。ちなみにやまもが投げたパンは袋に入っていたので兄と弟が半分こにして食べた。

 この牧場の日を思い出すと、今のやまもは両親に謝りたくなる。おそらくもう二人とも覚えていないと思うのだが、それでもどうしてもごめんなさいと言いたくなるのだ。ただ、とても時間が経ってるし、謝罪するタイミングのないまま今日まで来てしまっている。

 お出かけの思い出と言えば、こんなこともあった。こちらも子どもの頃、その日は兄弟と些細なことで喧嘩になって兄と弟はやまもを置いて遊びに行ってしまった。家で一人臍を曲げてシクシク泣くやまもを祖母が連れ出した。祖母と手を繋いでバスに乗って行った先は名古屋城の見える大きな公園。そこにサーカスが来ていた。やまもはサーカスを見るのは初めてだった。話好きの祖母はずっと何か喋っていたが、その内容は覚えていない。ただ映像だけがやまもの思い出に残っている。祖母と一緒に窓口でチケットを買った映像。行列に並んでテントの中に入ると薄暗く、中央に少し高くなった舞台があり、客が少なかったこともあり一番前の座席に座れた場面。視覚的な情報が強くやまもには残っている。

 最初、少し暗い空間にわずかに恐怖を覚えていた。象や熊が芸をやるという話だったが、テレビで見たスペインの闘牛が客席に乱入して人を怪我させるシーンを思い出して、もし大きな動物が一頭でも暴れて襲ってきたらと想像すると怖くなった。

 しかし実際、サーカスは楽しかった。太鼓がお腹に響く賑やかな音楽が始まり、舞台がライトアップされると胸がドキドキした。動物園では檻の中でほぼ動かない姿しか見られない象やライオンが目と鼻の先を行進する姿に興奮した。ライブ感というか臨場感というべきか。同じ空気を吸っている感覚。動物ってこんなに大きいのかと思った。ライオンが重量感を伴いながらも柔軟性をもった動作でジャンプをして輪をくぐる姿に高揚した。象が後ろ足だけで立ち上がるとやまもの体もはるか高く持ち上げられたように感じられた。

 帰った後の夕食時、やまもは機嫌良く「すごかった」「おもしろかった」を連呼した。弟が「僕も行きたかった」と言ったことが気持ちよかったし、兄も「よかったね」と優しい言葉をかけてくれた。その日は家族全員が幸せな気分で食事できた。

 静かな宇宙空間の中、狭い宇宙船のコクピットのシートに背中をもたせかけ、手を頭の後ろで組みながら

「おばあちゃんに会いたい」

とやまもは口に出して言った。実家に電話をしようかと考えたが、少し考えて、特に話すことがないことを理由に止めた。

 ふと、あの日見たサーカスの空中ブランコのように宙返りをしたら気分が良くなるかもしれない、とやまもは発想した。

「よし」

と言って、操縦桿を握りグッと手前に強く力を込めて引く。するとガチッと操縦桿がロックされてやまもは逆に頭を前につんのめらせた。次の瞬間、やまもの座るホープのコクピットのキャノピーのすぐ上を流れ星が一つ通り過ぎて行った。


 少しシュンとなったやまもの顔。

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