エピソード1 宇宙戦士やまも

「これで1500円か」

 運ばれてきたコーヒーから立ち上る湯気を見ながら山本やまもはそう思った。普段はコンビニで160円の缶コーヒーを買うことすら躊躇するやまもにとって、それよりも明らかに量の少ないカップ1杯に1500円を支払う感覚は到底理解できるものではなかった。

 東京のなんたら会館で地球軍多摩支部長が話がある。そう連絡があったのが三日前。いつも連絡が急なんだよな、とやまもは少し嫌な気分になった。とは言っても、今日呼び出されたからといって何か困ったことになるかというとそういうことは全くなかった。実際やまもの所属する地球軍多摩支部資源調達班はやまも抜きでも問題なく仕事が行われていた。ただ、面倒くさいと思ったのだ。やまもが嫌に感じたのは急に予定を決められたことよりも、決められた時間に知らない場所に行かなくてはならないという点。そのことがやまもにはストレスに感じられた。それゆえ、指定された場所に約束の時間に間に合って到着した時点で、やまもは今回の呼び出しについて特に何も悪い感情を抱いていなかった。

 指定された建物のまわりを適当にブラブラ歩き回って時間を潰し、約束の時間の5分前に建物に入った。支部長はすでにロビーと一体になった喫茶店で何やら資料を読んでいた。やまもは挨拶をして支部長と向かいのふかふかした椅子に腰をおろした。

「何か飲みますか」

 聞きながら支部長は机の端に立てられていたメニューをやまもに差し出した。やまもが差し出されたメニューのドリンクの項目を見てその料金の高さに面食らっている間に、支部長は手を上げて店員を呼びコーヒーを注文し「山本さんもコーヒーでいいですか」と尋ねた。やまもは何も考えず反射的に「はい」と答えた。この人はこういうところがある。とやまもは思った。

 やまもはこの支部長のことを特に嫌ってはいなかった。やまもの所属する資源調達班は神奈川県生田にある出張所で隊員および民間が集めた金属やゴム等の資源を回収して支部に届ける仕事を行っていた。今から1年前、31歳でやまもはここの班長となった。その頃から支部長とはちょくちょく顔を合わせている。やまも達の班は支部長から伝えられるノルマを達成することはほとんど無かったが、支部長はそのことでやまもを責めるようなことはしなかった。もちろん目標達成を命ぜられるが、それは仕事として言うべきことを言うに止めている。やまもはそのことを理解しているつもりだったし、だからと言って期待されていないと落ち込むこともなかった。どちらかと言うと、支部長から伝えられたノルマを班に戻って発表する度に不満を口にしノルマの軽減と待遇改善を訴える隊員達の方がやまもにとって頭痛の種であった。

 「いただきます」と言ってやまもはコーヒーに口をつけた。1500円するわりに、コーヒーは大して美味と感じなかった。インスタントコーヒーよりも少しすっぱいと感じる程度のものだった。場所代としての意味合いが強いのかなとやまもは考えた。支部長も自分のコーヒーを一口飲み、口を開いた。

「突然ですみませんが、今から地球軍本部に行き総司令官と会ってもらいたいんです」

 要件については本部についてから総司令官に直接聞いてもらいたい。本部には自分も付いていく。支部長はこう言った。やまもは地球軍本部に行ったことがない。また、総司令官は姿を見たことはあるが言葉を交わしたことはなかった。でも、支部長が付いてきてくれるならいっか。と思った。

 支部長と共にやまもはタクシーに乗って地球軍本部に移動した。本部がどこにあるか、やまもは知らない。東京にあることは確かだが、やまもは人と移動する時に場所を意識しない。今回は支部長と一緒だし、支部長に任せておけば大丈夫だろうと思っていた。タクシーの中でも背筋を伸ばしたままの支部長の隣で、やまもはシートに背を預けて、今日直帰できたらいつもより早く寝られるかしらん、と考えていた。

 警備のいるゲートを開けてもらい、タクシーのまま敷地内に入っていく。特別大きくもない建物の前でタクシーを停めて支部長が料金を払う。支部長と二人で自動ドアを入っていき、受付で支部長が二人の名前を伝えるとエレベータで8階に行くように言われた。ここまで来てようやくやまもは緊張しだしていた。

 エレベータを出るとガラスの扉と、そのわきにインターフォンの受話器があった。支部長がその受話器を取り何かを話すとスーツを着た女性が扉から出てきてオフィスのような場所に案内してくれた。オフィスは広く、机も多くあったがその割に人は少なく5、6人程度しかいなかった。「しばらくお待ち下さい」と言って女性が離れて、オフィスの一番奥に座っている人物の元へ行った。すると一番奥のデスクから地球軍の制服を着た男がやって来た。金髪のくせ毛がもじゃもじゃで髭をたくわえた大柄の男。年齢は50くらいだろうか、もしかしたら60を過ぎているかもしれない。正確なところはやまもには分からなかった。

「あなたがやまも隊員ですか」

青い瞳でまっすぐやまもを見ながら、男は言った。見た目は西洋人だが、流暢な日本語だった。

「さようでございます」

緊張でやまもは変な敬語で答えてしまう。

「私は地球軍総司令官ドム大森です。座って話をしましょう」

そう言うとドム大森は二人を会議室に案内した。支部長とやまもが隣り合って座り、机をはさんで反対側にドム大森は腰を掛けた。

「知っての通り、ジャーグダーグ軍のせいで現在地球の戦力はほぼ0に等しい」

ドム大森は話し出した。

「今の地球には宇宙戦艦はおろか、基地、軍艦さえ存在していない。新たにそれらを作ったところで、軍として整えたらすぐさま奴らがやってきて全て壊していってしまう」

「そうですね。困ったものです」

やまもはちゃんと聞いているアピールで相槌を打ったが、隣で何も言わないで座っている支部長を見て、出しゃばっちゃったかなと少し後悔した。

「そこで、地球軍としては軍の編成をひとまず放棄。別の方法に出ることを決定した」

「別の方法、それは何ですか」

と聞きたい気持ちを我慢して、支部長にならってやまもは黙って聞き続ける。

「それは、編成された軍隊ではなく、一機の戦闘艇、一人の兵士による敵母艦の破壊だ」

しばらくの沈黙。支部長もやまもも黙って聞き続ける。十分な間を取って総司令官は再び話始める。

「現在、地球の戦闘能力はほぼ0と言ったが、ただ一つ、ジャーグダーグ軍に対抗しうる兵器が存在する。それは地球政府、民間、ジャーグダーグ軍から奪取した兵器すら含めた全ての知識と技術を結集して開発された超高性能戦闘艇だ」

 その後も総司令官はたくさん話してくれたけど、まとめると、地球最後の希望として選ばれたたった一人の兵士がたった一機の宇宙船に乗って敵のボスを暗殺する。これが作戦の全容である。

「そんな無茶な」

とやまもは思った。思ったがこんなことを大真面目に言う偉い人には反対しても無駄なことは百も承知しているので、やはり黙って聞き続けた。

「時に、やまも隊員」

「はい」

「あなたの今の仕事は何ですか」

「はい。周辺地域からの資源の回収と支部への輸送です」

「そうですか。それでは、今回あなたにこの超高性能戦闘艇の輸送をお願いしたい」

「わかりました。それで私はその戦闘艇をどこまで運べばよろしいのでしょうか」

「ジャーグダーグ軍の母艦までです」

しばらくの沈黙。総司令官はまっすぐにやまもを見つめている。

「え?はい。はい?」

「やまも隊員、あなたは戦闘艇の免許を取得していますね」

「・・・はい」

確かにやまもは戦闘艇の免許を持っていた。まだ20代の若かった頃、趣味のないやまもは地球軍で無料で取れる資格をいろいろと集める、いわゆる資格マニアだったことがあった。

「あと、あなたは勤務地の希望アンケートで『どこでもいい』にチェックつけてますね」

そうだった。宇宙基地が全て破壊された現在、宇宙での勤務を受け入れてくれる隊員はごく限られていたのだ。

「これが今回の作戦にあなたが選ばれた理由です。何か質問はありますか」

 やまもは当然冷静ではいられなかった。心臓はバクバクしていた。頭はフル回転しているが、思考の幅は極端に狭くなっている。隣にいる支部長の顔も見られない。しかし、やまもの場合、大きく混乱するほど表情はなくなり、口数が少なくなるので、動揺が表に現れるようなことはなかった。何か質問?仮に引き受けるとして、作戦期間は?もし失敗した場合の家族への保証は?思いついた質問はこの2つだった。でも、こんな質問はするまでもなかった。まず、この作戦の期間は敵母艦が破壊されるまでであることはすぐ理解できた。次に家族への保証だが、やまもには別に仕事をしている兄弟もいるし、やまもが作戦に失敗して宇宙の塵となったところで父母を含めた家族の生活は心配する必要はなかった。

「ありません」

やまもは(傍から見る限り)冷静に答えた。

「それでは、引き受けてくれますか」

 やまもは何かを頼まれるとその場で断ることがとても苦手であった。どうにもならない。諦めの気持ちがやまもの胸の中をいっぱいにしていた。しかしそれと同時に、どうにでもなる、不思議な楽観もやまもは持ち合わせていた。

「山本さん」

隣に座っている支部長が声をかけてくれたが、総司令官の無言の圧がそれを阻止する。

 やまもの答えは決まっていた。だが、こういう時にどういう答え方がいいのかを考えるのにしばらく時間がかかった。そして、時間をかけて考えたあげく、ようやっとやまもは答えた。

「謹んでお受けいたします」


宇宙戦士やまもの誕生であった。

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