偽りの王女

成鳴 琴伊

偽りの王女


「アンネット・エル・リオラール王女殿下、私はあなたとの婚約を破棄させていただく!」


突如、きらびやかな王城の広間で行われる優雅な舞踏会の最中に甚だふさわしくない大声が響き渡った。


「…一体どういうおつもりかしら?」


先程の宣言を行った青年が対するは、華奢で可愛らしい金髪碧眼のお姫様。


しかしその見た目に反して、青年に向ける眼光は厳しい。その鋭い視線は、まだまだ若くて未熟な青年を怯えさせるには十分だったようだ。大きな声で婚約破棄を叫ぶなんて非常識なことをしてしまえるぐらいに図太いはずの青年は少し後ずさってびくついた。


しかし青年も負けっぱなしではいられない。


「し、知らないとは言わせないぞ。あなたが私の幼なじみであるリリィに対する暴言及び暴行の数々を!」


青年の発言に少し眉を寄せるも、彼女は未だ反論せずに粛々と目の前の失礼な婚約者の発言を聞き続ける。



「あなたは王女という身分を傘に着て、私の幼なじみであるリリィをいじめただろう!あろうことか、リリィと私が浮気をしているなんて理由で。


私とリリィはただの幼なじみだ、茶会をしたり出かけたり誕生日を祝って何が悪いというのだ。


それなのにあなたは、婚約者と浮気をしていると勘違いしてリリィに嫉妬し、呼び出して近づくなと暴言を吐いたり、直近となっては階段から突き落とそうとさえした!


幸いその場で転倒するだけですんだが、もし階段から転落してしまえば、打ちどころが悪ければ死んでいたかもしれないというのに!」



青年はまるで悲劇のヒロインを救うヒーローのように語り出した。幼なじみと自身の不幸と、婚約者が行った卑劣な行為を。

そして、物語のクライマックスだと言わんばかりに仰々しく振舞って、悪役である婚約者を断罪しようとする。



「一切反論がなかったということは、やはり認めるのだな、お前がこれらの悪辣な行為を行ったと。」



そして青年は目の前の女の愚かさを嘲笑するがごとく見下した目で婚約者を、いや、元婚約者を見た。



「お前は所詮妾腹の市井育ちの王女だ。


それに対してリリィは建国当時より続く名門貴族の公爵令嬢であり、王妹殿下を母に持つ彼女のの王位継承権はお前よりも高い。


つまり、そんなお前が彼女を害したことは大問題なのだ!そんな女と婚約などしていられるか!!」



決めゼリフと言わんばかりに元婚約者にむけて指をさし、先程後ずさって怯えていたとは思えないような自信満々の表情で彼女を見つめる。



「…わたくし、そんなことしておりませんわ。そもそも、婚約者のいる男性にベタベタ近づく方が悪いのではなくて?」



「今更反論しても無駄だ、既に証言を得て父上に報告済みだからな。


今日こうして舞踏会へエスコートしてやったのはお前に向けた最後の餞に過ぎない。 もうじき婚約破棄は受理され、問題を起こしたお前は廃嫡されて私はリリィと結ばれる。


悔しかろう?これがお前にふさわしい結末だ!!」



高らかに笑い、悪役を倒してやったぞと言わんばかりにご機嫌な男を横目に、彼女は背を向けて大広間の出口へと向かう。



そんな彼女を見てニヤリと笑った男は、



「はは、愚かな真似をするからだ、だからこうして惨めにも1人できらびやかな舞踏会を去る羽目になるのだ。」



と言い、近場の給仕を呼び付けてワインを一気に飲み干した。ほろ酔いに頬を赤く染めて、勝利の味に浸りながら。



そんな愉快な気分で過ごしている青年に、王城で開かれる舞踏会で芝居のように婚約破棄を行うなんてやらかしをした罰で領地に療養という名の幽閉処分になることが決定し、さらに思いあっていたはずの幼なじみのリリィにお父様の指示だったと言われて振られるまであと数時間。





さて、場面は変わって退場した王女様。


コツコツと廊下にびびく足音。今夜は国を上げての建国を祝う舞踏会、当然ながら王宮に務める使用人のほとんどがその舞踏会にかかりきりで、警備などの僅かな使用人を除けばほとんどが大広間の周辺に集まっている。


故に王女の向かう自身の離宮は物音ひとつなく寂しいもので、足音や布が擦れる音は王女のものしかない。



あの男が言っていたように王女は市井育ちの妾腹だ。王宮に入ったのは11歳の頃。それほど成長してから王女になったのは、いくつか理由がある。


まず、現国王陛下が王女の母である妾をたいそう気に入っていたこと。故に、妾が避暑に行ったきり行方不明になったあとも忘れられずに探し続けていたのだ。


次に、既に行方不明になる頃には子供がいることがわかっていたこと。隠されてはいたもののその相手が国王陛下であったことは間違いなく、母親の血が汚れた平民の血であろうと父親の血は高貴な青い血であり、その血の持ち主がいることを知っておきながら放置するわけにはいかなかった。


そして最後に、これは2つ目の血筋のことも関係していることなのだが、この国の王家の祖先は聖女と呼ばれる世界中で信仰されている宗教のシンボル的存在なのだ。その証として、王家の血を引く女性の多くが聖なる力をやどす。その聖なる力は傷を癒したり、身を守る結界を張ったりすることが出来る。


そんな力の持ち主が産まれるかもしれないとあれば、王国の重鎮たちも寵姫の行先を気にしようというものだ。妾ばらとはいえその力を持つ王女を自身の家に迎えることが出来れば家の繁栄にも繋がる。また、男であっても上手いこと陛下に可愛がられるようになればその王子を取り込み傀儡にして政治を握ることが出来る。


そんなこんなあって、それぞれの思惑を腹の内に秘めて国王陛下が寵愛なさっていた妾を散々探していたのだ。


そうしてようやっと見つかったのが、北の中堅都市の娼館で下働きをしていたアンと呼ばれる子供だった。


どうやら行方不明となってまもなく妾は流行病にかかったらしく、何とか子供をうみはしたものの死んでしまったのだということがその娼館のオーナーをしていた古参の元娼婦の証言によって確認された。


当初、金目的の偽りかとも思われたが、その子供は妾に似てたいそう可愛らしく、女にしては短い肩ほどの髪で見苦しくはあったものの迎えとして王宮からやってきた妾の元侍女によって真実であると認められた。


アンという名前は貴族としてはあまりにも短すぎるため、その場でアンネットと改名され、王宮へと連れていかれた。


子供は目まぐるしい事態の変化についていけないらしく、口を固く閉ざしたまま脱走することも無く大人しく運ばれて言った。


そして、王宮で最後の確認として、王女であれば当然持っているだろうと思われる聖なる力の有無を確認すべく、王家に伝わる聖石の元へそのみすぼらしい子供を連れていき石に触らせた。そして、その石は眩い白い光を放ち、周囲の人々を圧倒した。



そうした過程を経て、アンという地方の都市の娼館で下働きをしていたみすぼらしい子供は、アンネット・エル・リオラールという立派な名前を与えられて王女殿下となったのだ。


その後、聖なる力を持つ新たな王女を取り込むべく動き出す諸侯の争いや、それによるいくつかの貴族の失脚の他、王女の無作法な態度を見てさすが市井育ちの妾腹と見下し噂を流す着飾った貴婦人や紳士たち、やっと見つかった寵姫の形見の子供にも目もくれない国王の態度によってどんどん下がる王女の待遇など、様々なことがあったものの、王女にとって最大の不幸は上記にあげれらたことではなかったろう。


これらもなかなかの扱いではあるが、貧民街で図太く生きてきた子供にとっては直接手を出してくることなく、衣食住が保証されている王女という身分はなかなか破格の待遇だった。


そう、それが王「女」でなければ。

迎えに来た人間や、その後に出会った人間全てが勘違いしていたのだ、その子供が女であると。


女としては短い肩口の髪も、男ならば変なものでは無い。それにその子供は顔こそ可愛らしい女顔であったし、栄養状態や母親の遺伝が相まって背丈も同年代より低くはあったがその体つきはいくらかゴツゴツとしていて骨ばっていた。女性のようなしなやかさはなかったのだ。


しかし、当時その子供は痩せていた。当然だ、貧民街に隣接しているような格安の娼館の、しかも稼ぎ役の娼婦でもない下働きなのだから。


扱いは良くなかったし、それこそ何とか生きてはいけるというレベルだったが、ボロ屋であろうと住居があり、少なかろうと飯があり、古着屋のボロ着であろうと服を貰えていた。


むしろほかの貧民街に住む少年たちと比べればなかなかに恵まれた生活であることをきちんと理解していた少年はその暮らしに満足していた。


しかし、その暮らしが崩れるのもあっという間だった。よく分からない金持ちそうな奴らがやってきたかと思えば目の前でべらべら語り出して自分を連れ去っていった。


少年は徹頭徹尾理解出来ていなかったが、目の前の人々に逆らうことはよくないことだということだけは分かっていた。


以前、街の中心で同じようにきらびやかな格好をした男がいて、その男の目の前を通り過ぎようとした女性を見て、目障りだと言ってその女性をそばの強そうな男に縛り上げさせ、衛兵に引き渡したのだ。


その女性の顛末は知らないが、とにかく、その偉そうな人間たちの機嫌を損ねれば大変なことになるということだけは幼い彼にもよくよくわかったのだ。


というわけで、なるべく彼らを刺激しないようにとそれはそれは大人しく過ごしていた少年だったが、王城について事態は一変した。


地下の厳重そうな扉の奥に安置されていた綺麗な黒くて透明な石に触ったところ、まるで太陽の光が突然差し込んだような白い光に包まれた。それまで暗い地下に目が慣れていたのに、そんな眩い光を浴びた少年は目がクラクラしてとにかく大混乱だった。


しかしそんな少年を置いてきぼりにして、どんどん展開は進んでいく。その光を見るやいなや、それまで少年のことを怪しそうに見ていた人々が目の色を変えている。その目はギラギラとしていて、まるで大好物を目の前にして待てと言われている犬のよう。


少年には嫌な予感がしてやまなかったが、それでも逆らって前に見た女性のようになる訳にはいかない。少年は痛いのは嫌いだし、何よりも死にたくなかった。


しかし、その大人しい行動も、身を綺麗にするぞと脱衣所に放り込まれて服を剥ぎ取られそうになったら話は別だった。



かつて住んでいた貧民街でも度々見目麗しい少年の身を狙った男がやってくることがあったのだ。1度よく分からないながらも逃げ出して、仲の良い娼婦にその経験を話したところ、その男がなんとも屈辱的なことをしようとしていたことが分かった。それ以来少年は1度も他人の前で裸になったことは無い。


散々暴れ回り、何とか説得して1人で風呂に入った少年が外に出て、用意されていた服を着ようとした時にようやく勘違いされていたことが発覚する。



服が、女物だ。

何度確認しても、男が着るものではない。どういうことだ。



触り心地はいいものの、女らしいヒラヒラとした下着、下着よりヒラヒラでゴテゴテと飾り付けられたドレス。

まずもって一人では着られそうもないし、何よりも、何よりも、どう見ても女物だった。


少年は悟った。もしかして、女だと思われているのではないかと。

そんな馬鹿なと一蹴しようとしたところで目の前の現実は変わらない。この服を着るのか?男なのに?

以前の服は捨てられてしまったのか傍にはない。このまま裸で過ごす訳にもいかない。


少年は裸で人前に立つことと女物の服を着ることを天秤にかけ、服を着ることを選択した。もっとも、ドレスなんて少年に着れる訳もなく、下着を着た時点でギブアップしたが。


ちなみに着替えている時、不幸と言うべきか、幸いと言うべきか、少年であることはバレなかった。その下着は貧民街では十分過ぎるほどに服として役割を果たせそうなものであったため、身体をかくせていたのだ。


そうして着替え終わったあと、やって来た男性に少年は主張した。その男性は少年が過ごしていた娼館にもやってきた人で、馬車での旅路をすごしている間に観察していた中ではもっとも話ができそうだと感じていた。


その予感は正しかった。男性は少年と同じく平民上がりの文官であったらしく、まともに少年の話を聞いてくれたが、少年には王女であるべきだと主張した。


どうやら、男性によると、少年の持つ聖なる力は王家の血を引く女性であれば割とよくあることらしいが、男性となれば話は別らしい。少年の前に聖なる力を持つ王子が現れたのは140年ほど前のことだと言う。


もし、そんな力を持つ王子が現れたとなれば、今も新たな王女を取り込もうと沸き立つ貴族たちの争いがさらに激化し、当然その中心地に立つことになる少年自身の身も危うくなると言う。


ここで少年は再び岐路に立たされた。命の危険を受け入れてでも男であることを主張するか、女だと偽るという屈辱に耐えてでも命を守るか。



少年にとって、女であると思われたままでいることは今までの人生での辛い思い出を想起させることで避けたかったが、やはり命には変えられない。


少年はその文官の説得に応じ、王女として扱われることを受け入れた。



後にわかったことであったが、その文官は少年の叔父であった。文官は共に王城に入り、侍女として務めだした後にその容姿の美しさから国王に気にいられてしまった姉の身を案じていた。姉弟の仲はよく、弟である文官は姉がそのような煌びやかで腹黒い貴族たちに混ざって過ごすなんてことに向いていないことを知っていた。


しかし、血の繋がった家族であるとはいえ所詮平民である弟にはどうしようもなく、災害に巻き込まれたように姉の人生は振り回されて行方不明となった。


そうして10数年経ち、半ば諦めていた中での王女の発見。姉の忘れ形見、姉とよく似た顔立ちの子供。


幸いその子供は貴族の恐ろしさを知っていたのか大人しくしていたが、王城の風呂場で何やら暴れていると報告が入った。妾腹の王女の管理は同じく平民で市井育ちの文官にふさわしいといって、上司が彼に仕事を押し付けたのだ。


そうして再会してみれば、なんと姉の忘れ形見である姪っ子は甥っ子だった。文官も女の子だと思っていたので、顔には出なかったものの実に衝撃的な出来事だった。


それと同時に甥っ子が女の子であると勘違いされていることに感謝した。姉の突然変異のような美しさは姉に不幸をもたらしたが、甥っ子の救世主にもなってくれた。


文官はその少年に淡々と説明した。少年が王子であると発覚することの危険を。姉は明るく優しい半面、少々抜けていて危ういところを持っていたが、どうやらこの甥は賢く生まれてきたらしい。その危険性をわかってくれたらしく、とても嫌だということを示した表情で王女であることを受けいれた。


文官はずっとそばに居る訳にはいかないからと時間を惜しんで綱渡りのような策を少年にさずけた。


このまま風呂や着替えはなるべく1人で行うように。作法も無作法な方がいい、礼儀を学んだらわがままなふりに切り替えろ、気に入られるよりも人に遠巻きにされた方がバレにくい。


一応は王女である君のことを暴行してくるような輩は現れない。性的なことは神前で結婚を誓ったもの同士でないと聖なる力は失われると言われているから、男性たちがそのようなことを強制してくることもない。


とにかく、気に入られないようにして王宮の隅っこの離宮を与えられるようにしろ。そんな待遇の王女にはほとんど使用人はつかないだろうから自由も増えるはずだ、などなど。


文官は少年に必死に教えてくれた。そして少年は文官の言うことを素直に守った。


それは確かに少年の身バレを防いだが、直接的な危険を守る手立てを少なくした。


だが、少年には聖なる力がある。


毎日ある様々な講義のうちの一つに聖なる力の使い方を教える講義があり、少年は表では強大な力を操りきれないというように偽って、宝の持ち腐れであるということをアピールし王女は落ちこぼれであると思われるように見せかけ、裏では隠れて力を死に物狂いで鍛えて何とか身を守り続けた。


徐々に隠れたり治癒したりするための技術が上がっていく。


それでもひやひやするような危ないことは沢山あって、常に少年の命が細くて脆い紐の上にあるということを示し続けた。そんな状況にあっても少年が悲観せずにいられたのは、文官が決して少年を見捨てようとしなかったこと、そして何より少年自身の生きたいという渇望があったからだろう。


そうして過ごして2年後に現れたのが婚約者である。


少年は驚愕し、悩んだ。さすがに結婚してしまえば偽ることは出来ない。今だって徐々に女性の体格からは離れていっているところ何とか服で誤魔化しているのに。


なお、少年の顔は変わらず可愛らしい女顔のままだったし、背丈も同様に少年の年頃にしては低めだったので、きちんと体のラインが出る服を着なければバレることは無かっただろう。慎ましい胸の美少女だと思われるだけである。


少年は人目を盗んで文通を交わしていた文官の元へ相談した。婚約者ができてしまった、結婚してしまえばごまかせない、もう逃げるしかない、と。


文官は、この王宮がどれだけ人が多くてセキュリティが高くなっているか、そして自分の身柄が10年以上探されてここまで連れてこられたことを忘れたのか?と語った。


だが、それは全てを諦めろという宣告ではなく、どうにかこうにか婚約を解消する手立てを考えようというものだった。仮にも上級貴族と王族の婚約である、 デビュタントの16歳までは結婚はしないだろう。猶予は3年、それまでに何とかしなければならない。


そう語った文官を少年は信じることにした。今まで王女が男であることを隠して生きてこれたのは文官のおかげであったから。


そうして出来上がった計画はなかなかに無謀なものだった。しかし、その可能性にかけるしかない。婚約破棄という大きなリターンを得るには大きな困難が付きまとうのだ。


その計画とは王侯貴族の子息令嬢全てが通うことになる学園で大きな問題を起こし相手に婚約破棄させるというものだった。


文官いわく、王女の婚約相手というのはなかなかに美味しい立場らしい。


たとえ普段見下しているような市井育ちの王女だとしても、王家の血を持っていることに変わりはなく、聖なる力を自分の家に取り込めれば貴族社会では威張れるようになるらしかった。


そんな立場に何とか着いた婚約者とその実家だが、その立場は今でも狙われているらしく、何とかケチつけようとしているやつばかりらしい。


もちろんそれらの中にはハニートラップだってある。そして、そのハニートラップは、家の監視の目が緩くなる学園が学校の狩場となるらしい。


つまり、婚約者に上手いことハニートラップに引っかかってもらい、婚約破棄させ、婚約破棄されたショックで自殺してしまったという振りをして逃げろ、ということらしかった。


王宮は西に大きな湖に接し、北に庭園と森、そして西と南には王都の街並みが広がるというふうにできている。そのため、湖へ身投げしてしまえば死体がないこともわかりにくくなるし、近場だから作戦を実行しやすいだろうということだった。


たしかに今逃げるよりはよっぽど可能性がありそうだったし、そうして死を偽れば仮にバレてしまったとしても、刺客をよこしてくるような王女の命を狙っている奴らにとっては助かることなのでそのまま処理される可能性も高い。そして、三年経っても婚約破棄がされなかったら、最後の手段として逃亡を図ろうと言われた。


かなり運だよりの作戦であったのに、それは成功した。


というか予定よりもかなりいい結果になった。婚約破棄させて人生を悲観して自殺したフリをするはずが、ちゃんと婚約破棄させた上に廃嫡されて堂々と出ていくことができるようになったのだ。


最近になると婚約破棄は間違いないだろうと言うことで逃げる用意をしていたのだが、コソコソせずに行けるのは助かる。


そんなこんなで何か知らんが計画以上にいい結末となった偽りの王女アンネットは、しめしめとニヤつきそうになる表情を抑えて自分の寂れた離宮へと向かう。 そうして着いた離宮には、最近どうやら叔父だったらしいぞと発覚した馴染みの文官がいた。


「どうしましたの?計画は上手く行きましてよ。廃嫡されるようですし、堂々と出て行けますわ!」


こんな時でもバレないようにと口調を崩さないのはここまで来てバレてなるものかと言う少年の根性だ。本当は内心と同じように話したい。この歓喜のままに叫びたいのだ、やっとここから出ていけるぞ!と。


「いや、廃嫡されるのを待って堂々と出ていくのはやめろ。」


「は?どうしてですの。」


何言ってやがるこいつ、と訝しんだような目でみる甥っ子に文官は語る。


「今までどれだけ冷遇しても手放さなかった聖なる力持ちの王女を廃嫡して野放しにするわけないだろう。どこかで処分されるのが関の山だ。計画通り湖に身投げした振りをして身を隠せ。それを伝えるためにここに来たんだ。」


「…ほんと、あなたって慎重ですわね。でも、ここまで従ってきたんですもの、あなたの言うことに従いますわ。」


物心ついた時から母がおらず、実父の国王とも交流がない少年にとって、目の前の無愛想な文官は初めての頼りどころであり、血の繋がった家族だった。そして、姉の子供とはいえ出会ったばかりの子供のことを危険を犯しながら世話を焼き続けてくれた。


これでお別れかと思うと急に寂しいような気持ちになったが、今は時間が無い。そんな感傷を振り切って、生きるためにやることがある。


少年は自室のクローゼットの上の天井部分の板を外して、隠しておいた旅道具を取りだした。これらも全て、文官が用意してくれたものだ。


再び感傷に浸りそうになった心を叱咤して、手を止めず。足をとめず、前に進む。


そして、湖の近くの王宮の出入りを管理する門へとやってきて、門番がいることを確認する。王女が身投げしたということを認識してもらえなければ意味が無い。


湖に隣接している見張り台のような高い塔にやってきて、靴を脱ぎ、予め用意しておいた手紙を靴のところにおく。そして、息を大きく吸って覚悟を決め、重石といくらかの荷物を持って月明かりが差し込む深い深い湖へ飛び込んだ。


割と大きい音が鳴ったのだから、門番はきっと気づいてくれるだろう。ある程度沈んだら水に濡れて重いドレスを脱ぐ。簡易な下着姿になってドレスはこのまま浮かんでしまわないように重しをひっかけてそこに沈めてしまう。


息を止めていられる時間は有限なので、少年は急いでそれらを済ませて泳ぎだした。息が上がりそうになったり体が疲れそうになればすぐさま治癒で回復させて、諦めず着実に遠い遠い湖の反対側へ進む。


ある程度進んだら少し頭を出して空気を吸いまた深く潜る。暗い夜で門番も少ないから多少頭を出しても気づかれないだろうが、それでも回数は少ない方が良い。


そうしてようやっと着いて、濡れたあとが出ないように結界で自分を覆い直して森に入ろうとしたところで人影が見えた。


まさか、目撃者がいるのか?これまでの計画を破綻させる訳には行かない、自分のためにも、助けてくれた文官のためにも。いざとなれば殺す覚悟を決めて息を潜めて近づいて見れば、そこに居たのは文官だった。



「は、なにしてんだよ。」

少年は少し息のあがった声で軽口を叩いた。


「甥っ子をこれっきり放置する訳にはいかないだろう。また姉さんのように気づけば死んでいたなんてごめんだ。」


そうだった、この人は姉を似たような経緯で無くしているんだった、ということに少年は改めて気づく。そして、置いていかないということはつまり、少年と一緒に行くということだ。


少年はなんだか嬉しくなって笑みがこぼれた。


これまで、彼らは1度も人前で親族のように振舞ってきたことは無かった。


血の繋がりで親しくしていることがバレれば文官の身も危うくなり、そうなれば計画もおじゃんだ。


だからこそ、王女は目の前の文官が親戚だということに気づいていないふりをしなければならなかったし、文官は王族の外戚となったことを利用するような欲を出したりしないということを示し続けなければならなかった。


しかし、これからはそんなことをしなくていい。数年前まで天涯孤独に貧民街の娼館で下働きとして生きていた少年は、女だと勘違いされて散々な目にあったものの、それまで決して持っていなかった、自分には得ることが出来ないだろうと思っていた家族を得た。


身を隠さなければならないとはいえ、割と明るそうな将来が待ち受けていることに気づいた少年は久しぶりに男らしくニヤリと笑い、文官に向けて声をかけた。


「ねぇ、今からはあんたのことなんて呼べばいいかな。文官なんて呼べないでしょ。」


「俺はリエルだ。姉さんにはエルって呼ばれてたよ。それから、お前の名前はリアンだ。…元々、姉さんがつけようと思ってた名前だよ。アンって呼ばれてたから、一部は伝わってたのかもな。」


「じゃあリエルって呼ぶよ。さすがに兄さんって呼んだら年の差的に変だろうしね。俺のことはリアンって呼んで!」


「ふ、さっきまではちゃんと王女らしくしてたのに、随分な変化だな、リアン。」


「だって俺はずっと男だから。内心ずっとこうだったのに、ああやって王女していられたんだから、人生何があるかわかんないな。」


「お前はまだ若い、俺はもう40前だが、お前は20もまだだろう。人生を悟ったようなことを言うのはまだまだ先でいい。」


「リエルだってまだまだ若いさ。俺の唯一の家族なんだから長生きしてよ。」


2人は真夜中の森をゆうゆうと歩き出した。彼らの行く先は多くの波乱や危険を帯びている。それは彼らも承知の上だ。それでも彼らの顔は明るかった。月の光が差し込んで彼らの行先を照らし出す。それはまるで2人の新しい門出を祝福しているようだった。



おしまい

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