免許更新
加賀倉 創作
免許更新
窓から朝日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえる。朝六時を告げるアラームが寝室に鳴り響く。いつもの平日の朝だ。アルファ氏はアラームのボタンを叩き、けたたましい音を止めた。忙しい一日が始まる。彼はベッドから出ると、まずは洗面所に向かった。うがいをして、顔を洗った。タオルで顔と手を拭くと、水を出しっぱなしにしたまま、洗面所を去った。次に、家じゅうの明かりをつける。ついでに各部屋の窓も開ける。換気のためだ。彼はキッチンへ向かった。妻と娘のために、朝食を作らなければならないのだ。ⅠHクッキングヒーターにフライパンを置き、スイッチをオンにする。フライパンに玉子を割り、パンをトースターに入れ、ダイヤルを回す。冷蔵庫からキュウリを取り出してまな板に載せ、調理台にあった包丁でそれを輪切りにする。すると、娘がまだ半分開いていない目をこすりながら、リビングに入ってきた。娘はソファに座ると、アルファ氏にこう頼んだ。
「パパ、テレビつけてよ。あとリビングの電気もついてない」
彼は手を止めて、リビングに向かう。リモコンを取り、電源をオンにした。そして、電気のスイッチも押した。キッチンの方ではトースターが高音を鳴らして、パンが焼けた合図を送る。慌ててキッチンに向かうと、トースターからパンを取り出し、フライパンの玉子をひっくり返す。キュウリも切り終え、それらを皿にのせようとすると、遠くから妻の声が聞こえた。
「あなた、トイレの電気がついてないわ」
彼はトイレに向かい、電気のスイッチを押した。
「助かったわ、ありがとう」
「いや、当然のことさ」
決め台詞のようにそう言って、キッチンへ戻る。彼はせわしく家事に取り組んでいるが、専業主夫ではない。また、家族が彼に指図するのは、奴隷のようにこき使いたいからではない。実はとある理由で、彼らの行動には制限があるのだ。数年前、国民生活全般免許導入法という法律が施行された。これは、生活のあらゆる行動において、専用の免許の取得が要求される法律である。例えば、水栓開閉免許。これがなければ、家の蛇口すらひねることができない。そして、家電製品オン・オフ免許。これがなければあらゆる家電製品の使用ができない。ちなみに大型免許と小型免許とに分かれているため、注意が必要だ。また、料理免許というものもある。これはいわゆる調理師免許とは異なり、一般家庭での料理の権利を得るための免許である。アルファ氏の場合、妻が料理免許を持っていないので、料理を一任されている、というわけである。
彼は皿に料理を盛りつけながら、リビングいる娘にこう呼びかけた。
「洗面所のお水、出しているから顔でも洗っておいで」
「はぁい」
彼は冷蔵庫からオレンジジュースとバターとジャムを、棚からコップを三つ取り出して、ダイニングテーブルへ運んだ。出来上がった料理やカトラリーを運ぶのにダイニングとキッチンを何往復かしているうちに、家族全員が食卓に集合した。朝食をとりはじめると、娘が申し訳なさそうに切り出した。
「パパ、ごめんなさい。わたし、洗面所の水道の蛇口を閉めちゃったの」
妻が続いて、
「私もトイレの電気、間違って消しちゃったわ」
アルファ氏は呆れた顔で返事した。
「二人とも、だめじゃあないか。警察が見ていたらどうするんだ」
「「ごめんなさい」」
彼らは重い空気の中、朝食を済ませた。この後は各々支度をして、アルファ氏は職場へ行き、娘は小学校へ行き、妻は娘の登校に付き添わなければならない。アルファ氏が朝食の後片付けに取り掛かろうとすると、玄関のチャイムが鳴った。彼は怪訝な顔で玄関に向かった。
「こんな朝早くに、誰だろう」
ドアを開けると、一人の警官が立っていた。
「おはようございます。私、免許警察の者ですが」
「はい、何の御用でしょうか」
アルファ氏は恐る恐る尋ねた。国民生活全般免許導入法の施行以来、免許警察なるものが、違反者を探すために巡回しているのだ。
「あなたはアルファさんですね。実は、あなたにお伝えしたいことがございます」
「そうですが、私はほとんどの免許を持っている上に、違反した覚えもありませんが」
「ちょっと失礼しますよ」
そう言って警官は家に押し入ってきた。
「困りますよ、娘が怖がりますよ」
「必要な手順なんです、辛抱してください。まずは水回りを確認させていただきます」
アルファ氏は仕方なく警官を案内した。
「はぁ。ではまずキッチンへどうぞ」
警官はキッチンに案内されると、散らかった調理器具を見てこう言った。
「料理の痕跡がありますが、これはいつ、誰の手によるものですか」
「今朝、私が朝食を作りました」
「けっこう。次は洗面所を見せていただきたい」
「はい、こちらです」
洗面所に着くや否や、水が飛び散った洗面台を見て警官が尋ねた。
「かなり濡れていますが、今朝どなたかが使用されましたか」
「はい、私と娘が。顔を洗ったり、うがいをしました」
「蛇口の開閉はどなたがされましたか」
そう質問され、アルファ氏はドキッとしたが、平然と答えた。
「開閉は両方とも、私がしました」
「そうですか、わかりました」
どうやら娘が蛇口を閉めたのはばれていないようだ。
「トイレがありますが、そこもご覧になりますか」
「ええ、もちろん」
「こちらです」
トイレに着くと、警官が電気のスイッチをじろじろ見ながら質問した。
「今日トイレを使用されましたか。電気のスイッチのオン、オフはどなたが」
「妻が使いました。ですが彼女は電気スイッチオン・オフ免許を持っていないので、私が点けて、私が消しました」
「そうですか」
妻が誤って電気を消したこともばれていないらしい。
「家じゅうの窓が開いてますが、いつ、どなたが開けましたか」
とアルファ氏は聞かれたが、この質問には自信満々に答えた。
「今朝、私が換気のために開けました」
「わかりました。証拠はこれで十分です」
と、警官は同情的なまなざしで告げた。
「証拠ってなんですか。料理免許は先月更新しましたし、水栓開閉免許も去年更新しました。電気スイッチオン・オフ免許にいたっては、先週更新しましたよ。何がいけないんですか」
警官は、はきはきとした口調で、こう言い放った。
「昨日付で、あなたの免許使用免許が失効していました」
〈完〉
免許更新 加賀倉 創作 @sousakukagakura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます