心を砕く、愛の果て

水樹紫鶴

1


 師匠が残していったのは、一枚の遺書と一体の小さな子供ロボットだった。

 

 朝、目が覚めたばかりの頭で棺のような箱に被さる蓋を開ける。ふわふわとした小さい毛布の中に埋もれているのは、小学生中学年くらいのロボットだ。

「本当に困った人だな」

 遺書と呼ばれる小さな紙切れに書かれていたのは、子供の形をしたロボットの仕組みと手入れの方法。修理方法その他諸々、名前が『ナブ』と言うこと。とりあえず育ててみろ、ということらしい。吐き捨てた言葉の後に、小さく舌打ちをした。イブンは子供のなりをした人形のようなロボットに目をやる。金の髪に紅玉の瞳、白く透けるような肌に着せられたフリルの多い白シャツは、物語に出てくる貴族の子の様で愛らしい。

 持ち主の感情表現しだいで感情が育つらしいそのロボットは、まさに師匠の最高傑作といえるだろう。

 師匠――哲学者アリスは、常より愛情深い人だった。その師匠が成し遂げた偉業の世話を、自分一人養って満足している人間ができるわけがない。そうイブンは紙を投げる。

「そもそもロボットに感情など」

 鼻で笑えど完全に否定できる根拠はない。それでもないと思うのは、実験した学者も成功例もないからだ。天才と呼ばれ、それなりの地位と功績を残している学者の弟子としてイヴンは、何もせず何も見ず、その非人道的とも言える研究成果を否定するには経験も知識も足りなかった。

「どうせ趣味丸出しの愛玩道具だろう。俺には関係ない」

 ロボットの収められた棺に似た箱を机の上に放置して、ソファに座る。少し冷えたコーヒーを啜れば、押しつけられたロボットのことなど忘れられる様な気がした。


*   *   *   *


 目が覚めて、起き上がる。主人に『脳みそ』と呼ばれた制御装置が稼働したことを確認して、ナブはあたりを見渡した。屋内であろうその場所を見て、『記録』にあるどこの建物とも一致しない事実に驚きともとれない感情を知った。

「……ここ、どこだ」

 軽快な機械音を鳴らして、ナブは『記録』の中から欲しい情報を探し当てる。

「そう、主人は、死んじゃったのか」

 少し悲しそうにうつむく姿は、何も知らない人間が見れば人と見紛う動作で。けれど、その表情は一切の無であった。

 『記録』を開始する『脳みそ』がジジッと音を鳴らす。いくつかの機械音が鳴り、顔を上げたナブはもう一度部屋の中を見渡す。

 ふと、視界の隅に映った人型に目を向ける。コーヒーを持った手が硬直し、薄く開かれた口が何かを紡ごうとぱくぱくと開閉している。

「あなたが新しいご主人?」

 こてりと首を傾けるナブに冷静さを取り戻そうとしたのかコーヒーを置いた人間が一つ深呼吸をする。

「俺はお前の主人になった覚えはない」

 電源もつけていないのにとぶつくさ言っている声が聞こえるが、主人でないならばとナブは『記録』にその事実をつけ加える。そのままかくりと首が落ちて、「ぴぴっ」と軽快な機械音が響いた。


 目の前のロボットが完全に沈黙したことを確認して、イヴンは机に置いたコーヒーに再度口をつける。幸か不幸かロボットは歩くことなく、ただ箱の中に座ったまま眠るように停止していた。イヴンはその箱を空き部屋に置き、取り扱いとメンテナンスの仕方を書いた紙以外を箱の中に収める。

「師匠のことだ、何か考えがあるに違いない」

 呟いた言葉は、閉じられた蓋の裏に吸い込まれていく。

 イヴンは師匠であったアリスとは殆ど家族のような関係だった。アリスは哲学者として名を残しながらも、いろんな分野に手を伸ばしていた。ナブと呼ばれた人型学習ロボットは、趣味の延長線上ではあったけれども、研究の一端に過ぎなかった。少なくともイヴンは、そう思っていた。

 だから、イヴンはその箱ごと物置にナブを片付けた。


*   *   *   *


「……目が覚めたかい?」

 ここはどこだろうか

「ここは私の研究室…今は家みたいになっているけれどね」

 あなたはだれ

「私は哲学者、■■■だ。好きに呼んでくれて構わない」

 ぼくは

「お前はナブ。私の可愛い子供だよ」

 こども?

「そう、愛しい子。いつか私がいなくなった時には、きっとあの子の友になっておくれ」


 優しい手。友達。あの子とは、誰のことだろう。

 妄想と幻覚。夢の縁。ここに起きた出来事。

 ロボットでも夢を見るのだろうか。考えて、目を開ける。

 ナブは、初めて夢から覚めるという現象を、経験した。それは酷く寂しく、酷く温かいことなのだと、『感じ』た。


*   *   *   *


 目覚めてすることと言えば、朝のご飯を作ることだろう。ナブは、起き上がって時刻を確認する。

 午前5時。

 遅くも早くもない、朝の起床の時間である。けれど朝ご飯には少し早い。

 そこまで考えて、ナブはふと昨日見知らぬ人間と交わした言葉を思い出した。

『俺はお前の主人になった覚えはない』

 それは確かに間違ってはいないのだろうが、ナブ自身『手伝う』という行為以外を『知らない』。では何をしよう。

「はかせは」

 そう呟いて、ふと窓の外を見る。昨日見た人間が、外から帰ってくるのだろう姿が見えた。ガチャリと何処かの扉が開く音がする。周りを見渡せば物置なのだろう、あらゆるガラクタが散乱していて出入り口を見つけるのに少々の時間を要した。

 ナヴは元主人である博士との共存生活で、空間把握能力と言語能力、学習能力を普通の子供よりも高く設定されていた。そのため、基本的な家事や対話は粗方できる。

 扉を開ければ広い廊下と、昔見た覚えのある作りの部屋や飾り付けが見える。眩しい朝日に目を細めつつ、音がする方向を目指して歩いた。見えたのは、コーヒーミルに豆を入れる人間。豆から香る匂いに、懐かしさを感じてナヴは、その人間が誰なのかを記録の中から見つけ出した(思いだした)。何時もやっているのだろう、慣れた手つきでコーヒーを作る姿は自身を作り出した博士に似ていると、ナブは感じる。

「……おはよう、イヴン」

 驚いたような顔をして、イヴンと呼んだ人間が振り返る。癖の強い銀髪に隠れた色彩の違う一対の瞳がナヴを見る。菫と群青が揺れて、けれどすぐにそれは逸らされる。揺れる長髪が、会話を拒絶しているようにも嬉しそうにも見えてナブは開きかけた口を閉じて反応を伺う。

「おはよう。…俺の名前は博士に聞いていたのか?準備がいいな」

 皮肉めいた言葉を吐きながら、イヴンはナブの髪に手を伸ばした。金色の髪に触れて、何を思ったか。

「邪魔そうだな。結ぶぞ」

 言って、近くの収納棚に置いてあった髪ゴムを一つ取る。高い位置まで持ち上げた髪を無造作に結んで、キッチンに戻る。戸棚から、カップを二つ取りだしてコーヒーを注ぐ。それをテーブルに置いたイヴンがナブを振り返って手招きをするから、ナブが近づけば子供には少しばかり高い椅子にナブを座らせて向かい合うようにイヴンは座った。

「師匠はどうして君をここに持ってきたの?」

 何の前触れもなく、まるで朝の挨拶をするかのようにイヴンは続ける。

「博士は、僕にあなたによろしくとだけ。それ以降の記録はないんだ」

 「そう」息を吐くように呟いてイヴンはカップに口をつける。一瞬懐かしむようにナブを見て、窓の外に視線を移す。ナブも用意されたカップを手に取りコーヒーを啜る。ほんのりと温かいそれは、ナブの見た目年齢を考えてのことだろう。少しミルクが入れられていた。


*   *   *   *


 最初箱を開けたとき、夢を見ているのだと思った。嘗て傷つけてしまった、自分のせいで失ってしまった親友が、あの時の姿のまま此処にいるのだと。そんな馬鹿げたことを考えてしまった。

 師匠が昔から人を作ろうとしていたことをイヴンは知っていた。初めて知ったのは中学に上がったくらいの頃で、興味はなかったがあまり人に言うものではないことは知っていた。内容の詳細を知ったのは、高校も二年になり進路を考え始める時期になった頃だった。イヴンも師匠である博士と同じ学者を目指した。分野も心理学で、研究も学校には通わず師匠を頼ろう。そう考えていた。けれど、イヴンはその時博士がしている研究に興味はなかった。

 イヴンには親友がいた。金色の髪にレッドベリルの瞳の、初恋の相手。中学一年の夏に引っ越してきたその子供は、けれどある日イヴンの目の前で肉塊になった。

「…師匠、リヴィを作れますか」

 師匠、博士と慕う人がしていることが禁忌だということは認識していた。人工知能AIを人間のように作り替えるだけの、そんな研究。思考するそれは、人と見紛うほど美しい外枠…いや、ホンモノの人間の皮や髪を使って作られた外枠に、心臓や他の内臓の役割をする機械を詰める。

 人が人を作るような所業、所謂ヒトクローンは認められていない。

「作ることはできないよ。…でも育てることはできるかもしれないね」

 ゆっくり、言い聞かせるように老婆のような声がイヴンの耳を擽る。

「何時かお前が一人になるとき、リヴはお前の所に帰ってくるだろうさ」

 そんなことを言われた。


 思考の夢から覚めて、目の前でパンを食べる子供を見る。座りかた、食べ方、パンの持ち方。それから、笑うとき少し首を傾げる癖。

「君の名前は?」

 野暮だとも、過去は変えられないこともイヴンは理解していたと思っていた。ナブはその名前を知らない。博士は教えていないと思っていた。たかだか人工知能は感情を持たない。けれどそれはただの偏見なのだと、イヴンは知った。

「僕はナブ。正式名称はリヴ・ナヴィン」

 よろしく。と笑みを浮かべる表情は、まるで人間そのものだとイヴンは感じた。レッドベリルの色をした瞳が光を吸収して、金糸が光を反射する。

「…俺はイヴン・ハイサム。イヴンと呼んでくれ」


 間違いを認めるのも、学者の務めだよ。

 何時か博士が言っていたことを思い出す。何時か師匠が言っていたことを反芻する。


「おかえり、リヴ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心を砕く、愛の果て 水樹紫鶴 @lapis_21g

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る