19世紀後半:新しい『フランス史』(1)炎上
アンリ・マルタンは、1834〜36年にかけて『フランス史(Histoire de France)』全15巻を刊行し、このときの経緯はすでに書いた。
▼19世紀半ば(2)アンリ・マルタンの『フランス史』
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最初の『フランス史』の成功を受けて、マルタンは手直しした同著を1838〜53年にかけて18冊刊行。さらに、1855年に既刊とはまったく異なる、全面改稿した新しい『フランス史(Histoire de France)』を始めた。
これは、歴史家アンリ・マルタンの最新の言葉であり、シャルル七世に対する最終的な評価といえる。
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シャルル七世は、行動力はあるが頑固、軽薄で「夢想家」、善を疑い、悪を信じる。父と兄の命を奪った淫乱(voluptés)の影響により、思春期のころから軟弱で、年相応のエネルギッシュな情熱も心身の活発さも見られなかった。
シャルル七世は臆病者ではなかった。
自分の命を賭けなければならないときは立派に対応した。
しかし、彼は戦争の疲労と混乱を恐れていた。
彼は残酷でもなければ、まったく鈍感でもなかった。
しかし、彼の感受性は表面的で深みがなく持続しなかった。
内面的な生活は、「今」の感覚・感じ方がすべてだった。
シャルル七世の心には、熟考して内省する力はあったが記憶力に乏しかった。
彼は恩知らずだったが、それは思慮深さの反映というよりも、内面の無気力さに起因していた……。シャルル七世の反抗心と無気力と官能的な好みに媚びて、王に気に入られた最初の陰謀家のなすがままだった……。
シャルル七世の実用的なエピクロス主義(épicuréisme、快楽主義)は、心の痛みから逃れるために、邪悪な出来事からできるだけ距離を置いた……。
その後、ずっと後になって、年齢を重ねたことがシャルル七世の能力に好影響を及ぼした。彼の高潔な精神はもはや無意味ではなかった。仕事と行動する能力、意志、人格、すべてが彼の中にある程度現れた。
この変化は非常にゆるやかで、シャルル七世は偉大なものすべてに対する嫉妬と不信感という、小心者ゆえの悪癖を治すことができなかった。よく尽くされるほどに嫌悪や恐怖を感じ、それを払拭できなかった……。
しかし、不公平であってはならない……。
これだけは認めざるを得ない、シャルル七世の消極的な長所は、知的なブルジョワジーを政府に引き入れ、フランスのどん底から生まれたムーブメントを受け入れたことである……。
少なくとも、彼の「否定的な美徳」は、戦争する人たちの行き過ぎた行為を嫌っていた。
シャルル七世はまた、悪癖の弊害で「無知」だったため、受けた恩義以上に、犯された犯罪のこともほとんど覚えていなかった。
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アンリ・マルタンの新しい『フランス史』第6巻が刊行されると、すぐに無視できない論争を引き起こした。マルタンは小説からエッセイまで手がける文筆家・編集者でその
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