19世紀後半:新しい『フランス史』(2)異議あり
一方向に向かっている流れを、別の方向に向けるために、必要な時間はほんの少ししかない!
これまでの歴史家たちの意見を思い出してみよう。
キシェラがシャルル七世の性格を厳しく批判した結果、扇動者の権威と思慮深そうな意見ゆえに、あたかも「シャルル七世に不利な歴史が決定した」かのように思われた。その他大勢と同じように、アンリ・マルタン(新しいフランス史の著者)もまた悪印象を刷り込まれたのではないか?
本書の冒頭を思い出してみよう。
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ある学者の言葉を借りれば、「歴史家には崇高な特権」がある。
特定の時代・人物について、数百年におよぶ悪意や誤解、それによって下された偏見という判決を、壮大な再審査のプロセスを経て、断ち切る能力を持つ。
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歴史家のルールに従い、マルタンの著書——いわばシャルル七世に対する起訴状を前に、「オリジナルの出典に基づく反論」を展開するのは当然の流れだ。
まず、キャリアの浅い若手のある作家が、果敢に反論した。
幸いなことに、反論を試みたのは一人だけではなかった。現代評論(Revue contemporaine)のエミール・シャスル、ユニオン誌のアルフレッド・ネットマンが議論に介入し、ジャーナリストの矜持をかけて歴史家の著書に堂々と戦ったのである。
アンリ・マルタンは、自著に対する批判に答えるために順番にペンを取らなければならず、それはかなり鋭い反論を引き起こした。
この論争の結果、どれほど無知な陪審員が見ても、「この歴史家(マルタン)は的外れで、彼の評価は偏見に満ちている」という感想で一致した。
エミール・シャスルは、次のように語っている。
「アンリ・マルタン氏は、シャルル七世を侮蔑することでみずからの正義を示すことに失敗したようだ。仮に、シャルル七世の本当の人物像について『わからない』ままでいなければならないと言うなら、マルタン氏の著書は現代の史学精神から外れている」
そして、アルフレッド・ネットマンは、マルタンの理屈の薄っぺらさを指摘した後、問題の核心に踏み込み、みごとに要約した。
「アンリ・マルタンは、1827年流の自由主義者として、15世紀の国王が『君臨すれども統治せず』だったと主張しようとした。ようするに、著者はシャルル七世を批評(ジャッジ)しているのではなく、真っ向から反対しているのだ」
マルタンは政治的な情熱に負けて、歴史家としての矜持を曲げたのだと思い知らされた。
(※)「1827年流の自由主義者」について補足:1827〜1830年にかけてフランスは経済危機に直面し、復古王政は崩壊。なお、この時のフランス王はシャルル10世。
おそらく、アンリ・マルタンは新しい『フランス史』を通じて、(自覚的であれ無自覚であれ)王政を批判したかった。特にシャルルという名の君主は、認めたくなかったのかもしれない。
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