第19話

 二日後、商隊は予定通りにナーリウへ到着した。

 今度こそしっかりとした乗合馬車を探さなければ、と少し気負っていた雨音を心配したラズがついてきてくれたお陰で、比較的あっさりと乗り換えの馬車は決まった。

 ラズは商隊の人間と話をする雨音とベルの後ろに立っていただけで、二人のすることに口出しはしなかったが、旅慣れた貫禄のある彼女がいると商隊の人間も誤魔化しが効かないと悟るようで、嘘をつかれることもなく満足のいく結果になった。


「ありがとうございました、ラズ。すっかりお世話になっちゃって」

「いいんだよ。このへんもあんまり治安は良くないし、あんたたちが変なのに引っかかったら寝覚めが悪いからね」

 

 休憩中のハドリーの商隊からわざわざ付いてきてくれたラズは笑って言う。

 ハドリーも別れ際に随分と雨音たちを心配してくれた。


「あの、何度も魔獣から助けてもらって、ありがとうございました」


 ここまでの旅でラズとかなり打ち解けたベルも礼を口にした。

 ラズは平民なので最初は口数が少なかったベルだが、一週間以上寝食を共にしたことと、ラズが気さくで面倒見が良い性格だったことで抵抗がなくなったらしい。


「仕事だからねって言ったら身も蓋もないか。まあ、アタシはアタシができることをしただけさ」


 そう言うと、「じゃあね」と手を軽く振ってハドリーの商隊に戻っていった。

 あっさりした別れはラズらしいなと雨音は思った。



 *・*・*・*・*



 馬車を乗り換えて三日後、いよいよ今日はレシエンからイリストの国境を越えるというところで、馬車は突然止まってしまった。

 予定では、ここはマルメリンという国境近くの町のはずだ。

 幌付きの馬車の中からでは外の様子が分からないが、ピリピリとした空気が伝わってくる上に、あちこちで怒鳴り声が聞こえる。

 

「すまねえな、どうも国境が封鎖されちまったらしい」

「――っ!」


 やってきた商隊のリーダーの言葉に、ベルと一緒に備え付けの椅子に座っていた雨音は息を止めた。


「はあっ? なんだよそれ!」

「いつ解かれるか分からないかい?」

「まったく情報がないらしい。悪いが、ここで解散だ。前払いの金を返すから、あっちにいるヤツのところに行ってくれ」


 乗客たちの反応にリーダーも困ったように頭をかいて、大きくため息を付いた。

 不満や不安を口にしながら降りる他の乗客たちに混ざって、雨音とベルも馬車を降りる。

 商隊の会計係の前にできている列に並ぶと程なくして順番になり、ここまでの運賃が引かれたお金が戻された。


「難しいかもしれないけど、早めに宿を取ったほうがいいですよ。動けるようになったらまた募集をするので、そのときはよろしくお願いします」

 

 商隊の会計係の若い男性にそう言われて、雨音はどうしようかと考える。

 

「お嬢様、ひとまず落ち着けるところに参りましょう」

「あ、うん。そうだね」


 人と馬車が溜まっている大きめの通りは苛立ったような人たちが多く、あまりいい雰囲気ではない。

 ほとんどは男性たちで、数少ない旅の女性たちは危険を察知してか馬車や建物の中に避難しているようで姿が見えず、外にいる女性は護衛の冒険者と分かるような人ばかりだった。

 男性の変わり身を使っているとはいえ、外に長居はしないほうが良いだろう。

 とはいえ、こう人が多くては空いている場所もなく、ようやく探し当てたのは小さな酒場の隅の木箱の上だった。

 椅子とテーブルは全て埋まっているので、店主に声をかけて許可をもらった。

 

「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう」


 ベルが持ってきてくれた飲み物に口をつけると、味の薄いビールだった。ちなみに泡はないしぬるい。


「え、あれ、お酒? たしかに酒場だけど……」

「申し訳ありません、煮沸した水がなかったので。あっ、お嬢様、お酒は……」

「大丈夫、強くはないけど飲めるから」


 そういえばむこうの世界でも、海外では生水や硬水には気をつけるものだったなと雨音は思い出した。

 以前アマンダの食堂で出された水はおそらく、煮沸されたものだったのだろう。


「お嬢様、国境の封鎖というのは……」

「レシエンはクローツの友好国だったよね?」

「はい」

「それなら、クローツの国境が封鎖されたのと同じ理由かもしれない」

 

 聖女を祭り上げて戦争を起こそうとしている国のなかに、レシエンがいるのだろう。

 イリストと国境を接しているのなら当然か、と雨音は考えた。

 クローツからイリストへ軍を進めるためには通り道になるのだから。

 もしかしたらクローツやレシエンでは既に戦争の準備が始まっているのかもしれない。

 そして、戦争に必要な雨音を捕らえるためにクローツからレシエンに要請があった可能性がある。

 もしかしたら考えすぎかもしれないが、実際にイリストへ行く道の障害になっているのだから、用心に越したことはない。


 ベルにはクローツを脱出しなければならない理由を伝えてある。

 巻き込んでしまって申し訳ないと言った雨音に、「それでもお供します」と返したときのベルの硬い表情は忘れられなかった。


「では、あまりここに滞在するのは良くありませんね」

「そうだね。でもせっかく国境が近いのに……」

 

 レシエンにクローツの手が伸びているのなら、レシエン内を逃げ回っても捕まるのは時間の問題だ。

 手持ちのお金も多くはない。

 取引自体は良いものだったが、あのアクセサリーがあまりお金にならなかったのが痛い。


「そうだ。鳥を飛ばして、国境の様子を見てみるね」


 ベルに顔を寄せて声をひそめると、少女は心得たように首肯した。

 雨音は近くの木枠の窓の外を眺めて、斜向かいにある建物の屋根に術式を仕込んだ魔力の虫を飛ばす。

 屋根の上に止まった虫は術式を展開すると魔力でできた鳥を編み上げた。

 カラスの姿に似せた鳥でマルメリンの上空を一周してみると、すぐに国境に続く道が見つかった。

 急いでいる人たちなのか、道も町の中と同じように人と馬車で詰まっている。


 街の出口から百メートルほど離れたところに高い木板の塀を巡らせた砦があり、その門は閉じていた。

 門の内側にも馬車や人が集まっていて、門の前の制服を着た警備兵らしき人と言い争っているのが見える。

 警備兵の数も多く、槍を手に持ち、腰に剣を下げていた。

 槍を振って集まっている人たちを散らしている様子も見受けられた。

 それでも人々は距離を取ってから口々に怒鳴っている。

 暴動が起こるかもしれない。そう感じさせる光景だった。


 いくら警備兵が多いと言っても、ここに集まっている人たち全てを制圧できる人数ではない。

 町で不満を持っている人たちが加勢すれば更に抵抗する人は増える。

 そこに武器を持った冒険者が加わりなどしたら、完全に戦闘状態になるだろう。

 早くここを離れるべきだ。

 できればイリスト側に。

 

 そう思い、雨音は鳥をイリスト側に向けた。

 上空から見下ろすとレシエン国境の塀に一部、隙間が見えた。

 小柄な人ひとりなら通れそうだが、砦からの見通しが良く目立ちそうだったので、そこを使う案は却下した。

 鳥は悠々と国境を越え、塀の向こう側の人気のない道をたどる。

 小さな低い丘を越えた先にも砦が見えて、こちらの門は開いていた。イリストの国境だ。

 警備兵の様子も穏やかで、緊迫した雰囲気はない。

 雨音は草木が生えていて隠れられるところに鳥を止めてベルに尋ねた。


「ねえベル。国を移動するのに出国のチェックはあっても、旅券みたいなものはないんだよね?」

「旅券、ですか?」

「うーんと、身分証というか、出入国の証明書というか」

「そういったものはないです。入国時に多少の通行料は必要ですけど――」

「おい! 憲兵が来るってよ!」


 突然酒場に駆け込んできた男の声が、ベルの言葉を遮る。


「なんで憲兵なんか来るんだよ」

「憲兵?」

「軍の内部の規律を維持する人たちです。普段は一般人に関わることはないはずなのですが……」


 聞いたことあるようなないような言葉に疑問を持てば、すぐにベルが答えてくれた。


「国境を越えるヤツラを取り締まるんじゃねえかって噂だ」

「取り締まるって、何考えてんだ?」

「知るかよ」

「お嬢様、憲兵には魔術師もいます。変わり身を見破られると思います」

「そう……。移動しようか」

「はい」


 酒場を出て適当な裏路地へ入ると、すぐに後ろから複数の足音がついてきた。

 ベルの手を引いて更に細い道に置いてあった大きな甕の影にしゃがんで認識阻害の術式を起動すると、風体の悪い男たち三人が「どこ行きやがった!」と悪態をつきながら、通り過ぎていく。

 強盗か人さらいの類だろう。

 男性の見た目であっても関係ないらしい。

 日中で大通りに近い場所での犯行など、治安が悪くなっている証拠だ。


「アマネ様……」

 

 ベルがぎゅっと手を握る。

 雨音もその手を握り返してから、今度は座標取得の術式を仕込んだ燕を編んで飛ばす。


「レシエンとイリストの国境の間に小さな丘があるから、その向こう側に転移しようと思うの」

「転移魔術ですか?」

「うん。木と茂みが重なっていて目隠しになる場所があるから、そこに転移して、イリストに入ろう」

「はいっ」


 高速で飛ぶ燕はすぐに転移先に見繕った地点に到着して、座標を返してきた。

 転移の術式を構成して返された座標を入力する。

 術式を起動すると一瞬の浮遊感と共に視界が揺れ、正常に戻るとそこはもう茂みの中だった。

 すぐ近くの木の枝に二羽の魔力の鳥が待機している。

 イリストの砦の正面からはだいぶ離れているし、木や草が茂っているので、転移の瞬間は見られていないだろう。

 丘が視界を遮っているから勿論、レシエン側からも見えてはいない。


「すごいです、アマネ様! 転移はとても難しくて、普通は魔術陣じゃないとできないのにっ!」

「えっ、そうなの?」

「はい。人が扱う術式では熟練度が低かったり誤差のせいで転移先が地面の中だったりして危険だそうです」

「そうだったの!?」


 雨音としてはクリストフの授業で見た転移の術式を使ったに過ぎないのだが、言われてみればそういう危険はあった。

 一歩間違えれば重大事故を引き起こすところだった。


「成功してよかった……」

「アマネ様は聖女様なのだから、大丈夫ですよ!」


 その信頼の仕方はちょっと問題があると思う雨音だ。


「ええと、あっちにイリストの砦があるから、クローツの国境の塀をこっそり抜けてきたって感じで通してもらおう」

「わかりました」


 鳥たちの術式を解いてから麓の茂みから出て、遠くに見えるイリストの砦の方向に向かって歩き出す。

 不思議なことにイリストの国境は低い木の柵で囲っているだけで、レシエンのように高い塀ではなかった。

 しかし近寄ってみると、柵の内側の地面一帯に捕縛の術式が敷かれているのが分かる。

 柵を越えて術式を踏んだ瞬間、急速に成長した蔓に絡みつかれて御用、ということだろう。

 当然、近くの砦に警報を通知する術式も一緒に書き込まれている。

 不法侵入検知と同時に侵入者を捕縛できるのは素晴らしい、と雨音は内心で絶賛した。


 柵に沿って歩き、砦が近くなると、驚いたようなイリストの警備兵たちが集まってきた。

 

「あの、こんにちは。入国はできますか?」

「え、ああ、できるけど、もしかしてレシエンから?」

「はい」

「今、国境が封鎖されてるはずなんだけど、どうやって?」


 口々に質問が飛んでくるが、確かに封鎖されているはずの国から人が来れば疑問に思うだろう。


「国境の木の塀に隙間があって、そこから……。実は町で不審な人たちに後をつけられて、逃げていたら偶然見つけたんです」

「あそこじゃないか? サンヨン地点の」

「すみません、必死だったもので詳しくは覚えてないんです。ね?」

「はい、追いかけられて怖くて……」


 話を振ると、ベルも合わせてくれた。

 町で後をつけられたのは事実だ。


「丘の麓を迂回してきたのか?」

「多分……。丘に登ったら目立って見つかりそうだったので、低い方を歩いてきました」

「入国者か」

「はい、レシエン国境を抜けてきたそうです」


 上官らしい、少し装飾のついた制服を着た男がやってくると、警備兵たちは背筋を伸ばした。


「規則なので、変わり身を解いてもらえるか?」

「あ、はい」


 雨音とベルが男性の見た目を解いて、女性の姿を見せると、上官は頷いた。

 魔術具も使わず、変わり身であることをあっさりと見抜かれたことに、雨音は少し不安になる。


「ありがとう。そしてすまないが、少々話を聞かせて欲しい」

「えっと、なんでしょうか」


 雨音とベルが身構えるのが分かったのか、上官は安心させるように微笑んだ。

 

「ああ、入国を拒否するわけではない、歓迎しよう。ただ、レシエンの状況を知りたい」

「そういうことなら、わかりました」


 そうして詰め所のようなところの部屋に通されて、あれこれと聞かれたが、基本的にマルメリンの様子を話すだけで終わった。

 雨音たちはレシエン国境には近づいていなかったので、話せることが町で見聞きしたことしかなかったのだ。

 クローツから来たことにも触れられたが、怪しまれた素振りはなかった。


「クローツもか……。いや助かったよ。マルメリンで何かあれば、こちらにも影響があるからね」

「いえ、お役に立てたなら良かったです」

「二人がそのままイリストの国境を越えずに、砦に来てくれたのも助かった。手荒なことはしたくないからな」

「ここに来ないで柵を越える人がいるということですか? 入国するにはチェックを受けて通行料を払うものでは……?」


 イリストの国境に敷かれている捕縛術式を見てしまえば、無理に越えようとは思わない。

 地面にびっしりと刻まれた魔術陣は見た目にも効果があるはずだが。

 雨音の疑問に上官は疲れたような笑みを浮かべた。


「はは、入国希望者全員があなたのように考えてくれるのなら、私たちも楽なのだけれどね」

「あはは……」


 平和なイリストでも国境の警備は大変なんだなあ、と雨音は思った。


 「そうだ、ひとつ忠告を。男の姿で旅を続けるなら、仕草や話し方に気をつけたほうが良い。遠目ならいいが、今のままでは近づけばすぐに女性と分かってしまう」

 「あ……、はい」


 雨音はあっさり見破られたのはそういうことだったのかと納得した。

 国境で沢山の人間を見る職業の人には誤魔化しが効かなかった。



 

 二人分の通行料を払って砦を出ると、そこはもうイリストだった。


「着いた……」

「やりましたね、お嬢様っ」


 思わず呆然と呟いた雨音はベルの声にはっとした。

 つい感慨にふけってしまったものの、まだ目的を達成したわけではないからだ。

 一番最初の目的地であるイリストには到着したが、次はイリストの王都に辿り着かなくてはならない。

 その次はランダール神殿に行って、聖女であることを説明して――。

 まだまだ先は長い。


「ええと、とりあえず町に行こう。歩いて半日って聞いたから、今日は野宿になっちゃうけど」

「はい、大丈夫です。やっとイリストに着いたのですから、あと少しくらい平気です」


 そんなやりとりをして、砦で教えられた道を進んでいたのだが、段々とベルの口数が少なくなってきた。

 見通しがよく平坦な道なので体力のない雨音もまだ疲れてはいないのに、どうしたのかと顔を覗き込む。

 おしゃべりは性格ではないが、いままでそれなりに受け答えをしていた少女が静かになり、雨音は心配になった。


「ベル、大丈夫? 具合が悪い?」

「だいじょうぶ、です……」


 立ち止まって弱々しく微笑むベルの肩口に、すいっと『発熱』のタグが浮かぶ。


「熱っ!? ベル、ちょっと触るね」

「あ……」

 

 ベルの額にてのひらで触れると、確かに熱い。


「どこか休めるところに……」


 ちょうどいい場所がないかと見回しても、荒れ地の中に地面を踏み固めた道が伸びるだけで木の一本もない。

 

「申し訳ありませんアマネ様。治癒魔術を……」

「あ、そうかっ」


 解熱剤は持っていないなと慌てた雨音は、ベルの言葉に手を打ち鳴らした。

 日常的に治癒魔術を使う習慣がないのでつい失念していた。

 念の為周りに人がいないことを確認してから、ベルに治癒魔術をかける。

 しかし――。


「え? なんで?」


 いくら治癒魔術をかけても『発熱』のタグが消えない。

 もう一度ベルの額に触れても熱いままで、熱は一向に下がらなかった。

 そうしている間にもベルは辛そうに眉を寄せるようになる。


「とにかく、休めるところを探さないと」


 魔力の鳥を飛ばして周辺を確認すると、道の少し先に小さな廃屋が見つかった。

 屋根は崩れて半分しか覆われていないが、壁は残っているので多少は落ち着くだろう。

 雨音は自分の体に筋力強化の魔術をかけた。

 教本で見ただけの術式でもなんとか形になったようだ。

 

「ベル、少し我慢してね」

「あ、アマネ様……」

「もう少し行くと廃屋があるの。そこで今日は休もう」

 

 遠慮するベルを背負って、雨音は歩き始めた。

 どんなに軽くても成人に近いベルの体重は数十キログラムになる。

 迎賓館に居た頃は時間だけはあったので、使う機会があるか分からない術式も覚えておいたのが役に立った。

 もし筋力強化の術式を覚えていなかったら、木陰もなにもないこの場で野宿する羽目になっていただろう。

 それでも息が上がってしまい、心肺機能も強化してみたりしながらなんとか廃屋に着いた。


 蝶番が錆びてギイギイと音がする木の扉を開けると、中は床板などなく地面がむき出しのままだった。

 煤のついた壁が、かろうじてここで火を使っていたんだろうな、と分かるくらいで、使えそうなものはなにもない。

 いや、壁に囲まれているだけマシだ。

 雨音は気を取り直して自分のマントを屋根がある位置の壁際の地面に敷いた。

 負担になるだろうから、変わり身の術式も解く。

 雨音も久しぶりに本来の姿に戻ってひと息ついた。

 旅に便利な術式だが、始終薄い布を被っているような感覚がするのが欠点だ。


「ここに横になって」

「申し訳ありません……」

「気にしないで、今は休んでね」


 馬車でベルが用意してくれたように雨音も荷袋の形を整えて枕代わりにして、ベルを寝かせた。

 もう一度治癒魔術を使ってみるが、やはり効果はなかった。

 もしかしたら魔術が効かないくらい重篤なのかもしれない。


 そう考えて雨音はぞっとした。

 ベルがいたからクローツからイリストまでなんとか来ることができたのだ。

 まだ目的地には着いていないのに、もしベルがいなくなってしまったらと、強い不安にかられる。

 異世界の知らない国にひとりで放り出されて大丈夫なのだろうか。

 せめて薬があれば、ベルも回復して旅を続けられる。


 そう思った自分に雨音は自己嫌悪した。

 これではベルを便利な道具のように使っているだけじゃないか。

 確かにクローツを脱出してイリストに来るためには協力者が必要だった。

 でも、自分の安心のためにベルがいるんじゃない。

 不安だから同行してもらって、倒れたら無理にでも回復させるなんて、そんな都合よく他人を使うなど最低だ。

 クローツの将軍たちと変わらない。


 落ち込んだ気分を払おうと雨音は頭を左右に振った。

 今はベルが休むことを優先しよう。

 もし明日になっても熱が下がらなかったら、自分ひとりで町に行って、助けを呼んでこよう。

 そう考えをまとめて、辛そうなベルに声をかけた。


「ベル、少しの間、外に出てくるね。使えそうなものがないか見てくるから」

「お気をつけて……」


 水は魔術で作り出せるが、食べ物はそうもいかない。

 なにか食べられそうな果物でもなっていればいいのだが。

 荷袋の中の硬いパンと干し肉では消化が悪くてよくないだろう。

 陽が沈みかけて空が赤くなっているので急がなければ暗くなってしまう。


 そう考えて腰を浮かせた瞬間、閉めていた扉が乱暴に開いて男が入ってきて、雨音は身をこわばらせた。

 汚れた衣服と伸び放題の髪と髭。腰には剣を下げている。

 その後ろから更に二人、同じような格好の男が入ってくる。

 三人とも雨音を見てぽかんとした後、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。

 

「とんでもねえ上玉じゃねえか。こりゃあ売っぱらわねえで、客を取らせたほうが儲かるぞ」

「そりゃいいな。だけどその前に、たっぷり仕込まなきゃなんねえよなあ?」

「じゃあ俺はそっちのチビをもらうわ。ガキを女にしてやらあ」

「……っ」

 

 最悪だ。

 雨音はしゃがんだまま男たちに体を向けてベルを背中に隠す。

 逃げ道を塞ぐためか、扉は音を立てて閉められてしまった。


「ここは俺達の狩り場だ。放っといてもお前らみたいなバカが掛かるから、重宝してんだよ」


 どうやらこの廃屋で休んでいる旅人を襲っている連中らしい。

 イリストに入ってから少し気が抜けていた。

 雨音は猛省する。

 クローツのように治安が悪くなくても、こういった人間はどこにでもいるものだ。

 用心していなかった自分の落ち度だ。

 

「ここんとこ実入りがなくてイラついてんだ。今日は朝まで楽しませてもらうとするか」


 下卑た笑い声を上げる男たちに雨音は身構えた。

 

 

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召喚直後に軟禁されたけど、なんとか聖女やってます 山折り @greengoldfish

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