第18話
無事にクローツ王都を離れることができた雨音だったが、予想していた以上に旅は大変だった。
主に雨音の事情で。
ランダール神に改造されたらしき雨音の体は、異常なほどに体力がなかったのだ。
サスペンションも何も無い馬車に半日も揺られていると、それだけでぐったりとしてしまう程に。
見かねた商隊のリーダーの商人が、体を冷やさないようにと雨よけの丈夫な毛布を貸してくれて、とても助かった。
ハドリー・サンダーズという商人はサンダーズ商会という店の商会長で、気配りと面倒見が良く、他の乗客や護衛の冒険者にも気さくな人物だった。
「何かあったらいつでも言うんだよ、無理だけはしちゃあいけないからね」
そう声を掛けてくれる上に、雨音達が乗っているのが客用の馬車ではなく荷馬車だということで、運賃も安くしてくれていた。
クローツ王都の三人といい、良い人に巡り会えて幸運だと思う。
「そんな体で旅をしようなんて随分と思い切ったねえ」
同じ荷馬車に乗っている狼の冒険者、ラズには呆れたような感心したような顔で言われてしまった。
一緒に乗っているベルも疲れてはいるものの、雨音ほどではないようで、木箱に凭れて座っている雨音の手を握ってくれている。
「私もここまで弱いとは思ってなくて……」
「お嬢様、お辛いならいつでも横になってください」
「ありがとう。まだ大丈夫」
荷馬車の空いたところに乗っているため、横になってしまうと木箱に座っているラズはともかく、ベルに窮屈な思いをさせてしまうので出来るだけそれは避けたい。
護衛がいるから必要ないと言われて、二重の男性の変わり身の魔術は使わず、女性の変わり身だけ起動していた。
そのおかげで雨音はいくらか楽ができている。
常時起動型の魔術は常に魔力を消費するからだ。
魔力が少ないと言っていたベルの負担もなくなるので助かる。
「アンタみたいなお嬢様でも逃げ出すくらい、クローツがヤバイってことか」
「……そうかもしれませんね」
「なんだか心配になってきたよ。ズアータ商会の噂も知らない世間知らずをナーリウで放りだして大丈夫かね」
「ズアータ商会はそんなに有名なんですか?」
嘘だらけでこちらを騙そうとしていた商人たちだったので、いい噂ではないのだろう。
そう思って詳しく聞いてみると、乗客を乗せているズアータ商会の姿は見るが、降ろしているところを見たことがないという、ちょっとしたホラーのような噂だった。
ズアータ商会の馬車で訪ねてくるはずだった家族がいつになっても到着しなかったと主張する人もいるらしい。
乗客はどこかで人買いに売られているのだろう、という見方が大多数とのことだった。
とはいえ、ここまでならただの噂の域を出ないのだが、これだけ噂が広がると普通は取り締まりや対策が講じられるものだ、とラズは言う。
それなのにクローツの王宮や大きな街道を持つ地域の領主はなにもしないところから、実はズアータ商会とどこかの貴族が結託して人攫いをしているのではないか、という憶測が飛び交っているのだとか。
嘘を見破れる能力があって本当に良かったと雨音は思った。
自分ひとりなら魔術で何とかなるかもしれないが、ベルを連れてそんな噂のある人たちと関わり合いにはなりたくない。
「クローツでそんなことが……」
ベルがショックを受けたように顔を曇らせた。
王都の貴族街しか知らない彼女には、想像もつかないことだったのだろう。
「だからアンタ達がズアータの連中と話してるのを見た時は肝が冷えたよ。それで思わず声を掛けちまったんだけどさ」
「そうだったんですね、助かりました。イリスト行きの馬車は怪しくなくても高くて困ってたんです」
アマンダたちが持たせてくれた硬貨はそれほど多くないし、雨音が作った魔石で支払うとしても、換金できる魔石を多く持っていると思われて目をつけられても危険だった。
なので、地道に身の丈にあった料金の馬車を探さなければならなかったのだ。
「移民先としちゃイリストは人気があるからね、そりゃ高くもなるさ。アタシらヴィータでも暮らしやすいし良い国だよ」
「ヴィータ?」
「アタシみたいに見た目が人間じゃない連中のことだよ。失礼な人間は獣人とか呼ぶけどね。ヴィータを見たのはアタシが初めてなんだろう?」
「はい、初めてです。正直なところビックリしました」
「ははっ、クローツの人間てのはヴィータを嫌う連中ばっかりなのに、アンタは――」
突然ラズがピタリと口を閉じた。
木箱の上に立ち上がって進行方向右側をじっと見つめると、首に下げていた笛を短く三度吹く。
「右側から魔獣だ! すぐに見えるぞ!」
ラズが声を張り上げると荷馬車が急停止して、雨音の体は凭れていた木箱に押し付けられた。
慌てて言われた方向を見ると、木がまばらな草原の奥に黒い点がこちらに向かってくるのが見える。
他の荷馬車に分乗していた護衛の冒険者たちが次々に降りて、剣を抜く。杖を構える魔術師もいた。
魔術師が作り出した魔力の鳥が、黒い点に向かって飛び立つ。
「
「アンタたちはそこを動くんじゃないよ」
「はいっ」
弓に矢をつがえて言うラズに雨音は答えた。
王都を出てから今日で四日目、すでに三回も魔獣の襲撃を受けている。
泥大猪は泥をかぶる習性のある猪で、子牛くらいの大きさがある魔獣だ。牙も大きく、突進されれば人の腹を簡単に突き破るだろう。
屍肉食いはハゲワシに似た大型の猛禽類の魔獣で、名前通り自分で狩りをするのではなく、他の魔獣の食べ残しを主食としている。
この二種は共生関係にあることが多く、鼻の良い屍肉食いが獲物を見つけ、泥大猪が仕留め、獲物を共有するらしい。
旅の間、暇に飽かせたラズが雨音たちに教えてくれていた。
冒険者たちの動きは手慣れており、近づかれる前にラズをはじめ、遠距離攻撃ができるものが戦力を削る。
その間に剣を持つ冒険者たちが前に出て、馬車の列から離れた地点で魔獣たちを迎え撃った。
当事者たちは慣れていても、雨音たちにとって目の前で命のやり取りが繰り広げられるのは、結構な緊張感がある。
いつ屍肉食いがこちらを標的にして飛んでくるか分からないのだ。
ベルと身を寄せ合って、じっと決着がつくのを待つはかなりのストレスだった。
「終わったよ、もう出発できるからね」
緊張を解いたラズにそう言われてやっと体の力を抜き、雨音はまだ緊張しているベルの背中をさする。
「大丈夫だった?」
「はい……。でもやっぱり、慣れないです」
「慣れなくったって、錯乱して逃げ出したりしなきゃ及第点だよ。戦闘中だと追いかけて連れ戻すのも手間だ」
倒した魔獣を深く掘った穴に埋めてから、馬車の列が先頭からゆっくりと動き始める。
人、馬、荷物とどれも無事のようで、ひと安心だ。
イリストに到着して安全が保証されるまでは変わり身以外の魔術を使わないようにしようと、雨音はベルと相談して決めていた。
目立つことをしたくないからなのだが、それは近くで怪我人がでても治癒魔術を使わない、ということになる。
助けられる人を見捨てるようなことはしたくないので、誰も怪我をしませんようにと雨音は祈った。
別にランダール神にではないが。
「さっきの魔獣たち、なんだか凶暴に見えて……」
「ああ、よく見てたね。アイツらは瘴気にやられてた。近くに瘴気溜まりがあるのかもね」
ベルの疑問に答えたラズの言葉に、雨音はどきりとした。
瘴気は聖女である自分にしか消すことができないものだと教わっている。
しかし、浄化魔術を覚える前に王都を出てしまっているので、もし瘴気溜まりを前にしても、どうして良いのか皆目見当がつかない。
「瘴気にやられちまうと凶暴化して力は強くなるし、予想のつかない動きはするしで、やりにくいんだよ」
戦闘に使った矢の手入れをしながら、ラズは嘆息した。
使った矢はできるだけ回収して使い回すものらしい。
「早いところ聖人様を召喚して欲しいけど、今からじゃあ時間がかかるだろうね」
「どうして時間がかかるんですか?」
「そりゃあ、どこの国も聖人様を召喚したいからさ。瘴気に悩まされてる他の国から寄付金が出るって話だからねえ」
「それに、聖人様がいらっしゃる国はそれだけで人が集まるから栄えるんだそうですよ、お嬢様」
「経済活動が活発になるんですね。だからどこの国も聖人……様にいて欲しいから、どこが召喚するかで揉める、と」
考えたこともなかったが、言われてみれば有り得そうな話だった。
そういう意味でも聖人の政治的な影響力というのは大きそうだ。
「アンタはホント、頭はいいのにものを知らないねえ」
「あまり外に出たことがなかったので……」
頭が良いかはさておいて、こちらの世界のことを知らないのは事実だ。
ベルがそれとなくフォローしてくれるので何とかなっているだけだった。
「って、アンタ、具合悪くなってるじゃないかいっ」
「バレましたか」
「脂汗の匂いがするんだよ!」
「そっかあ」
「お嬢様、横になってくださいっ」
「でも、ベスの座るスペースが――」
「そんなの良いですから!」
荷物の布袋を枕に、強制的に寝かされてしまった。
荷台は広くはないので胎児のように丸くなるしかないが、それでも体は楽だ。
ブーツの先までしっかりと毛布をかけられて、ゴトゴトと荷台と一緒に揺られる。
いつ王宮からの追手に見つかるか分からないながらも、旅はそれなりに順調だった。
*・*・*・*・*
旅を始めて六日目の昼。
そろそろクローツの国境を超えて隣国のレシエンに入ると聞かされていた日だった。
荷馬車に乗っていた三人の中で、最初に異変に気づいたのは旅慣れたラズだった。
「おかしいね。こんなところで停まるなんて」
座っていた木箱の上に立って車列の前方を確認するラズに倣って、雨音も停まった荷馬車の縁から身を乗り出す。
先頭の馬車は二台前で、その進行を塞ぐように誰かが立っているのが見えた。
この商隊のリーダーのハドリーや、商隊の前方にいる護衛たちと話をしているようだ。
彼らからだいぶ離れた奥の方には砦のようなものが建っているので、あれが国境なのだろう。
しかし、国境の大きな扉は閉められていて、バリケードなのか木でできた障害物も置かれており、雨音は通れるのだろうかと不安になった。
六日もあれば迎賓館どころか王都に雨音がいないことは調べがつくだろう。
となれば追手がかかるだろうことも予想していた。
だからできるだけ早くクローツから出ることを、一番の目標にしていたのだ。
国境を通過できなかったら商隊はここで足止めされる可能性が高いし、そうなれば追手に見つかる危険も高まる。
いざとなったら商隊を離れて、歩いて国境を超えるしかない。
ああでも、体力のない自分と旅慣れていないベルで、成功するだろうか。
不安が危機感に変わり、胃の当たりが重苦しくなる。
しばらくするとハドリーが小走りでやって来て、商隊後方のメンバーを集めた。
「すまないね、少し迂回して国境を越えることになったんだよ。急がないといけないようだから、訳はあとで説明するよ」
それだけ言うと、忙しなく前の馬車に戻っていった。
すぐに隊列が動き始めて、急がないとという言葉の通り、いつもよりも速いスピードで馬車が進む。
国境を超えるとハドリーは言った。
なら、自分の不安は杞憂に終わったのだろうか。
幾分か緊張が解けた雨音が大きく揺れる荷馬車の縁に掴まっていると、車列は街道沿いの脇道に入っていった。
あまり使われない道のようで下草が多く、車輪に轢かれた草の匂いが漂ってくる。
しばらく進むと今まで通ってきた街道よりは細いものの、使われてはいるらしい道に出て、進行方向に木でできた塀が見えてきた。
その真ん中にある簡素な木の門は開け放たれていて、車列は勢いのあるままその門を通り抜ける。
雨音たちの車列が抜けきると木の門は向こう側から閉じられてしまい、重い音が響いた。
かんぬきがかけられたようだった。
荷馬車は緩やかに速度を落とし、街道脇にある空き地に停まった。
ルート変更の理由を聞こうと商隊のメンバーが集まると、ハドリーが口を開く。
「どうやらクローツ王宮から、国境を封鎖するように命令があったようなんだよ。五日前と言っていたね」
雨音はそれを聞いてギクリとした。
どう考えても、自分を逃さないための措置だったからだ。
「そんなことしたらクローツから出られないヤツらで国境が溢れかえるじゃねえか。暴動が起きるぞ」
護衛の男の言葉にハドリーが頷く。
ラズの話ではクローツから出ようとする人は多いということだったし、王都前に集まっていた長距離の乗合馬車も結構な数だった。
ハドリーのように仕事で移動する人もいるだろうから、国境を封鎖すれば相当な数の人達が足止めされることになるだろう。
そして不満がたまれば国境の警備兵と衝突することも考えられる。
「ああ、だからここの辺境伯領の領主様は国境の警備隊に、旧道の国境は開けておくように指示されたらしいんだ。けれど昨日、王宮から旧道側も封鎖するように念を押されてしまったようでね」
「表立って反抗するわけにもいかないから、封鎖する前に間に合いそうな連中を旧道に誘導してたってワケか。ギリギリだったね」
「ラズの言うとおりだよ。いつ封鎖が解けるかも分からないようだったから、本当に助かった」
商売に影響が出るのを心配していたのか、ハドリーが息をついた。
護衛も乗客もホッとしたような表情をしており、雨音も助かったと長く息を吐く。
その後、この場で少し早い休憩を取ることになり、湯を沸かすために火が起こされた。
雨音とベルが荷台で休憩していると、ハドリーがやってきて調子はどうかと声を掛けてくれた。
「馬車が揺れただろう、驚かせてしまったんじゃないかと思ってね」
この商人は雨音たちだけではなく、他の乗客や護衛にもこうしてまめに声を掛けている。
ラズは予定が合えばハドリーの護衛につくことが多いらしく、こうした気遣いが冒険者たちにも信頼される理由なのだろう。
「大丈夫です、ありがとうございます。それにしても、どうして国境を封鎖なんてしたんでしょうか……」
「大きな声じゃ言えないけど、クローツから出したくない人がいるんだろうねえ」
それとなく雨音が尋ねてみると、ハドリーは髭を撫でながら声を落とした。
「何年前だったかな。前にも一度、クローツの国境が封鎖されたことがあるんだよ。その時は、さる貴族の奥様とお嬢様が捕らえられて、王都に送り返された上に、先に捕らえられていた旦那様と若君と一緒に反逆罪で処刑されてね。噂じゃ冤罪だったっていうし、せめて女性たちだけでも逃がしたかったのだろうけど、あれは酷かった」
「そんなことが……」
「……」
心当たりがあるのか、一緒に聞いていたベルの表情が曇る。
「お嬢様はまだ言葉も話せないくらいお小さかったらしい。奥様とお嬢様が捕らえられたのが、私たちが通る予定だった国境だったんだよ。ここの領主様も警備隊長様もそれを気に病まれていて、今回も同じことが起こるのを危惧されたんだろうねえ」
聞けば、ハドリーはここの国境を良く使うため警備隊長とは長年の顔見知りらしく、いつだったかの立ち話でぽろりと零されたのだそうだ。
そのお陰と言って良いのかは分からないが、出国のチェックもなしに隣国のレシエンへ滑り込むことに成功したのにはそんな理由があったらしい。
そして、辺境伯と警備隊長の危惧は的中していた。
下手をすると雨音も、ハドリーが語った貴族の女性たちのように捕まって王都へ送り返されたかもしれないのだ。
「最近のクローツは関税も高くて、もう私のような国外の商人は商売ができないだろうと思ってね、クローツ王都の得意先に暇乞いをした帰りなんだよ。痛手ではあるんだけど、背に腹は代えられないしねえ……」
「あの、ハドリーさん。実はご相談が……」
困ったもんだと吐露するハドリーに雨音が切り出と、商人はすぐに笑顔になった。
「おお、何を見せてもらえるのかな?」
「こちらなんですけど」
雨音がベルを見ると、心得ていた少女は荷袋から箱を取り出した。
ハドリーは品物の買い取りもしていて、何度か乗客と交渉をしているのを見ていた雨音とベルは、迎賓館から持ち出したものを彼に買い取ってもらおうと相談していたのだ。
失礼して、とベルベットの貼られた箱を開けたハドリーは目を見開いた。
「これは……、お前さんたち、これはどうしたんだい?」
「亡くなった父が持っていたもので、自分になにかあったらお金に代えるようにと言われたものなんです」
「そうかい。……これはとんでもない物かもしれないよ」
知っている。
なにせ、雨音にやらかしたクローツ王弟が機嫌取りに送りつけてきた、ネックレスとイヤリングのひと揃いだ。
笑い話にもできないセンスのドレスやら帽子やらが贈られてきたなかで唯一まともだったもので、アンヌがわざわざ見せてくれたのを覚えている。
他のトンデモな品は雨音の目には触れず、許可をもらった侍女たちが確認後、そのまましまわれていた。
しかしこのアクセサリーはなぜか良いものだったので、迎賓館を出る時に何か換金できるものをと言った雨音に従ってベルが持ち出してきたのだ。
大粒のダイヤモンドがいくつも使われている上に、小粒のダイヤモンドもそれを囲むようにあしらわれているし、ベルが言うには純度の高いプラチナがチェーンに使われているらしい。
普段使いと言うよりは公式な場で使われるような豪華なデザインなので、価格もそれなりにするはずだった。
「手持ちがあまりないもので、どこかで売りたいと考えていたんです。でも他の商人の方では足元を見られてしまいそうで……」
「まあ、買い叩こうとする輩はどこにでもいるからねえ」
こちらの物の価値を分かっていない雨音と、貴族であるがゆえに価格をあまり気にしたことのないベルでは、いいカモになってしまうのが明白だ。
その点ハドリーは、少なくとも悪意でこちらに損をさせることはないだろう、と信用ができた。
「うーむ……」
「買い取りは難しいでしょうか」
「……いや、お前さんたちを信用するとしよう。ちょっと待っておいで」
アクセサリーの箱を一旦ベルに預けると、ハドリーは自分の荷物がある馬車へ向かい、少しすると戻ってきた。
「ちゃんと鑑定しなきゃ分からないが、このアクセサリーはかなり良い物だ。実をいうと、私にはこれを買い取れるほどの持ち合わせがないんだ。だけどそれだと困ってしまうだろう?」
「はい」
「だから、こっちもつけよう」
そう言ってハドリーは、硬貨が入った小さな布袋と一緒に大ぶりのナイフを雨音に持たせた。
見てごらん、と促されてナイフを鞘から少し抜くと、やや赤みがかった鋭い刃が現れた。
魔力を感じるので、なにかしらの魔術的な加工がしてあるのかもしれない。
「今積んでいる荷で一番価値のある、ミスリルナイフだよ。刃こぼれや錆避けの加工がしてあるから、扱いやすいはずだ。お前さんたち、ナイフを持っていなかっただろう、旅をするなら一本は持っていたほうが良い」
「お嬢様、ミスリルでできたものは貴重で、貴族でもなかなか手に入れられないものなんです。どこかに正規のミスリル製品であると認められた証拠の刻印があるはずです」
すかさずベルが説明をしてくれる。
刃の半ばまでナイフを鞘から抜くと、持ち手に近い背の部分に刻印があった。
「そんな貴重なもの、いいんですか?」
「構わないとも。それをつけても足りないくらいだろうからね。もし本当に困ったら売っても良い。それなりの金になるはずだ。商人としては適正価格で買い取れないのが申し訳ないが……」
「いえ、こちらこそ無理を言ったようで、すみません」
ハドリーの言葉に嘘はなかった。
アクセサリーの価値が高すぎて思ったほどの現金にならなかったのは予想外だったが、その代わりに実用品が入手できたことに喜ぼうと雨音は思う。
「なあに、長く商人をやっていればこんなこともあるさ。そうだ、もしイリストの王都に着いたらうちの商会に来なさい。きちんと鑑定をして、不足分を支払うから」
「そこまでして頂いていいんですか?」
「商売は信用が一番大事だからね、当然のことだよ」
「でしたら、お伺いするかもしれません」
「待っているよ」
アクセサリーの箱を受け取ったハドリーの背中を見送って、雨音はほっと息をついた。
「なんとかうまくいったけど、好意に甘えさせてもらっちゃった。……良かったのかな」
「お嬢様……」
ぼやくとベルが気遣わしげにこちらを見ていた。
そうだ、自分だけではなくベルだって不安なのだ。
「なんでもない。それより、ナーリウについたら、何か美味しいものを食べようか」
だからせめて、表面上は平気であるふりをしよう。
そう思って雨音は、努めて明るい話題を口にした。
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