50 最後の夏休み④


 それからというもの、陽菜乃は毎朝早起きをして神様のところに果物をお供えしに行った。性別が変わってからすっかり鈍くなってしまった体で長い階段を登りながら、毎日雑木林の奥まで通い詰めたのだ。


 しかし、結局神様は最後まで口を割らなかった。終始『君に伝えられることはもうないので』の一点張りで、『もう来ないでください』と突き返されるだけだった。神様が陽菜乃に危害を加えるつもりがないことはなんとなく分かっていたが、彼女の声色は日に日に必死さを増していき、陽菜乃を拒み続けようとする何らかの意思があることを感じ取った。


 恵みをもたらす神様。

 神主さんに聞いた話だ。ここで祀っているのは、豊穣の神様だそうだ。

 むかしむかしある年、この地域を猛烈な悪天候が襲った。それは数か月の間も続き、作物は育たず、住民は飢えに苦しむことになった。人々は困り果てた末、最後に祈りだけを頼った。そうして、大地に捧げものをすると、悪天候が嘘だったかのように空は回復し、地面も肥沃になり、町は潤った。そんな内容の寓話だった。


「──って聞いたけど、本当なのか?」


 神様は呆れた顔で「君はなにをしらべてるんですか」と陽菜乃を一瞥し、

「まぁ、2割くらい合ってることもなくはないですけど……ほとんど曲げられた伝承ですよ」とため息をつく。


「だろうな」と陽菜乃は言った。

「あんたがそんなに優しいことするはずもないし」


 すると神様は「どういうことです」と頬をふくらませた。


「だってあんた、悪い神様だろ。少なくとも俺にとっては」


「いちいち鼻につく子供です」


 そんな感じで、神様の周辺情報にはいくつかヒントになりそうなものを見つけたが、結局陽菜乃は叶歩に関しては何の手がかりも得られないまま、時間だけが過ぎていった。




 部屋のすみっこで泣いている叶歩を見つけたのは、夏休みが終わるまでちょうど一週間を切った日だった。


 朝8時、叶歩の家に帰ってきた陽菜乃は、体育座りをしながら鼻水をすする叶歩を見るや否や、小走りで駆け寄った。


「叶歩、どうしたんだ!?」


 わざわざ聞くまでもなかった。叶歩は自分の終わりを予感し、恐怖に震えていたのだ。陽菜乃は怯える叶歩に寄り添って『大丈夫だよ、俺が守るから』と言ってやりたかったけど、言えなかった。結局自分にはなにも守れやしないことを知っているからだ。


 陽菜乃は叶歩を強く抱擁しながら、自分の無力さを噛みしめる。

 そうして、目を瞑る。叶歩の体温だけを感じながら、外界とのかかわりを遮断する。


 まっくらな視界の中。

 ふと、ドアの開く音がしたかと思うと、美咲さんや夏葉、瑞希、ヒメ、そして神様がぞろぞろと部屋にあがり込んでくる。彼女たちはにやにやとこちらを見つめたかと思うと、一斉にクラッカーを鳴らす。

 陽菜乃がその破裂音を聞いてきょとんと驚いていると、叶歩が突然立ち上がり、キラキラの紙テープが舞い散る中を歩き出す。

 そして叶歩は苦笑いしながら、引き出しの奥にしまってあった看板をひょいと取り出す。その看板には『ドッキリ大成功!』と書いてあった。


「ど、どういうことだよ?みんな」

「ふふふ、これまでのお話は全部ドッキリの嘘でしたぁ」

「なんだよ。それじゃあ、叶歩がいなくなるってのもウソか」

「うん!これからもずっといっしょにいようね」



 そんな、空虚な妄想に浸ってもみた。あまりにもくだらない妄想だった。

 妄想は妄想でしかなく、より深く自分を傷つけるだけだった。それらが現実になることは叶ない。叶歩を救う言葉もかけられず、現実逃避に浸る自分を呪った。



「ねぇ、聞いて」部屋の静寂を割るかのように叶歩が言った。


「どうしたんだ」と陽菜乃が聞き耳を立てる。


「ボク、今更死んじゃうのが怖いだなんて、ずるいよね。ぜんぶ自分で選んだのに」


「ずるくないよ」陽菜乃は即答する。


「ひなのちゃんを弄んだくせに、そのひなのちゃんに支えられてるなんて、ずるいよね」


「ずるくないよ」


「ねぇ、ボクって、ちょっとおかしいよね」


「おかしくないよ」陽菜乃は返す。


「俺のほうがずっとおかしいくらいだ」


 陽菜乃がそう言うと叶歩は少しだけ薄笑いをうかべて、でもまたすぐに神妙な顔をして陽菜乃の胸元に顔をうずめた。


 その後はしばらく会話が続かず、ただ叶歩はしんみりと陽菜乃のシャツを濡らしていた。その様子を見かねて、陽菜乃はゆっくりと彼女の背中をさする。


 美咲さんの「朝ご飯だよ」という声を聞いて叶歩は顔をあげ、ハンカチで顔を拭きながら「ちょっと元気になれたかも」と陽菜乃に苦笑いを送った。


 朝食を食べ終わるころにはもう叶歩の機嫌は直っていて、背中に手を組みながら『今日はどこ遊びにいく?』なんて話しかけてきた。それはずいぶんとけろりとしていて、さっきまでの重たい空気を忘れてしまうほどに無邪気な笑顔だった。


 そんな叶歩を見て、ああ、自分はいつもこの性格に元気づけられてしまうんだよなと、目の前の情景を反芻する。


 敏感だけれど、どこか不思議な叶歩の生態。

 そんな彼女を観察して、これから最後までずっと叶歩に寄り添うことを、心の中で誓った。

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女体化した俺たちが、女の子どうしでドキドキするなんてありえない! 温泉いるか @orca_onsen

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