最終話

 私、嫌われていたわけじゃなかったんだ……


 遠藤から何の返事ももらえなかった晶子は、遠藤が自分のことに全く興味がないか、もししくは相当に嫌われていると思い込んでいた。小学生のころからずっと好きだった遠藤は、晶子の初恋の相手でもあった。


 封筒を開けて手紙を取り出すと、懐かしく見覚えのあるかわいい便箋がでてきた。そこにつづられていた内容は、読み返すほどに顔が真っ赤になるくらい稚拙で赤裸々なもので、むしろ渡さない方がかえってよかったと思えるくらいだった。しかし晶子の中に、中学生だったときの自分の正直な想いが、心から大事にしていたピュアな想いがキラキラと蘇ってくるような気がした。晶子は、その手紙を胸の上にいただくようにそっと抱きしめた。


「御免下さい」


 そのとき、玄関の扉を開ける音と共に、男の人の声が聞こえた。それは聞き覚えのある懐かしい声だった。晶子は、ハンカチですばやく目元をぬぐうと、急いで玄関の方に向かった。


「あら、遠藤君」


 玄関には、県議会議員候補である背広姿の遠藤と、「後援会長」と書かれたたすきをかけたもう一人の男性が立っていた。背広姿の人物が遠藤であることはすぐにわかった。勿論、年齢に見合った顔つきをしていたが、そのきりっとした優しげな表情は中学の頃から変わっていなかった。一方、もう一人の男性の方は、はじめのうちはわからなかったが、よく見るとどこか見覚えがあった。


「久しぶり、アキちゃん、看護師の仕事辞めて、こっちに戻ってきたんだって?」


「その声は、もしかして田村君?」


「あっ? 覚えててくれた。そう、中3のとき同じクラスだった田村勝です。今、こいつと、いや、遠藤先生と有権者の方へのあいさつまわりをしてるところ。近くまできたから寄ってみたんだ」


 田村勝は、晶子、そしてもちろん遠藤とも同級で、小学校も一緒だった。とにかく明るい闊達とした性格で人望もあり、遠藤が市議会議員をしていたころから後援会の代表を務めていた。


「こんにちは、晶子さん、ご無沙汰しています」


 遠藤は、晶子に丁寧におじぎをして挨拶をした。それを見た晶子は、ちょっとあわててお辞儀を返した。


「本当に久しぶりね。県議会議員に立候補だなんて、遠藤君は活躍なさっているのね、同級生としてとても誇らしいわ」


 遠藤は、高校を卒業した後、東京の名門私立大学に進学し、そこで政治・経済学を学んだ。大学を卒業した後は地元に戻って国会議員の私設秘書となり、数年後に市議会議員に立候補して見事に当選を果たした。その後、4期連続で市議会議員をつとめ、その仕事を十分にやり遂げたと判断した遠藤は、今回初めて県議会議員に立候補したのだった。


「奥さんもきっと鼻が高いでしょうね」


「あれ? アキちゃん知らなかったの? こいつまだ独身だぜ」


「え? 本当?」


「本当さ、もう仕事バカでさ、文字通り毎日、365日仕事してるもんだから、嫁さんを探してるひまがなかったんだよ。その辺が後援会長として歯がゆいところなんだよな。だって、実績はあるんだから、さっさと身を固めてくれたらもっと票が集まるのに」


「田村、それとこれとは話は別だよ。政治で大事なのは、あくまでも政策と実行力だ。結婚してるどうかなんて関係ない」


「それはそうかもしれないけど、なあ、アキちゃんからも何か言ってやってよ」


「ふふふ、それより今は選挙のことで大変でしょう。もし私に何かお手伝いできることがあれば遠慮なく言ってください」


「え? 晶子さん、いいんですか?」


 遠藤は、田村の方をちらりと見た後、晶子に言った。


「明日の午後6時、野呂川橋近くの公民館で政策説明会を行う予定なのですが、晶子さんにも参加していただきたいのです」


「私に?」


「そうなんだよ、アキちゃん。実はね、先日も隣町の公民館で説明会を開いたんだけど、参加者はやっぱりお年寄りが多くてね、その中に途中で具合が悪くなった人がいたんだ。そのときその場に応急処置をできる人がいなくて、救急車が到着するまでけっこう大変だったんだよ」


「晶子さんのような医療のプロフェッショナルがいてくれたら、とても心強くて私も安心して話をすることができます」


「そうだったの。わかりました。そういうことなら、明日、母と一緒に参加させていただきます」


「ええ、ぜひそうして下さい。助かります。ありがとう晶子さん」


 そう言うと遠藤は、晶子に何度もお辞儀をしながら、田村と共に晶子の家をあとにした。


 二人の姿が見えなくなったあと、晶子は、これまで経験したことのないとても晴れやかな気持ちに包まれていた。毎年感じているはずの春の日の暖かさが、今日だけはなにか特別なものを含んでいるような気がした。


 ああ、今日はなんという日なの!


 晶子は、とにかく早く母親と話しがしたい、思う存分話をしてみたい。何度も何度もそう思いながら、いつになくせわしない気持ちで母親の帰りを待った。   (了)

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手紙 Mizuki lui @rebeljj

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