病院の適当な暇潰し
葱と落花生
病院の適当な暇潰し
病院の適当な暇潰し
四時間後にMRI検査の為、造影剤を打ち込んでも死んじゃったりしないかどうか、いかにも不安な前検査で血を抜いた。
結果が出るまで一時間もかかる。
したがって、受付をしてから本検査まで五時間以上の待ち時間を要する検査となる。
暇なんてもんじゃない。
入院中の検査なら病室のベットに寝ていれば、まったりゆったり事は済む。
いつしか睡魔が心地良い御昼寝に導いてくれるからだ。
それがだ、外来となると待遇は畜生以下。
病院だと言うのに、劣悪な環境下で患者を待たせて平然としている。
座れる椅子は軽トラック並みに硬いシートに加える事の二乗、直角背もたれしかない。
もっと凄いのは、検査前室の椅子には背もたれすらなく、コンクリートの壁が背中にピタっと張り付く。
勿論、壁にリクライニング機能はついていない。
はっきり言って、航空機のエコノミークラスが羨ましくなる程だ。
四時間も五時間も真面に待っていたら、確実にエコノミークラス症候群になる。
激痛で苦しんでいる患者に、順番待ちの番号札を持たせる非情さ、慣れとは実に恐ろしい。
こんな待遇に対し、怒りに任せて暴れもせず大人しく待っているとは、私も随分大人になったものだ。
だからと言って、じっとしていられる程成長したのではない。
目前にある看護学校や女子寮に出入りできる資格を有していない以上、丁度良い暇潰しを考案しなければならない。
院内に一件限りのコンビニ以外、周囲一キロ圏内の商店と言えば、薬局とガソリンスタンド・廃屋寸前の金物屋しかない地域。
ゲームセンターや映画館とか、居酒屋など有ろう筈がない。
もしも居酒屋が有ったなら、入院していた時には退院が数か月先に伸びていたかもしれないし、今日の検査も命がけになっただろう。
ある意味、無くて良かったとの気がしないでもないが、本屋も無いとなってくると、院内のコンビニで雑誌の立ち読み程度しか暇潰しの方法が思い浮かばない。
これでさえ、五時間の長丁場を消化するのに適しているとは言い難い。
何故ならば、正真正銘の立ち読みは、成人の平均体重を数割上回る自分の膝や足腰に対し、誠に好ましからざる結果をもたらしてくれるからだ。
こうなってくると、まずは一時間ばかりコンビニに併設された食事処のイスとテーブルを不当占拠し、パソコンをピコパコやって、この様な戯言を書き連ねるのが宜しいと結論するしかない。
執筆は、時を忘れて集中できる選択肢の一つである。
今日の暇ぶりは予め分かっていたので、パソコンを持ってきている。
ところが、いざ始めようと思ったら、これまで書いてあった文章をノーパへ移動するためのフラッシュメモリーを忘れていた。
つまり、予定した作文はできない状況に甘んじている。
ここで諦めるのは簡単だが、これから後の暇つぶしが容易ではない。
要するに、後々の事を考えると、これしきの事で予定を変え、空いている病室のベットで昼寝をかますわけにはいかないのである。
ふと、むらっ気に任せて横を見れば、病院のコンビニとあってか不届きにも、缶ビールの一本さえ置いてない。
当然ではあるが、食事処では食前酒一杯を出す準備がないのを自慢げにしている。
ここは、断酒するには理想的な環境と言える病院である。 恐ろしや。
この危機的状況に加え、昨日までの雨空とは打って変わり、今日の空は真夏の真っ青、窓越す光りが眩しく健康的過ぎる。
病院なのだから、もう少し薄暗くても良さそうなものだが、食事処だからか、有線放送から流出する音楽は天真爛漫としか表現のしようがない能天気ぶり。
落ち着いて物事を考えられる環境でないのは、端から分かっていた。
しかし、院内なら病人はどんな無作法も許されると信じて疑わないであろう爺さんが、すぐ隣で大きな咳を耳元で発してカレーを溢た。
伝染病の雰囲気を醸し出してくている。
頼むから止めてくれ、何も食っていなくても気分の良いものではない。
こんな簡単な願いを聞けないなら、きっと脳が何等かの問題と格闘中であるに違いない。
生きて帰れる保証はないが、一度その頭蓋を切り開き、顕微鏡で細胞の一つゝを調べてもらえ。
さて、気を持ち直し書き出せば、僅かこれだけの為に一時間近くかかっていた。
文学賞に出す随筆の下書きを終える頃には、しっかり五時間かかっている予感がしてきた。
ひょっとしたら、五時間では終わらないかもしれない。
実に好ましい状況である。
そろそろ血液検査の結果が出る頃だ、MRIの受付まで行って造影剤でも打ち込んでもらうか。
それから、少し早めの昼食にするのが良いだろう。
ただ、いつものように食後の昼寝をする場所は無い。
この時期、県条例に従い、エンジンをかけずにクーラーの効いていない車中で寝込んだりしたら、間違いなく変死体になって発見される。
もっと恐ろしいのは、何日も気づかれず車内に放置される事だ。
考えたくない、考えただけでも鳥肌が立つ。
とかなんとか書き連ねていると、時間は過ぎるが原稿の文字数も増えて行く。
元々、内容が有りそうで無いのが自分の書き出す文章の特徴だと気づいてはいたが、あまりにも希薄だと一次審査でふるい落とされかねない。
それだけは何としても阻止したい気持ちと裏腹、いつになっても実のある話に進展しない。
ついに館内放送で呼び出されてしまった。
血液検査に続き、本日二本目の注射針にて我が腕を貫かんが為、のったり歩を進める。
造影剤の注射を打たれようと、地上二階なのに三階とある。
表記のややこしい階数表示エレベーターを降り、受付前の椅子に腰かける。
しかし、待てど暮らせど呼ばれない。
人を呼び出しておいて心行くまで待たせるとは、許しがたい蛮行である。
病院と言う所は人を待たせて嫌がらせをし、精神的ストレスを肉体に反映させ、症状の悪化を目論んでいるに違いない。
待つ事三十分。
鉄だかステンレスだかの尖った針を、神経の通った生身の腕に差し込んでいるのに「痛くないですか」などと愚問を投げかけてくる。
痛いに決まってるだろ。
もっとも、熟練した職人ならば、瞬時に血管へ針を差し込む術を習得している。
たいして痛いと感じる間もなく、血を抜くなり造影剤を打ち込むなりしてしまうものだ。
ところがここはと言うと、不慣れな一年生ばかりなのか、ことごとくノターリまったり、びくつきながら針を刺している。
殆ど拷問だ。
これが済むと、今度はいかにも危険な薬剤であるかの如き説明をし乍ら、造影剤を血管へと流し込む。
「かゆくないですか」とか「気分はどうですか」と聞いてくれるが、何の変化もない。
妙に丁寧な心配をされると、かえって不安になるもので、精神衛生上好ましくない。
黙って打てないのか。
食事は普段どうりにして良いと言うが、普段の食事がどんなものか知っていて言っているとは思えない。
昼間からのビールや焼酎はあたりまえ。
下手すれば、ヘベレケになって夜の夜中まで起きない程に飲む時もある。
本当に普段どうりで良いのか、いい加減なアドバイスをしてくれるものだ。
ひょっとしたら、他人も自分と同じ様な食生活を送っていると勘違いしているのかもしれない。
世の中には、想像を絶する生き様の人間が五万といるものだ。
等々、横道に逸れると筆がグングン進むから不思議だ。
提出制限は十から十五枚、ここらで十枚位になっている。
このまま出しても第一条件はクリアしているが、いかんせん「三時になったら検査室に来てね」と言われているのに、十一時四十五分には昼飯を食って終り、そんなこんな綴ってもまだ十二時になったばかり。
書く事以外、唯一楽しみだった食事はアッという間の出来事で、制限文字数目前に迫った随筆も、この勢いで三時間書いたら規定頁を遥かに超えてしまう。
後で削除整理するのが七面倒くさいのは言うまでもない。
困ったまいったと悩んでみるが、何ら適切な解決策が思い浮かばない。
外はアスファルトが溶け出しそうな暑さである。
昨日までは季節外れの寒さだった。
極寒の夏を生き延びてきた身としては、ここで外出すると言った暴挙の挙句、渦巻く熱波にやっつけられて息絶やす訳にはいかない。
どうしよう、あと三時間。
非番なのか、数年前世話になった医師を今日は見かけない。
もし居たら、適当にからかって数十分は過ごせた筈だ。
入院していた病室階へ行って、看護師達との与太話とも思ったが、数か月も入院しておきながら、一人もその顔と名前を憶えていない自分がここにいる。
救えない事態だ。
今から有りもしない仮病で他科を受診するのも一手だが、まかり間違って緊急手術でもされたら体がもたない。
何個かの偶然が重なれば、仮病を大怪我と勘違いしてくれる。
そんな所だ、ここは。
昼時は込み合う食事処だ、可愛い綺麗な看護師や事務の御嬢様方、将来有望な若手医師なんかが、こぞってやって来ないかと期待したりするものの、今日に限って空席が目立つ。
爺と婆が昼飯を食いつつ、じんわり枯れかけている。
そのまま別の世界へ行ってしまうのだけは勘弁してほしい程の眺めだ。
病院では、いつ誰がひっくりかえるのも有りだが、こと今日この食事処に限って言えば、生きてここから出て行ける人間が希少に思えてならない。
そうこう観察すればする程、自分の生が不確かに感じられてくる。
腹は満たされ、幾分眠気も迫って来ている。
さっきから、パソコンの時間はいっこうに数字を変えない。
時計が止まっているのかと錯覚する遅さ。
ここまでキーボードで打ち込んでいるのに、まだ五分しかたっていない。
これが事実ならば、手の動きは光の速さに限りなく近く、他人には靄となって見えているだろう。
もしくは早過ぎて動きをとらえられず、ピタッと止まったままに見えるかもしれない。
数行打ち込んで、今一度時計を確認する。
まったく進んでいないではないか。
奇跡か幻か、あり得ない事態は随分と経験してきた。
概ねこんな状態になった時は、こそっと警備員が両脇に寄って来て「別室へ来ていただけますか」等と、理不尽な要求を突き付けて来たりする。
何か悪い事をしたのではない。
服は着ているぞ、パンツは下ろしていない。
看護師に抱き付いたのでもなければ、医師を殴ったりもしていない。
叫ぶ事もなければ、いきなり笑い転げてもいない。
ただ、頗る早い速度でキーボードを叩きまくっているだけだ。
打ち出した文字を後になって確認すると、何を書いていたのか、見当もつかない記号の羅列が点在していたりする。
打つのに数十分のものを、解読するのに数時間かかる事も稀ではない。
はてさて、何をしたいのかと言うと、じっくりゆったりやんわり、病院で適当に暇潰しがしたいだけなのに、何だか肩が凝って来た。
腰も痛いし目もチカチカして、眼精疲労から頭痛の発症まで秒読み段階に入っている。
なのにどうしたものか、まだ十二時十五分。
あと二時間四十五分、打ち出した文字の解読に費やすとするか。
とにもかくにも病院とは、やはりとっても疲れるものだ。
「レシート番号七十七番でお待ちの御客様」
さっきから呼ばれているぞ、早く取りに行けよ。
耳元で御姐さんが大声なんだよ。
再考する事四十五分。
「レシート番号九十番でお待ちの御客様」
昼時の四十五分間で、十三人しか客が来ていない。
大丈夫か、この食事処。
少しだけ心配になって来た。
それよりも、あと二時間どうしよう。
暇だ。
再々考中、客足途絶えて十五分。
「……」御姐さんが無言で大あくびをしている。
あと一時間四十五分、もはや時間との戦いだ。
あれから一時間
「レシート番号百番で御待ちの御客様」
本当に大丈夫か、この店……。
病院の適当な過ごし方
入院も一日二日ならばピクニック気分でいられる。
あらかじめ高額医療費の上限設定をしておけば、請求書が天文学的数字に成る事は無い。
高度医療などと言いながら、安全性が確認されていない上に一般常識の通用しない価格設定をされた人体実験に付き合わなければ、残された者が借金地獄に引き擦り込まれて四苦八苦する悲劇も回避できる。
不慮の事故なら傷害保険から治療費が支払われるから、金銭的にそれ程深刻ではない。
ところが、病気となると掛け金の高い医療保険に入っていない人も居る。
収入保障もとなると尚更である。
怪しい気配があったなら、初診前に医療保険へ入っておくのを基本的対応と心がけたい。
簡易式定額保障でも、いざと言う時助けになってくれる。
初診の一ヶ月か三ヶ前辺りに加入していれば、殆どの医療保険は支払い条件をクリア出来る。
病気になる一年も三年も十年も前から払い続けた保険金は元が取れない。
出来るだけ発症間際の加入が望ましい。
しかしだ、これは日々しっかり健康管理が出来ればの話で、なかなか出来る芸当ではない。
出来るくらいなら、はなから生活習慣病など患ったりしない。
支払いの心配が無くなったら、次の課題は長い闘病生活をいかに快適に過ごすかである。
病気や怪我で入院しているのだから身体的ストレスは想像以上で、この影響から精神的にもマイナスストレスが溜まって来る。
眠れなかったりイライラしたりと、兎角病人は我儘だと言われるが、これはどうにも仕方の無い現象で、安定剤か睡眠導入剤などで対処するしかない。
緊急入院ならば最初の数日は集中治療室だ。
個室である上に何でもかんでも看護師さんがやってくれる。
快適この上ない王様の暮らしではあるが、如何に頑張っても全身自由に動かせない状態で尋常な暇つぶしが出来ない。
集中治療室の数日間は御世辞にも快適とは言えない。
暇に任せて何か素晴らしい発想や発明でも出来ればいいが、鎮痛剤やら安定剤で意識は朦朧とし、昼夜も分からない状態で時間だけが過ぎて行く。
加えて警告しておくが、入院していた時はあまり強く感じなかった挫折感は、退院してからドッカリやってくる。
整形外科がらみの入院はさほど長くない。
半年一年となるとかなりの重症。
退院できたら奇跡、明日の保証は無いと自覚すべきだ。
原因もその後の経過も有る程度予測が出来る整形外科は、手術前までの痛みや苦しみを除外すれば、メンタル面も含めて他の病棟に比べて気軽で明るいイメージがある。
勿論、手術であっちこっちと切り取ったりくっつけたりやっているのだから、外見や日常生活上の将来に対する不安は付いて回る。
総てが上手く行くとは言い切れない物の、それぞれのハンデは現代医学と先進科学を駆使すれば概ね世間一般の差別と変わらない程度にまで修復できる。
長引く入院の殆どは内科系の病気が原因だ。
どれともつかない原因で恐ろしく長い入院となると筆頭は精神科だが、中には内科疾患を見逃してしまった結果として精神科に十年近くも入院していた人もいる。
陰謀により長い事強制入院させられ、退院してから新聞社に駆け込んで事実が発覚したという事件も過去には発生している。
精神科域の患者には、原因々子が未知である人が少なからず存在する。
したがって、実体が不明のまま長期入院という場合もあるのだ。
精神疾患での入院ならば、特に他の患者に危害を加えるとか看護師にセクハラしまくるといった症状が無い限り、ある程度行動の自由が許されている。
精神科と言うとどうしても特有の鉄格子窓が異様で、中ではとんでもなく残虐な人体実験が行われていそうなイメージが先行してしまうが、昔と違って今の精神科は生活環境の融通が利く。
内科病棟でも深夜に安定剤が切れて大騒ぎする患者は大勢居るのだから、何処も似たり寄ったりだ。
精神科病棟の患者は精神の疾患から内科的疾病に似た痛みや不快感を訴えるが、その殆どは心因性のもので実際臓器に異常が見られるケースは希である。
先に書いた内科疾患を見逃して精神科に十年という患者の例では、食事を取ると胃腸障害で苦しみわめく症状を精神疾患と診断して内視鏡などの検査を怠り、実際には潰瘍性大腸炎だった患者を精神科病棟に隔離し続けたという事例だ。
今になって聞くと実に酷い事をするものだと思うかもしれないが、当時の医学では身体表現性障害の診断が限界だった。
という訳で、精神科の長期入院については別の話として、今回は内科での長期入院に限定して書いて行く。
他の病棟でも応用できるので参考にしていただきたい。
内科の長期入院では、一般的に辛い度第一位が不味い病院食である。
特に消化器系の疾患で入院した場合は、食えるだけ有難いと思えと言わんばかりの内容だ。
院内での主食は粥と称した重湯で、溶けて形が丸くなっている米粒が数個入った白濁汁がメインだ。
これだけで皆まで書かなくとも、どんな飯か察しは付くだろう。
ほうれん草のおひたしは、粉々を通り越してペースト状になっている。
おひたしだけではない。
焼き魚のペースト・蒸し鶏のペースト・バナナのペースト等々。
患者はこれを離乳食と呼んでいる。
これより劣悪なのが流動食とされている。
離乳食は口で味わえるだけまだましだとの理由からだが、流し込んでもらった方が有り難い食事が過半数を占めているのは否めない。
基本的に、刺激物や塩分の過剰摂取は禁止である。
どんなに不味い物でも、醤油をかけると不思議と食えたりするのだが、醤油等の高級調味料は少ししか付いてこない。
一度デロベタのほうれん草ペーストを、調味料無しで食してみるといい。
少しは健康管理に気配りをするようになれる。
塩分の過剰摂取が禁止されている疾病以外でも、基本的に病院食は薄味にしてある。
主治医に切ない雰囲気を醸し出しながら、醤油の使用を嘆願して許可を出してもらおう。
胃袋が溶けて薄皮一枚とか穴の開いた状態だったり、動脈瘤があちこちで破裂寸前だとチョイと無理があるが、大抵は使い過ぎなければ良いと言ってくれる。
駄目だったら主治医が意地悪か、貴方が院内スタッフから嫌われているか、かなり重症のどれかである。
聞くならばそれなりの覚悟をしてからにした方がいい。
この様な交渉の繰り返しで、ベットサイドの棚に調味料セットを置けるようになれば、一人前の患者シェフである。
多少の不味さは克服できる。
どうしても我慢できなくなったら、売店に行って買い食いをすればいい。
入院が長引くか症状が悪化するだけだから、特別神経質になる必要はない。
食事の問題が解決したら次は暇つぶしである。
病院では夜間のテレビを禁止している。
生活サイクルの乱れは即症状の悪化に繋がるし、周囲の安眠妨害になるからだ。
朝になって目の下にくまができていたり充血していたりすると、個室でも深夜はテレビを見るなと言われる。
それより何より、深夜の病院は確実に人手不足である。夜は患者に寝ていてもらいたい。
患者サイドから意見を言わせてもらえば、昼間やる事がタンマリと有って、熟睡する暇がなければ夜はしっかり寝られるのだーよ。
入院していて最も暇な時間帯が、昼食後のひと時である。
午前中に外来の診察を終え午後から手術だ検査だと、医師のスケジュールに合わせて患者の予定が組まれている。
午後に検査や手術を控えた患者は暇している間など無いが、症状が安定していても退院できないで暇している患者の何と多い事か。
この超暇な昼食後が、生物学的には昼寝に最適の時間帯で、入院していると二時から五時の昼寝が当たり前になってしまう。
夜になって、そら眠れと言われても寝られるものではない。
しっかり夜更し体質になっている。
ベットで横になっていなければいけない安静患者でもない限り、昼食後は出来るだけ院内の散策に勤しむべきである。
大きな病院ともなれば、毎日数千人もの人間でごった返す。
人は大勢いるが健康な者は希少で、平均的且つ常識的な世界とは言い難いものの、大病院ならば生活して行く上で必要な物は一歩も外に出る事無く揃えられる。
散歩で観察する物に不自由する事は無い。
売店、銀行、郵便局から図書室に喫茶店、レストランだやれ薬局にコインランドリー、それインターネットだと、無いのは喫煙所と居酒屋くらいの充実ぶりである。
詰まる所、病院は一般的世界から完全に隔離された社会構造をしている。
外界の様子はテレビか面会人、医師、看護師等の病院関係者から伺い知るしかない。
元気が残っている病人は其れなりに何とかすれば済む問題も、元気のない病人にとって夜の病院は限りなく危険な異次元空間へと変貌するのである。
昼間は感じなかった気色悪い空気が、院内に立ち込めるのは深夜の巡回が始まる頃で、うつらゝしていると此の世に生きている実感が無くなってくる。
無念のまま他界した怨念が住み着く深夜の病院にあって、好き放題御昼寝をかましてしまった自分が悪い。
悪行の結果とは言え、夜中に一人起きているのは恐ろしいものである。
相手が生きている人間との戦闘状態ならば、名誉ある戦略的撤退という手もあるが、死んだ奴からは簡単に逃げ切れるものではない。
そもそも、幽霊は死んでいると言うのに動き回って消えたり現れたりと、自然界の掟をことごとく破っても平然としていられる奴等の事だ。
こちらがいくら紳士的に話し合いの場を提供しても、すんなり和解交渉に応じてくれるとは思えない。
耐えきれずに起き上がり、安全圏を誇示するかの如くチカチカ点滅して目障りこの上ない灯りに魅かれ、ナースセンターへ救いを求める。
飛んで火にいる夏の虫である。
「どうしました」なんと優しい声なんだ。
誰にでも言うんだろう!
心の叫びと裏腹に、安堵の表情を浮かべて疲れた体が目の前の椅子に崩れ落ちていく。
現実と妄想の入り混じったショータイムの始まりである。
看護師の隣には、居る筈の無い患者の姿が、切れかけた蛍光灯の光とコラボして見え隠れ。
世間様ではこの様な族を幽霊と言っている。
しかし、薬漬けになった入院患者の言う事を真に受けてくれる看護師など、この世に存在しない。
何も言わず幽霊を指さしてみる。
「この人? さっき彼の世から来たばかりなのね。明日からここで看護師として働いてもらうわ」
長い入院生活の間には、思ってもいなかった答えに遭遇する事だってある。
「私も一度逝った口だけどね。帰ってからここで夜だけ働いているのね」
ひいき目に勘ぐっても真面な看護師とは思えない。
この上なく困った展開である。
本当に彼女がそんな事を言っているのか幻聴なのか区別がつかない状態で、下手に応答したとしたらどうなるか思い返す事がある。
きつくて苦しい拘束衣にこの身を包まれた上に、皮ベルトでベットに縛りつけられ、寝返りの自由さえ奪われるのである。
なんと恐ろしい光景なんだ。
しかしながら、この場から立ち去って病室の暗がりに吸い込まれたならば、もっと悪質で恐怖に満ちた冗談が待っているのは火を見るより明らかである。
せめて精神状態がなだらかに納まるまでは、半分幽霊の看護師と雑談していた方がいい。
何かを声にして聞くまでも無く、看護師は次々と疑問に答えてくれる。
「六文銭ってね、渡し船の運賃って言われてるけど、勿論船にも使えるんだけど、帰りのタクシー代にしてもいいのよ、私それで帰って来たら病院の前だったのね。そのまま務めちゃった。えへ」
えへじゃねえよ。
何時までたっても心の叫びが声になって出て来る事はない。
まかり間違って声にした時点で、入院理由と担当医師が変わってしまう。
長くても数カ月で退院できるのに、こんな所で看護師に心を許して見ている物の総てを語ってしまったら、退院が数年先になってしまう。
いかなる理不尽な出来事に遭遇しても、じっと耐え続けるのが得策だ。
帰って来た看護師なんてのはまだまだ序の口で、深夜の病院は予測不能な奴に出会う特別な場所だ。
最近は売店の前で、小銭をせがむカンガルーを見かけた。
同室の患者にうっかり話してしまったら「俺の時はマダガスカルワオキツネザルだった」と言ってくれた。
次の朝、そいつは別の病棟に移動していた。
誰だって長期入院していれば、幽霊やカンガルーに出会う。
ただ、マダガスカルワオキツネザルは危ない兆候だ。
どうしても眠れない夜は看護師の目を盗んで軽く外に出て見ると良い。
フワフワ飛び交う無数の浮遊霊、忙しく働く半分幽霊の看護師達を見ていると、きっと疲れて眠くなる。
時々感動のあまり失神する患者もいる。
看護師達は、この状態を心肺停止と言っていた。
運良く病室に居ないのがばれれば、看護師に酷く叱られる程度で事は済む。
更に運良く朝まで発見されなかった患者には、大きく分けて一度行って帰って来る者と、逝ったきり帰って来ない者がある。
性格や置かれた環境によって様々だ。
逝ったきりなら土産話の聞き様はないが、帰って来た者の話を聞けば、船に乗るかタクシーに乗るかで行き先が違うのだと口を揃えて言う。
そんな話をしている深夜のロビー。
回りに話し相手が実在して居るのか居ないのか、聞いている私には分からない。
たまに他の患者を看護師が連れて行く。
連れて行かれる患者が生きていて、誰にも呼ばれない自分は既に死んじゃった? と思った事もある。
しかしながら、病室に帰って夜が明けると、とびきり不味い朝食が運ばれて来る。
きっと今日も生きているんだと実感する瞬間である。
今夜はどんな悪夢を見られるんだろう、しっかり御昼寝して準備しておこうかね。
大病院の適当な使い方
《太平洋が見える病院にて》
大病院は好きだが病気は嫌いだ。
多くの病気を抱え病院で過ごす時間が増えたからか、困った事に大病院が好きになってしまった。
当初は待ち時間がたまらなく苦痛で、検査結果が出る前に受診せずに帰宅したり、診察料を支払わないで帰ったりと、今思えば実に厄介な患者だった。
病院の医事科にブラックリストがあるならば、私はリストのワーストテンに間違いなく入っているだろう。
大病院を好きになったきっかけは、あまりにも長い待ち時間に病院散歩を始めてからで、今では何件かのお気に入り病院がある。
この原稿を書いている病院もそのうちの一つだ。
ここは地上十二階、病院の最上階にある展望ラウンジで、太平洋の水平線を望める。
無機質な屋上で季節感のないのが少し残念だが、五階に行けば小さな屋上花壇があり、季節の花を見られる。
同時に眺められないのが難点だが、頭の中で景色を混ぜこぜすれば辻褄が合う。
展望ラウンジにはコンビニと喫茶店が併設されている。
一階にもコンビニとコーヒースタンドがあるし、レストラン形式の食事処まである。
外に出ると、道路一本隔ててコンビニがある。
狭い区域に三件ものコンビニが共存できるのだから、大病院が地域経済にもたらす影響は大だ。
欲しい物は貴金属やペットに不動産とか、自動車、旅客機はもとより科学兵器どころか核爆弾といった物以外ならきっとあると思う。
大病院には便利な使い方が沢山ある。
真夏の暑い日にはプールで涼むより、病院のラウンジでくつろぐ方が安上がりで健康的だ。
行儀の悪い御子ちゃ魔が待合室で騒いでいたら「暇だから親の顔でも見てあげようかね」と一声かけてあげれば、大抵は大人しくなってくれる。
一声が効かなければ、近くにいる親だろう人をジッと見つめ続ければ事たりる。
ごく希に逆切れする保護者の方もおいでだが、数年に一度出会うかどうか、そんな滅多に御目に掛かれない人との遭遇もまた大病院ならではの楽しみの一つだ。
昼時のラウンジがとても混み合うのはどこの病院に行っても同じで、そんな時は各階にあるデイルームがおすすめだ。
入院患者や見舞い客専用と明記されていない限り、このエリアを利用しない手はない。
デイルームが全階満杯になったりはしない。
近年はコロナの影響で、これ等の場所が立ち入り禁止区域に指定されている事は実に嘆かわしい。
タバコ好きの方にとって病院は一種の地獄だろう。
今はどこの病院に行っても、敷地内総てが禁煙になっている。
防災上の理由も絡んで来るので、敷地内でのバーベキューパーティーも禁止されているらしい。
唯一タバコを吸える場所は、大型テレビやクルーザーを売っていない外コンビニで、灰皿が店の前に置かれている。
《雨ニモマケズ風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲブチコワスタメ》愛煙家達はせっせとコンビニ前喫煙所に通っている。
病原菌の浮遊数では病院ほど汚い所はないと、医療従事者ならば誰でも知っている。
そんな危険な事実を包み隠すように、大病院の清掃は行き届き、表面は極めて清潔に装った天井の高い共用部だが、空調に若干の問題がある。
特に湿度や除菌については、大病院より安価に除菌機能付き加湿器を設置できる診療所の方が健全に保たれている。
院内感染が疑われる時期は、マスタードガスにも勝るガスマスクを装着し、鬱陶しいほどの雑踏と騒音に目を閉じ耳を塞いでいれば、大病院は適度に快適な空間である。
病院は静けさを求めて訪れるべき場所ではない。
三日前から行方不明になっている患者を呼び出す院内アナウンスや、救急車がサイレンを鳴らしながらロビーに突っ込む衝突音がないとも限らない。
ロビーでのトラブルは日常茶飯事で、図書館や墓地のように静かにとはいかない。
MRI検査で使う耳栓をもらうといい、実に快適に過ごせる。
人様から施しを受けるのが嫌ならば、密かにかすめ取るという手もある。
窃盗の前が付くのを恐れているなら、できのいい耳栓が百円ショップでも売っている。
そんな事をしなくても、一旦病室に入ってしまえば同室の患者の放屁音やテレビの音だけで、個室ならばそれさえもない。
空き個室に潜り込むのもなかなかスリルがあっていいのだが、滅多に個室は空いていないから探し出す労力を惜しんではいけない。
瞑想神経の影響だろうか、入院患者の容体が夜間激変するのはよくある事で、総ての患者が寝静まった深夜でさえ看護師は気を抜けない。
就寝時には元気だった隣のベット周辺が、夜中に用足しに起きると血の海になっていて、看護師が床の血を拭き取っているのを何度も見て来た。
「お騒がせしました」と、数日後に帰って来る御隣さんもいれば、そのまま静寂の極みに沈んで逝った人もいる。
毎日人の生死と隣り合わせで生活していると、命に対する感覚が鈍化するかと思っていたがそうでもない。
かといって、人の死を過敏に感じ取ってしまうでもない。
元来、物事にこだわりのない性格らしい私は、独特の雰囲気がある深夜の病院を警戒心なく徘徊し、よく看護師に捕獲された。
同じ趣味を持つ患者の中には、稀に幽霊を見たり妖怪に悪戯されたと訴える者もいたが、数日以内に性質の違う病室に移動していた。
ベットに拘束された事も何度かあったが、拘束の際「痛い!」と一声発すれば、拘束帯と体の間にバスタオルを巻いてくれる。
看護師がいなくなったら、バスタオルを抜き取ってしまえば簡単に拘束帯から抜け出せる。
再び深夜の散歩に出たいならば、鎮静剤でふら付きがないか安全確認してから、ベットサイドのマットをよけて抜け出せばいい。
ベットサイドのマットは圧力スイッチになっている。
拘束患者がベットから抜け出てマットの上に立つと、ナースセンターに脱走警報が鳴り響くか、鋼の盾も射抜ける強力な弓矢が飛んで来る。
ブービートラップが、あちらこちらに仕掛けられている病院も珍しくない。
深夜に看護師さんのデスクワークを邪魔してはいけない。
出来うる限りの努力と気遣いで、音もなく脱走すべきだ。
病院は今にも死にそうな患者でも、差別なく待合室や精算機の前で長い事待たせている。
待ち時間で急に具合が悪くなっても、病院の中ならば直ぐに診てもらえるし、突如心臓が止まっても死亡する確率は格段と低い。
きっと、少々無理をしても容態に異変が起こらないだろう事を、監視カメラで確認しているのだろう。
さもなくば、あの尋常でない待たせ方は人間が理解できる範囲を超えている。
今、どう見ても患者ではない二人組が、ラウンジで大病院の適当な利用法を実践している。
そこでビールを飲むんじゃない!
《桜咲くとある病院にて》
暖かい春と思い込んでいるが、気温は秋よりも春の方がずっと低い。
それなのに、外気に当たって心地良いのは、どんより暗く凍て付いた景色の冬から一気に抜け出て、辺り一面に花が咲いたりしているからだろう。
この病院の親大学は羨ましい程の金持ちらしく、病棟の施設充実が際立っているのだが、個室や特別室の差額は他の病院の追随を許さない。
一室一日三万円から!
【から】である!
病院は宿泊施設のように、夜一回を一日と勘定するのではない。
昼間一回を一日として計算するから、一泊二日の検査入院でさえ部屋代が六万円となる。
低所得消費者心理を無神経に逆なでする超一流ホテルでさえも、これほどの価格を設定するとなると勇気のいる額だ。
治療費、検査費、食費その他諸雑費に、税金まで加算されると驚愕の零が並ぶ請求書を手渡され、見た途端に卒倒しかねないのだから、金銭面では命がけの検査入院となる。
常勤医に「ここの個室高いですよね」と尋ねると「そうですか?」と答えてくれる。
他医院に勤務する同大学出身の医師に同じ質問をすると、一様に大きくうなずいてくれる。
この病院では、社会通念と大きく掛け離れた金銭感覚が育まれている。
とーっても厳しい所得格差の現実をかいま見られる。
ある意味、この感覚のズレが日本経済の縮図なのだろう。
少しでもこの溝を埋めようとするなら、デイルームの給茶器からの御茶は昼夜問わずタダ飲みが可能だから、死ぬ気で飲むのがよろしいのだろうが、一般人の立入が制限されているので気安くくつろげる場所ではない。
口腔内火傷をものともしない根性の座った強者が、タダ茶をガブガブ飲むにしても、地球の生命体にはおのずと限界がある。
命がけであっても、命を捨ててまで飲む程価値ある御茶ではない。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒に発生した東日本大震災の時に入院していた病院で、震災被害により入院患者さえデイルームの利用が制限された。
一ヵ月の入院中、わずかに数回だけしか利用した記憶がない。
今思えば薄くてまずい御茶を、ダラダダーっと垂れ流してでも使っておけばよかった。
震災で吹き飛んだデイルームの大型テレビはどうなったのだろうか。
それよりも、私は高級品だぞ高いぞとの主張が強烈だったシャンデリアが、床まで垂れ下がってバランゞになっていた。
揺れが収まったら、建物の被害状況を看護師や施設課長がえらく気合を入れて調べていた。
あの姿から推察するに、高額の災害保険に入っていたであろうシャンデリア。
ゴミとなった物でもいいから私にくれ。
修復してオークションにかけてやる。
今原稿を書いているのは、一階のレストランに併設されているウッドデッキ。(正確には二階らしい)
レストランと言っても病院の食事処である、特に優れたメニューがあるはずもなく、まずくはないが、ここにミシュランの星を期待してはいけない。
一昔前に高速道路のサービスエリアで売られていた飯と思って食えば、値段のままそれなりだ。
何度かレストランに通い、受診する科の待ち時間が見当つくようになった。
レストランの天井下にモニターが設置されていて、各診療科の待ち具合が受付番号や予約時間帯で表示されているからだ。
テーブルを選べば、外のデッキ席からでも見られるが、オペラグラスで拡大すればだから近くの女子寮の方には間違っても向かないようにしてもらいたい。
警備がしっかりしているので、取り押さえられる可能性が極めて高い。
それでも女子寮に挑戦したいなら、寮に面している山林からのアタックを推奨する。
少々急な傾斜を登れば、上部階の窓の観覧も可能な位置に陣取れる上、林の暗闇に紛れてしまえば、まず発見される心配はない。
寮の住人が総て美形だとの保証はないが、見た限りなかなかの粒揃いだ。
もっともこれは私の主観で、病院で見かける方々は常時マスクをしている上に白衣のコスチュームだ。
長期入院ともなると、殆ど総ての方が美しく見えてしまうので、一生を左右するかもしれない冒険に大きな期待は禁物だ。
今の時期は正面ロータリーの桜が二本とも満開で、女子寮とは一味違った目の保養ができる。
しばらくすれば、ツツジだかサツキが咲き出すだろう病院の周辺は、テーマパークや桜の名所とはいかないが、ささやかな花見が楽しめる。
病院から一歩出て、駐車場をぐるりと囲む歩道にも何本か桜が植えられている。
建物の北側で日当たりがあまりよろしくないので、まだ開花していないが、隣接する看護学校の桜は道路からずっと奥で見事に咲いている。
関係者以外立ち入り禁止の看板は、下心丸出しの私に対する警告か嫌がらせか。
皇居や造幣局でさえ、一時解放する桜見物なのだから、もっと近くで見せてもらいたいものだ。
歩道の端まで行った立体駐車場の鉄骨に、数本の空き缶が置かれている。
駐車場の角だから病院の敷地内なのだが、しっかりとした吸い殻入れ用の空き缶だ。
建設時に出入していた、鉄骨組み立て作業員の忘れ物であるはずもない。
病院敷地内での喫煙行為は完全に違法行為だ。
このように、いくらしっかりした警備体制でも、大きい病院では右手のやっている事を左手が知らないといった現象を観察できる。
鉄骨の駐車場だから、火災の心配はないと思っているのだろうが、健康云々より以前に、ガソリンという危険物が駐車場には沢山ある。
目の前の煙にばかり注意がいって、当たり前の危険に愛煙家達は気付いていない。
万に一つの事故も許されない病院にあって、直ぐ隣に山林がある駐車場で隠れタバコを吸われていると、強い危機感が入院患者のメンタルに悪影響を及ぼすものだ。
敷地の外に喫煙所を作って、そこで給茶機から持って来た御茶を売る権利を私に与えてほしい。
少しくらいなら、施設使用料を払って商売してやってもいいような気がする。
ウッドデッキと同じ階に、こじんまりとしたコンビニが有る。
今は震災の時お世話になったコンビニではなく、別のコンビニになっているが、震災時と比べてそれほど使い勝手が違った感はない。
入院中、震災の影響で輸送トラックが走れなくなった時は、全国的に品薄を通り越して品物がないコンビニが当たり前だった。
余震が続く中、院長の非常事態宣言で医師や看護師、病院スタッフが病院にカンヅメ状態のまま、連日連夜ろくに休憩も交代要員もなく勤務していた。
調理場は火が使えず、患者の食事は非常用病院食から出せても、スタッフ用の食糧は不足していて、あちこち寸断された道路を迂回ゝでやっと運んできてくれたコンビニの商品が頼みの綱だった。
多くの人の緊急時対応で叶ったのだろう、病院内の売店には、比較的安定して商品が届けられていた。
そんな情報を誰から聞いたか、家庭に幾らかのストックはあるだろうに、パニックった人達が水や食品の買占めに走った。
病院では、スタッフの食糧確保がままならない事態なってしまったのだ。
とかく入院患者は、一般外来と称される病人に比べて食欲がない。
特に、内科病棟に収容されている患者の多くは、出された食事の半分も食べられないで、不足した栄養素は点滴に頼って生きている。
平時はいつも食べ残して下げてもらっていた病院食だが、下げた残り物というのも気分が悪かろうと、食べきれないと思われる物には手を付けず、病院スタッフと分け合って食べた超まずい病院の非常食。
特に御湯で戻した何とか米は、強い不安感からの味覚麻痺の影響だろうか、生まれてこのかた出会った事のないまずさだった。
看護師が「バカ美味いです」と半べそかきながら食っていた病院の飯。
今食ったら「バカ不味いです!」って言うんだろうな。
病院の適当な選び方
救急車に運ばれる立場でいるのに、希望をどうこう言ってはいけない。
あの世に行きたくないなら、黙って安心安全な入院生活を送れる病院に搬送してもらうべきだ。
途中、危ないと評判の施設が候補に挙がったら「まだ死にたくなーい」と、力なく訴えてみよう。
人間としての感情が少しでも残っている隊員ならば、別の所に運んでくれると思う。
ただし、急患に馴れっこなのが救急隊員である。
瀕死の患者が唱えるうわ言を、真に受けてくれるとは限らない。
このような危機的状況を予防する為には、ドナーカードと一緒に「あの医者にだけは行ってくれるな、もしそれで間に合わなかった時は、脳死状態になっても意義は一切申し立てません」こんな内容の念書を入れておけばいい。
隊員が「本人がそうしてと言うなら、せめて臓器だけでも」希望どうり手遅れになるまで、受け入れ病院を見つけないまま暇潰しに、救急車で街を流してくれるかもしれない。
間違って逝っちゃったりしたら、世間様から総好かんを喰らっても尚、己のヤブ度合いに気付けないオタンコナスを、呪って祟って憑りついて、恨んで化け出てから、やりたい放題かましてやればいい。
きっと、この世に未練なく成仏できる。
運良く生き延び、持病と末長く御付き合いする余生となってくると、話は少々違って来る。
ひょっとしたら、一生御世話になるかもしれない病院となれば、限りなく理想に近い所に通院したいと願うのは、本能に順ずる人間の自然な感情であろう。
原因不明の疾患で困っているなら尚の事、名医の誉れ高き御医者様に、御脈や御検査を御願いして、間違いの無い診断を出してもらうのが精神衛生上好ましい。
ただし、この場合の名医は、噂だけを頼りに探したりすると逆効果になる場合が多く、厳重なる注意を要する。
何を隠そう隠しきれないから、包み隠さず正直に申告すれば、自分の眩暈発作が原因不明で苦労した時期があった。
横になっても地球が回り、縦になると自分が揺れる。
症状は悪化するばかりで難聴が酷くなり、揚句の果ては平行機能障害まで引き起こし、家中を芋虫と一緒に這いずり回るまでに陥った。
この症状を診断できる医師を探したが、噂にも聞かなければ、ネットの怪しげな情報でも検索できなかった。
耳鼻科に始まり脳神経外科から精神科、更には内科を経て神経内科、そして整形外科へ、苦し紛れに歯科から整骨院と、思い当たる科には総て診てもらった。
多くの病院に行って、悔しい思いも数えきれない程して来た筈なのに、はっきり記憶しているのは数件だけとなっている自分の頭を勘ぐってみるに、若干記憶脳にも問題があるような気がしないでもない。
対処療法しか手立てがないまま数年過ぎた辺りから、世間の事情が少しばかり変わったのか、隣の県のそのまた山奥まで行った整形外科で、外傷性脳損傷の可能性を疑われ、泌尿器科と神経耳鼻科で検査を受けさせられた。
色々受診して来たが、泌尿器科までは気付かなかった。
盲点だ。
耳鼻科では、これ以上ないってほど苦い筈の液体を、舌の奥に塗られたのに何も感じない。
味覚障害が発見された。
泌尿器科では、見るからに恐ろしげな細長い針を、時々厭らしい仕事をする器官のすぐ側に突き刺して、括約筋運動の検査をしてくれた。
脳から出ている異常なシグナルが、筋肉のふざけた動きを引き起こしているらしい。
おまけに、前立腺癌まで見つかった。
薄々危惧していなかったではないが、これらの理不尽な結果からして、脳にも障害があるのではなかろうかと推測された事から、高次脳機能障害の検査もやってみた。
なんと、遂行機能障害と注意障害と記憶障害がある上に、知能指数は驚けるレベルで低迷し、上昇する気配はないとの結果が出てきた。
踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂、不幸は忘れる間も無くやってくる。
そして整形外科医が、外傷性脳障害の確定診断を下し、紹介先の整形外科医が、びまん性軸索損傷として脳神経外科へ回して、ようやくリハビリ科の治療を受けられた。
たらい回し的で不愉快な順繰りだが、この御かげとすべきだろう、杖をついての歩行が可能となり、不自由があっても気のせいだと自分を誤魔化せば、人並み以下どん底以上の生活が可能になった。
この時点で、受傷から十二年が経っている。
しかしながら、複数の医師が脳機能障害を指摘しても、理解力に乏しい一部の医師は「画像所見がないので、脳障害の診断基準に当てはまらない」と相も変わらず、当然のように言い退けてくれる。
総てが教科書どうりに進まなくては気が済まない族に、この症状を引き起こしている原因が交通事故だと納得できるまで説明するのは、神の力を以てしても不可能だろう。
異次元的な性格は別の所に置いたにしても、前世紀の医学知識だけで診断を確定してしまう医師がまだゝ大勢いるのだ。
つまりは、自分の症状と意見の合う医師のいる病院でなければ、見掛けが立派で評判が良く、名医が在籍して検査機器が最先端でも、診察で嫌な思いをするのが病院の現状となっている。
診断が間違い勘違いでなければ、定期検査と処方箋を書いてもらうだけの通院となる。
信頼できる医師である必要は全くない。
こうなってくると、どこへ行っても一緒なのが病院というやつで、あれこれ選ぶ条件をひねくり出すならば、ほぼ一日仕事となる待ち時間の過ごし易さや、職員の接客態度に、付属施設と近くの薬局事情とか。
入院したならば、看護の嬉し恥ずかし程度は許容範囲を超えていないかと言った事柄になる。
当然だが、看護状況には看護師さんの気立ても含まれる。
男に限らず女と言わず、あんな所こんな所、もしかしたらそんな事まで、接近戦が日常となるのだ、絶大なる信頼関係を築けない看護師が担当では、良くなる病も治らない。
優しい看護師さんに恵まれたと仮定して、次に気になってくるのは、食事制限をされた時に逃げ込む食事処の有無である。
精神力が尋常一様以上に強く、医師の言い付けをしっかり守れる方には必要なかろうが、そんな禁欲生活に耐えられるくらいなら生活習慣病になったりはしない。
病院が住まいとなる入院生活では、軽く暴飲暴食して具合が悪くなっても、命に関わる状態となる前に、きっと助けてもらえる。
したがって、躊躇なく飲み食いに励めるのが入院生活最大のメリットだ。
入院中だからと、唯一の娯楽とも言える食事を、不味い料理で我慢する必要などない。
強制退院を迫られるまでは、出来うる限り美食探求に励む事をお勧めする。
それにはまず、体のいたる所からチューブが出ていて、点滴袋をぶら下げた患者が、刺激物や高カロリー食を注文しても、決して個人情報である病名や症状について深く詮索しない経営方針でなければならない。
できれば生ビールが欲しい状況だが、未だにこの手の食堂メニューに、アルコール飲料が載っているのを見た事はない。
病院の待合室にじっとしていられるタイプの人には、婆さん連中が繰り出す不作法な大声が院内に響き渡っていても、アットホーム感溢れる小規模医療施設が良いだろう。
座る場所もなく、鮨詰め電車と似たり寄ったりの大病院よりは、ストレスが若干穏やかに精神を蝕んでくれる筈だ。
騒音に耐えられず、かえって入院のリスクが高くなりそうな人は、評判どうりのヤブ医者に行く方がいいかもしれない。
患者が希にしか来ないだろうから、静かに落ち着いた順番待ちができる。
しかし、患者のいない病院には、ヤブ医者以外にも何等かの致命的欠陥があるものだ。
うっかり治療などしてもらい、もっと悲惨な状態で余生を送る結果となっても、医者はもとより役所も警察も助けてはくれない。
確かなヤブ医者との情報があったにも関わらず、目先にチラついた長閑な待合室の誘惑に負け、自分の疾病に関する知識の獲得と、医師に対する注意義務を怠ってしまった貴方が悪い。
最先端医療の治療費は、民間の医療保険に入っていなければ自腹で支払わなければならない上に、高額医療費の還付対象外で、支払ったら出しっぱなしの金となる。
一般家庭で介護しきれない患者にいたっては、半年もすると医療サービス付きの施設に移るか、無理だと分かる状況でも「家族の待つ家で介護サービスを使ってね」とくる。
「病院は治療する所で、介護する施設ではありません」と、言っている事は分かっていても「薄情なのね、世間様は」と思えてしまうのは、何かが足りないからなのだが、その何かが何なのか分からない。
結果として、どんなに気合を入れて頑張ってみても、二年五年十年と介護が長引けば、金銭的にも困窮し、疲れた頭の中では良からぬ考えが蠢いてくる。
そんなこんなの切羽詰まった状況を、福祉課に行って相談しても、適当にあしらわれて帰されるのが落ちだ。
日本の総てがこういった状況ではないが、こんな事情から、悲惨な事件が発生しているのもまた確かな事実だ。
問題はいっこうに解決しないまま月日は流れ、自棄になって無茶をやったら、それまで窓口をたらい回しにしたどこかの怠慢など問題としないで、彼等の守護神警察が、きっちり働いて逮捕してくれる。
これで総ての悩みが消えた。もう、明日の米を心配しなくてすむ。
身寄り頼りがなくなって、病める家族は御役所がようやく保護してくれる。
願ったり叶ったり、世の中まんざら棄てたものじゃない。
総ての人が平等だと謳ってはいても、今の医学界に、どんな患者も同じに扱おうなどと言う気風は微塵も感じられない。
何もかもが患者の金持ち度と正比例しているのみならず、医師の技量次第で簡単に質の変わってしまう医療サービスに、平等などあろう筈がないのである。
言っている自分達でさえ、あり得ない世界観だと気付いているのに、嘘に敏感な患者が気付かないとでも思っているのか、人間はそんなに単純な生き物ではない。
努力目標としておけばいいものを、病院の概要には【患者様は、どなたも平等に、良質な医療を受ける権利があります】などと書いてある。
医療現場の実情さえ把握できていないのに、もっと複雑な疾病に対応できているとは、とてもじゃないが思えない。
医療の不平等が当たり前と思っている人ならば、病院選びの最重要点を、相談員の充実度で選ぶのが宜しいのではなかろうか。
かく言う自分が、劇症潰瘍性大腸炎で長期入院していた病院には、尋常でない勤勉家と、相談員より献身的な医師がいた。
二人の御かげで、今はこうして生きていられる。
しかし、この病院も御多分に洩れず、当初は本当に医師資格があるのかどうか、それより以前に、脳ミソが氷結したか八割がた溶け出しているとしか思えない診断を連発する、怪しさ満点の爺さんが担当だった。
頼むから医師を変えてくれと言う前に、体調は急激に悪化して、失血死寸前で緊急入院してから、やっとこさっとこ担当医を替えてもらえた。
他の医師が仕出かした失態とは言え、延いては病院全体の悪評に繋がりかねない事態も手伝って、入院してから担当となった医師が、親身になって話を聞いてくれて随分と助かったが、どこにでもいる人種ではない。
今時希少な絶滅危惧種だ。
兎にも角にも長生きしたいなら、相性の良い病院を探す努力と、自分の疾病について勉強する間を惜しんではいけない。
御上は、医療費が膨れ上がるのを心配する前に、フザケタ奴に医師資格を与えてはいけない。
医師が不足しているのなら、医学部を増設して学費を無料にしてやればいい。
それができないならば、合格者に学費生活費を貸し出してやれ。
医者になったら必ず返せるだろうし、何といっても利息が付けられる。
下手な箱物に使うより、余程意義ある金の使い方だと思う。
国民を、持てる富で医療差別する勇気があるなら、実態のない会社に勤務する異国の民にまで、国民健康保険への加入を義務付けている法を改正するのは容易い筈だ。
予め、自国では高額な治療費を支払わなければならない患者を社員と偽って登録し、殆ど国保税を支払わないまま治療ツアーを組んで日本に連れて来る。
高額医療の上限設定をしておけば、治療費の支払いは微々たるもので済むだろう。
一段落ついたら会社を潰して「はい、さようなら」とやられたのでは、日本国の持出しばかりで、自国民の為の医療費として組んだ予算を、日本以外の国に食い潰されてしまう。
これは、単なる不法治療なんて生易しい問題ではない。
明らかに国庫を脅かす戦略だ。
国難を招く医療テロだと気付けないとなると、日本の防衛も気掛かりだ。
こんな事ばかり考えているのは、どこか重要な器官に、取り返しのつかない問題が発生しているからだろうか。
はて……気になって寝られそうにない。
病院の適当な暇潰し 葱と落花生 @azenokouji-dengaku
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