月を攫う漣

調楓

月を攫う漣

私の目の前には、幼馴染が立っている。

潮が満ちている海に、膝ぐらいまで浸かって立っている。

手を広げて、まるでこちらを誘っているみたいだ。

何かを語りかけてきている。

声は聞こえない、口の動きだけ。

嫌な予感、というのだろうか。そういうものを感じた時。


私は目を覚ました。

ベットから起き上がると、背中がじっとりと濡れている。

悪夢のようなものを見ていたからか、汗をかいていたようだ。

あれは夢だったのだろうか。夢のはずだ。

でも、あれを夢と断定するには、現実味がありすぎた。


「早く降りてきなさ~い」

母親の声で意識が現実に戻る。

「は~い」

返事をして部屋を出る。

階段を降りると、いい香りが鼻をつく。

今日の朝食はトーストのようだ。


朝食を食べていると、テレビではニュースが流れ始めた。

母がリモコンを持っている、たぶんチャンネルを変えたのだろう。

『今日は約265年に一度のスーパーブルーブラッドムーンですね!』

『ええ、本当に晴れでよかった』

そんな会話が聞こえた気がした。

「今日は朱音ちゃんと海に行くんでしょ?夜なんだから気をつけなさいね」

母の言葉で思い出す。

今日は幼馴染の朱音と夜に海辺で月を見ようと話していたのだった。

忘れていたら、なんと言われただろう。思い出せてよかった。


「いってきまーす」

支度をして家から出る。

少し歩くと、朱音が待っていた。

「ちょっと!いつもよりも遅いよ」

「ごめんって、少し寝坊しちゃって」

「はぁ…遅くまでゲームでもしてたの?」

「まぁ、ちょっと面白くて」

「まったく、ほら学校いくよ」

そうして二人で歩き始める。

太陽はうざったいほどに私たちを照らしている。

たまに吹く生ぬるい風が、肌をなでる感覚が気持ち悪い。

いつも通りの登校だ。

それが、あの夢を否定してくれる。

「あ、もちろん今日の約束、忘れてないよね?」

「うん、今日の夜に尾加見海岸で待ち合わせだよね」

「…覚えてたんだ。よかった」

これは、思い出せてよかったな。

もし、忘れたなんて言ったら、今日どころか一週間は拗ねただろう。


二人で話ながら歩いていると、すぐに学校につく。

別のクラスだから教室の前で分かれて、自分の席に座る。

「よ、深花。今日も月野と登校してきたのか?」

後ろから声を掛けられる。

「おはよう、世斗。そうだけど、何か?」

「いや、仲いいなってだけだよ。そういや、進路のやつ書いた?」

私たちは高校三年生。そろそろ進路を決めなければいけない時期だ。

でも、私は決められずにいた。

こいつはそれをわかって聞いてきているのだろう。

「まだ…だけど、来週が提出期限ね」

「適当でも書いちまえばいいのに」

キーンコーンカーンコーン

朝のホームルームの時間のようだ。

これで世斗の相手をしなくて済む。

適当に担任の話を聞き流し、ホームルームが終わる。

今日もまた授業が始まる。


午前の授業、つまらなくてあくびが出る。

この先生、話は面白いのに授業はつまらないんだよな。

うとうとしていると、いつもの雑談に入った。

「今日はスーパーブルーブラッドムーンですね!」

「まさか生きてるうちにみられるとは…この時代に生まれてよかった」

「皆さんも、今日の夜は外に出てみましょう、きっときれいですよ」

またこの話題か、一週間前ぐらいからこの話ばかりだ。

さすがに飽きてくる。周りも同じ反応のようだ。

しばらくして授業に戻る。


昼休み、購買に走る人や友達と集まる人。

様々な人がいる中、私と朱音は人があまり来ない場所でお昼を食べている。

この教室は、ほとんど近くに人も来ない、秘密基地的な場所だ。

私の弁当は昨日の残り物と冷凍食品を詰めたものだ。

朱音は野菜中心の弁当のようだ。

「ダイエットでもしてるの?」

「いや、今日は野菜の気分ってだけだよ」

「ふ~ん…」

朱音の腹の方を見る。

「こら、太ってないから」

「本当かな~」

「手をワキワキするな!」


弁当を食べ終わり、少し雑談していると時間が近づいてきた。

「あ、今日この後移動授業だ」

「え、じゃあ早めにいかないとじゃん」

ササっと弁当片付ける。

「じゃ、また夜ね」

「うん」

「大事な話だから、遅れないでね!」

そういって朱音は走って帰っていく。


「大事な話」って、何だろう。

そんなことを考えていると、午後の授業は終わってしまった。

何の授業だったっけな、覚えてないや。

私は帰り支度を済ませ、朱音の教室の方に向かう。

その途中、世斗と出会った。

「今日も月野さんと?」

「そうだけど…」

「さっきずいぶん急いで帰ったみたいだけど」

「え?」

小走りで朱音の教室に向かうと、いつもなら待っているのにいなかった。

携帯にも連絡は入っていない。

何かあったのだろうか。

連絡をしても既読もつかない。

仕方ない、どうせ今日の夜会うんだ。

一人で帰ろう。


久しぶりに歩く一人での帰り道。

前は、朱音が風邪をひいて休んだ半年前ぐらいだ。

西日に照らされた帰り道は、どこか新鮮で、怖かった。

いつも歩いている道のはずなのに、知らない道のように感じる。

やけに蝉の声が頭に響く。

木々のざわめきが声のように聞こえる。

少し歩く速度を上げる。

無駄なことを考えないように音楽を聴いた。

いつの間にか家についていた。

汗ばんだ肌は、どこか馬鹿らしいと笑われたように感じた。


夜までは少し時間がある。

部屋着に着替えてベットに寝転がる。

汚いかもしれないが、今はこうしたかった。

今でも連絡が帰ってきてない。

嫌な予感が頭をよぎる。

それを考えないように、ただ何も考えないようにしていた。


しばらくして夕食を食べ、服を着替える。

「辺りには気を付けるのよ」

「わかってるよ、行ってきます」

そんな会話をして家を出る。

夜になっても、じめじめとして気持ち悪い暑さだ。

少しの街灯を頼りに道を歩く。


少し暗くなってきた空には、大きな月が浮かんでいる。

確かに少し赤いような気もする。

でも、このぐらいか。っていうのが正直な感想だ。

相変わらず蝉の声がうるさく、不安感をあおられる。

いつの間にか足も早まり、早めについてしまった。


でも朱音はそこにいた。

「ずいぶん、早いんだね。朱音」

「…楽しみだったからさ、急いじゃった」

朱音は海の中に膝ぐらいまで入って水平線を眺めている。

月明かりに照らされた彼女の背中は、大人びて見えた。

「なんで海に入ってるの?」

「気分だったんだよ」

「気分って…帰るとき大変じゃない?」

「まぁ、どうにかなるよ」

沈黙。穏やかな波の音だけが響く。

いつの間にか蝉はいなくなっていた。

「大事な話って、なに?」

「大事な話。そう、言わなければいけない話」

「言わなければ…?」

朱音がこちらを向く。

その目には泣いたような跡があった。

「私さ、人狼なんだ」

「は…?」

突然言われた言葉。

人狼なんて、空想上の生物だろう?

「今は血が薄くなったらしくて、こんぐらいの月じゃないと変化しないんだって」

精一杯の作り笑いには大きな犬歯があった。

「一回変化しちゃうと、満月なら変化するようになるんだって、不便だよね」

「なんで私が生きてるときにこんなことが起きるだろう」

「私は人間として生きたかった」


言葉が出ない。

なんていえばいいのか思いつかない。

「私はもう人間と同じ世界では生きていけない」

「化け物なんだ。私」

彼女は手を広げる。

夢の情景と被る。あの悪夢だ。

あれは夢なんかじゃなかったのかもしれない。

起きることを教えてくれていたのだ。

「私を、殺して?」

「最後は深花に殺してほしいんだ」

「ねぇ、最後はさ。好きな人の手で死にたいんだ」

固まっている私に朱音は何かを投げる。

反射で受け取ったそれは、銃だった。

現代日本で見るはずのない、拳銃だった。

「なに、これ」

「それで私を打ち抜いて」

「な、んで」

「銀の弾丸が込められてるの。それじゃないと私を殺せない」

手が震える。

言葉も出ない。

ふと、手が伸びる。

「ダメだよ、近づいたら」

「あなたのことを食べたくなる」

顔を上げると、彼女の口からは涎が出ている。

「私は人として死にたい。人間なんて食べたくない!」

大きな声にひるんで腰を抜かす。


波の音が響く。

私は駆け出した。彼女に背を向けて。

「あーあ」

これは悪い夢なんだ。きっとすぐに目が覚める。

走って走って走って、家に着いた。

「おかえり、ってどうしたの⁉」

母の声を聞き流して部屋に飛び込む。

ベットの上で布団にくるまり、横になる。

そのまま泥のように眠った。


朝になる。

土曜日だから今日は学校がない。

私は海に向かった。

漣だけで何もない。

昨日のことが全部嘘だったみたいに。

朱音もいない。

連絡は帰ってこない。


私は海に入った。

朱音と同じ景色を見たかった。

ああ、そっか。そこにいたんだね




















私は夢を見た。

朱音が海に膝下まで浸かって、こちらに手を出している。

口が動いている。声は聞こえない。

「あーあ」


目を覚ます。

なにをしていたのか覚えていない。

今日はスーパーブルーブラッドムーンだ。

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