22.赤い羽根の少年 - 3

 ──結局、魔法の練習はイオの独壇場どくだんじょうで終わった。


 マリアナイトとノエルは成果なし。

 むしろ一朝一夕でこなした赤毛の少年が異端で、これが私たち以外の人に見せていたら瞬く間に貴族たちの耳に入るだろう。


 天才、現る。

 なんて見出しと共に、推薦した貴族からの引き抜き合戦が始まる。

 それはノエルが参加した仮面舞踏会マスカレイドの趣旨と変わらない。


 最大の利益を得るのは自分だけで、イオたち労働側を含めて他人は全員損をすればいい。

 これが世間でいう貴族のイメージで、そんな利己主義の塊のような人物は紛れもなく存在している。


 だから彼の才能を初めて目にしたのが、私たちで良かった。

 そんな独善的な考えを思いつく間もなく、私の立場としてやるべきことは一つだけだった。


「……で。誘われたんで来たけど、本当にオレがここに居ていいのか、ユノさん」

「ええ、むしろ退出する方が困ることになるわよ」


 縦に広い室内を照らすのは、天井から吊り下げられたシャンデリアの暖色の明かり。

 大きく取られた窓から光をくれる昇り始めたばかりの月は、黒と青の部屋を指し色の白と同色を塗ってくれる。


 ここは首都を兼ねた学院の塔に用意された、サファステリア家用の個室。

 数日前にラズラピスが父親と会っていたときに使われた場所で、今は私の都合で食事の場に変えさせて貰った。


 中央には大きめのテーブル、席は二つ、給仕は全て院生寮に用意された人形と同型のもの。

 私たち以外の人間がいないと分かったイオは、まだこの部屋に来たばかりだというのに、入り口で立ったまま緊張の色を濃くしていた。


「絶対、場違いだ。オレなんかが来ていい場所じゃない」

「そうね。その格好で公の場に行ったらすぐ帰れそうで、むしろ良いと思うわ」

「やめてくれ。今はそんな軽口でもキツイんだ」


 ウェイターの人形に案内されて、私からイオの順で席に座る。

 私は仮面舞踏会マスカレイドでも着ているカクテルドレスだが、イオの服装は本人のいう通りドレスコードに反している。


 というのも、それは学院のローブを脱いだだけの昼間と同じ服。

 街中こそ居場所のカジュアルな衣装は、上流階級の空間には異物以外の何物でもない。


「第一、自習終わって夜に飯食おうって話で、こんな所に連れて来られるとか思う訳ないじゃん。食堂とかだと思ったのに」

「だから個室を用意したの。そもそも貴方、その手の服持ってるの?」


 イオからの返答は無言だった。


 仕方がない。住んでいた町の領主から突然推薦されて、フォーマルな衣装を用意できないのは当然だ。

 むしろ一着ぐらいは領主が持たせるべきで、失点とするならイオでも彼の家族でもない。


「ならそんな機会が今後あったら、私に言って。オーダーメイドがすぐ手に入るわよ」

「ありがたいけど、きっと無いさ。そんな機会。……えっと。どうすれば良いんだ、こっから」

「好きにして良いわよ、経費は家に送るから。私はいつもので」

「ちょえっ──。……んぅっと、オレはまだ考え中で」


 席について一層強張りが増したイオは、値段がかかれていないメニュー表に目を回していた。

 私たちの注文を快諾かいだくするウェイターに、ホッとした表情をイオは見せるも、サービスの水一つで目を見開いたりしているので大忙し。


 少しマリアナイトに似ているかと思ったが、驚きの系列が違う。

 花畑の少女は何でも興味を示す明るさがあるが、こちらは水辺の深さを知った時の衝撃に近い。


「てか、マリアちゃんとノエルは? 一緒じゃないのか」

「用があるのは貴方だから」

「オレ……?」


 上流階級の根回しと駆け引きに疎く、慣れない場所に来て緊張をしている。

 そんな状態では、遠回しな言い方から意図を汲み取ることは難しく、今のイオを私は笑うことは出来ない。


 サファステリア家の養子になったばかりの頃は、私だって似たようなものだった。


 だからというもの。折角用意した個室を活かすべきで、この場で必要なのは直球勝負。


「本題に入るわよ。──イオ。貴方、サファステリア家の側につかない?」

「お前のウチに? って、具体的には」


 何とか料理を選ぶことのできたイオが、注文し終えるのを待ち、やっと一息つけると彼が落ち着いたのを見るや否や、私は本命の話題を切り出した。


 色々と考えこんだ結果か。

 複雑怪奇な状況よりも、私の話の方が簡単だと踏んだイオは、意外にも冷静な口調で返してきた。


「学院卒業後、臣下に加わって欲しい。というのが本家の老人たちが目論みそうなことだけど、私としてはどうでもいいの。だから、当家を敵にはしたくない。その一言だけで良いわ」

「……これ。もしかして派閥争いとかってやつか」

「ええ。好待遇を用意してあるから、推薦した領主の下からこっちに来いとか。本家の命令があったら言わなきゃいけないけど。だから今の内に穏便な話をしようと思って」

「待て。待ってくれ、ユノさん。その話の前に何でオレなんだ。というか、今日の昼間に初めて話したばかりだろ」

「指環のこと、魔法のこと。どちらも知らなくても。貴方が一時間で魔法の基礎を全て覚えた。この事実を自覚してないとは言わないわよね」


 一部の上流階級にのみ許された、塔内での専用個室。

 そこで食事を持て成され、用事として出された話題が派閥争いの一端。


 どの旗を選び、取るのか。

 それを問われていると理解したイオは、慌てて前提を確認する。


 どうして自分自身がそこ加わる前提になっていて、今日初めて会ったばかりの少女に聞かれているのか。

 彼からすれば突飛な話になってしまうも、私たち貴族側からすれば毎年の行事のようなもの。


 まだ旗色を塗っていない者が界隈に入れば、取り合いになるのは当然。

 しかもそれが、金が成るかもしれない木だとするなら、血なまぐさい事態になることは容易に想像できる。


 だから血気盛んな本命に見つかる前に、私は穏便な方法で繋がりだけを持ちたい。


「正直に言って、貴方がどんな立場になっても私は構わないけれど、本家の命令で動くっていうのが嫌なの。ここで頷いてくれないとね、イオ。私とラズで、貴方が首を縦に振るまで苛めないといけなくなったりするかもしれないの」

「んで、仲間にならないならポイ捨てってか。確かに最悪だ。……オレの魔法。そんなに凄いことなのか」

「一日も経たずに言語を一つ覚えた。これで分かる?」

「すげぇ分かった。そんな逸材、欲しいに決まってる。だからこの接待か」


 いくつか話をしている内に自分の立場を得心したのか、イオは諦めと不味さを実感した表情を浮かべた。

 その間に配膳はいぜんされた食事に気が回ったのか、今まで私に向けられていた視線は段々と下へと移っていく。


 しかし彼の目は上下を繰り返し、私の前に置かれたものを見て、イオは心配混じりの疑問を口にした。


「なあ、ユノさん。その量で足りるのか」

「小食なの」

「いやそれにしても。サンド二つは少なすぎるだろ」


 イオの前に広げられた、海の幸たちの生食盛り合わせ。

 ライスと合わせて出されるその料理は、内陸国であるが故にいつの時代でも高騰こうとうしている高級料理で、無料タダで食べられるのならと頼んだのだろう。


 海魚たちの切り身は宝石のように並べられ、この料理には必須といわれるソイソースは、私は脇役とばかりに今は食卓の端に身を隠している。

 私たちの国は米には慣れていない国柄だが、躊躇ちゅうちょなく頼んでいるところから、どこかで食べた事でもあるのだろうか。


 そんな部分で私が少し驚いていたのだが、それよりも驚愕きょうがくの色に塗られていたのはイオの方。


 彼の料理と比べれば、私のものは天地の差がある。


 薄切りにしたティンブレッドに、野菜と豚肉をそれぞれ挟んだものを二種類。

 その二つだけ。


「食べられないんだから、仕方ないじゃない。それよりも貴方の返事はどうするつもり? 何ならいくつか条件を出して貰っても良いわよ」

「いや、うん以外ダメなんだろ。……条件って訳じゃないけど、気になってること聞いていいか」

「ええ」


 続きを口にすることに、意を決する必要があるのか。

 自ら持ち出した話題だというのに、イオが一文字目を発するまでかけた時間は、彼が海魚の切り身を一巡して食べ終わるほど。


 それまで私も黙ったまま。

 ようやく告げられた内容といえば、被害者だったイオとしては気になって当たり前のことだった。


「あの後さ。トリスタンはどうなった」

「私は聞いてないわ。でも無罪はない。指環の違法使用は重罪だもの」

「……だよな」


 安心した。という言葉はイオの様子には不適切。

 喜色でも憂色でもない彼にしか分からない感情が混ざり、深く沈んだ面持ちは何といえば良いのだろう。


「いや、もういい。これ以上は聞いても無駄みたいだし。他にも聞きたい事はあるからな」

「身分を気にしないお店とかなら、この話がなくても教えるわよ」

「そういうんじゃない。オレが聞きたいのはもっと別の……その……。マリアちゃんのこと、とか」


 照れながらも口ごもるどころか、聞き取れるほどの声量で次の質問を口にしたイオ。

 そんな彼の発言を前に、私は思わず食事を進めていた手を止めてしまった。


 今、なんて言ったのか。

 咀嚼そしゃくがなかなか終わらず、目を泳がせている彼を見ながらようやく飲み込めた私は、彼以上にハッキリと、淡々とした物言いを意識して言葉を紡いだ。


「好きなんだ、マリアのこと」

「ちょっ……ホント、ユノさんハッキリいう人だな」

「そういう話をしたいんじゃないの?」

「いやまあ。あの子のことを聞きたいってのは、そうなんだけど。──なんでそれで、ノエルには言えないんだ。アンタは」

「……何のこと?」


 イオの告白に動揺はしていた。

 それでも彼がマリアナイトに好意を抱いていることには、昼間の時点で少なからず察せられる。


 練習の際に少女といる時が一番生き生きとしていて、それは魔法を覚えていく喜びと同じかそれ以上。


 切っ掛けも容易に想像がつく。

 トリスタンが起こした事件で、イオの傷を治したのは他でもないマリアナイトだ。

 二回目の攻撃を妨げたのは私とノエルだが、実際に痛みを取り除いてくれた異性というのは、彼にとってどれだけ輝いて見えていたのだろう。


 だからイオが、マリアナイトに好意を寄せていること自体の衝撃は微量。

 しかし私がノエルを好いていることを指摘されたことは、その比ではない。


「えっ、なにって。ユノさん、ノエルのこと好きなんだろ? だから昼間、オレが来た時にキスしようと──……あっ」


 正面に座る少年の牡丹色をした瞳に、光のない私の青い目が映る。

 たった今、自分が何を口にしたのかを理解したイオは、慌てて口元を手が覆い隠すももう遅い。


 食事を終えた私の皿を、ウェイターの人形が下げていく中。

 沈黙の青色が卓上を染め、周囲へ逃れようとするイオの目は、しかし私の瞳に捕まっている。


「他に、言いたい事は?」

「あのえと。覗き見するつもりは無かったというか。ホントたまたまで」

「そう、それで?」

「……オレ、ユノさんを応援してます」


 笑わない、笑えない。

 澄ました表情のままイオの言い分を聞き届けた私は、そうですかと相槌を打ちながら席を立つ。


 まだイオの料理が残るテーブルを伝いながら、一歩を確実に踏み締めて彼の傍へ。

 音はしない。歩幅は短くゆっくりと、分針を刻む時計のように。


 その間にもイオの視線は私から外れることはなく、彼の前に立った時も変わらない。

 そんな彼の耳もとにまで顔を寄せるために、私は上半身を倒すと、ヒッソリと聞き逃さないように声をぶつけた。


「なら協力しなさい。交換条件でマリアに好かれそうなこと、教えてあげる」

「否応もないじゃないか。分かったよ、ユノさん」


 これはサファステリア家と彼を繋ぐ契約か。

 それとも私とイオによる秘密の協定か。

 どちらにしてもこの場に来て、初めて頷いたイオは、両方に同意をしたとみて良いだろう。


 よろしいと満足感を得た私が、彼から身を引いて席に戻ろうとしたところで、イオはポツリと呟いた。


「バレてないと思ったのか、アレで」

「バレてないのよ、アイツには」


 お互いに思い浮かんだ人物は、紛れもなく同じ人。


 不器用に前しか見ない白の彼。

 そしてその隣にいる眩しい少女も連想し、二人して違う混色の感情を含んだ笑うを向け合うのだった。

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環ル魔法は少女の指に 薪原カナユキ @makihara

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