第5話 そして満面の笑み

「人がね、夢を見ていたことだけ憶えていて、その内容を忘れる時ってね」

 再び亜紀の夢の中、今度は公園の二人乗りブランコで侑芽と隣り合わせで話している。

「うん」

「その夢の内容がその人にとって大きく間違えている時に、自分を守るために忘れるんだってさ」

「間違えてる?」

 亜紀が小首をかしげる。目の前にいる侑芽と同じく、亜紀自身も小学校に上がる前の姿になっていると自覚していた。

「そう。良心に沿わないっていうのかな。罪悪感を感じる夢」

 侑芽が正面に視線を向けると、いつもの小さな映画館のスクリーンが姿を現していた。

「例えばこの夢。今は夢の中だから憶えているでしょう?」

 高校の制服に身を包んだ亜紀。そのすぐ後ろには愛用のキャップを深く被り俯く侑芽がいる。

「こんなの、根に持たないでよ。夢の中のことじゃん」

「あら、根に持っているのはどっち? 今もお姉ちゃんの夢の中だよ」

 亜紀は見たくないと固く目を瞑った。だが、しょせんは夢の中だ。目を閉じようが何をしようが、それは亜紀の目の前に現れる。

「癌は伝染しないって保証どこにもないんだから、近づかないでよね」

 面白い冗談でも言ったかのように、高笑いする亜紀。

「大丈夫だよ。うつんないよ。こんなことしても絶対」

 そう言って侑芽は後ろから亜紀の口の中に二本の人差し指を入れ、左右に広げた。

「お姉ちゃんが笑えば、それだけでお金になるんだよね。何て言ったっけ? 一笑成金?」

 亜紀が反論しようとしても言葉が出てこない。

 そんな過去の夢の映像を見せられて、亜紀は立ち上がった。その亜紀に、大人の姿になった侑芽が立ちふさがる。息を引き取る直前の姿で。

「どうしてこの夢を憶えてなかったのかな。侑芽のことを酷く扱ったから? それともこの後、侑芽から殺されるから? まあ、自分で答えは分かってるんだろうけど。じゃあ、この夢はどう?」

 立ち上がっていたはずの亜紀は、再び映画館の椅子に座っていた。だが、今度はまるで電気椅子のように手足が金属の枷で固定されている。

「感じる?」

「う、うん。感じるよ」

「奥まで入れているけど、わかるかな? ほら」

 画面には大きく真人の握りしめたモノが映っている。その右下には小さくマスクをした女の顔。

「わかる。わかるよう」

 扉の向こうのその様子が、夢の中で亜紀には手に取るように分かっていた。

「うちの子に何してんのよ!」

 亜紀が思い切り扉を叩く。何度も何度も。

 その映像から逃げたくても、手足を固定されては逃げようがなかった。

 スクリーン一杯に大きく映った扉を蹴破り、絵里奈の部屋の中に飛び込んだのは、現実より醜い浮腫で崩れた顔をした侑芽だった。

「あれ? 違うよ、お姉ちゃん」

「あっ、あああ」

「ちょっと後ろに戻すね」

「あはっ、ははは」

 再び扉が蹴破られる。そして絵里奈の部屋の中に飛び込んだのは、満面の笑みを浮かべた亜紀だった。

「ふははっ! かっか、くく」

「そうそう、満面の笑みだったよね。侑芽も嬉しかったなあ、あのクソ絵里奈を殺してくれて」

「ばはひゃっ! ぶっふしゅ」

「でも、お姉ちゃん気付かなかったんだね、あれがあの御手洗絵里奈だって」

「ご、ご、ご」

「でもいいんだ。いつも真人に犯される夢ばかり見てたお姉ちゃんが、アイツを殺す夢を見てくれたんだから、理由はどうであれ、ね」

「ふっ」

「満面の笑みってね、英語では耳から耳まで口を開けて笑うって表現するらしいよ。やっぱり、お姉ちゃんには満面の笑みが似合うよね」

「ふごごッ、ごごヒュえっ!」


「真人、いい加減に起きなさい!」

 亜紀が何度声を掛けても目を覚まさない真人の掛け布団を剥ぎ取った。

「あああ、もう、起きるって」

「あっ! もう、変な夢見てたんでしょ!」

 亜紀はそう笑いながら言って、パンツの中で突っ張り棒を伸ばしているような真人の股間をぎゅっと掴んだ。

「うわっ! やめろって、マジで!」

 真人は羞恥というよりも怒りで顔を赤くし、満面の笑顔で部屋を去っていった母親を睨みつけていた。

「ああ、もう。なんかいい夢見てたような気がするんだけどなあ。思い出せねえや。二度寝したら続き見れっかな?」

 そう溢しつつも、スマートフォンで時刻を確認した真人は、SNSを確認しながらベッドから飛び降りた。

「母ちゃん、朝飯! 昨日のケーキの残りでいいから!」

 今日もまた、別の「口裂き女」がネットを賑やかせていた。

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満面の笑みで ~ Smile from ear to ear 西野ゆう @ukizm

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