ファンタジーって知っていますか?

第七回で今更なにを云うのかと思われそうですが、今までのエッセイは「物語の根幹」に関わるツールとしての紹介でしたが、今回は少し毛色を変えていきましょう。


今や街を歩けば棒に当たる以上にありふれている「空想・幻想」。


本来であれば今までの流れでは「初心者」へ向けた解説をするべきでしょうが、毛色を変え、ワンランクレベルをあげて解説をしてみます。


文章をこれまで以上に解析し、分析してみて、自分の考えと照らし合わせてみてください。


さて。大衆小説としての王道として知られている「ファンタジー」というジャンルですが、大きくふたつの種類に分けられます。


「ハイファンタジー」と「ローファンタジー」ですね。


もしかするとなかには初めて知った言葉だと感じる作者もいるとは思いますので、軽く説明してみましょう。


そもそもファンタジーと聞いて、皆さんはなにを聯想するでしょうか。


焔を吐く龍、物理法則などの原理を無視した魔法、人外が住まう森、etc.

場所は中世ヨーロッパが王道ですね。

凡そのひとたちはこのようなイメージを持っているのではないのかなと思います。


これらのイメージの大部分は、ファンタジーの元祖と名高い「指輪物語」からの聯想でしょう。亦は指輪物語を模倣し世に影響を及ぼした作品の聯想かもしれません。

指輪物語は1950年に出版されたトールキンの作品で、世界的に大ヒットをした作品です。作中ではヨーロッパ中世風の世界観、剣と魔法、エルフやドワーフが登場します。

トータルとして上記のような共通する世界観が作られました。ジャンルを確立させた人物の作品は、今も尚ひとによって語り継がれ、数多もの作品を世に放出し続けています。


これを読む作者の大多数がもしかするとファンタジーを書きたいから活動を始めた方もいらっしゃると思います。

私も同様で、今にして思えばドラゴンクエスト風の作品でした。未だ書き終わっていない、というより設定は存在するが、書いていて阿呆らしくなってきて書いていませんが。


そしてファンタジーは一方で、西洋風ではなく、中国風、中東風、日本風、亦は地球上のどの文化とも似ていない世界観の作品をファンタジーと定義されることもあります。


これは小説の悪い処で、明確な堺はなく、基本的に「舞台が現実と全く異なる異世界の話」をファンタジーと呼ばれることが多いです。


そしてカクヨムでもなろうでも、作品を投稿する際に取捨選択できるタブで「ハイファンタジー」と「ローファンタジー」が存在します。


どちらもきちんと設定するのには相応の時間がかかりますし、どちらが上とかはないのですが、より難度が高いジャンルは「ハイファンタジー」でしょう。


ローファンタジーとは、主人公が「現代」から迷い込む、亦は転生したりすることがローファンタジーです。異世界転生もローファンタジーに含まれますね。

特徴は、「読者」が物語に感情移入しやすく、入り込みやすいという点が挙げられます。

ナルニア国物語やピーターパン、ハリーポッターもローファンタジーに区分できますね。


では難しいとされるハイファンタジーはどういうものか。


単純にローファンタジーの逆です。


現代要素が「なく」、「異世界」のなかで完結すること。


つまりはあらゆる用語を異世界裡で完結させなければいけません。


なぜ今更「ファンタジー」に対しての説明をし始めたかというと、理由がありまして。


たまに応援くださった作者さんの作品を読むこともありますが、表記されているタブが「ハイファンタジー」なのに用語が現代のものを用いている作品が多数見受けられたこと、ハイとローの差をもしかすると「なんとなく」で理解しているのではないかと認知したためです。そういった作品をいくら公募に出そうとも、「ハイファンタジー」と意識しているのに「ローファンタジー」な作品は、まず通りません。

物語を書く前段階状態で、躓いてしまっているわけですね。公募に出して、もしかしたら面白いと思われているのに、通らない、否、編集者としては「通せない」のです。だって作品の根幹が理解できていない作者を「説得」して、「世界観」を「変更」してもらうのは、非常に面倒臭く、編集者の仕事としては重労働で、厭になってしまうからですね。そして担当につく前段階ですし、慈善事業でもありませんので、「知らんふり」をするわけですね。

擁護をするわけではありませんが「編集者」も人間です。小説家になりたいのに「前提条件」を理解していないひとを「無償」で助言することは、まったくありえません。時間の無駄ですし、本気かどうかは一目瞭然です。そして、作者の立場としては「面白いのに一次選考が通らない、あの会社は駄目だ、自分の作品の良さをわかっていない」となるわけですね。


醜い争いは繰り返され、時間は無駄に過ぎてゆき、下らない結末を辿ります。


というわけで、老婆心ながらファンタジーについて解説しようと思ったわけです。

説教臭くなってしまうのはご愛嬌として、続けましょう。


気分が悪くなったり、こいつ分かってないなと感じたらすぐにブラウザバックしてくださいね。私は仲良くしたいですが、無理に仲良くしてほしいわけではありませんので。


閑話休題。


ハイファンタジー作品とローファンタジー作品の見分け方はすごく簡単です。


ご自身の作品を読み直してください。


現代の固有用語を遣っていませんか?


たとえば空を飛ぶ怪物を見て主人公が「リアジェット23のような怪物だ」とか便利なアイテムを見て「スマホみたいに」とか、なっていますか?


一部例外的な作品もあります。仮にファンタジーとして世界が飛行機技術のみが特化したおかしな世界と仮定するのならば、飛行機技術はありますので使用は可能となり、スマホやそれに類するものの使用もできます。ですがこれらは綿密なルールの許行われるべきものなので、初心者には向かず、変てこな世界を作るくらいならハイファンタジーでなくローファンタジーにすればなんの問題もありません。


ハイファンタジーでは「現代の用語」を一切使用してはいけません。

作品のなかだけで完結すること=ハイファンタジーですので。

だからこそハイファンタジーは敷居が高く、難解です。


事前に用語を読者に教えなければいけませんし、しかもそれを説明調にしてはいけません。わかりやすく、自然に、教える必要があるわけですね。


ハイファンタジーを書いているけれども、「指輪物語」を読んだことがないひとは、今すぐに買って、読んでください。そして付箋をたくさん使って何度も理解してください。面白いかどうかはさておいて、それくらいはしたほうがいいです。

受験勉強をせずに試験に挑んで、「受からなかった」では時間の無駄です。無意味です。


そして判然と云います。

読む時間がないと思ったひとは、作者に向いていません。


プロの作家になれたとして、今している仕事を辞められないんです。つまり日常的に行っている業務を終え、自宅に帰って執筆活動をしないといけないわけですね。

担当された編集者によっては幾度も没を喰らい、夜中まで寝られないこともあるでしょう。

そしてプロの作家とは情報収集もしなくてはいけません。

今書いている作品は、きちんと情報収集をして、自らに落とし込んだ結果を反映させられていますか? 情報収集の方法は? もしかしてWikipediaで少し眺めただけだとか、数冊小説を読んだだけではないですよね。海外の論文や日本の論文、文献、歴史的資料をきちんと吸収し、自分の言葉で書けていますよね?

それができていないのでは全然駄目です。プロになっても苦労するか、厭になって逃げ出すかのどちらかになりますよ。


皆さんはよく「プロ作家を目指している」と云っていますが、元編集者としての説教になってしまいますが、上記の情報収集は「普通」になるまでしたほうがいいです。

寧ろ収集した情報に嘘や誤魔化しがないか、精査する必要もあります。


私はプロ作家にはなりたくありません。


ですが、プロ作家を真剣に目指すひとの手助けはしたいので、エッセイを書いています。


脱線してしまうのが私の悪い処ですね。猛省。


閑話休題。


レベルをあげて解説すると云いましたので、軽く応じた内容を展開します。


ファンタジーには魔法と呼ばれる科学でない原理を用いて高度な現象を起こすものがあります。


ハイファンタジー、ローファンタジーの両方にある特徴的概念であり、作品によっては魔法の種類、発動方法、原理、仕組み、種類などが詳細に解説されることもありますね。

魔法は属性魔法、精霊魔法、生活魔法、戦闘魔法、精神魔法、物理魔法など分類があり、尚且つ魔道具という魔法と同様の現象を発現できるものもあり、魔法具に関しては魔法使用者以外の人間にも扱える場合もありますね。

魔法の発動原理で説明される代表的な概念としては「魔力」と「魔素」があり、双方の定義は作品によって異なる場合があり、とある作品では、魔素は空中に存在する素粒子の一種として、魔素から魔力を生成し、魔力を用いて世界へ干渉する魔法を発動できる、という説明も可能です。

この場合のエネルギー的観点から見ると、物質として魔素、エネルギーとしての魔力と定義付けることができます。

ですが何故魔力、魔素を使用すると魔法が遣える現象が起こり得るのか、こういった科学的観点から見た定義については説明できる作品はほとんと見受けられないです。

きちんとしたハイファンタジーであるならば、相応の用語を付け加え、物理的解釈を自らのなかから抽出し、言語化しないといけません。

ローファンタジーであるならば、現実の用語を使用することができますので、そちらで表現を自由にすればいいだけです。


そして「とある魔術の禁書目録」といった作品のように「魔法」と「科学」を融合する作品というものが、一時期流行っておりました。現代では母数を減らしましたが、その要因をご自身で考えることで、またあのような作品を作れるのではないでしょうか。


ちなみに魔法やそれに類する内容の情報収集する場として、面白い処が「日本魔法魔術学会」という活動ホームページです。

興味がある方は覗いてみるのも一興です。


理屈立てて論争に発展しかねない内容の面白さに、私は楽しく拝見しました。


次は中世ヨーロッパについてです。

この時代を参考にされている作品が散見される現代。


奇麗じゃないですよ中世ヨーロッパは。


まず中世ヨーロッパというものはローマ帝国が滅んでからルネッサンス期までの千年間のことです。


個々人で調べてみてください。


調べるのが面倒臭いひとは下記に分かり易く書きましたので参考までに。


中世ヨーロッパの定義とは。


古代ギリシャ、ローマが衰頽したのち、ゲルマン民族が支配する時代となり、ルネサンス期の時代を経て啓蒙主義の時代に至る。

栄光の古代と復興後の「現代の中間」にあるこの時代を「暗黒時代」や「中世」と呼ばれ、古代→中世→現代、と三時代区分法が西洋史の大きな枠組みです。


つまりギリシャ人が作った時代こそ史上であり、ゲルマン民族が作った時代は大したことがなかったという概念です(私の意見ではありません)。


11世紀のヨーロッパとは五百年前に西ローマ帝国が滅び、人的要因によって淘汰された草木や鳥獣が蘇りつつある時代です。


そしてヨーロッパとは日本とは違い「標高の高い山」が少ない場所です。平地とでも表現しましょうか。


そこに自然が復活するということは、森になるということに他なりません。


日本では森のなかに行ったとしても方向感覚がわかるのは、山を支点に考えることができるからです。広大な範囲、山がない平地、それらの条件で森が広がると、目的とする場所がなく、中世ヨーロッパでは森に這入る=死に直結するほど危険なものとして扱われてきました。


そして森になる木々のほとんどが、日本のような針葉樹ではなく広葉樹でした。

広葉樹ってご存じですよね。あの大きな葉っぱのことです。


それが森として広大な大地いっぱいに広がっている。つまり森のなかは自然の光で溢れないということです。広葉樹の平均的な高さは約三十メートル前後、なかには五十メートルを超すものがありました。想像してください。そんな高い処から陽を遮られ、たくさん生えている状態を。


夏は暗く、冬は枯葉となって落ちる。全ての葉が落ちるんです、森のなかは歩けたものではありません。日本で想像できるものとしては、北海道が近いですね。冬場になると背を越すほどの積雪があります。現地人は腰まであると歩けないとよく云いますね。枯葉でも同様です。なんなら虫や動物が潜むには恰好の場所となるわけです。

しかも捕食獣が存在します。狼などですね。


中世ヨーロッパでは森のなかに住むひとたちは小さな聚落としてひっそりと生きていました。点在する聚落、その間は数十キロメートルにも及び、現代であれば車や道路がある故に行き来は容易でしょうが、当時の文明レベルではとんでもないことです。

この時代に作られた道路は存在しません、否、西ローマ帝国が滅んだ際に壊さなかった路は点在しますが、新たに創る技術も技法も物資も安全もありません。


即ち嘗て作られた路以外ない、ということです。そして秋冬になると広葉樹の枯葉で埋まってしまい、視認できなくなる。村と村を繋ぐ経路もなく、ローマ帝国が作った路を幸運に視認でき、辿って行っても待ち構えているのは滅んでしまった西ローマ帝国の廃墟です。ローマ水道は戦争中か、はたまたその後の破壊運動かなにかで壊れてしまい、使用ができなくなってしまっている。ひとが住めない都市には当時平均して三百人ほどが住んでいたといわれています。城壁で囲い、安全を極めた西ローマ帝国の跡地に、三百人ほどしか「住めなかった」わけですね。


そして誰が住んでいたのか、というものは文献できちんと明記されており、西ローマ帝国の最後の時代に「国教」であったキリスト教の司祭と弟子の家族たちと云われています。彼らがなんとか餓死しない程度に生きている場所=当時の都市、というイメージですね。


村が点在とする理由もキリスト教的な考え方で、村には司教を置きたい、亦は置かなければいけない、ということもあり、各地の村々は宗教を基盤として成り立っていたわけです。


皆さんの作品を読んで違和があるのはこういった時代背景を「あえて」無視しているのか、「知らない」のか。


もっといえば美味しい食材や柔らかい麵麭なども存在しませんし、周囲の人間が軒並み優しく、農業をして暮らしているわけでもありません。


村に住めなくなったひとたちは、村を出て「盗賊」や「野盗」になり、それを恐れて村と村を行き来できず、大都市に行っても人口を増やすわけにはいかないので追い出され、といった具合に負の連鎖を生み出していた時代です。






と。


私自身中世ヨーロッパについては知識が少なかったですが、二三時間余りの間に上記の内容は学習しました。


こういった活動を私は情報収集をする、と定義付けます。


Wikipediaや瞥見程度の収集ではリアリティを感じられない読者も多数存在します。


作者とは「作品に対して唯一の理解者」である必要があり、本人がブレてしまっては作品からすると裏切られたとなるわけですね。


良い物語を作るには、良い作者になる他ないという理屈です。


私はファンタジー小説を嗜みません。


途中に述べた通り、このエッセイは「初心者へ向けた」ものです。


初心者の定義は「一次選考突破できない」ひと、もしくは「最終選考に残れない」ひと。


物語の基盤、基礎、構築、律、解釈、考察、原理、などの項目が完成できないひとを指します。


特段私のエッセイは興味のないひとには興味がないように見えるよう作っておりますし、読解力の高いひとは自ずと理解できるように作っています。


故に抽象的な表現をして読み手に想像、解釈を任せています。



さて。今回のエッセイ「ファンタジーって知っていますか?」については以上となります。


半分は本音を、半分は問題として書き記しました。


気分を害された方はご容赦ください。そして読まないでください。あなたが云ってほしいことを私は云いません。


この場はそれぞれがそれぞれに解釈し、概念や本質といったあいまいなものをそれぞれのなかに顕現させる有意義な場所として、皆さんの応援ありき、コメントありきで成り立っています。


このたびは読んでくださりありがとうございました。


些細な疑問やもう少し解説して、ということがございましたら、ディスコードで承ります。


それではありがとうございました。






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