一人称、三人称、とは

今回で第六回となりますエッセイのテーマは表題通り「作品の人称」に関する内容です。


これまで五つのエッセイを書き上げてきました。


主題、世界観、登場人物、プロット、表現、これらの要素は小説を構築する上で欠かせない軸となるものです。


主題は「物語の根幹」を。

世界観は「物語の律」を。

登場人物は「物語の信憑性」を。

プロットは「物語の整合性」を。

表現は「物語の華美」を。


そして大きな枠組みで俯瞰すると、今回紹介する「人称」はそれらのピースをひとつに纏める役割を持っています。


一人称、二人称、三人称、三人称一元視点、という種類が存在し、全ての作者は必ずどれかを取捨選択し、表現しています。


ではそれぞれの人称の特徴を紹介する前に、それぞれの人称を指す役割語を解説していきます。


役割語

小説、漫画といった登場人物に対して、作者が与えるべきキャラ付けを指します。

自分のことを「おれ」というか「ぼく」というか「あたし」というかといった語彙の選択、「知ってる」というか「知っとる」というかといった文法形式。

性別、世代、職業・社会的役割の種類、話された時代のちがい、その他いろいろな人に関する類型のことを指します。時には宇宙人や犬・猫が言葉を発す際に表される「〇〇にゃ」や「〇〇わん」といったキャラクター造形後の話し方もこれに含まれますね。

そして役割語がある理由ですが、人間とは基本的になにかを決めつけたがる生物です。所謂ステレオタイプと云われるものですね。例えば白と黒の車を瞥見すれば警察が聯想されるように、思い込みをより明確にさせる意味があります。

本来であればこの役割語は登場人物の解説で入れようかなと思っていましたが、結果としてこちらの人称にしました。理由は登場人物的観点よりも、人称的観点として知ったほうが、よりわかりやすくなると感じたからです。

とは云え、私自身役割語は微細にお話しできるほど知識を有しておりません。確立されたものではありますが、文献が少なく論文をひとつひとつ潰していくしかないからです。


一人称

「私」「俺」といった話し手を指す代名詞。

現代日本語に於いては文法的な特徴として名詞とはっきり区別される代名詞はなく、多種多様な言葉が一人称名詞として扱われ、文体や立場といった役割が異なります。

感情をストレートに表現できる、これが一人称視点の最大の特徴です。

逆に主人公の視点から逸脱できないことが最大のデメリットとなります。

つまりは良くも悪くも主人公が知り得る情報以外の情報を書けないということです。

WEBで色々調べてみましたが、どこの記事もそうであるように、私も一人称視点は初心者にまったく向かないものと考えております。

理由については後述しますね。


三人称

「彼」「彼ら」といった鳥瞰的視点から物語を見下ろす作者(神)視点での表現方法となります。作者的視点で記述し、物語を一歩鳥瞰的に見渡せる描写をするので、主観的な感情よりも客観的描写が自然と増えます。それにより読者に理解させることに長けた文章となります。

複数の場面を様々な視点で書くこともメリットのひとつとなります。所謂群像劇と呼ばれる物語形態ですね。初心者の方は群像劇に憧れを持つひとが多いですが、まず作者視点で物語を書くことを薦めます。というのも、作者が知り得ない情報というものが物語上にひとつも存在しないからです。全てを網羅した状態で表現するほうが、簡単で、問題は文章能力だけとなりますから、とっつきやすく、読みやすいという利点ですね。


二人称

これについてはまだ考えるレベルではありません。取捨選択の捨です、上達してから考えましょう。

簡単に説明だけすると、おとぎ話のような語り口調的文体がこれに当てはまります。


いかがでしたか。

上記の内容は「小説 人称」と検索したときに出た内容を噛み砕いて書いております。


つまりは編集者視点での文というよりは、ただの一般論、なんの意味もない本当にうわべだけの言葉になります。


ここからが本題。


私は読書をする際、カクヨム内の作品を読むことはほとんどありません。それこそ依頼された作者の作品を精読するくらいでしょうか。

これは何故か。

アマチュア作品を読んでも得るものがない、これに尽きると云えばそれまでですが、もうひとつ。

あまりにも酷い一人称、三人称が多く、読んでいて恥ずかしくなってしまうからです。

どの作品か、を云うつもりは毛頭ございませんが、ランキング上位の作品冒頭で「俺の名前は〇〇〇。〇〇〇高校に通う〇〇年生だ」みたいな語り口調や、一人称視点なのにも関わらず「〇〇の髪の色はグリーンで、大きな目はまるで〇〇のようだ」といった外見的特徴をわざわざ表現したり、と、なにをしたいのかが理解できない、いや理解はできるんですが、わざわざ、書く必要がない、ものを書いて、悦に浸って、満足している。

恥部を曝け出すのが作家としての有様だと考える私にとって、時間の無駄だと感じています。

そもそも一人称視点とは、なにか。

上記で書きました通り「主人公だけが知っている情報の開示」が重要であり、主人公の眼を通して読者を魅了することが大事となります。つまりは公平な情報提供というわけになります。

この場合の「主人公の眼」というものは言葉の通り、「現在進行形」で見ている景色、感じている心、スペックに合った推理、というものです。言葉では簡単に思えるかもしれませんが、ずっと難しく、プロで活動されている作家のなかにはこれをできていない方もいらっしゃいます。味として消化できるひとはファンとして、できないひとはアンチとして、対立構造が生まれます。

そして一人称というものは「簡単ではない」と先に云っています。

理由は明確で、一人称とはひとりの人間の目線であると同時に読者の視点でもあり、作者の視点でもあるという意味に他なりません。主人公とはキャラクターとして定義づけられているだけであり、主人公の感情を動かすものは作者によって定められ、流動的なものに応じた本質の欠片を読者は知り得るわけです。

見ている景色を事細かに描写をする必要はありません。特にキャラクターの造形を微細に表現される方はいらっしゃいますが、そんなに外見を知ってほしいのなら漫画を書けばいいんです。造形美に拘った処で、読者のひとたちは設定を考えた作者とは全く違った造形を思い浮かべるものです。正確無比に語った内容も、誰かを媒介すると本質が薄れるのと一緒ですね。

このエッセイを読んでいるあなた。もし仮にあなたが自らの作品の主人公になったとしましょう。恋愛もすればバトル的展開もあると思います。自分が、その立場にいて、同じ感情を描写しますか? 胸中の独白、といったものを本当にしていますか? 恋愛対象の男性、女性を目の前にして、外見的特徴を微細に感じますか? 全て答えは否です。

思った処で恰好いい、可愛い、清潔、不潔、背が高い、低い、といったワンワードのみでしょう。これはあなたもそうですし、読んでいる読者もそうです。で、あるならば適切な表現もおのずと定まってくると思います。

 初心者向きの結論としては、一人称とは「主人公だけが知り得る情報の開示」であり、他の知り得ない情報の開示である必要はないということ。だからこそ読者の感情を揺さぶり、多くの共感を得ることができる、ということですね。


では初心者に易しい三人称というものはどうかと云うと。

上記の通り、鳥瞰的に物事を整理することができるという点があります。人間という生物の特徴として、脳内を常にすっきりさせたいという欲求があり、主観で物事を云うのではなく、客観として見ることにして、結末や展開を予測させることができます。


三人称に「私」はいてはいけません。主観という観測点を全て除外しなければいけません。つまりいるのは、全員他人(第三者)の視点のみです。

わかりやすくたとえるなら、動物園にある檻のなかの猿軍団ですかね。あなたは猿が沢山目の前にいるだけだと感じるでしょう。これを主観ではなく客観的に観測してみるんです、あなたが一匹の猿に注視し周囲との関係でその猿の事情、感情、あるいはその猿の願望などが、行動やリアクションから、だんだん分かってくると思います。そしてあなたは猿の本心を察することはできても、本質を突くことはできません。核心を暴くためには客観的な情報が沢山必要になってきます。文脈、行動、感情、を作家及び読者が「推理」をする必要があります。


推理といってもホームズや金田一のようにミステリ的な難解を見破る必要はありません。

登場人物のひとりが涙を流せば悲哀だろうと考えさせる、笑顔なら嬉しかったり楽しかったのだろうと推理するのは、子供でも出来ますよね。さらに小説とは文章のみで構築されている物語です、小説家とはこれを上手に調理します。たとえば笑ってはいるが、心のなかでは泣いているのかな、という風にも描写できますよね。内面と外面の差をどれだけ作り、どれほどわかりやすく且つわかりにくく表現するか、作家の技量が問われる箇所は、ここです。感情移入は、描かれている登場人物の感情が理解した時に発生するボーナスステージです。ついでに、その人の次の気持ちも予測でき、その通りになったときに起こる。

つまりその人の気持ちと、完全に一体になったときに起こるものです。


だから主人公の心理的造形というものは、積極的で主体的になることが多いです。人生では人はなかなかそうなれないからこそ、積極的で主体的な人を羨ましく思い、目立つ主人公だから注視し、そのひとの気持ちが理解できるからこそ、そのひとの感情を共有し、一緒に頑張って世界を変えていこうと、心のなかで思います。


これが三人称のメリットです。


本質的解答を用意してしまいました。ここは本来は読者の皆さんに推理してほしいことでしたが、人称は物語の核心を表現できる唯一の手段ですので、誤った解答を信じてはいけないと感じたから、ある程度の解答を用意しました。


出過ぎた真似をお許しください。


さて、第六回は以上となります。


少しだけ、ほんの少しだけレベルをあげてみたのですが、好評を得られるかどうかは難しい問題です。


質問や疑問はどんどん訊いてください。答えられる内容は全て答えますので。


皆さんの応援、コメント、ありがとうございます。


ひとつひとつの内容を精査し、活力として取り込んでおります。


ありがとうございました。

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