不快に感じる大きな音を消す方法

  • ★★★ Excellent!!!

フィリップ・グラスMusic in Eight Partsを聴いている。私はネット小説を読むときは音楽を流している。それは期待値が低いせいだと思う。
思想ありきの小説は個人的に好みではない。これが仕事だったら、だが、と言って感想を書く対象を褒める定型的な文章になるのだが、それはだいたいにおいて大声なので、適切であるとはいえないだろう。
私はレビューは、ボソボソとした小さな声で話すべきだと思う。小説を読んだあとに大声を出した経験がないから、そうとしか思えない。
昔からバイオリンの音が苦手だった。実家にいると聴こえてくる音は妹が演奏するバイオリンの音だった。練習中の相手の感情が、なんの手続きもなくこちらに向かってくる感じ。殆ど暴力である。音楽は老人だから嫌い、とどこかに書いた覚えがある。
妹が嫌い、とか女が嫌い、というわけではなく社会の慣習における女性像が、私は受け付けられない。これは実在主義で、発言する私が攻撃されないための方法論である。
個人を認めるなら異性愛は生まれるはずがない。私は中学生のときに生徒会長の女の子に告白された。なぜ友達ではなく恋人という関係を結びたいのか、と訊くと質問の意味を問われて、肉体関係の他に恋人である必然性がわからないと答えたと思う。例えば、この場で僕が死体になったら彼女の好意はどこに向かうのだろう、と考えたのである。
結局、私は面倒くさい奴だった。これも見知らぬ誰かに好かれるためのアピールでしかない。言葉が便利になるのを望んでいない。中学生は簡単に関係を結ぶのが気持ち悪かった。肉体の変化が自分をどんどん凡庸で取るに足らないものにしてる感じがあった。身長なんて本当は低いままで良かったのである。承認は即時には絶対に起こらない。ライブ配信やSNSの数字や言葉は、部分的な自分を見せて発生するものだから、当人にとっては奇跡のように思えてくるのではないか。子供であるほどそれによくはまる。飛べない男の絵。私たちはなぜ成長できなくなったのか。三島由紀夫とか自殺してる。でも、自分なりにどうにかしたいと思ってる、で死んでいくのだと思う。どうすればいいのか。

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