最終章 どんな人間もいつかは死ぬが、どんな夜にも朝は来る


 あれから数日後、サラダは発声機構の修理が終わってすっかり元通りになり、無事に孤児院に帰ってきた。遥の引っ越しも終わり、やっと孤児院には平穏な日々が戻った。

 理仁は、今もサラダと教育係をしてくれている。叶芽も、十五になって救助隊に入るまでは、約束通り教育係のアドバイザーを勤めるそうだ。最近、彼の人間嫌いは少しだけ改善したような気がする。

 叶芽は、「ゲーム開発者になる」という将来の夢を叶えるために救助隊に入り、機械保全班に所属すると決意したらしい。彼が救助隊に入りたいと言った時は本当に驚いたし、私はできる限り全力で止めた。

 でも、驚いたことに遥が、彼を応援したい、と言ったのだ。彼は自分の意志で救助隊を選んだのだから、それを尊重してあげたい、と。私だって叶芽が夢に向かって頑張ろうとしていることは嬉しいけれど、遥と違って私は心配でしょうがなかった。

 私と遥は仲直りしたばかりにもかかわらず、叶芽の進路に関して再びかなり激しい喧嘩をしたが、サラダが叶芽側に着いたため、私は分が悪くなって敗北した。それに、止めても彼は全く聞く耳がないみたいだ。「世奈が認めないなら孤児院を出て行って、家族の縁を切ってやる」とまで言われたら、涙を呑んで諦めるしかない。


 私は、叶芽のことを受けて、孤児院の教育に力を入れることに決めた。今、孤児院の子供たちに必要なのは、『自分で将来を選び取れるようになる』ための勉強だ。こんなご時世でも、子供たちには自由に夢を持ってほしい。

 私は孤児院の仕事の合間を縫って時間を作り、新しい教育プログラムを考え始めた。サラダも、私の考えに賛成して時々手伝ってくれている。

 そんなある日、理仁が言った。

「あのね、世奈。僕、先生になりたい」

「え⁉」私はびっくりした。

「教育係をしてみて思ったんだ。教えるのって、結構楽しいなって。だから、先生になりたい。もしできるなら、孤児院で教師をしたいな」

 すると、それを横で聞いていた叶芽が言った。

「いいんじゃないか。そしたら、俺が知育ゲームアプリ開発して、手伝ってやるよ」

「ほんと⁉」理仁はミントグリーンの瞳を輝かせた。

「まあ、そんくらい朝飯前だし?」叶芽は照れくさそうに頬を掻いた。

「やった! 約束だからね」

 理仁は喜んで叶芽に抱き着いた。

「恥ずかしいからやめろって」

 叶芽は頬を赤くしてジタバタと暴れた。

 私はというと、感動して泣いていた。

 二人ともいつの間にか、凄く成長していたんだね。


 ▽


「遥、来てくれたのか」

「佑先輩、お疲れ様です。リハビリの調子はどうですか」

 私は、佑先輩の病室を訪れていた。彼は救護班から医療拠点に移り、日々リハビリに励んでいる。

「ああ、大分良くなってきた。もう少ししたら、走れるようになるかもな」

「それは良かった」

「他の奴らの様子はどうだ?」

「まあ、普通ですね。一平は相変わらず、稽古つけてくれってうるさいです」

「あいつ、根が戦闘狂だからなぁ」

「そうだ、ビッグニュースがありますよ。香織が、司門先輩に告白しました」

「えっ⁉ 香織、司門のこと好きだったのか」

「多分、前に司門先輩が事故って告白まがいのことをした後から、意識しだしたんじゃないですかね。私としてはようやくくっついたか、って感じですけど」

「そうだったのか……で、司門はどうしたんだ」

「最初はだいぶ戸惑ってたみたいですけど、結局香織に押し切られて付き合うことになったみたいです」

「それはめでたいな。あの堅物にも、春が来たか」佑先輩は顔を綻ばせた。

「でも、司門先輩が口下手なせいでしょっちゅうすれ違いが起きてますね。私は香織に散々惚気交じりの相談をされました。多分、司門先輩もそのうち佑先輩の所に相談に来ますよ」

「そうか。司門も頑張ってるんだな……」

 佑先輩は遠い目をしてそう言った後、突然気合いを入れるように両頬をパンと叩いた。

「俺も、頑張らないとな!」

「佑先輩? どうしたんですか?」

 彼はゴホンと咳をすると、急に真面目くさって言った。

「あー、遥。俺が、君を守れるくらいまで回復したら、その、俺と……付き合ってくれないか」

 私が驚いて佑先輩を見つめると、恥ずかしくなってきたのか、彼はじわじわ赤くなった。私はそれを見て、自然と口角が上がるのを感じた。

「少し、自分語りをしてもいいですか」

「? ああ……いいけど」

「私、ずっと……死にたいと思ってたんです。人形のように操られて、酷使されていることが辛くて……この世から消えられれば、それが一番幸せだって、ずっと思っていました」

 佑先輩は顔色を変えたが、黙って私の話を聴いた。

「だから、ナノマシンの遠隔操作機能が停止したと分かったときは、とっても良い気分でした。これでようやく自由になれる、死ぬことができるって、そう思いました。でも、そうやって自由になって、初めて気づいたんです。皆が、私のことを大事に思ってくれていたことに」

 世奈も、孤児院の皆も、香織も、一平も、司門先輩も、寮監も、もちろん、佑先輩も。

「人生って、不思議ですね。ようやく死ねると思ったら、今度は死にたくない理由ができるなんて思わなかった」

 私は彼に顔を近づけ、耳元でささやいた。顔が熱くなってくるけど、我慢する。

「佑先輩。私は、まだ自分にとっての幸せが何なのかは分かりません。でも、佑先輩と一緒にいれば、いつか見つけられると思います」

「遥、」

「一緒に私の幸せ、探してください。よろしくお願いしますね」

 私は、佑先輩の真っ赤な頬にキスをした。


 ▽


 私は、中央司令部を訪れていました。主馬の精神状態の経過を観察するためでもありますが、私はアテルイに相談したい事があったのです。

 今回のように、この難民キャンプ内の人手不足が原因で、孤児院の子供たちが危険に晒されそうになることは、またあるかもしれません。こういった状況をどうやったら解決できるのか、私は彼女に訊きたかったのです。

「サラダか」

 中央司令部に入ると、顔色が少し良くなった主馬が出迎えてくれました。とはいえ、まだ車椅子に乗っています。

 アテルイは椅子に座って微笑んでいました。

「いつも悪いな。精神科を担当できるのもお前だけだから、苦労をかける」

「いえ……お変わりないようで良かったです」

「ああ。最近は気分もいい」

 私は一通り主馬を診察してから、主馬に言いました。

「……この前は、酷いことを言って申し訳ありませんでした。あの時はわたしもバグが溜まっていたというか、人間で言うと頭に血が上っていたというか」

「いや、もういい。お陰で目が覚めた」主馬は苦笑して言いました。

「私は、そう簡単に許していい事だとは思いません」アテルイは不満げに言いました。

「俺が良いと言っているだろう」

「主馬はサラダに甘すぎます」

「あ、あの!」私はお二人が喧嘩を始める前に言いました。

「アテルイに、訊きたい事があるのですが」

 アテルイは主馬から視線をずらし、私の方を見ました。

「何でしょうか」

「私が思うに、難民キャンプでは、人手不足が度々起こっているようです。このような状況では、また孤児院の子供たちに危機が訪れることがあるのではないかと思いまして……こういった状況は、どうすれば良くなるのでしょうか」

 アテルイと主馬は、何故か顔を見合わせました。

「奇遇ですね。その疑問に関連して、貴方に話があるのです」

「話、ですか……?」

「はい。かなりショッキングな話になるとは思いますが、落ち着いて聞いてください」

 私はそれを聞いて不安になりました。

「まず、サラダの疑問にお答えしますと……キャンプの人口が増加しない限りは、人手不足の問題は根本的な解決が難しいでしょう」

「なるほど、そうですね」

「しかしそもそも、現在のキャンプでは人口を増やすこと自体がかなり困難です。現状、救助隊は人手不足が深刻で物資を十分に確保できていません。さらに悪いことに、氷河期がこれからも続く限り、確保できる食糧や物資は減少し続ける予測が出ています。この状況で人口を増やしても、その大半が飢餓に直面してしまいます」

「じゃあ、キャンプの人たちはどうすることもできないまま、ゆるやかに全滅を待つしかないんですか?」

「その通りです」

 私はアテルイのあっさりとした言葉にショックを受けました。

「その上、あと十六年で、私の本体である量子コンピューターは耐用年数を迎えます。私に使われている特殊な部品を作る技術は既に失われているため、長くても二十年以内には私は完全に停止するでしょう。そのため、近いうちにこのキャンプに残る人類は地上に放り出され、その多くは死を迎えると予測されています。衛星通信がつながる範囲——つまりこの地球上に、生存者のいる他のキャンプは現在確認できておらず、キャンプを移ることも不可能とみられています」

「そ、そんな」

 アテルイは悲しそうに言いました。

「『このキャンプに住む人間が氷河期を乗り越える見込みは極めて低い』……これが、『世界の真実』です」

 それまで沈黙を守っていた主馬は、辛そうに口を開きました。

「実はキャンプのリーダーのみ、代々この事実を公表するか否かを選択できる権限が与えられてきた。しかし、この事実を公表することはパニックを招く可能性が高いため、どのリーダーも公表せず、俺も公表しないことを選択した。俺は、先が長くないと分かっていても、キャンプの人間をほんの少しでも永らえるため、非情な選択を続けてきたんだ」

 主馬の言葉を聞いて、私はもう絶望するしかありませんでした。

「どうにか、できないのですか……?」

 アテルイと主馬は、私を見つめました。

「可能性は非常に低いですが、この状況を打破できるかもしれない方法があります。しかし、それにはサラダ、あなたの力が必要なのです」


「私の、力?」

「これを見てください」

 アテルイは私に、古い鍵のようなものを見せました。

「これは、キャンプの東へ進んだ先にある、通信施設の鍵です。その通信施設は、宇宙ステーションと交信するための施設でした」

「宇宙ステーション、ですか?」

「はい。宇宙ステーションは、太陽光発電システムによって、百年以上は外部からの供給が無くても人類の生存が可能なスペースコロニーになっています。もしステーションにまだ人間が残っていて通信が繋がれば、人工衛星を用いて、宇宙から生存している人類を探索することができるかもしれません。そうすれば、キャンプの人手不足は解決できる可能性があります」

 私は絶句しました。なんだか途方もない話になってきています。

「また、宇宙ステーションは氷河期に関する研究も行っています。そのため、通信によってその研究成果を共有できれば、私のシミュレーション分析能力を用い、氷河期を終わらせる糸口を見つけることもできるかもしれません」

「それで、何故私の力が必要なんですか?」

「通信施設の周辺は放射能によって汚染されているのです。そのため、人間では行くことができません。放射能に耐性があり、悪路でも活動ができ、そして知能が高い救護機械は、通信施設への探索に最適なのです」

「つまり、私にその通信施設に行ってほしい、ということですか」

「はい」アテルイは頷きました。

 大量の情報によって、私は完全に処理落ちしていました。ただ、これだけは分かります。私が行かなければ、キャンプの人たちは、孤児院の皆さんは、天寿を全うすることはできない、ということです。

「頼めるか、サラダ」主馬は縋るような目で私を見ました。

 私の心は既に決まっていました。

「行きます!」

 どんなことがあっても、二度と子供を死なせない。そのためなら何だってします。私は小春を喪ったあの時、そう心に誓いました。ここで逃げたら、小春に申し訳が立ちません。

 私は驚くアテルイと主馬に勢いよく言い放ちました。

「私は人間ではありませんが、人間らしさが何かはもう分かっています。それは『諦めが悪い』ことです。私も、決して諦めません。孤児院にいる家族たちのために!」

 私の言葉を聞くと、アテルイはハッとしたような表情をしました。そして、静かに語り出しました。

「……私は、この鍵が現状を打破する要素をもたらす可能性があると知っていました。しかし、永久にそれを失うリスクを恐れ、今まで使うことができなかったのです。かといって捨ててしまうこともできなかった……。

 人工知能である私は無から有を生むことはできません。鍵が失われれば未知のファクターは無くなり、人類の生存可能性のシミュレーション結果は完全にゼロパーセントになってしまう。私はどうしても、それを認められなかった。私も実は『諦めが悪かった』のかもしれません」

 アテルイは言葉を切り、主馬の方を見ました。

「しかし、主馬はサラダのおかげで変わりましたね。結果がどうなろうと、貴方に人類の未来を託すことを自ら決断したのですから」

 すると、主馬は笑うのに慣れていないようなぎこちない笑みを浮かべました。

「何も、サラダにだけ重圧を負わそうと思ってる訳じゃない。俺も、できる限りのことはするつもりだよ。地上での生存率を上げるため、一定年齢に達したキャンプの全員にサバイバル技術の訓練を義務化することを考えている。……世奈は反対しそうだがな」

「その案については、私は無駄だと言ったはずですが。焼け石に水です」

「やってみなければ分からないだろう」

 アテルイはため息をつくと、再び私に向き直りました。

「私は、貴方のことを少し妬ましく思っていました。医療AIは、患者の心の機微を察知するため、高度な感情シミュレーションが備わっています。私は人間のことを長期間学習しましたが、貴方ほど高度な感情シミュレーションは絶対に不可能ですから」

「そ、そうだったんですか」

 私は驚きました。アテルイは、私よりよっぽど高性能なシステム制御AIなのに、そんなことを考えていたなんて、思いもしませんでした。

「サラダ……必ず戻ってきてください」

 アテルイはそう言って、私に通信施設の鍵を手渡しました。


 ▽


 年が明け、二三七四年になった。

 私は、地上に続くエレベーターの前に立っていた。佑先輩、司門先輩、一平、香織、それにガイガーカウンターを付けたサラダも一緒だ。

「遥、それに皆も、準備はいいか?」任務に復帰したばかりの佑先輩は、皆を振り返った。

「はい」私は力強く言った。

「ああ」司門先輩は無表情のまま答えた。

「大丈夫です!」香織はさりげなく、司門先輩の隣を陣取っている。

「いつでもええで! 強くなった一平ちゃんの実力、見せたるわ!」一平は楽しそうにポーズを決めた。


 今日から、私たちはサラダを護衛して、地上にある通信施設に向かう。ただ、その場所の近くで放射能が漏れているため、途中からはサラダが単独でそこに向かうらしい。

 詳しい事は機密らしくて分からないが、この任務には文字通り人類の未来がかかっているらしい。世奈や子供たちは、最初は危険だと言ってサラダを止めたけれど、サラダ自身が行きたいと言って聞かなかったので、最後には折れた。世奈はサラダモデルの編みぐるみをサラダに持たせ、子供たちは沢山の手紙を持たせて、サラダを応援した。

 私は、さほど心配はしていなかった。この私が着いているんだから、サラダを危険になんかさせない。それに、サラダはそれほどヤワな奴じゃないことを、あの記憶を見た私はよく知っている。


 眩い朝日が、エレベーターの扉の隙間から差し込む。

 私たちの全身がオレンジ色の光にすっぽり包まれた時、サラダが言った。

「見ていますか、小春。私は今、生きています」

 ——そうだ。サラダも私も、生きている。

 人類の未来は絶望的で、どうなるかなんて誰も分からない。それに、どんな人間もいつかは死ぬ。


 でも、私たちはまだ、諦めきれずに生きている。



(日ノ出家の救護機械 完)

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日ノ出家の救護機械 春木みすず @harukimisuzu

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