第35話

 巨大なオフィスビルが建ち並ぶ摩天楼、その中心の最も高いビルこそがファンタスティック・デイライトを運営するサキュバス・ドット・インクの本社ビルである。


 今年設立三周年を迎えるサキュバス・ドット・インクの総従業員数は僅か百名足らずにも関わらず一つの会社が全ての階層を占有していた。


 ビルの最上階はワンフロア全てが社長室になっており、一面ガラス張りの窓から眺める絶景はまるで天上人になった気分を味わうことができる。


 重厚なプレジデントデスクを前にして立つニーナは大きく体を伸展させてコウモリの様な漆黒の翼を広げた。


「くふふ、だいぶ溜まったのです。これで今月のトップはもらったのです」


 ニーナはドカッと本革の執務椅子に腰を落として足を組む。


「社長の椅子に勝手に座ったら怒られるわよ」


 ロゼッタは呆れ顔で書類の束を銘木ウォールナットで造られた執務机の上に置いた。


 彼女は今、猫の姿をしていない。

 羊のように湾曲する角がのぞく美しい白銀のロングヘアと褐色の肌、瞳はニーナと同じ琥珀色で、四肢はスラリと長い。


 凶悪なまでの谷間を有するその体躯は妖艶そのものである。抜群のスタイルを誇る完全な女性体を包むのはSM女王様が着用するようなエナメルレザーのランジェリーだ。


 彼女もニーナと同様に背中からコウモリに似た翼が生えている。ただニーナとの違いは角の有無である。ロゼッタと同型のランジェリーを着用するニーナの頭には角がなかった。


「いいのいいの、どうせそのうちアタシの物になるのですから、この椅子も、それからこの会社もね……くふ、くふふふふ……」


 ニーナはニンマリと微笑む。


 やれやれといった具合にロゼッタは肩を竦めた。


「高校生一人と契約したくらいで随分余裕じゃない」


「くふふ、彼さ、けっこう課金してくれるの。まさかルシオンが魂を計る単位だとも知らずにどんどん使って……、くふふふふっ、笑いが止まらないのですよ」


「そう、よかったじゃない。まあ、確かにルシオン採取にゲームを使った課金方式を利用するって案は大当たりだったかもね」


「そうでしょ! でもでも、この素晴らしいアイデアを考えたアタシをもっと良いポストに就けてくれてもいいのになぁ」


「実際に製作したのは開発班だから仕方ないわよ。それにノンキャリのアンタがキャリアでエリートの私と同じプロジェクトに参加している時点で大出世だと思うけど」


「それはそうですけどぉ~」


 不満そうに机に突っ伏して、唇を尖らせたニーナが窓の外に目をやると、白フクロウがこんこん、とクチバシで窓を叩いていた。


 器用に窓を開けた白フクロウはロゼッタの肩にとまり、「あれあれ? 社長は不在ですか? ニーナさん、ロゼッタさん」と人語を喋った。


「お疲れ様、ユーリ。調子はどう?」


 ロゼッタが微笑み、白フクロウのユーリに問いかける。


「順調ですよ。僕のプレイヤーさんすごく優しい方ですし」


「いいなぁユーリの契約者は……。それに比べてうちの童貞くんはゲームオタクの社会性ゼロで甲斐性ナシ……はぁ」


「そんなことよりもロゼッタさん、ニーナさん、僕があのイベントで『魔王』を名乗ったことは絶対に報告書に記載しないでくださいね! 例え演技でも不敬罪になっちゃいますからね!」


「もちろん分かっているわよ、もし社長にバレたらユーリだけじゃなくて計画した私たちもめでたく絞首台行きよ」


「あーぁ~、もっと効率がいい作戦ないかなぁ。早く出世したーいですぅ。だいたいなんでキャリアやノンキャリなんて制度があるのかしら」


 ニーナは口を3にしながらぶつくさ愚痴る。


「これからいくらでもチャンスがあるわよ。ライバルの私が言うのもおかしいけど、アンタ最近楽しそうで私も嬉しいわ」


「ん、楽しそう? そうかな?」


「前まではなんか営業スマイルっていうか笑い方が不自然だったのに、近頃は自然に笑ってる感じ? アンタまさか、サキュバスのくせにあの男に恋してるんじゃないわよね?」


 ロゼッタに指摘されたニーナの顔が燃え上がると机に手を付いて抗議の声を上げる。


「そ、そそそ、そんなことないのです! 誰があんなクソ童貞野郎に恋するですか! アタシのことよりロゼッタこそ大丈夫なの? わざわざ猫の姿になったりして、しかもサキュバスが女の子と契約するなんてあり得ないのです! 滑稽なのです、アハハハハッ!」


 ニーナの高笑いに、何も知らない仔羊を哀れむようにロゼッタは溜め息を付いた。


「どうせあんたバカ正直に正面からいったんでしょ? 私は伊達や酔狂でニャンニャン言ってる訳じゃないのよ。猫が喋った方が無茶な設定も説得力が出るし向こうだって受け入れやすいでしょ? それにだいたい男と契約するなんて今時古いのよ」


「へ? どういうことですか?」


「私はあの子をアイドルに育て上げるつもりよ」


「アイドル?」

 ニーナは大きく頭を傾ける。


「そ、あの子かなり可愛いでしょ? 男受けも良さそうな性格だしね。それで、アイドルに育ててから東京ドームでコンサートをやるの、何万人規模のね。それまでにあの子にエナジードレインを習得させて、集まってきた男共のルシオンを一気に奪うのよ。多少時間は掛かるけど、こっちの方がちまちまやるよりずっと効率いいわ。実はこの前の戦いであの子のファンクラブが出来たんだけど会員数はもう一万を超えているのよ」


 ニーナは餌を求める鯉みたいに口をパクパクとさせた。


「そ、そんな方法があったなんて……アタシも今からそのやり方にしたいのです!」


「あんたも知ってるでしょ? 契約は一度に一人のみ、サーヴァントが死なない限り契約は破棄することはできない。ああ、そうだ。ユーリ、アンタのサーヴァントと舞子でアイドルユニット組まない? あの子も美人だから相当人気でるわよ」


「それはいいアイデアですねロゼッタさん! 是非お願いします!」


 ユーリは嬉しそうに翼を広げた。


 ぐぬぬと唸ったニーナは執務机から身を乗り出して拳を握りしめる。


「こうなったらあの童貞野郎には早く死んでもらわなきゃ! なのです!」


「あらあら、まあ頑張りなさい。今月はあんたにトップを譲るけど、来月には逆転してあげるわ。それじゃあね、バイバーイ」


 肩にユーリを乗せたまま、ロゼッタは投げキッスをして社長室から出て行った。


 深い溜め息を付いたニーナは再び執務椅子の背もたれに頭と背中を預けた。天井に埋め込まれたLED蛍光灯が眩い光を放っている。


「困ったなぁ、これじゃあまたロゼッタに先を越されちゃうじゃない……今回こそは勝てると思ったのに……」


 ――そのときだった。


 ひんやりと冷たい不可視の何かがニーナの喉元に触れる。


 細長く鋭利な感触はまるで刃物のようで、刃の長さと湾曲具合からするとまるで草刈鎌のようだった。


 触れるか触れないか程度の強さでツー、ツーと左右に往復しながら一定のリズムでゆっくり動いている。


 背後には誰もいない。

 空虚で、そして虚空だった。


 一人しかいないはずの静まり返った社長室、どこからともなく男の声が聞こえてきた。


《グリムリッパー》


 ニーナの心音が一気に跳ね上がり瞳孔が収縮する。背中が急激に冷気を帯び、溢れ出した汗が顎先から滴り落ちていった。


「ふ、不比人さま、……ですか? い、いつから……そこにいらしていたのですか?」


 返事はない。ただ冷たい刃が首筋に触れているのが分かる。ニーナは振り返れない。恐怖で動けなかった。


「まさか、最初からいませんでしたよね……、なにも聴いて、いませんでしたよね……」


 ノーと答えるように刃の動きが速くなる。


「ま、待ってください! 全部嘘なんです! さっき言っていたことは全部嘘! 嘘なんですよ! 戯言なんです! 魂の単価ってのも嘘! 不比人様がサーヴァントの方だってもの嘘です! 童貞野郎って罵ったのも何かの間違いで早く死ねって言ったのも嘘なのです!」


 彼女の言い訳を拒否するように、さらに刃の動きは早くなっていった。


 このままでは皮膚が切れてしまう。例え皮一枚であろうと少しでもダメージを受ければ終わり、ゲームオーバー、即死を意味する。


 ニーナの全身から汗が噴き出した。

 下顎がガクガクと震えて止まらない。皮膚が切れるまであと二、三往復もないだろう。


 つまりそれが自分の余命、全身はブルブルと震え始め、歯がカチカチと音を立てる。漏れる息も絶え絶えに声が震えていた。


「や、やめてくださいお願いします……ご、ごっ、ご、ごめんなさい……、アタシは不比人様を騙していました……、もう契約はこちら側から破棄します……。な、なんでもしますから許してください! 生パンツもあげます! だ、だから命だけは、どうか命だけは、た、たたたた、助けて……ください……」


 その願いが通じたのか、刃の動きが一往復半でピタリと止まった。


「ふ、不比人さま……」


 フッと背中に掛かっていた圧力が取り除かれ、ニーナは安堵の息を漏らす。


 静寂が支配する世界で、死神がニーナの耳元で囁いた。


『お前を殺した後の放尿は……、最高にスカッとするだろうな』

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DEATH♰Ⅲ 堂道廻 @doudoumeguru

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