カソウ 私の行きたい場所で

うーろ

一日目


 "自分が目を覚ましているかを確かめることなんて、簡単に思えるけど、目が覚めていると思える間には、それを試そうなんて思わないんだ─"


***


 私はゆらゆらと意識と無意識の間を揺蕩っている。この時間を長く感じていたいけれど、それももう終わる予感がある。私はもうすぐ目を覚ます。

 意識とも無意識ともわからない状態で、私が感じる心地よさと、体の浮遊感が徐々に失われていく。


 判然としない意識のまま目を開けると、目の前には満点の星空があった。"満点の星空"という表現では少し足りないだろうか、おおよそ地球上のどこからみても、これほどの星空は見ることが出来ないだろうと思ってしまうぐらいには、星々の光が黒い海に隙間なく煌々としていて、それは現実離れしている。星空は人工的な光を帯びていた。


 目を覚ました瞬間は、この光景を現実だと思える。私はこの瞬間がたまらなく好きだけど、その勘違いはそう長くは続かない。


 徐々に私の頭の中で思考がまとまり、これは現実でないという確信を得ていく。


 はぁ、とため息をつき、私は頭にあるはずの機器に手を伸ばす。指先が機器の底部に思わずぶつかり、こつん、という音を立てる。もしかするわけもなく、やっぱりこれが現実なんだな、と当たり前の事実を私は少し残念がった。


***


 私はゲームをプレイしている、そのゲームは誰かと協力してクエストをこなすようなロールプレイングゲームや、チームを組んで対戦に明け暮れるようなサバイバルゲームの類いではない。自分が好むアバターを纏い、様々な形でコミュニケーションをとる、それだけのゲームだ。

 私達が普段、知人とやりとりを交わす使い慣れたSNSと明確に違う点は、多くのプレイヤーは頭にHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を被り、現実と見間違えるような仮想空間を楽しみながら他のプレイヤーと交流が図れる点だろう。

 コミュニケーションをとるだけのゲームではあるけれど、眼前の非現実と、それらを楽しむ現実の人達と、共感を持ちつつ関わりを持てるという中毒性が多くの人をここに留める。私もこの世界に留められる多くの内の一人だという実感を日に日に強くさせている。


 この頃、私はゲームをプレイした状態で眠る。眠ってしまう、ではない。意識的にゲームをプレイしたまま睡眠に入るのだ。床につく際に、明らかに睡眠の妨げになるような人工的な光を絶え間なく目に受けるし、すこしでも首の位置を間違えれば起きた時に痛みを伴うことは間違いないだろう。HMDはPCと接続されているので、寝ている間に機器が壊れてしまうこともあるかもしれない。そんな安眠とは程遠い状態で、それでも私はHMDを装着しながら床につく。少しでも長くこの世界を感じていたい、という動機から行われるこの行為は、少しでもそうでない世界から離れたいという動機から行われる行為でもあった。


***


 春の陽光を浴びているような、ふわふわとした目覚めの余韻が収まりつつある。人工的な光を放つ星空に別れを告げて、私は上体を起こした。


”おはよー!ふにちゃん 今日も1日がんばろーね! saica”


空間に浮かぶ緑色の文字が私の視界に入る。メッセージの最後にはかわいらしい顔文字が添えられてる。文字を空中に書けたり、持っているものを空中に置けたり、現実を忘れさせることに拍車をかけさせる非現実的なことが、この世界では当たり前に起きる。


「saica(サイカ)、またきてくれたんだ」


私の親友の書置きだ。彼女は私がこちらで眠る度に、書置きを律儀に残してくれる。


 ふにとは私のネット上の名前で、その由来は実家で飼っていた猫のフニである。フニは私が小学生のころ家族として我が家に迎え入れられた。名付けたのは私で、ふにふにしているからフニという小学生ながらの短絡的なネーミングには、今思うと多少ながら気恥ずかしさを覚える。


 なぜフニの名前を取ったかについては、ネット上で決めて名前を名乗るほど私はネットに固執していなかったし、ただ思い付いたから、というそれだけの理由だ。強いていうなら家元を離れて独り暮らしを始めて、ありがちなホームシックの現れとして、実家で共に育った愛猫の姿や、家族の姿が脳裏に浮かんでいたのかもしれない。自分の名前を思い付きで愛猫の名前にするぐらいだ、当初はこのゲームに真面目に取り組もうだとか、どっぷり浸かってみようとか、そんな気持ちで始めていなかった。


 それが今では毎日このゲームをプレイし、私の存在を少しでも長く、この世界に留めたいとそう思うようになった。


 そう思えるようになるまで、それ程の時間もかからなかったと思う。


*** 


 幸いにも私はこのゲームに親友と呼べる存在を得ている。saica、という名前の彼女とはこのゲームを始めてすぐに知り合った。


 このゲームについて右も左もわからないとき、お世辞にも親切とは言えない運営の案内を参考にしながら、初心者案内なる場所にやっとの苦労でたどり着いた。

その時の初心者案内を受けたメンバーの中にsaicaはいた。始めて会った時の彼女のことは印象によく残っている。


 初心者案内が始まる前、声を出してコミュニケーションをとることがなんだか恥ずかしいと思った私は、ジェスチャーでコミュニケーションをとろうとしていた。HMDとコントローラーによって私の動きがダイレクトに私の纏うアバターに反映される。だから身振り手振りだけでも十分にコミュニケーションが取れるのではないかと思った。

 でも考えてみると、身振り手振りするのと、声を出すことと、そんなに恥ずかしさは変わらないんじゃないかなとも思う。自分しかいないそんなにも広いとも言えない部屋で、大袈裟なアクションをする私の姿を、私は考えないようにしていた。


 熱心なジェスチャーを繰り返していると、直立する猫が私の身振り手振りをまねていた。その姿がなんともおかしく愛らしく、私の気持ちが通じたという高揚感と相まって、このゲームの楽しみ方がわかった気がした瞬間だった。

 私と直立している猫の二人と、このゲームに慣れたプレイヤーが案内役を引き受けてくれて(どうやらそれがこのゲームのならわしらしい)、初心者案内は始まった。初心者が珍しいのか、あるいは初心者そのものなのか、案内を受ける所帯は次第に人数を増やし、最終的には10人には届かない程になっていた。


 初心者案内で緊張がほどけたのか、最初は口数の少なかった幾人かが、おそるおそるぎこちない会話を始めていた。私はまだ声を出す決心がつかず、会話に入れずにいると、物怖じせず初心者の中で談笑する直立の猫が、話に一区切りついたのか、直立する二本の足で私に近づいてきて、こう声をかけてきた。


「緊張しているのかワン?」


ワン…?理解するのに一瞬時間がかかったけど、猫から発せられるその言葉の不条理に私は思わず吹き出してしまう。犬の姿ならわかるけど、猫の姿だから ニャーとかニャンとか、そういう語尾になるんじゃないの?


「あ、わたし、今は猫だった~!」


いかにもといったわざとらしい台詞を、その軽口とは裏腹な、落ち着いた深みのある声で彼女は口にする。その二つのギャップが私の笑いのツボをさらに刺激してくる。私が ふふふ、と上げてしまった笑い声は、普段よりふの字が多くなっているような気さえする。彼女は私のアバターをじっと見つめる。


「いま笑ったよね?マイクオフにしてると思ってたけど、そうじゃないんだね!」


 このゲームにはマイクを常時オフにできる機能があるらしいことをさっき知ったばかりだ、声を出す決心がつかないのならオフにしておくべきだったかと今更思う。どうせ聞かれてしまったのだ、もう声を出してもいいかも。


 アバターの上に表示されるネームプレートを凝視し、名前を呼び間違うことのないよう、慎重に声を発する。


「saica、さん?さっきはありがとうございます」


saicaと名乗る(名乗ってはいないのだけれど)彼女はなんのこと?という素振りで私の顔をちらとみた後、納得がいったように、さまざまなポーズをとりはじめる。そのポーズは私達がおふざけでとったジェスチャーの数々だった。ひとしきりポーズをとり終えたあと、彼女はおもむろに歌を歌い始めた。


「おそれずに~♪ふみだして~♪こころをひらこう~♪」


saicaが口ずさんだ歌は 私もよく知っている歌だった。私が幼いころ 恥ずかしがり屋で人見知りな性格から なかなか友達が作れないでいるときに、母親がみかねて友達作りの参考として見せてくれたミュージカルビデオの歌だ。獰猛な動物を模してはいるが、その見た目にそぐわない内気な性格を持つ主人公が、友達を作るために奮闘する。その主人公が初めて友達を作る時の歌だ。

saicaが さぁ!と声を上げる、この後は、主人公の台詞がはいる。友達になりたい!という台詞だ。


「…友達になりたい…」


 saicaは驚いた様子で歌うのをやめてしまった。わりと有名な歌だと思うけど、知っていたとしても、まさか応えてくれるとは思っていなかったようだった。一瞬戸惑った様子だったが、saicaはその場でなんどか跳躍した。ぴょんぴょん。多分これはsaicaが嬉しいということを表現しているんだと思う。


「知ってるんだ!この歌!いいよね!」


やっぱり。私もなんだか嬉しくなって、小さな声で笑う。


「ふにちゃんは、女の子なんだねぇ」


 そういえば、このゲームって、黙っていれば、中身が女性か男性かってわからないんだな。私の姿が人間サイズほどの熊の姿だったからか、最初、彼女は私を男性かも?と思っていたらしい。自分の本来の姿が、他人の目から見てもわからないことに対する違和感を覚えたことはさることながら、私を既にフニと呼ぶ彼女のフランクさと、自分の愛猫の名前がやはり自分の名前をとなっていることに、同じ程度のくすぐったい感じを私は覚えていた。これらを言いくるめると、”不思議”という言葉にいいかえられると思う。


 重い荷物を乗せた荷車が、一度動き始めると大した力を入れなくても動かし続けられるのと同じように、私はここで話すことの抵抗が軽くなったのを感じた。それから私は、その歌に関しての話や、このゲームについて数時間プレイして受けた印象や、お互いの趣味など、他愛もない話をsaicaと話した。


 最近こんなふうに誰かと話してなかったな と私は認識する。去る者は日々に疎し、だったかな、そんなことわざが頭に浮かんだ。大学生の頃、よく一緒にいた友人たちとは、仕事が忙しくなってからは疎遠になってしまったし、家族とは離れて暮らしているから、会話を交わす機会といえば、もっぱら会社の事務的な会話がほとんどだった。…同僚と話す機会はあるけれども、同僚との話はどこか地に足がついた話ばかりだし、それだけならまだしも、お互いにさほど興味があるようでもない。クイズの答えを知っているから、ただ答えている。そんな作業のような会話は、まるで私の人生のこの先、劇的なことがないことを思い知らされるようで、気乗りがしなかった。


 saicaとの会話は、私が忘れてしまった、コミュニケーションの取り方を思い出させてくれるようだった。それでいて、お互いの共感によって、そのやり取りが彩られているのも感じていた。静かに水を注いでいったコップの底におもわずできた気泡が、なにかの拍子に、浮かび上がり、水面に出てきて、弾ける。私が感じていた気持ちは、言葉にするならそのような表現になると思う。


***


「始めてすぐに、ふにちゃんと友達になれるなんて、わたしは恵まれてるなぁ、これがビギナーズラックってやつかな?」


 友達、そうか、友達なんだ。そういえば私、友達になりたい、って言ったんだっけ?でもあれは歌の歌詞で…。ネットで友達を作るということが初めてだった私は気後れを感じていると


「初心忘れるべからず!っていうでしょ!わたし、今日のこの気持ち忘れないことにする!!!」とsaicaが声を上げる。


なにそれ、と苦笑がちに私は返答する。saicaと接していると 私の固さや暗さみたいな要素が消えていく気がする。


「こんな気持ちのまま ふにちゃんと今後とも接せられたらなと思います!改めてよろしくね!」


 仮想空間上に設けられた大きなデジタル時計は現実の時間とリンクしている。時計をみやるとすでに午前0時を回っていた。確か案内が始まったのが19時で、それが終わったのが20時過ぎ、それからsaicaと話し始めて…人と話す時間ってこんなに短く感じることができるんだな。不馴れなUIを操作し、お互いをいつでも連絡の取りあえるフレンドとして登録したあと、またね という言葉を交わしsaicaと別れた。


 PCの電源を落としたあと、私の気持ちは熱を帯びていた。


 その熱が覚めぬまま床につくと、まず、楽しかった、という小学生が考えたような感想が頭に浮かんだ。そして次に、またsaicaに会えるだろうか?と期待と不安の化合物が私の心に現れた。


saicaの言葉をを思い出す。


「初心忘れるべからず…か…」


その言葉に勇気付けられ、期待と不安の戦いは、不安のほうの勢力が弱まっていった。


こんな気持ちで眠ることができるのはいつ以来だろう。



もしかしたら、私が生きやすい場所ってここなのかもしれない。


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