第12話 いつかもう一度捻挫する
「師匠、これをお返しします。お力添えくださってありがとうございました」
弟子は深く頭を下げて、狼の紋章を大魔女サーヘラに差し出した。トナリ地区は長らくのワタニー領との緊張関係から解放されて、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。
「良いのよ。本当は私がやっておくべきことだったし、ヌーラはこれを正しく使った」
町の住人から差し出されたビールをうまそうに飲んでサーヘラは笑う。そこに町長やトナリ村の村長、自警団の団長などがやってきて、アルコールに浮かれた口調でそうだそうだと賛同する。
「ヌーラは正しかった、そして強かった!」
「けど、王宮まで行って国王様に直談判するなんて言い出した時にはビビったなぁ!」
「ここを国王陛下の直轄領にしたらワタニー家も手を出せない……とは考えたもんだ!」
「しかし、国王様が突然押しかけたヌーラの話を聞いてくれるとは思わなかったわねぇ」
「ま、そこは王国にこの人ありと言われて、実は王妃様とは茶飲み友達のこのわたくし大魔女サーヘラ様ですから。息子自慢も散々していますので」
えへん、と初老の女が胸を張ると人々がやんややんやと彼女をはやし立てる。そのままこっちでご飯食べましょう、お酒もどうぞ、踊りましょう、歌ってください、と輪の中心に引っ張られていく。ついさっきまではヌーラがああやって引っ張りだこだった。
「真昼間から酒を飲むなんて、なんか変な感じだな」
カヴァリの声がして、ヌーラはへにゃりと笑って同意する。さっきまでカヴァリもカヴァリで人々にもみくちゃにされていた。
「……俺のために、国王陛下に直談判を?」
「時間的にぎりぎりだったけどな。師匠から預かってた魔道具は、魔法が使えない俺でも一瞬で王宮とあの家を行き来できるんだ」
便利だよなぁ、と夢見心地で笑う。その隣に座ってカヴァリはいくらか黙り、そしてゆっくりと話し始めた。何か大切なことを話し始める時に独特の空気を感じ取って、ヌーラは決して急かさず意識を隣に集中させる。
「ありがとう、ヌーラ」
「突然だな」
「突然じゃない。君と出会った時から本当にずっと感謝してる。……おれはずっと弱かったから。君の強さが眩しくって羨ましくて、憧れた」
「うん」
「……おれも君みたいに、自分にとっての困難に真正面から立ち向かえるようになりたい」
「うん」
「だからおれ、ワタニー家に戻るよ。あの家の当主になって、自分の手であの家を変えたい。……こんなに迷惑かけて、ほんとうに申し訳ないんだけど」
「気にするなよ。俺たちはトナリ地区の安全のためにやったんだ」
「……それからさ、君のこと師匠って一瞬呼んでたけど、やっぱり友達が良い」
「友達?」
「……親友? 相棒?」
「そういうのいたこと無いから俺はよく分かんねぇよ。でも、俺もなんかそういう関係が良い。そもそも師匠とかガラじゃねぇし」
ヌーラが苦笑する。そう、二人とも友達がいなかった。だからよく分からない。けれど、例えば対等に頼り合い、互いに手を差し伸べるような関係。そういう関係が良い。しばしの間黙って互いを見つめて、それからヌーラがカヴァリをそっと抱きしめた。日差しに照らされた互いの背が温かかった。
「……お前ならやれるよ、カヴァリ」
「うん、頑張るよ」
***
「で……また来たのか」
リビングのソファベッドに寝そべった金髪の客人にヌーラが呆れたように言う。窓から差し込む夏の光がチラチラとあたりを照らし、葉っぱの影が床の上で踊っている。
「ちょっと休憩に来たんだよ。いやぁ、それにしてもまさか次期当主すっとばして当主になるとは思わなかったよねぇ」
若獅子のような男が苦笑する。まったくだとヌーラが同意して、客人に冷えたミントティーとビスケットを差し出した。
結局ワタニー家に戻ることを決めたカヴァリだったが、いざ戻ってみると頑健屈強なはずの父親はすっかり意気消沈して当主の座を放棄してしまった。本気で国のために武力を磨いていた彼は、トナリ地区が天領になったことにショックを受けたらしい。一方で、妹のレオナも随分もしばらくは抜け殻のようになっていた。幼い頃のカヴァリのように、父親に褒められたくて努力を続けた彼女は当主の座を放棄してただの老人になってしまった父親に失望し、それと同時に自身の情熱のやり場を見失ってしまっている様だった。
「今は、妹に王都での騎士勤めを勧めているところだよ。心機一転、同等の立場の人たちと一緒に仕事をしてみるのも悪くないんじゃないかな、と思って」
レオナと決して仲が良いとは言えなかったはずのカヴァリだが、元の人の良さなのか、それなりに妹の世話を焼いているようだった。
「それ考えると、お前の家族には悪いことしちまったかもな」
気まずそうにヌーラが言うと、カヴァリが跳び上がって首を横に振った。
「そんなことは無いよ! それぞれが元から抱えてた問題が表に出てしまっただけだから」
「……そうか」
「しかし、領主の仕事って結構大変なんだねぇ! 定期市の監督とか住民のもめごとの解決とかやることが多くて。こっちはどうだい? 陛下の命令で総督が来てるんだろ?」
若きワタニー新領主がおどけたように話し始めて、ヌーラがくすくすと笑いながら「いい人だよ」と答える。
「うちの師匠を総督……トナリ領の監督役にするって声もあったんだけど、公平性って点で無しになったからね。それで全く見ず知らずの役人が来たけど、町の人たちとか町長さんともうまくやれてるみたい」
事態が全て解決すると、大魔女サーヘラはまた放浪の旅に出てしまった。だが今度は送り出すヌーラに不安はなかった。大魔女はすべてお見通しとばかりに笑って彼の頭を撫でて出かけて行った。彼女が旅立つまでの短い間にリュカ少年は大魔女から直に魔法を教わり、今は自警団に出入りしつつ町にある学校に通い始めている。才能があるのか、めきめき魔法の腕を伸ばしているという。
そんなことを話すヌーラの横顔を眺めながら、カヴァリはぽつりと呟く。
「あーあ、またトナリの森の近くで足首捻挫しないかなー」
「なんだそれ」
思わずヌーラが噴き出したが、カヴァリは真面目腐った顔で言う。
「だって、そしたらまたこの家に泊まれるだろ?」
「でもワタニー家を変えるんだろ?」
「だとしても、いきなり当主とは思わないじゃん……」
カヴァリの頬が風船のように膨らんだ。これで酒が飲める歳というのだから、ヌーラはなんだかおかしくてたまらない。丸い頬をつつきながらニマニマと笑って言った。
「ま、ほんとに無理ってなったらいつでも足首捻挫してもいいぜ」
「えッ、それって!」
「それよりさ、今度のトナリの町の定期市、お前も来ないか?」
楽しい計画に誘われて断るという選択肢は無い。ワタニー領の新領主と、隣のトナリ地区を預かる相談役兼守護役の魔法使いヌーラが、先代と違って仲が良いことは近隣でも有名な話だ。カヴァリが勢い込んで首を縦に振ったところで魔女の家の扉を叩く音がした。
「旦那様、そろそろお戻りになってください」
ワタニー家の執事が若き当主を呼び戻しに来たらしい。いつもの流れにしぶしぶ立ち上がったカヴァリだったが、ふいに扉の方に行く足をとめて振り返った。
「じゃあおれ、最速でワタニー家を自分の思う貴族の在り方に変えるから。そしたらすぐに足首を捻挫してやるからな。覚えとけよ!」
宣戦布告のような言葉に思わずヌーラは声を上げて笑って、日差しに照らされた玄関にかけていく背を力強く押した。
「覚えてるから、ほら、行ってこい!」
目指せ「強さ」のテッペンへ! 鹿島さくら @kashi390
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