第7話
カズスの母マリアンヌは冒険者だった。
元は貴族の生まれで、マリアンヌを生んだ際に亡くなった母を想う父のため、死者との会話を可能とする花を求めて、冒険者になった。
マリアンヌは自分のことを何も特徴のない人間だと考え、少しでも父親に何かを返してあげようと必死で、父親と喧嘩別れの形で家を飛び出した。
マリアンヌは家で習った剣術と学問でその頭角を現し、そして冒険者としての道を順調に歩いていった。
彼女は信頼の出来る仲間達とギルドを作りあげた。マリアンヌと違い、貧しい生まれの人がほとんどで、時に衝突もしたがいい仲間達だった。マリアンヌはこの仲間達とならなんでも出来るような気がしていた。
そして彼女は遂にパンゲアに挑み、そこで全ての仲間を失った。
命からがら生き延びた彼女はココットの森に流れつき、帰るすべもなく途方に暮れていたところをゴズズに救われた。
ゴズズの元で傷を癒しながらマリアンヌは次第に不器用ながらも優しさを見せるゴズズに惹かれていった。
彼女は傷が治ったあとも村に残った。全てを失ったマリアンヌは成果も無く家に帰り、拒絶されるのが怖かった。何より、ゴズズの優しさに彼女は甘えていた。
そうして村で過ごしていくうちに彼女はカズスを授かった。
「カズス。どうして泣いてるの?」
「ちょうとはちさんがけんかしてるの! かあさまどうしたらいい?」
カズスは優しい子だった。争いを嫌い、どうやればみんな幸せになれるかを考える、そんな子供だった。
「そうね……きっとお花が足りないのね。新しくお花を取ってきてあげましょう」
「そしたらおはなさんいたくない?」
「きちんと植え替えてあげれば大丈夫よ。一緒にやってみましょうか」
「うん!」
マリアンヌはカズスのことを深く愛していた。
ある日、マリアンヌとゴズズは喧嘩になった。ゴズズがバジリスクの討伐に行くことになり、マリアンヌがそれに着いて行くと言ったのだ。この時期からすでにリックとの付き合いも長く、マリアンヌはカズスをカーラに預かって貰うつもりでいた。
マリアンヌは元冒険者で本来の実力はゴズズより高い。しかし、マリアンヌは前線から退いて日が長く、何より体調を崩していた。
結局討伐にはゴズズ一人が赴くことになったが、バジリスクの討伐という危険な任務にマリアンヌは心穏やかでなかった。だからこのやり取りをカズスが見ていたことに気付かなかった。
「カズス?」
マリアンヌが異変に気付いたのはゴズズが出て行った日の午後のことだった。昼食と家のことを済ませたマリアンヌは、家の中で遊ぶカズスを見ながらついうとうとと寝てしまった。
心配で昨夜寝れなかったことも響いたのだろう。寝ていたのもほんの一時間ほどの間だ。しかし、それが悲劇を起こしてしまった。
カズスが家にいない。マリアンヌはすぐに家中を探した。しかし、カズスが見つかる気配がない。そしてマリアンヌはカズスと共に花を植え替えるのに使った植木鉢が無くなっていることに気付いた。マリアンヌはすぐに家を飛び出した。
時期、時間、季節、すべてが悪かった。バジリスクの討伐で村の衛士や狩人がほとんど出払っていた。ただでさえ村を朝から隅々まで守るのには集中力も体力も使う。それを新人が行えば、午後に小さな子供一人出ていく隙を作っても仕方が無い。
しかし、もしこれが春や夏ならば村の中に花の一つや二つ存在したことだろう。時期はちょうど収穫祭を控え、村の雑草は全て刈り取られていた。
全ては偶然の結果だった。戦力が少なくなった村の違和感を嗅ぎつけ、ゴブリンの群れが森の周りを徘徊していたのも偶然だった。
「カズス!」
マリアンヌがカズスを見つけた時、彼はゴブリンに刃を振り落とされる寸前だった。マリアンヌはそれを自身の身体で庇い、代わりに心臓に怪我を負った。普通ならばもう動けないほどの致命傷。
だがマリアンヌはその後、無理やり身体を動かして、ゴブリンの群れを壊滅させた。そしてマリアンヌはカズスを守るように抱きしめながら、村へと戻りその場で息を引き取った。
これがカズスが三歳のときの出来事である。
彼は目を覚まさぬ母の目覚めを父親であるゴズズが帰ってくるまで待ち続けた。
そこから彼は家に引きこもるようになった。この時のカズスに死という概念はまだ理解できていない。だからいつか帰るだろう母を家で待ち続けることにしたのだ。そうして二年の月日が流れた。
「カズスこいつは俺の幼馴染のブーゲルだ」
ある日、そう言ってゴズズが家に連れて来たのは赤髪の背の高い男だった。彼には左腕が無く、右足も引きずっており、身体中傷だらけで、カズスには恐ろしく見えた。
「お前がカズスか。どうもえらい引きこもりだそうだな」
「は、離してよ!」
「家の中にずっといちゃ元気が出ないぞ。外に行くぞ外に!」
無遠慮にカズスを抱き上げたその男のことがカズスはあまり好きにはなれなかった。無理やり家の外に連れ出されたあともカズスは隙を見つけてはすぐに家に戻った。しかし、男はそんなカズスを毎日笑いながら外へ連れ出した。
カズスは連れ出されることに抵抗はしても、無理に男を拒絶することはしなかった。それは男が強引ではあったが乱暴ではなかった事と、彼の纏う空気がどことなく母に似ているとカズスは心の底で思っていたからだ。
「……おじさんは外が怖くないの」
毎日、飽きもせずにやってくる男にカズスからふとそんな疑問が零れ落ちた。いつも笑顔で恐れを知らないような男が不思議に思えたからだ。
「……なんだカズス。お前は外が怖いのか」
「怖いよ。おじさんは怖くないの? そうなっちゃったのは冒険者をしてたからなんでしょう?」
カズスは男の身体を見ながらそう呟く。男の身体はいつ見てもカズスに痛々しさを感じさせた。
「そうだな……俺だって外は怖いさ。いや、きっと外に出るのはみんな怖い事だと俺には思う」
「じゃあなんで? おじさんや父さん……村の人達はみんな外に出られるの?」
「外に出なきゃ生きていけないからさ。俺達は家の中で閉じこもってるだけじゃ生きていけない。食い物を取らなきゃ駄目だから」
「……それくらい分かってるよ。僕が聞きたいのはどうしてみんな危険な外でより危ない事に挑戦するのかってことだよ。……冒険者なんてより危険じゃん。怖いならそんなことしなくたって……」
カズスはそこから黙ってしまった。その言葉が男と母のしていたことを否定していることに気付いたからだ。場に沈黙が訪れた。
「昔、聞いた話なんだがな。ある村の川が干上がったそうだ。原因は川の源泉を魔物が塞いじまったことらしい。当時は雨が不足して他はどこも水不足。村人達は家の中でただ外に縋ることしか出来なかったらしい」
男は急に口を開いたかと思うとそんな話を始めた。カズスは黙って話に聞き入る。
「しかし数日経っても雨は降らない。そんな中である若い村人が源泉に行って魔物を倒してくると言い出した。他の村人達は止めた。魔物は強い力を持っていたし知能も高かった。もし向かう村人が倒されてその火の粉が村まで伝播するのを恐れたんだ。だから若い村人は村の物と分かるような装備も一切着けずに魔物に挑んだそうだ」
「……それでどうなったの?」
「無事に魔物を倒した若者は川の流れを元に戻した。村人はそのお礼に村一番の美人と結婚して幸せに暮らしました。っていうありがちな話だな」
「……その村人は勇敢だったんだね」
「そう思うか?」
男はニヤリと笑った。
「だってそうでしょ? 村のためにただ一人で何も持たずに立ち向かうなんてそうとしか思えないよ。きっとすごく勇敢な人だったんだ」
「……この話には裏があってな。実はその村一番の美人と男は元々恋人同士だったんだ」
「え? それじゃあお礼の意味は?」
「あるんだよ。男と美人では身分が違った。まあ陰でこっそり付き合ってったんだろ。だが、公に結婚も出来ない。水不足を解消するため隣村と婚姻の話も出てたらしい。だから男は美人と結ばれるために魔物に挑んだんだ」
「……なんだか騙された気分だよ」
不満そうに口を尖らせるカズスに、男は大きな声で笑った。カズスは顔を赤くした。
「笑わないでよ! おじさんが最初にそう言ってくれれば僕も勘違いしなかったのに……」
「いやあ、すまんすまん。だがなカズス若い村人が村を救ったのは本当のことだ。理由が結婚のためだったとはいえ、好きな女のために自分の命を賭けるなんて簡単に出来ることじゃない。きっと凄い怖いことだぞ?」
「……それじゃあやっぱり勇敢だったってこと?」
「いや、俺はそうは思わない。きっと若い村人は人一倍怖がりだったんだろう」
「……どうして? 魔物には挑んだわけでしょ?」
「ああ挑んだ。だがなその理由は好きな女が他人に取られるのが怖かったからだ。自分の命を失うことよりもだぜ? そんなのよっぽどの怖がりだろう?」
カズスはその言葉で男が何を言いたいのかを理解した。死ぬことが怖いから外に出る人もいれば、死ぬよりも怖いことがあるから外にでる人もいる。男はカズスにそう言いたいのだろう。
「……そんなの屁理屈じゃん」
「かもな。だが俺は冒険者って連中は人一倍怖がりな連中がなるもんだと思ってるぜ。俺やお前の母ちゃんもな」
「……」
カズスはその日それ以上話すことはなかった。だが次の日からカズスは自発的に男の、ブーゲルの元へ行くようになった。
次第にカズスはブーゲルから冒険者としての知識や剣術を学ぶようになっていった。
「ほーらヘリオス! カズスお兄ちゃんだぞ!」
「かずすにい?」
「お、に、い、ちゃん! がんばれ! ヘリオスあと少しだ!」
「かずすにい!」
「……ダメか」
ブーゲルの家に行くようになったカズスは次第に、その息子であるヘリオスとも交流をもつようになった。これまでブーゲルがまともに子供の世話をしているところを見たことがなかったため、カズスはブーゲルに子供がいることに驚いた。
どうにも、ブーゲルがカズスに会いに来ている間はゴズズがヘリオスの世話をしていたそうだ。
片腕のブーゲルでは幼児の世話は難しかった。
「ははは、勘弁してくれカズス。まだ全部の発音が上手くできるわけじゃねえだ」
「分かってるよ、ブーゲルさん! それにしてもヘリオスは可愛いなあ。ほんとうにおじさんの子供なの?」
「うるせえよ! 他の連中にもよく言われるがな、俺だって初めからおじさんだったわけじゃねえの!」
「本当に?」
「この野郎カズス! あんまり舐めた口きいてるとまたボコボコにするぞ!」
「上等! 今度こそ一本取って見せるもんね!」
この時期からカズスは明るくなり、よく話すようになった。ブーゲルと絡むに連れて次第に乱暴になる口調にゴズズは頭を悩ませたが、ゴズズのもう一人の幼馴染であるリックやその息子のレイドとも交流を深めカズスは村に馴染んでいった。
しばらくの間、カズスにとって幸せな時間が流れた。
ドラゴンハート 孫武 @chourai
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