第6話

 カズスはすっかり日が落ちて暗くなった村の中を歩いていた。カズスが住む家まではもうすぐの距離だ。

「勝負ね……」

 バジリスク。おとぎ話に出てくるほどの魔物だ。それが複数体もここヤーシ村の周りに存在している。本来ならこれほど恐ろしい状況は無い。

 しかし、冒険者になるような連中にとっては都合のいい勝負の舞台のようだ。

 カズスは歯噛みする。自身は舞台を彩るパーツの一つでしかない。

「あ、カズス兄」

 リックの家に繋がる道の途中で、ヘリオスが歩いてきた。どうやら話は終わったらしい。

「よう。親父は?」

「まだ大人達は話があるみたいで……それとゴズズさん今日も帰らないって」

「また徹夜で警備か……親父も歳だろうに」

 カズスとヘリオスは同じ家に住んでいる。ブーゲルが亡くなってからまだ幼いヘリオスを一人で住まわせる訳にも行かず、ブーゲルの幼馴染であったゴズズが引き取ったのだ。

 二人は自然と並んで歩いた。

「……それで話はどうだった?」

「……バジリスクの討伐を手伝って欲しいって、どうにも一体じゃないみたいでサヨさん一人じゃ心配みたい」

 苦笑いを浮かべながらそう告げるヘリオス。どうやらサヨの言っていた事は本当のようだった。沈黙が訪れる。ヘリオスはまだ何か言いたげだった。

「……話はそれだけか?」

「えっと……」

「……別に俺に気を使うことはねえよ」

「……シロウさんが三日後の収穫祭が終わったら一緒に【明星】に来ないかって、ゴズズさん達もそれが良いって」

「そうか……」

 カズスにとってはそれはあまりにも分かりきっていたことだった。ヘリオスの力が村のみんなに知れ渡ったあの日から、リックとゴズズは秘密裏にシロウと取引を繰り返していた。

 この選択は村とヘリオスを思ってのことだ。どちらにしろ悪い話ではない。ヘリオスだって幼いころから冒険者に憧れていた。

「……お前なら上手くやれると思うよ。心配することはない。向こうに行ったってすぐ慣れるさ」

 カズスに出来ることはもう何もない。

「……僕、断ろうと思うんだ」

「……はあ!?」

 だからヘリオスがそう言ったことにカズスは酷く驚いた。

「なんで!? お前昔から冒険者になりたいって言ってたじゃねえか!」

「それは子供のころの話なわけで……僕だって大人になったんだよ」

「まだ成人もしてないやつが何言ってんだよ……理由はなんだ」

 ヘリオスは気まずそうに指をいじる。これは彼が嘘を吐く時の癖だった。

「その……最近は村も物騒じゃん? だから僕は村で一番強いわけだし、村に残って衛士になろうかな……なんて」

「……村のため?」

 カズスはそれが嘘だと断言出来た。ヘリオスはリック一家やカズスとゴズズを除き村の人達と交流を持ちたがらない。自身が恐れられている事を分かっているからだ。そんなヘリオスの村での居心地がお世辞にも良いものであるはずがない。誰かに気を使っているのは明らかだ。

 そしてそれが誰なのかは言うまでもない。カズスは立ち止った。

「カズス兄?」

「ヘリオス。俺と勝負をしよう」

「……いったいどうしたの?」

「バジリスクの討伐。それに俺はシロウの姪と参加する。どちらが多くのバジリスクを倒したかで勝敗を決める」

「待ってよ、カズス兄! 何言ってるの? 話が見えないよ……それにバジリスクの討伐に参加するなんて……ダメだよ」

 ヘリオスは狼狽えていた。

「カズス兄?」

「……その勝負でお前が勝ったら、お前の好きにしろ。けどもしお前が負けたら……」

 カズスはヘリオスの目を見る。赤い眼。昔から変わらない太陽のように、燃えているように真っ赤なその眼は、今にも泣き出しそうだった。

「お前は村から出ていけ」

「カズス兄……」

「リックさんの家に泊めて貰え。勝負が終わるまでお前は家に帰って来るな」

「待ってよ! カズス兄! 待って!」

 ヘリオスを無視して歩き始めるカズス。ヘリオスはそれを止めようとカズスに向かって手を伸ばす。

「触るな」

 カズスはその手を振り払った。

「勝負が終わるまでお前は俺の敵だ」

「……ッ」

「気安く話しかけても来るな」

 カズスはそこから振り返ることなく家までの道を歩いた。すすり泣く声など聞こえはしなかった。


「貴方にしては随分と可哀想なことをしましたね。カズス君」

 家の扉を開いて最初にカズスはそう声をかけられた。

「……全部見てやがったのか。相変わらず趣味の悪い」

 カズスの家のリビングの椅子にシロウが座っていた。

「てか、勝手に人の家に侵入してんじゃねえよ」

「ふふふ、生憎ですがゴズズさんにちゃんと許可は取っていますよ」

 シロウは立ち上がるとカズスに近づいてくる。

「……何のようだ」

「ちょっとした提案ですよ。どうです? カズスさん貴方冒険者になりませんか?」

 へらへらと笑いながらそう提案してくるシロウの胸倉をカズスは掴み上げる。

「てめえ何の冗談だ。ふざけるにしても笑えねえぞ」

「……おお怖い怖い。そもそも貴方が私の冗談で笑ったことはないじゃないですか」

 シロウはあっさりとカズスの手から逃れると乱れた服装を正した。シロウは再び椅子に座り、対面にカズスも座るように促す。

 カズスは席についた。

「……別に冗談で言っているわけではありませんよ。カズスさん。私は貴方が思っている以上に貴方のことを評価しているつもりです。……貴方が自分を卑下するのは勝手ですがね」

「……目的を言え。お前が俺を誘うなんて何か裏があるに決まってる」

「私に褒められる存在なんてそういないというのに……相変わらず貴方は可愛げがない」

 シロウは大きくため息を吐いた。その後、表情に真剣みが帯びる。

「今、【明星】は割れています。……具体的には私率いるギルド派、今まで通りの活動を維持しようという派閥。そして現副団長が率いる王国派。……大陸最大の王国ギルナイドの正式な勧誘を受け、王国の依頼でのみ動く冒険者に成り上がろう。という派閥です」

「……内乱ってわけか」

 冒険者ギルドとはあくまで信頼関係で成り立っている冒険者同士の互助会に過ぎない。そのため大きくなったギルドが野心を持つ冒険者同士で衝突し、内部分裂が起きることはそう珍しいことではなかった。

「ええ、お恥ずかしながら完全に私の失態です。……ギルドの管理が出来なかったなど団長に合わせる顔がない」

「……切り捨てればいいだろ。問題を起こしている団員がいるならお前の権限で辞めさせればいい、確か団長にはそういった権限があっただろ」

「ただ問題を起こしているのなら私もそうしていますよ。しかし、現副団長はあくまでも穏便に内側から【明星】を囲い込んでいます。そんな彼を辞めさせたら私や【明星】もただではすみません。……それにすでに半分の団員は彼の手に落ちています」

 シロウにしては珍しく、しおらしい。彼のギルド運営の手腕はブーゲルも認めていたほどだ。そんな彼がそこまでの事を許すということは、現副団長というのは相当なやり手なのだろう。

 しかし、カズスの中でより一層疑問が濃くなる。

「それほどのやり手なら独立して王国専属にでもなんでもなればいいだろ。……お前の話が本当なら、そいつが言えばほとんどの奴らが付いて来るだろう」

「……私もそうして頂いた方が楽なんですけどね。王国側はそうではないみたいです。あくまでギルナイド王国が欲しいのはギルド【明星】であって実力のある冒険者ギルドにはそれほど興味がないみたいで」

「……なるほど。お前は副団長にはなるべく穏便に出ていって欲しいし、そのためなら団員を失うのも問題はない。けど相手が欲しいのはあくまでも【明星】で、お前が【明星】を手渡す気もさらさらないと」

「ええ、まあそういうことです」

 カズスはギルドについては詳しくない。カズスの母親とブーゲルから話を聞いた程度で、それがどういうものかもなんとなくでしか理解していない。しかし、シロウにとって【明星】がどれほど大切なものかは理解していた。

「……それでどうしてそれが俺の勧誘に繋がる。話を聞くかぎり、もし、仮に、俺があんたに協力したとしても、大した力にはなれないと思うが?」

「……ええ、まあそちらに関しては私も同意見です。貴方に頼みたいのは別のことです」

 シロウはそういうと懐から何か鱗のような物を取り出した。それは部屋の明かりに照らされて次々に色を変えていく。カズスがそれを手に取る。キラキラと輝いていて硬いようで柔らかい。不思議な感触だった。

「……これは?」

「竜の鱗です。先日ココット山から見つかったそうです」

「ッ!?」

 カズスは驚き鱗を思わず手から取りこぼす。シロウは落ちる鱗を空中で掴み上げた。

「気をつけて取り扱ってください。貴重品ですよ?」

「……確かなのか?」

「ええ、私も何度も調べました。ブーゲルさんが持ち帰ったものとも特徴が一致しています」

 竜、ドラゴン。それは魔物の王だ。魔物とは魔法を使う生き物の総称だ。

 魔法。古代の神々に対抗するため、古の邪神が編み出した力であり、魔物はその直系の子孫とされている。

 現代では神の子孫である人も魔法を扱うことが出来るが、それは神の力を受け継ぐことが出来なかった人々が、魔物に対抗するために編み出した力であり、本来魔物が使う魔法とはその性質が異なるとされる。

 魔物の魔法はその種特有の力が色濃く出ており、原始的故に非常に強力で一度その力にかかればほとんど助からない。まさに魔性の力だ。

 そして魔物の王とされる竜は魔物の全ての力を持つとされ、あらゆる魔法を扱うことが出来るという。

「……竜はパンゲアにしか存在しないんじゃなかったのか」

「私もそう思っていましたよ。しかし現にその鱗が見つかってしまった。ここ、人の大陸で」

「明日お前がココット山に行くのもそれが理由か……」

 【明星】の目標。ギルド創設時にブーゲルさんが立てた夢の話は聞いたことがある。

 世界一のギルドと、まだ誰も成したことのない偉業、竜殺し。

 シロウにとっては確かに見過ごせないことだった。

「お前……一人でやるつもりなのか?」

「いえいえ、まさか。団長が成し遂げられなかったことを私一人で出来るとは思いませんよ。明日から行くのはただの調査です。ほんとうに竜が居たのか、まだ竜が居るのか……どちらにしろ真実を確かめなくは行けません」

「……それで俺の勧誘の理由は? まさか竜の討伐を俺に手伝えと?」

「……ええ、その通りですよ」

 カズスはシロウの言葉を鼻で笑う。

「冗談だろ? 俺が竜に挑むだなんてまるで実力が足りていない。俺はラージウルフに逃げ回る程度の腕だぞ」

「……手伝いと言っても何も一緒に戦ってくれと言っているわけではありませんよ。先ほど言った通り私は今【明星】のことで手一杯でして、今回自分でココット山の調査に行けたのも奇跡に近いのです。……竜とは超一級の秘密案件です。私の代わりにこの件を進められる信頼の置ける人が欲しいのです」

「……お前が俺に信頼? それは本気で言ってるのか」

「ええ、本気ですよ。私と貴方にとって竜は宿敵です。違いますか?」

 シロウの言い分は正しい。ブーゲルが冒険者を辞めるきっかけも、その命を落とす原因になったのも、竜が深く関わっている。

 カズスも竜が憎いという気持ちがないわけではない。

「……生憎だが断るよ」

「……理由を聞いても? 貴方が私のことが嫌いなのは知っていますが、今回の話は貴方にとっても悪い話ではないはずです。……ヘリオス君も喜ぶと思いますが」

「……単純な話だ。そもそもお前が俺のことを買い被り過ぎている。俺にはお前のその信頼に応えられるほどの実力はない。……それにヘリオスだって、あいつにとって俺はただの重荷だよ」

「……そんなことはないと思いますがね」

「それに俺はもう衛士になったんだ。親父も歳だし……誰かがこの村を守らなきゃならねえ」

「……その割には衛士の仕事に身が入っていないような気もしますが、分かりました。今日のところは私も引き上げましょう」

 シロウはそう言って席から立ち上がった。真っ直ぐと扉のノブに手をかける。

「……そうそう言っておきますが、私は貴方の実力を過大評価しているつもりはありませんよ。貴方がちゃんと実力をだせば、本来バジリスクぐらい倒せるでしょうに……ガラドルグをまだ眠らせておくつもりですか」

 魔剣ガラドルグ。かつてブーゲルが使っていた黒い魔剣だ。黒剣のブーゲルの名前の由来となった剣でもある。

「あれほどの魔剣がこんな辺鄙な村で埃を被っていることを、普通の冒険者が知れば涙ものですよ。……もし貴方が使う気がないならいっそのこと僕が貰って差し上げましょうか?」

 シロウがノブから手を放してそう振り向く。カズスは強引に家の扉を開けた。

「出ていけ」

「……まあ、考えておいてください」

 シロウは夜の闇に溶けていった。

 カズスは家の扉を閉じると、そのまま自身の部屋のベッドに向かって横になった。ちらりと自身の部屋の壁を見る。そこには全身が真っ黒の大きな剣が置かれていた。

 ガラドルグの黒い刀身。月明かりに照らされてカズスの姿をそれはしっかりと反射していた。

 カズスは目を閉じて静かに眠りについた。

 


 

 

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