これをお渡しします

六散人

 

「これをお渡しします」

突然俺の前に現れたその女は、手を前に差し出してそう言った。

――は?意味分かんねえ。何この女?


女の手には何も乗っていない。そして女は酷く怯えた表情をしていた。

「確かにお渡ししましたからね」

女は早口で言うと、逃げるように走り去って行った。俺は唖然としてその姿を見送る。


その時、耳元に粘つくような声が聞こえてきた。

『よお。次はお前か?よろしくな、相棒』

その声が聞こえるのと同時に、体に何かが纏わりつく感触が伝わってきた。

しかし、実際には何も見えない。


――ちょっと待ってくれ。何だよこれ?

それは俺の体に纏わりつきながら、動き回っているようだ。

その感触が酷く気持ち悪い。


――何だこれ?もしかしてあの女、俺に悪霊でも付けやがったのか?

俺は必死で体中を叩いて、それを振り払おうとしてみたが無駄だった。

『つれないことするなよ、相棒。仲良くしようぜ』

俺の耳元で囁く声は、とても邪悪な音色を響かせる。

耳にかかる吐息まで感じられた。

俺は呆然と立ち竦む。


翌日。会社に出勤した早々に俺は課長に呼ばれた。

いつもの説教だ。

やれ、営業成績が悪い。

やれ、根性が足りない。

やれ、やる気が見えない。


見せしめのように説教は続く。

俺は大概切れそうになった。その時、耳元でそいつが囁いた。

『こいつ、殺してやろうか?もちろんお前が頼んだなんて、金輪際ばれないように』


――頼むよ。こいつ、超むかつくんだわ。

思わず俺はそう思った。

『よし。取り敢えずお前は席に戻れ』

課長の長い説教が終わって、俺は席に戻る。

途中、俺への嘲笑が周り中から聞こえてくるようで、物凄く恥ずかしかった。


俺が席についた途端、ガタンとオフィス中に大きな音が響いた。

音の方向を見ると、課長が倒れて苦しみもがいている。

オフィス中が騒然となる。救急車が呼ばれ、課長は担架に乗せられ、運び出されて行った。


結局課長はそのまま死んだ。急性心不全ということだった。

『どうだ。上手くいっただろ』

俺の耳元でそいつが囁く。

体に纏わりつく感覚が大きくなった気がした。


――やばい。こいつ何とかしないと。

そう思った俺は、ネット上で有名な霊媒師を訪ねた。

「あなた、凄いものに憑かれているわね」

70代くらいに見えるその霊媒師は、目を剥いて言った。

「それを祓うのは結構高額になるけど、いいかしら?」


――いくらくらいするのだろう?

俺がそう思った瞬間、そいつの怒声が響く。

『俺を祓うだと?巫山戯るなよ、この糞女』

俺の目の前で、霊媒師は口から泡を吹いて苦しみもがき、そのまま息絶えてしまった。


俺は怖くなって、その場から逃げ出していた。

『おい、相棒。つまらないこと考えるなよ。仲良くやっていこうぜ』

いやらしい囁きが聞こえる。

また体に纏わりつく感覚が、大きくなった気がした。


翌日俺は、気怠い体を引きずって得意先回りに出ていた。

気分が酷く沈んでいる。

こんな時に限って、得意先のヒス女に捕まってしまった。

「あなたねえ。この前頼んでおいた、請求書がまだ届いてないんですけど。期限通り出してくれないと、処理できないのよ。どうなってるの?」


――ああ、鬱陶しい。お前が期限ぎりぎりに言ってくるからだろう。

そう思った瞬間、耳元で声が囁く。

『次こいつだな。任せとけ』

途端にヒス女が泡を吹いて、その場に倒れる。

オフィス中が騒然となる中、俺は呆然と立ち尽くしていた。

結局ヒス女は病院に運ばれたが、搬送中に死亡したようだ。


また、体に纏わりつく感覚が大きくなる。

段々と体も重くなっていく。

『お前はまったく居心地がいいな、相棒。これからもよろしく頼むぜ』

俺は、心底怖くなった。


――こいつを何とかしないと。しかし、霊媒師でもダメなやつをどうやって?

そう思いながら、街中を歩いていると、あの女がいた。

俺にこいつを押し付けた奴だ。


俺は女に駆け寄ると、腕を捕まえて言った。

「あんた、何で俺にこんな奴を押し付けたんだ」

女は怯えた目で俺を見る。

「本当にすみません。でも、私そいつが恐ろしくて。どうしようと思っていた時に、そいつが言ったんです。あなたに渡せと」


――何勝手なこと言ってんだ。お前のせいで俺は。

そう思った瞬間、耳元で囁く声が聞こえた。

『この女は全然駄目だったんだ。1人殺してやったら、びびりまくってよ。だから、お前に渡すように命令したんだよ、相棒。じゃあ、こいつも殺すぞ』

その瞬間、女はその場に倒れて痙攣し始めた。


俺は心底恐ろしくなって逃げ出した。

背後から騒然とした声が聞こえてくる。

翌日、俺が会社にも行かず部屋に引きこもっていると、インターフォンが鳴った。

何だろうと思い、出て見ると、カメラにスーツ姿の男が映っている。


「〇〇さんですか?〇〇警察署のものですけど」

――警察?何の用だろう?

訪ねてきたのは刑事で、俺はそのまま警察署に連行された。

俺にこいつを押し付けた、あの女を殺した容疑が掛かっているらしい。


刑事の取り調べは執拗だった。同じことを繰り返し訊かれる。少しでも供述が違うと、そこをしつこく追及された。

俺は段々と腹が立ってきた。

――俺は何もしていない。殺したのはこいつだ。

『じゃあ、次はこいつな。お前って、本当に居心地がいい奴だな』


刑事は机に突っ伏して、苦しみもがき始めた。

そして俺も。纏わりつく重さに耐えられず、呼吸が苦しくなる。

意識が遠のき、脈拍が異常に速くなった後、突然心臓が停止した。

『ちっ。こいつも大して役に立たなかったな』

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これをお渡しします 六散人 @ROKUSANJIN

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