それ保留って言ったじゃん
黄間友香
第1話
会社に着くと、まずは話が進んでいる分の確認をする。会議ツールAIが退勤後も私に代わって会議を進めてくれているので、追いつかなければいけない。私はコーヒーを片手に多田さんのAIとの会話履歴のまとめに目を通した。月曜日だからやる気がないのか、今日のまとめは特に酷い。読む気を失くしそうになりながら、ズルズルとコーヒーを啜った。大雑把なのはまだ許せても、さっぱり的を射ていないことを書いてくることもあるのでうんざりする。でも、これが私だ。AIからもらった成果物を見るたびに、自分の短所が浮き彫りになるのは責められているみたいでなんとも言えない気持ちになるけれど。
読み進めていると、赤字ではっきりと緊急事態とあった。一旦保留と指示したはずのT社との契約が勝手に進んでいるらしい。T社は会社の売り上げの半分ぐらいを占める会社なので、慎重に進めなければいけないのに非常にまずい。慌ててAI会話履歴を開くとデイリーミーティングで私が多田さんのAIに詰め寄っていた。
『多田さん、なんで契約の話進めちゃったの?』
『え、鈴木さんこの間、上長からの承諾もらったから大丈夫って言ってましたよね? 進めておいてって指示もらってたはずですけど』
そもそもの前提が間違っている。私は頭を抱えて唸った。
『いやいや。あの後、私連絡したよね? 三日前ぐらいに保留にしてって言ったと思うけど?』
『え……あー、見てなかったです。その時、田所さんからすごい連絡来てて……流れてました』
多田さんは基本的には仕事も丁寧なのに、沢山のやりとりを同時進行で処理することが苦手らしい。会議ツールAIにとって致命的なミスをしてしまうせいで、時々こういうことが起こる。私は続きを見ようと会話履歴をスクロールしたけど、それ以上は下に行けない。会話履歴を閉じる時、ポップアップが出てきた。
『これ以上はAIだけでは作業ができないと判断した為、本人同士での確認をお願いします』
嘘でしょ、と画面に向かって思わず呟く。絶対わざとここで止めて、生身の人間同士で解決するように引き継ぎされている。最近、AIの小賢しさがどんどん増してきた気がする。前は補佐役としての責任をしっかり果たしていたのに、私の思考に寄り添いすぎて、面倒なことを後回しにする癖がついている。それによって仕事が遅れて上長からわざわざ連絡が来るようになっていたから危機感は持っていたけど、今回のはAI同士で対応して欲しかった。これだと夜に作業が進んでいる意味がない。
「やっぱりもっと能力の高い会議ツールAIが欲しいな」
すでにマグカップにコーヒーはほとんど残っていない。自分でやらなければいけないと思うと、気が重かった。
うちの会社は旧型のAIを使っているから、AIが代理で喋っているだけで能力は個々の持っている能力と同じになっている。AIは会議の代理や、退勤後にも働き続ける私や多田さんの第二シフトのようなもので、24時間働き続けているだけだ。
一方新しいバージョンは、AIの対話と対話で作業を進めるというよりかは、一つの強大な知識を持つAIが、すべてのタスクを行うらしい。全てが一括保存されているから情報の漏れがないのはもちろん、優秀な人材の思考を学習させて作ったAIだから、仕事も早い。膨大な情報などを全て一つにまとめるなんて、テクノロジー史の一ページ目に出てきたようなやり方だなと思うけれど、多くの企業が一括管理の学習AIを導入し始めている。ひと昔前だと、一括集中はタスクが多すぎてAI自体に問題はなくても出力が不可能と言われていたけど、それも可能になった。実際、顧客でも新しいバージョンの会社だと、仕事は丁寧で速いし、人当たりもよくて物事がスムーズに進む。
うちの会社でも導入しないかなと思いながら、会話のチャットを閉じて他の項目にも目を通す。AIが止めたということは、直接多田さんに話せというAIからの指示だ。多田さんの始業はあと十五分後だから、もしそのほかにも何かあるならまとめて尋ねた方がいい。細々としたところを見ても、多田さんの丁寧な仕事に、特に綻びはなかった。
多田さんがオンラインになったと通知が来たので、早速ビデオ通話をする。入社してから数回しか使ったことがないからやり方が分からずに苦戦した。ようやくつながると、多田さんの顔が画面に映る。随分と印象が違くて驚いた。多田さんのアイコンははっきりした目鼻立ちをしていて歯を見せて笑っている。多田さんのAIもハキハキとしているので、明るい人なのかなと思っていた。画面に映る多田さんはどちらかというと薄顔で、あらぬところに視線を彷徨わせている。少し戸惑ったけれどそれどころではない。T社の契約について、なんとかしなければ。
「あの……えっと、鈴木です」
「はい……」
何度か続けて咳払いをする。背中から嫌な汗がダラダラと流れた。人と会話をするのが久しぶりすぎて自分の声がおかしいように思える。
「……T社について」
「そう……ですか……はい」
AI越しの会話だと表情がなくポッカリとしているのに、いざ本人が目の前にいると、なんて言って良いのか分からない。口をパクパクとさせているのも映っているのも恥ずかしい。
「後で……チャットします」
なんとかそれだけ絞り出して、私は電話を切った。社内でのコミュニケーションはAIがやっている。だから、生身の人間と喋ることはほとんどない。電話を切ると、AI同士の会話録は進んでおり、T社とも既に話がついていた。慣れないことをするべきじゃないなと思いながら、私は通常業務に戻った。
それ保留って言ったじゃん 黄間友香 @YellowBetween_YbYbYbYbY
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