過剰な自意識を浄化したい

行方不命

本文

 「この子、永く生きられるかな……」町のお医者さんが呟く。呟いたらしい。母いわく。現在母は九十一歳。軽い脳梗塞で、高次機能障害になり、時折、言動に信憑性が無くなる。

 「よくあなたをおぶって、先生の所へ駆け込んだものよ」僕の記憶の中では、それは父の背中だった。今でもその時の温もりは覚えている。

 まぁ、ともかく僕は子供の頃、虚弱体質というやつだった。小児喘息持ちで、当時の僕の周りにはいなかった、今で言えばアレルギー性鼻炎のような症状で、年中鼻の調子が悪く、一度は、音楽の授業の合唱の時に、タラーっと綺麗に鼻の穴から垂直に鼻水が床へ落ちたのを、クラスの女子に見られ、いじめられたこともある。心も虚弱体質だったのだ。

  そんな僕の体質を改善しようと、両親は健康学園へ入れようと考えた。健康学園とは、虚弱体質な児童を、空気のきれいな場所にある学園で、健康的な集団生活を、半年くらい送る所だった。

  当時の健康学園は、昔の関西で言えば、「そんな悪いことしてると、吉本入れるで」と言われていた、吉本に値する所だった。

 結局教師の勧めもあって、入学という運びとなった。


  僕は当時、小学三年生。ひとりっ子ということもあり、過保護に育てられていたのは、当時でも自他ともに認めていた。親元を離れるのも、ましてやそんな長い期間集団生活するのも、初体験だ。それでも出発当日は意外とワクワクしていたのを覚えている。バスを見送る母の方が涙を流していた。


 しかし、学園に着いての最初の夜は、とてつもないホームシックに襲われた。布団を被って泣いていた。

  周りは皆、虚弱体質という共通項があるせいか、思いの外友達が出来やすかった。我ながら順応性がある。

  ところが、一つだけ、思いっきり順応出来ないことがあることが分かった。それは、トイレだった。これぞ、ひとりっ子で、ぬくぬくとしたビニールハウスのような狭い世界の過保護の中で育ってしまった弊害なのであろうか。兄弟などの身近からの攻撃、視線、に晒されないので、自意識だけが過剰に大きくなってしまった。ともかく恥ずかしい。 小の方は平気なのだが、大の方のトイレに入ること、行為をする事が出来ない。

  食事は普通に摂るわけで、するとそれが溜まるわけで、それには限界があるわけで、その限界が、お風呂の時間の直前に来た。

  固めだった、なのでバンツからはみ出て、それがズボンというトンネルを抜けて、落ちてしまうのではないかと不安になり、とりあえず椅子に座って、潰し、おしりに押し付けてみた。

 さぁ、これからお風呂だ。どうやって服を脱いで、どうやってお風呂に入るか。まずは脱衣所に誰もいなくなるまで、中と外を行ったり来たりしながら、様子を見る。全員が風呂場に入ったところで、急いで全部脱ぎ、パンツを、全員の洗濯物をまとめる籠の奥の方へ突っ込む。

第一難関クリア。

  次の難関は、どうやってうんこがくっついてあろう尻を見られずに、洗い場へ行くかだ。幸い、洗い場は湯気で見にくくなっている。尻は脱衣所の方へ向けたまま、洗い場へ入り、その体制を崩さぬように、桶を取り、椅子を取り、洗い場へ素早く座り、急いでシャワーを浴びて、流す。すると茶色く変色したお湯が、僕のお尻を通して流れていく。座った位置が、一番脱衣所よりの端っこだったので、誰にも気付かれなかった。安堵。

  その後は何事も無かったように、明るく振る舞い、湯船に漬かり、脱衣所へと戻った。もうすでに、全員の洗濯物はなくなっていた。あったら、脱衣所が臭かっただろう。


  翌日、職員室に呼び出された。

「お腹の調子が悪いのかな?」担任は女性の先生だった。「大丈夫?」。こういう所だから、メンタル弱めの子も多いと思うので、問いかけも優しい。そりゃ、集団生活では、パンツに名前は必須。すぐ分かる。

「大丈夫です。ごめんなさい」

「いいの、いいの、気にしないで、早めにおトイレへ行くようにしてみてね」一回先生が一緒にトイレまで付いてきてくれた。その先生のおかげで救われた。それだけでトイレで大ができるようになったのだ。 


 しかし、ある日熱を出してしまった。すると、隔離する意味もあって、療養室みたいなところに入る。そこは三畳くらいだったろうか、テレビと布団が置いてある。そこに僕一人かと思いきや、なんと、女子が二人。しかも一人は皆の人気ナンバーワンの可愛い女の子。小三の僕より年上の六年生だ。その三人で一人一畳の世界だ。

 二人の女子は仲が良く、おしゃべりしてる。その時点で僕は緊張と恥ずかしさ、それと憧れでガチガチ。

 ひたすら寝たフリをした。今回は大の方は催さなかったけれど、膀胱の方が溜まってきてしまった。しかし、また自意識過剰が発令された。トイレへ行くことができないのだ。僕はずっと寝たフリを決め込んでいたので、そこから自然に目覚める動作というのがわからなかった。なんか不自然に見えてしまうのをとても怖がった。体はどんどん固まり、膀胱はどんどん膨れていった。あー、限界だ。出てしまう。放尿。

 じわーっと、パンツからパジャマへそれから布団へと侵食していく。すると、「何か臭くない?」と女子が。僕はもちろん寝たフリを通している。その時についてたテレビ番組は、忘れもしない「妖怪人間ベム」だった。あの決めゼリフ「早く、人間になりたい」の逆バージョン「早く妖怪になりたい」とその時布団に潜りながら切に思った。布団をめくったら妖怪だったってなったら、おもらしのことなんか、どうでもよくなるだろうし。

 その後女子二人は出ていって二度と戻っては来なかった。


  こんな大きな失態を二回もしたら、噂でも広がって、虐められるかと思いきや、何も聞こえてこなかった。皆、繊細な心を持っているのか。助かった。

  その後、元々性格的には明るいので、楽しく過ごしていたが、また事件が。今度はひょんなことから、クラスメイトと喧嘩になった。その時の相手が怒りに任せて、

「このウンコ漏らし!」と罵倒してきた。やっぱりみんな知っていたんだ。ここでガクッと落ち込み、戦意喪失するかと思ったら、アドレナリンが放出されたのか、自分でも、どこにそんな気力があったのか、と思うくらい、今でもスローモーションで思い出せる、僕の右手がボクサーのように、相手の顔面に向かって伸びていったのだった。それは相手と机を押し倒した。初めて人を殴った瞬間だった。多分相手が少し軽薄で、気弱そうだったからかもしれない。

 それ以来、僕の学園でのヒエラルキーは上がった。年上のヤンチャなグループに誘われた。ヤンチャと言っても、虚弱なヤンチャですから、それなりですが。またここで恥ずかしいことが。その仲間に入るには、儀式があって、顔全体に歯磨き粉を塗りまくり、学園中、校内から校庭まで「オ◯ンコ軍団だぁ」「チ◯コ軍団だぁ」と叫びながら走り回るというものだった。いや~、書いていて恥ずかしい。しかし不思議なことに、段々とハイテンションになって、お祭りのような高揚感に包まれ、呆れたように放っておく先生たちを横目に、走り回るのが気持ちよくなってきた。暴走族もこんな気分なのだろうか。


 たった半年にそんな経験をして帰ってきた。帰ってきたら、帰ってきたでまた一つの黒歴史が。

 帰ってきて早々に地元の小学校が運動会前の練習期間に入った。リレーの選考会があった。僕は健康学園でのタイムを聞かれた。そんなもん覚えていない。測ってもいなかったような。どのくらいだっけと考えている風を装う。隣りにいた計測係の持っているタイム表を覗いてみる。何を思ったのか、一番上と二番目のタイムの間になるように、口からでまかせの数字を告げた。「早いじゃん」と周りに言われる。なんでそんな嘘、見栄を張ってしまったのか。多分まだ、健康学園のヒエラルキーが残っていたのだろう。また違う自意識が出てしまった。

 練習ではもちろん誰よりも遅い。「なんか、調子悪いな」と独り言をつぶやき続ける。周りも少し眉唾物なのではと思っているような空気感を感じた。


 そして運動会当日。前走者がトップをキープして回ってくる。バトンを受け取る。徐々に追い上げられ、抜かされていく。とうとう最後尾に。そのままバトンを渡さずに走り抜けて、どこか遠くへ行ってしまいたい、っとこのときほど思ったことはない。

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過剰な自意識を浄化したい 行方不命 @ryo-u2020

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