第22話

 目を覚ますと、武命は、病院のベッドの上にいた。ふと視線を横に移せば目を赤く腫らしている妹の姿がある。戻って来たのだ、と漠然と思った。安心感と喪失感が入り混じっていた。

 後から話を聞けば、この五日間、武命は山の中をずっと捜索されていたらしい。痕跡だけが残されるばかりで、本人は見つからなかったのにも関わらず、山での捜索を終えて範囲を広げた五日目、「さぁ、山を降りて他を探そうか」となった時、偶然、山を掃除していた和尚さんが倒れている武命を発見したとのことだ。山の中で五日間も行方不明になっていた武命だが、傷一つなく、至って正常な状態で見つかったものだから、人々は揃って首を傾げたと言う。

 あの世界は夢だったのかと落胆していると、自分の制服から一本の鉛筆とメモが出て来た。自分の鉛筆ではないが、見覚えがある。それに付属していたメモを見れば、「忘れるな。十月十二日」と達筆な字で書かれていた。ミコトの字である。武命は気の利く彼女に感謝を込めて鉛筆を大切に握りしめた。この世界を離れる前より随分と穏やかな顔をしていた。


 あれから、武命は就職を決意した。しかし、夢を諦めて生きることはできなかった。大切に保管された鉛筆が夢を忘れさせなかった。絵を描くことで、不安を昇華させていた。それが、一番『生』を実感できた。

 あまりにも多くの絵を描くものだから美琴はその絵をSNSに掲載した。武命の絵を掲載するだけのアカウントは、いつしか話題を呼んだ。特に紅葉の絵は人気が高く、その絵を買いたいと言う人まで現れた。美琴は兄の夢に気づいていたのだ。自分を養うために夢を手放した兄に思うことがあった。彼にチャンスが訪れたのである。このチャンスを、まさかみすみす逃せるはずがない。

 美琴は早速、絵を買いたいと言う人と連絡を取った。個展を開かないかと言う人とも連絡を取った。美琴の勇気ある行動が実を結び、武命はいつのまにか画家として世間から認知されていた。

 そのことに気がついたのは、就職先の会社で「ファンです」と一人の女性が言ってくれた時だった。会ったことはないが、見覚えのある、美しい女性だった。男に劣らないかっこよさを兼ね備えた、そう、まるでミヤビのような。


 武命は、人気が出ても、仕事を辞めることはなかった。十分、絵で生計を立てることができそうだったが、それでも、仕事をしながら謙虚に生きていた。

 ふと、美琴は理由を聞いたことがある。彼は「今の仕事は楽しいし、収入も安定している。平和な世界で絵が描けるなら、それだけで身に余る幸福だ。それ以上を望みたいと思えない」と少し哀しそうな顔をして笑っていた。美琴はそれ以上、深く聞くことはなかった。美琴自身もまた、兄が隣で生きて笑っていることだけで十分だと、兄の失踪を受けて感じていた。

 彼の描く絵は、明るいものもあったが、暗いものが多かった。その絵に魅せられた者は、数知れない。老若男女問わず、武命の絵は人の心を動かした。彼のファンは、こんなことを語っている。「武命の絵は、心の叫びであり、残酷な世界の真理であり、絶望に寄り添う温かな光である」と。

 そんな評価を受ける作品には必ず、あの世界の光景が描写されている。


 武命がここで生きていることが、彼がそこで生きている証。今も武命は鮮明に思い出せる。あの残酷な世界、彼がくれた時間、忘れていた大切な想い。そして、生きることで生まれた、不思議な物語を。


 今日もまた武命はキャンバスを広げる。筆を握り、無を彩っていく。心のままに、壮大に、物語を紡ぐように。

 そんな彼を見守るのは、一枚のモノクロの絵だった。タケルに渡したものと対になっている絵。大きな門を挟み、同じ顔の男の子が互いを見つめ、手を合わせて微笑んでいる。門の先は暗い闇の世界だが、それでも、男の子の目には光が映されている。色のない絵は、温かくも、冷たくも感じられた。

 武命のキャンバスを覗くようにして、紅葉の葉が四枚、清々しい風に乗って家の中に入る。武命はそれを拾い上げると、微笑みを浮かべ、幸せそうに紅葉を見つめた。ふと外を見れば、太陽の光が彼を照らしている。快晴だった。




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