第21話

 騒ぎを聞きつけたサトルは、とあるの希望を手に、現場に駆けつけた。


「どうだ」

「ダメだ。血が止まらない」


サトルの状況確認にミヤビも事務的に答える。


「仕方ない、これを使え」


サトルはそう言うとミヤビに注射器を渡した。それはかの回復薬であった。それを見た途端、タケルの動きはピタリと止まる。


「駄目です、それは……!」


ようやく言葉にしたかと思えば、ぶつぶつと、回復薬の使用を批判し始めた。例のトラウマが蘇ったのである。脳裏にフラッシュバックする使用時の痛みと、他人に使った時のこと。彼はミヤビから回復薬を瞬時に取り上げると、そのまま叩き割ろうとした。

 が、しかし。地面に伏せている武命と、目が合ったような気がした。正確には、武命はもう意識を手放そうとしていたため、視線が交わることはない。だが、その目が、『生きたい』と訴えているように見えてしまった。

 何とか思い止まり、掌の中の回復薬を見る。ガタガタと震えているのが自分でもわかった。


 使えば生きられる。使えば人の道を外す。


 何が彼にとっての幸せで、正解なのか。もう何もわからなかった。

 人間とは、どこまで生かしても良いものなのだろうか。生きることが、それほどまでに大事なのだろうか。

 彼が死ねば自分も死ぬ。生かすにしても殺すにしても罪は死を以て償う事ができる。ならばいっそ、殺してしまっても良いのではないかと思う。元より彼は死ぬつもりだったのだ。人の道を外すくらいなら、人のまま死ぬ方が幸か。

 否、生きたいと思ったから門を探し始めたのだろう。ここで死んでしまったら、一体、彼は何のために危険を冒してまで戦場に来たのか。それに、彼が死ねば世界のバランスは崩れる。そうなればみんな終わりだ。終わりなのだ。

 あぁ、それもまた一つの運命だろうか。


 ぐるぐると、目が回るほどの思考を繰り返すタケル。彼は錯乱状態にあった。洗脳された頭では、己の思考はノイズにしかならない。故に何者にもなれなかった。いっそ、狂ってしまえたら楽だっただろう。或いは、己の意思を貫き通す事ができれば。しかし、現実は上手くいかないものである。


 サトルは呆れた様子でタケルに近づき、彼の手にそっと手を添えた。


「震えていたら、上手く使えないだろう」


妙に落ち着いている彼につられ、ハッとする。電流が走るような感触が手から身体へと伝っている。あたかもエネルギーを補給するように、彼の手はタケルに力を与えた。


「彼が死にたかったのなら、あの戦場で、もうとっくに死んでいただろう。でも、彼は生きていた。それが答えだ」


チカチカと目の前が火花を散らす。目が眩みそうになる中で、タケルを支えるようにして、もう一つ、温かい感触が肩に触れる。


「命の恩人を恨むような男ではない。それは、お前が一番よくわかっているんじゃないか?」


ミヤビは優しい声色で彼に言った。それを見ていたミコトは、続けて力強く問う。


「彼には門が見えていました。貴方には、門が見えていますか?」


タケルは武命の目指していた方向を見据えた。


 ぼんやりと、門が見える。三メートルほどの古い木の門。タケルは大きく目を見開き、茫然と口を開いた。


「門が、開いている」


 そこからは早かった。彼を生かすことが義務にさえ思えてきた。「回復薬を使ったらどうのこうの」は頭から抜けていた。タケルは、彼に生きて欲しいと思った。この先、どんなに辛いことがあったとしても。だからこそ、回復薬を使う判断をした。私を恨むのなら勝手に恨めば良い! 二人の手を振り払い、武命に薬を打ち込む。タケルは額から汗を流し「間に合え」とばかり心の中で念じた。

 断末魔の叫びと共に武命の体は癒えていく。タケルはその叫び声に目を瞑りたくなった。が、不意に腕を引かれて目を開く。武命は彼を自分の方に引き寄せると、肩で息をしながら「ありがとう」と言った。じっとりと嫌な汗が吹き出している。患部がまだ痛むはずである。呼吸さえもままならない。そんな中で、武命は感謝の言葉を述べたのである。


 タケルはこの時、思い出した。彼には、医者を目指していた時期がある。人を助けたかったのだ。父を失い、遺された母は、毎日のように咽び泣いていた。その顔を、見たくなかった。死とは生きている限り必ず訪れるもの。だからこそ、その死を可能な限り遠ざけたいと思っていた。母は言った。生きてさえいれば、いつか笑うことができると。それを信じて。

 今はどうだろう。夢への道が閉ざされ、全く異なる立場になって、自分の願いまで捨ててはいないか。

 真の目的は笑顔を守ることだった。果たして今は笑顔を守れているだろうか。人をただ殺すばかりになっていないか。自分の家族を、悲しませていないだろうか。


(私が自棄になっていた時、ミコトはどんな顔をしていたのでしょう)


思い出せなかった。見てすらいなかった。自分さえ良ければ良いと思ってしまっていた。妹を守りたいと思いながら傷つけていたのは他でもない、私だった!


 タケルはキュッと唇を噛むと、無理に笑顔を作ってみせた。歪な笑顔でも、心が満たされていたことに嘘はなかった。


「こちらのセリフです。貴方のおかげで、大切なことを思い出すことができました。ありがとうございます」


タケルは武命に肩を貸すと、門の方へと、歩を進めた。


「帰りなさい、元の世界に。家族が貴方の帰りを待っています」


弱々しく「あぁ」と答えると、武命も、無理に口角を上げた。寂しくなる気持ちを押し殺し、言葉を紡いだ。


「どうか、元気で」


武命が門に手をかけると、門はゆっくりと開き始め、向こう側の光を二人に見せた。


 連れ戻したい気持ちを突き放すようにして、タケルは彼を門の中へと押し込む。


 最後に、彼の心からの笑顔を初めて見た。「あんな顔もできるのか」と感心していると、サトルから「お前、そんな顔もできたのか」と言われたのだから驚く。ミコトから鏡を渡され覗いてみれば、彼と全く同じ、幸せそうな顔で笑っていた。


 武命が帰った後、門はすっかり消えていた。二度と、タケルの前に現れることもなかった。

 彼との五日間は長いようであっという間で、幻だったのではないかとさえ思えた。

 しかし、武命は一つの土産を残していった。その土産だけが、彼の存在を証明する証拠品となった。


 額縁に飾られたそれは、彼がいなくなって、随分と経った今でもタケルを励ましてくれる。紅葉の季節になる度に、タケルは、鮮明に思い出すのだ。彼がくれた時間と、大切な想いと、自分の素直な心を。


 今日もタケルは、今を生きる。残酷な世界と戦いながら、必死に今を生きている。いつか、彼が話していた「争いのない世界」を目指し、勝利に向かって。仲間と共に、前へ。

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