第20話

 この世界に来てから、四回目の朝が訪れる。武命は早速、タケルの手を引いて外へ出た。


「どこへ行こうと言うのです?」

「どこでも良い。二人で話がしたい」

「それはまた……」

「良い場所があるなら言ってくれ。なければ、この前の山まで行くぞ」

「……そう、ですね。静かで、誰も来ない場所を探しているのなら、山でなくとも森で良いのではないかと」

「なら、そこに案内してくれ」

「その前に、この手を離しませんか?」

「ダメだ」


これでは駄々を捏ねる子どもと、その母親だ。タケルは酷く恥ずかしさを覚えた。赤面する彼を気にせず、武命は歩き続ける。タケルはもう、半分自棄になりながら森へと導いた。

 森の奥へと進めば、川のせせらぎが聞こえて来る。黒雲が太陽を隠しているせいか、肌寒さを感じる場所だった。風が冷たく吹きつけて、川の水面を揺らしている。 


「それで、話とは?」

「お前の本音が知りたい」


間髪入れずに言う武命に、タケルは口籠る。


「俺はお前じゃないから、お前のことを完全に理解することはできない。だけど。俺から見たお前は、嘘をついているようにしか思えない」


ぴちゃり、と蛙が川の中に飛び込む。身体こそ隠れているが、そこにいた事実はむしろ鮮明に残された。タケルは額から汗を流しながら目を背ける。


「自分を押し殺せば、それで事が済むと思っているのならば、その考えは改めた方が良い。『嫌だ』と言わなければ、ずっと苦しいまま、何も変わらない。いくら耐えたところで、その闇から抜け出すことはできない。トンネルも、歩かなければ出られないだろう?」


わかりやすく逃げ道を探しているタケルの腕を掴み、目線を無理矢理合わせる。


「はっきり言う、今のお前の行動は目に余る。自分さえ我慢すれば良いと思っているのか? その考えが、お前の足も、お前を想ってくれている奴らの足も引っ張っているのに?」

「ちょっと!! ……黙ってください」


珍しく感情的に声を荒げるタケルに驚いたが、それでも、武命は余裕の表情を崩さない。それどころか、内心、安堵している。


「声を上げて、何になるというのです。嫌だからやめてほしい。そんなことが通じるのなら戦争なんて起きませんよ。待て、殺すなと言われて待つ人がいますか? それと同じです。私さえ、我慢すれば済む話です。私がこの身を捧げれば、私が生きている限り、他の誰かに獣の牙が向くことはないのです。穢れた身体に泥を塗っても、大して変わりはありませんよ。それでミコトや仲間たちが苦しまずに済むのなら万々歳です」


言葉に力は込められているのに、腕を振り解くための力は弱い。戦争を知らない一般人である武命に勝てないということは、つまりそういうことであろう。


「よく言うぜ。それでお前が衰弱し、死んだらどうなる? 次の標的はお前の仲間だ。変わりなんていくらでもいるんだよ。だからこそ戦争は終わらないし、世界は回る。足りなくなれば補充すれば良い。次はもっと酷いかもな。より良い兵器を作ろうとするかもしれない。それがミコトになるかもしれない。お前の正義は独り善がりだ。都合の良い妄想ばかりで先のことを考えていない」


タケルは、奥歯をギリッと噛み締めた。反論の余地もない。返す言葉もなかった。


「なぁ、道具のような扱いを受けて、傷ついて満足か? お前の人生、それで良いのかよ」


武命はゆっくりと腕に込めた力を解くと、彼に優しく問いかけた。そして


「俺は嫌だね」


はっきりと、言い放った。


「よく頑張ったよ、お前は。ずっと頑張った。だから、我儘になっても良いんじゃねぇの? 助けを求めても、もう許されるだろう。お前を救う神は、お前が願えば現れるさ」


タケルは酷く震え出した。何かを言うわけでもなく、怯えた様子で武命にしがみつく。自分と同じ体格の男を胸に、武命は、ホッとため息を漏らすと、彼の頭を優しく撫でた。タケルの目から、ほろりと涙が零れ落ちる。始めこそ責められているようだったが、「よく頑張った」の一言が刺さった。優しさが、痛いほどに、胸を飽和していた。

 雲の間から一筋の光が射す。スポットライトの如く二人を照らす陽の光に、鳥達も祝福の歌を歌っていた。


 村に戻ると、早速、二人はサトルの元へ足を運んだ。

 武命同伴の下、胸の内を明かせば、サトルは安心したように笑って「わかった」と言った。

 タケルを家に帰した後、サトルは仲間たちに集合をかけていた。話すのにいっぱいいっぱいだった当人は気づいていなかったが、武命は、サトルがタケルの本音を伝言している様子を背で確認していた。これが果たしてどう転ぶかはわからないが、進展したことには変わりない。武命は満足げに前を向いて歩いた。


 そして帰宅後。タケルは妹と元・婚約者にも同じことを話した。妹は無言で頷き、微笑みを浮かべていた。目には微かに涙が溜まっていた気もする。元・婚約者は「知っている」と笑いかけると、タケルを抱擁した。


 武命の心残りはなくなった。いざ、帰ろうと外に出て門を呼ぶ。別れの言葉を告げようと、タケルに微笑みかけたその時だった。


 三発の銃声の後、武命は目を大きく開いて、その場に倒れ込んだ。その背後には、拳銃を手にした少年の姿があった。


「父さんの仇だ!!」


泣きながら叫ぶ少年を銃声を聞いて駆けつけた軍人たちが取り押さえている。タケルは言葉を失った。あ、だの、う、だの、稚児の喋り方で武命に近づく。膝を折り、彼の血に染まる背をそっと撫でた。べっとりと血が手に付着する。


「何をしている! どけ、早く応急処置を!」


比較的、冷静だったミヤビが動く。ミコトも、その声でやるべきことを思い出したのか、家の中へと戻り、医療セットを持って来た。武命は微かに何かを言おうと動くだけで、言葉にも、行動にもなっていない。突然の出来事にタケルは正気でいられなかった。治療の邪魔だと引き剥がされ、遠くから、次第に弱っていく彼を、ただ見つめることしかできない。

 武命の背中に、赤が広がっていく。いつかの紅葉のように。自分の手も、武命の血で真っ赤に染められている。いつかの紅葉のように。

 タケルは、声も出さずに発狂した。

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