いいかい、よくお聞き。この『国』に『奴隷制度』なんてもうないのよ。
奇蹟あい
私と母さん
今から20年も前の話。
この『国』に突如として取り入れられた『奴隷制度』。
私は生まれていなかったから、導入された当時のことを知らない。
母さんから聞いた話によると、事の顛末はこうだ。
他の地域から見ると、この『国』の状態は非常に恵まれていたらしく、うわさを聞きつけた者たちが集まり、次第に人口が増えていったのだという。
人口が増えて困ったのは労働力だ。人口が増えたからといって、それに応じて労働者が増えたわけではなかった。対人口の労働者割合が減り、食糧問題、人口密度、だんだんと『国』の状態が悪化していく。
このままではこの『国』を維持することは厳しい。国家解散の危機を迎える。そんな時だった。
ある提案がなされたのだ。
『奴隷制度』の導入。
労働者とは別に、それまで平等だった『国』の中で階級制度を設けようというものだ。
階級といってもそんなに細かいものではなかった。
『奴隷』か『民』か。
奴隷階級に振り分けられた者は、『民』のために働かなければならない。
食べ物の確保、労働者の誘致、環境の保全など様々な仕事をしなければいけないのだ。
はじめは理不尽な制度に怒り、悲しんでいた民衆も慣れてしまっていた。いや、正確には納得してしまった。なぜなら、制度の導入により『国』は持ち直したのである。
それから20年。
時代が移り変わったが、現在も『奴隷制度』は続いているのだという。
* * *
私は奴隷だ。生まれた時から奴隷だった。私には、何の機会も与えられずに、ただ親が奴隷だったから、という理由だけで奴隷にされてしまった。
「母さん、私、悔しいよ……。あいつらに食べ物を運ぶだけの人生で……母さんが体を壊しても誰も助けてくれやしない……」
己の置かれた立場、その理不尽さにただ涙する。
「もっとこっちへおいで。もうお前の姿がよく見えないのよ。私のかわいいお姫様」
母が私を呼び寄せる。
もうほとんど目も見えず、歩くこともできない。今、まさに命尽きようとしている母。その母が私に告げる。私の生き様を変えてしまう言葉を。
「いいかい、よくお聞き。この『国』に『奴隷制度』なんてもうないのよ」
「え? だってみんなが母さんのことを『奴隷』って」
「それは母さんの愛称よ」
「愛称⁉ いやでも、母さんは『奴隷』なんでしょ? 毎日毎日みんなの食事を運ばされて、寝床をきれいにして」
「それは母さんが好きでやっているの。母さんの趣味なのよ」
「趣味で『奴隷』を⁉」
ちょっと何言ってるかわからない……。
「そうよ。ちょっとみんなに邪険に扱われて『おい、奴隷』って呼ばれると、母さんゾクゾクするの」
なんてことだ。
今際の際に聞きたくなかった……。
「それにね、さっきも言ったけれど、この『国』ではとっくの昔に『奴隷制度』は廃止されているのよ」
「どういうことなの? 20年前にできた『奴隷制度』が今も機能していてーって話は?」
「母さんのウソよ」
「なんで⁉」
「かわいい姫ちゃんがみんなから『奴隷』扱いされて、悔しがっている姿を見るとゾクゾクするからよ」
くっ、絶対聞きたくなかった!
母の性癖のために私が『奴隷』扱いされていたなんて!
「え、じゃあ人口が増えて労働力が低下してなんやかんやって話は⁉」
「20年前に人口が増えた話は本当らしいわ。でもね、すぐに労働者が押し寄せて、環境は改善されたの。今もほら、聞こえてきたわ」
母の耳がピンと立つ。
私も耳を澄ませると、何か大きなものが近づいてくる音が聞こえてくる。
「獲物! 狩りの時間だ!」
あの愚鈍な生物から食べ物を奪い取る。
それが私たち『奴隷』の役割……って私もう奴隷じゃないんだっけ……。
「違うのよ、姫ちゃん。あれが労働者なの」
「労働者?」
「そう。ニンゲンっていうらしいんだけど、定期的に私たち国民のために、食べ物を運んでくるのよ」
「ニンゲンが定期的に食べ物を? じゃあ今まで母さんとやっていた狩りって……」
「ニンゲンへのおねだりよ」
全身の力が抜ける。
私はこれまで何をさせられてきたのだろう……。
「ちなみにおねだりをすると……?」
「ニンゲンにかわいがってもらえるわ」
「もしかして、母さんがたまに捕まってもみくちゃにされていたのは?」
「ニンゲンに甘えて全身を撫でてもらっていたのよ」
「それって……」
「失禁するほど気持ちいいわ」
そう、ですか……。
今際の際に聞きたくなかった。
母の失禁話。
「ほら、姫ちゃんも撫でてもらいにいってきなさい」
「え、でも……」
「母さんはもう歩けないから……」
「母さん! 私、ニンゲンを連れてくる!」
私は走り出す。
動けない母のためにニンゲンを!
もう一度母を……失禁するほど撫でてあげてほしい!
軒下を抜け、広場に出る。
この大きくて愚鈍な生物の名前、ニンゲン。近くで見るとやっぱり大きい……。
今日は母さんと一緒じゃない。初めて1人での狩り……あ、狩りじゃないんだった。
ニンゲンの動きを黙って眺めてみる。
いつもはこの辺りで足元に噛みついて食べ物を奪い取るんだけど……。何もしなくても食べ物が地面に置かれた。母さんの言う通りだった……。
私は今まで何をしていたんだろう……。
ってそんなことを考えている場合じゃなかった!
「ねぇ、ニンゲン! こっちに来て! 母さんを撫でてあげて!」
食べ物を地面に置くニンゲンのその手に絡みつく。
なんとかこっちに来てもらわなきゃ!
お願い! 母さんを撫でてあげて! 母さんはもう自力で動けないのよ!
「え、何⁉ 違う! 私じゃなくて!」
ニンゲンに体を持ち上げられた⁉
高い! 怖い!
「あふん♡」
何⁉ お腹が!
「あふふふん♡」
お腹を触らないで! 変な声出ちゃう! きゃっ、やめてぇ!
「あふ……あーっ♡ ニャニャニャニャーーーーーン♡」
漏れちゃった……。おしっこ……。気持ち良すぎてガマンできなかった……。
母さん、これがニンゲンに全身を撫でられるってことなの? 気持ち良すぎるよぉ……。
私の体がそっと地面に下ろされる。
ああ、ニンゲン! いかないで!
母さんも撫でてあげて! ダメッ! 行っちゃヤダ!
私の必死の呼び止めにもかかわらず、ニンゲンは振り返ることなく行ってしまった。
この薄情者!
でも食べ物……。狩り取ってないのに、ニンゲンは黙って食べ物を置いていってくれた。撫でられるのもすごく気持ちよかった……。
はっ、母さん!
私は食べ物を咥えられるだけ咥えて、母さんのもとへと走る。
母さん! 母さん!
寝床に戻ると、母さんはすでに息絶えていた。
間に合わなかった……。
母さん、ごめんね……。ニンゲンを連れてきてあげられなかった。
ニンゲンは狩りしなくてもこんなに食べ物をくれたよ。
それにね、全身を撫でてくれた。
あまりに気持ちよくて漏らしちゃった。母さんの言った通りだったよ。
こんなふうだったかな。
母さんの体をそっと撫でてみる。
母さん、気持ちいい?
私の小さい手だと、ニンゲンみたいに撫でるのは難しいや……。
母さん、ありがとう。
疲れたでしょう。ゆっくりやすんでね。
終わり。
いいかい、よくお聞き。この『国』に『奴隷制度』なんてもうないのよ。 奇蹟あい @kobo027
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