正解は知ってるけど、言えない

雲条翔

正解は知ってるけど、言えない

 今から話す私のエピソードは、これまで誰にも話したことがありません。


 自分がひどくちっぽけで、小心者だと知られてしまう内容だからです。


 ですが、後悔の「供養」として、ここで初めて語ろうと思います……。



 私が大学に入ったばかりの頃。


 最初の学生課との手続きで、「自分がどの講義を受けるのか」という履修届を提出したあと、その講義ごとの教科書を受け取る「教科書販売日」というのがありました。

(他の大学や、昔と現在で変わっていたりするのかもしれませんが、私がいた大学ではそうでした)


 教科書販売日の前には、「あなたの履修する講義だと、使用する教科書は全部で○○冊になるのでトータルで○○円を用意しておいてください」という明細リストが配布され、その金額を準備しておく必要があるのです。


 大学で使う教科書の単価は値が張り、それが20冊以上にもなると、数万円くらいになったはず。

 親が出してくれたので、自分の懐は痛まないのですけど。


 中には、講義を担当する教授が自分で執筆した研究書籍を「副読本」として買うように指示があったりして、

「毎年、講義を受講している学生全員に買わせているのなら、それだけでも印税は稼げるな。がめつい商売だ」

 と苦く思ったりもしましたっけ。


 教科書販売日は、大学構内の広い連絡通路で、祭りの出店のように「この教科書はここ」「ここから先は副読本」と、本が種類ごとに積まれて分類されていました。


 業者の人に声をかけて、自分の持ってきた明細リストを渡すと、あっちの出店に行き、こっちの出店に行き、リストにある教科書を全部揃えて持ってきてくれるシステム(両手で抱えるほどの冊数になります)。

 そこでお金を払って、教科書の山を受け取る仕組みです。


 大学一年生の私は、教科書販売日で受け取ったテキスト類に目を通して、「うわーこれ全部やるのかよー」と暗澹たる気持ちになっていました。


 そこで、「英語」のテキストに、なにか違和感が。


「英語」の「英文法」の教科書は、メインの教科書と、サブテキストである問題集の2冊。


 ですが、その問題集の巻末には「解答集」が袋とじ状態で、そのままついていたのです。


(これ見たら、答えが分かるじゃん……いいのか? 大学の講義ってのは、こういうモンなのか?)


 まだ大学に入ったばかりで、仲の良い友人グループや、気軽に相談できる人間関係を構築できていなかった私は、誰にも確認できず、「そういうものなのかな」と判断し、その日は問題集を持ち帰りました。


(解答集を見せるつもりがないなら、切り離してから販売するだろうし。このままの形で売るということは、解答集を見ながら勉強しなさい、というやり方で講義を進めるのかもしれない。なんにせよ、少しはラクできるぞ。しめしめ)


 中学・高校時代から英語の授業が苦手だった私は、家で「解答集」を切り離しながら、そう思ってニヤニヤしておりました。


 この時はまだ、訪れるであろう「恐怖」を考えもしなかったのです……。



 そして、初めての講義の日。


 受講人数は30人ほどで、狭い教室での講義でした。


 教壇に上ったのは、気が強そうな中年のおばさん先生。

 小太りで丸眼鏡、服装のセンスがやたらと派手でした。


 便宜上、「S先生」と呼びます。


 開口一番、自己紹介よりも前に「みなさんに謝らなければいけないことがあります!」とS先生は大きな声で言い放ちました。


「教科書を販売する時の手違いで、問題集の解答集をつけたまま、販売してしまいました。最初に切り離してから、渡すのが正規の流れだったんです。本当にごめんなさい」


(別に先生が謝ることでもないだろうに。それは教科書を販売する業者のミスじゃないのか?)


 私は呑気に構えていましたが。


「8人に販売したあとで、9人目の人が、おかしいんじゃないかと思って申し出てくれて、事態が発覚しました」


(ちっ、9人目め。余計なことを)


「そこからは、すべて解答集を切り離してから販売する措置を取りました。つまり、この講義に出ている人のうち、8人は解答集を持っていることになります」


 S先生は、教室中を静かに見渡し、睨み付けます。


「ズルはいけません。解答集を回収します。ズルをする分だけ、勉強においては自分が損をするんです。8人の皆さん、ここに持ってきて下さい!」


 またでかい声。


(こんな風に恫喝されたら、出るに出られないよなあ。そもそも、ラッキーアイテムをみすみす手放すかっての。誰も出ないだろ)


 と、私は思っていたのですが。


 がたん、がたんと、教室のあちこちから椅子の動く音。


 立ち上がった学生が、ひとり、ふたりと、切り離した「解答集」を持って、正直に返却しに教壇へ向かうではありませんか!


 中には、まだ切り離しておらず、「解答集」は巻末に袋とじ状態でついたままで「ハサミかカッター貸してください」という猛者までいます。

 眠そうな彼の目を見ると、「単純に、事前に中身をチェックしていなかったので、解答集がついてたなんて今初めて知った」という感じを受けました。


(なんでみんな、そんな馬鹿正直に返すの? せっかくの恩恵に預かりたくないの?  

 いや、そんな、全員が返すはずは……)


 さんにん、よにん、ごにん、ろくにん……しちにん。


 教壇の上には、7冊の解答集が出揃いました。


 最後の1冊は、言うまでもないですが、私が持っているのです。

 切り離して、家に置いてあります。


 今、ここには、持ってきていません。


 S先生の顔色が変わりました。


「ここには7人の正直者と1人の卑怯者がいます!」


 S先生は教壇を叩きます。


「私は卑怯な行いが大嫌いです!」


 これまでで一番、大きな声。


「これから皆の席を回って、まだ解答集がついたままの人がいないか、私が直接見てチェックします。問題集の巻末を開いてください」


(そこまでするのかよ……刑務所の看守が、囚人のボディチェックをするかの如く!)


 教室にいた学生全員は、言われたとおりに、机の上で問題集の巻末を開き、待機します。


 当然ですが、私の問題集からは、既に解答集は切り取られています。


 他の学生たちと条件は同じで、S先生が目にしても、気づかれないはずでしたが……いや、待てよ?


 私は雑な性格なので、切り取る時に、結構いい加減にザクザクとハサミで切りました。

 その「切り口」が、他の人と違っていたとしたら……怪しまれるのでは!?


 隣の席、名前も知らない学生の問題集を、横目でチラ見。


 私の問題集の切り口よりも、もっと荒く、ザクザクと切り取られた跡が見えました。


 そうか、販売した9人目から指摘があって、業者は大急ぎで解答集をハサミで切り離したのでした。

 急いでいた分、切り口が荒くて汚くなっても仕方ないのです!


 この証拠品Aから私が捜査線上にあがることは、なくなった! 

 密かに救われた気分でした。


 S先生が、私の席に来ます!


 内心ではドキドキでした。


 ちらりと問題集を見て、去って行くS先生。


(勝った……)


 全員をチェックしても、特定できなければ、S先生も諦めることでしょう。

 私の完全勝利!

 皆が知らない秘密を、私ひとりで占有しているかのような、妙な優越感がありました。


 ですが、そこからのS先生の行動は、私の予想外でした。


 教壇に戻ったS先生は、大きなため息をつき、


「最後のひとりが解答集を返してくれるまで、講義を始める気になりません。私は待ちます。早く出てきなさい」


 S先生は不愉快そうな表情で、教室の隅にあるパイプ椅子に腰を下ろし、腕組みしました。

 じっと黙って、教室中の動きを観察しています。


(バレるわけはない、バレるわけはない……)


 私は、冷や汗をかきながら、なんとか自分に言い聞かせて、安心させようとしていました。


 嫌な時間が流れる、沈黙の教室。


 ……5分が経過しました。


「さあ! 卑怯者のせいで、皆の貴重な5分が無駄になりましたよ!このまま講義を始めさせないつもりですか! 怒りませんから出てきなさい! 今すぐっ!」


(もう怒ってるじゃん……言えるかよ、今さらっ!)


 とてもではないですが、この空気の中、名乗り出る勇気は、私にはありませんでした。

 ただ、ただ、ひたすらに下を向いて、この地獄のような時間が早く過ぎ去ってくれと祈るばかり。


 重苦しい静寂の中、教室のドアをノックする音が。


 S先生がドアを開けると、学生課の事務員さんでした。


「S先生に言われたとおり、業者さんに聞いて、早い段階で教科書を受け取った学生を調べたんですが……」


(S先生、水面下でそんな調査を依頼していたのか! それで、「最初に渡した8人」を特定するつもりなのかっ!?)


 教科書販売日は一日のうちに、大量の教科書を大勢の学生に渡すので、業者が私個人のことを覚えているはずは無い!とはいえ。

 

 何時何分に渡したというレシートと、リストの個人名簿のようなもので、紐付けされていたとしたら……そこから犯人、つまりは「8人目」を割り出せるのでは!?


 当時、推理小説をよく読んでいた私は、すっかり「犯人」の気持ちになっていました。


(今日が大学の講義の初日……ここで「解答集」をパクッて黙っていたことが皆に知られたら、四年間、ずっと白い目で見られることになる……!)


 机の下で、膝が軽く震えました。

 爪先に血が通わず、冷たくなっていくのが自分で分かります。


「それでっ!? 分かったんですかっ!」


 やっぱりでかいS先生の声。


「結局、業者さんもそこまでは分からない、ということでした。誰が、教科書を受け取りにきたかどうかのチェック表はつけていましたが、時間までは……」


「そうですか……」


 落胆するS先生。


 私は、内心でほっと安堵のため息をついていました。

 決して表情には出さないように、細心の注意を払いながら。


 S先生は、教壇に戻ります。


「……10分経ちました。卑怯者は嫌いですが、卑怯者に邪魔されるのはもっと嫌いですので、講義を始めることにします。でも、ズルをする分だけ、損するという事実は、絶対に消えないので、この中にいる臆病で最低な卑怯者は、それを知っておいてください」


 私の称号は「卑怯者」から「臆病で最低な卑怯者」にランクアップしたようです。皆の知らないところで。


「今、ここで名乗り出にくいのならば、講義が終わってからあとで返しにきてくれてもいいです……さあ、講義を始めます。まずはテキストの最初のページを……」


 そして、気まずい空気の中、明らかに不愉快そうなS先生による講義の初回が始まりました。


 ゴタゴタがあったせいで、大幅に削られた残り時間では教科書の中身は大して進まずに、すぐにチャイムが鳴りました。


 それからも、結局のところ……私は「解答集」を返しに行けませんでした。


 S先生に怒られると思ったら、名乗り出ることはできなかったのです。

 その後も苦労することになります。


 難しかったのは、「正解の案配」。


 先にも言いましたが、私は英語が苦手なのです。


 ですが、家には魔法のアイテム「解答集」があります。


 S先生が「次回は問題集の○ページと○ページの問題を小テストで出題しますから、予習しておくように」と予告した場合、私はその正解を知ることができます。


 どこまで正解なら。

 どこまで不正解なら。

「解答集」を持っていない、「英語の苦手なヤツ」の回答レベルになるのだろうか。

 その「さじ加減」に、えらく気を遣うハメになったのです。


 当たりすぎると、「8人目はお前かー!」とバレてしまうでしょうし、かといって外れすぎると「何を勉強してきたんですか」と怒られるのは目に見えています。

 適度に、絶妙な具合に、当たったり、外れたりを考えなければいけません。


 S先生はとにかく怖いのです。


「解答集」を見ずに、全部自分の力でやれば済む話なのですが、英語が苦手な身としては「やっぱりラクしたい」と思って、解答集を見てしまいます。


 S先生の講義の時は、「犯人らしくないように」一言一句の言動に気を配って、精神的にやたらと疲れたのを覚えています。


 墓の中まで持って行こうとした秘密でしたが……こうして吐き出せて、正直、胸の内がスッキリしました。


 人間、正直が一番ですね!


 ちなみに、解答集は庭で燃やしたので、証拠はありません。


 偶然にも、このS先生のエピソードを覚えている私と同じ大学の人、あるいはS先生ご本人が、この文章を読んで「お前が8人目だったのか!」と身バレして、詰め寄ってきても、私は「え? 何のこと? 証拠あるの?」とすっとぼけると思います。


 どれだけ年が経過しても、S先生はやっぱり怖いのです!


 先程、「正直が一番」と言いましたが、「二番」に改めたいと思います。


 一番は「保身」。


 私、「臆病で最低な卑怯者」ですからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正解は知ってるけど、言えない 雲条翔 @Unjosyow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ