エピローグ

 意図的なことではなかった。

 ただ寝付くことができず、気づけばこんな時間になっているだけだった。

 だけれど、病室の窓に映る自分の醜い姿を見て、直感的に、自分がもう死んでしまうことを意識してしまった。

 ショックではなかった。

 以前から、ずっと覚悟を決めていたから。

 窓にはもう芽吹きそうな桜が見える。

 背景には、煌々と輝くビルの街が見える。

 なぜだかは分からない。

 でも、唐突に、彼の声が聴きたくなった。

 ポケットにしまっていたスマホを、もう動かすことがあまりできなくなった手で、全力をかけて取り出した。

 留学している彼が、電話に出てくれるかは分からない。

 だけれど、最後に少し、欲張りになってみたかった。

 ――プルルル。

 コール音が、静寂の病室に響きわたる。

 何コールしたんだろう。

 彼が電話に出た。

「もしもし?」

 少し不機嫌で、早口な声が聞こえる。

「あ、もしもし? ……」

 彼の声が聞けて満足してしまったのか、それ以上言葉がつながらない。

「何? と言うか今忙しくてさ」

 アメリカにいる彼は、ホストファミリーといるのか、声を荒げて話す。

 それでも、声が聞けただけで嬉しかった。

「ごめん……それでさ」

「何?」

 最後にもう少しだけ、欲張っても良いかと思って、

「今から、会えないかな?」

 言った。

 無茶な願いだと思った。

 だけれど――言った。

「今から!?」

 やっぱり、彼のひどく驚く声が聞こえる。

「うん……」

「でもさ、今アメリカにいるだろ? それに留学中だしさ」

 分かっていた、だけど、何か希望的観測を抱いてしまった。

「――そうだよね」

 そんな私に、彼が続ける。

「一ヶ月、待ってくれないかな」

「……一ヶ月……」


 私にとって大切で貴重なひと月は、

「難しいかな?」

 彼にとっては当たり前のもので。

「うん……」

 それが少し、寂しかった。

「いや、いいよ」

 これ以上彼の声を聞いてしまわないように。

「頑張ってね。それじゃあ」

 彼からの返答が来る前に、通話を切る。

「……ばいばい」それから、一人になって、言う。

 でも、言わなければよかったと悔む。

 溜まっていた涙が堰を切ったように、あふれでてしまったから。

「あぁ」

 言葉にもならない声が、病室内に行く先もなく、彷徨う。

 もう午後二時だった。

 眠気は一向に訪れない。

 でも、それでよかった。

 まだ眠りたくなかった。

 まだこの気持ちに浸っていたかった。

「忘れないで」

 そう、思わず漏らす。

 いつか忘れて、次を向いて、君には生きてほしいと思っていたのに。

 だめだった。

「ごめん。――大好きだから」

 届きもしない言葉が、また宙を彷徨う。

 でも、届かなくて良い。このままでいい。

 いつか「やっと」忘れて、君が次を向くために。

 深い夜の中で、私はずっと泣いては、言葉を、呟き続けていた。


 完

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いつかやっと忘れて 三葉 @mituha-syousetsu_

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