猫になりたい。

クロネコ太郎(パンドラの玉手箱)

第1話


(今日こそ、俺は……)


 弓道部の部活中にも関わらず、頭の中で何度も反芻している思いが、集中力を阻害してしまう。


 弦を弾き、狙いを定める。

 本当に、このポジションで大丈夫なのか。

 しかし迷っている内、いよいよ腕の筋力が限界を迎える。そして中途半端に矢は的場に放たれ、当然のように矢は的を大きく外れた。


「どこ打ってんだよ。」


 横を見てみれば同級生の田中が、あきれた表情で俺のことを見つめていた。


「ちょっと考え事をしていたんだ。」


「考え事?」


「ああ……。」


 物憂げな表情をしていた俺を見た田中は、すぐに察した。

 

「さては、あの花屋アルバイトちゃんのこと、考えていたな?」


「な、なんで……。」


 見事に言い当てられた俺は動揺してしまう。

  普段田中は飄々としているが、妙にこういった勘だけは鋭いのだ。


「お前がボーっとしてるときは四六時中、あの子のことを考えていることはお見通しだ。わかりやすく呆けた面してるからな。そろそろ、関係に進展はあったのか?」


「進展なんて、無いさ。俺はただ、彼女と話せるだけで……。」


「相変わらずのヘタレだな。どうせ悩んだって結果は変わらねえ。」


「余計なお世話だ。」


 再び俺は弦を引く。


「一回、悩むのをやめて思い切ってみろよ。」


「……」


 いっそ、こいつが言うように吹っ切れることができたら良いと何度も思った。変わりたい、でも――


「そんな軽い話じゃないんだよ」


 そう言って俺は弓を放つ。


「あ」


「ほらな」


 矢は的を射ていた。


「今打つ時、なんも考えてなかっただろ?そういうものなんだよ。」


☆☆☆☆☆


 弓道部に所属する俺こと高校2年中山幸太郎は、元中学同級生である春先楓に恋をした。

 これといって好きになったきっかけは無い。ただ、席が隣になって、仲良くなって、成り行きでそのまま彼女のことを好きになった。


 しかし、俺達の高校は別々になってしまった。中学を卒業するまでに気持ちを伝えるつもりではあったのだが、それも叶わないまま。ズルズルとここまで彼女への思いを引きずってきた。


 彼女の両親は花屋の個人経営をしており、高校生になってからは、アルバイトとして手伝いをしているらしい。

 そこで俺は彼女に会うためだけに、彼女が働いている花屋を訪れ、花を一輪買うということを繰り返している。

 もっとも、花屋で彼女と会うとつたない会話はするものの、そこから一歩前に進むことができていない。


 ずっとこのまま変わらないんじゃ無いかと漠然とした不安を感じながら、それでもまた会いに行く。


☆☆☆☆☆


「そういや、聞いたことあるか?」


「なんだ?」


 弓道部が終わった後の下校中は毎度のことながら、田中お得意の豆知識披露が始まる。


「この街では、二つの尾をもつ猫が生まれるってな。いわゆる猫又ってやつだ。もし、猫又を見つけたら願いを叶えてくれるらしいぜ?」


「願い、か。でも、どうせ都市伝説だろ?」


「そうとも言い切れない。」


「どうして?」

 

「いないことの証明は不可能だからだ。」


「何を当たり前のことを……。」


「自分の目に見える範囲の物しか認め無い人生は、つまらないだろ?いつまでも、少年心を持って生きることが幸せの秘訣だと思わないか?」


「まあ、一理あるけど……。そういや、今日は先帰っといてくれ。」


「花屋に行くのか?」


「ああ、悪いな。」

 

「それは良いが、今日こそちゃんとお前の気持ちを伝えて来いよ。」


「……ああ。」


 俺は、春先楓のいる花屋に向かって歩き始める。


 悩むだけ無駄だと、田中には散々言われた。俺だって、そんなことぐらいわかっている。

 でも、俺は恐ろしいのだ。彼女に思いを伝えるのが、そして彼女ともう会えなくなってしまうかも知れないということが。


(田中の言う通り、ヘタレだよ俺は……。)


 言い訳して、何かと理由をつけては先延ばしにしてきた。そんな奥手すぎる自分が、嫌いだ。


☆☆☆☆☆

 

「今日もいらしたんですね。」


 そういって俺へ微笑みかけるのは、春先楓だ。


 黒髪ショートヘアーに端正に整った顔立ち、花屋さんらしいロングスカート。彼女はどこか儚げで触れたら消えてしまいそうな雰囲気を漂わせていた。俺はそんな所に惹かれたのかも知れない。


「うん。今日もカーネーションを一つお願い。」


「中山さんってとても、お母さん思いですよね。毎週のようにプレゼントするなんて。中山さんのお母さんは、とても幸せ者です。」


「そ、そうかな。」


 本当は田中に会いたいから、などという下心で来ている俺は罪悪感を感じた。

 

 しかし、その時彼女が少し表情に影を落としていた事に俺は気が付かなかった。


「ちょっと、待っていてくださいね。」


 すぐに切り替えた彼女は、店の奥へと花を取りに行く。


(いつも、彼女の前に立つと、ドギマギしちゃうんだよな。)


 俺は少し、緊張がほぐすために伸びをした。


 その時、足元を何かが触る。


 見下ろしてみれば、足元に黒猫がいた。

 店で飼っている黒猫のクロが、すりすりと体をこすりつけて来ていたのだ。


「いつも通り、お前は可愛いな。」


 俺は、クロを両手で抱き上げる。


 腕の中でクロは、ゴロゴロとリラックスした音を奏でた。


 そうして猫をあやしていると、春先は梱包で一輪のカーネーションが包まれているものを持って来る。


「あら?クロ、また田中さんに甘えているの?」


「この子、いつも俺のところに来てくれるよね。」


「ふふ、きっと田中さんのことが、好きなんですよ。ほら、クロおいで。」


 俺たちは、カーネーションと黒猫を交換する。


 春先の手に渡ると、クロはにゃーんと甘えた声で鳴いた。


「ほんとに、甘えん坊さんなんだから。」


 彼女はまるで母のように母性溢れた顔で、クロの頭をなでる。


 すると、見せつけるようにクロはこちらを向き、俺の目をじっと見てきた。


 俺は、ほんのりとした敗北感を味わう。俺も彼女の腕の中、あんな風に甘えられたらどれほど良いか。


(いっそのこと俺も、猫になりたいよ。)


 そんな俺の気持ちもお構いなしに、クロはしっぽをゆらゆらと振り回す。ゆらゆらゆらゆらと、二つの尻尾を。


(あれ?)


 見間違いだろうか?クロのしっぽが、どう見ても二つ付いているように見える。


(残像、なわけないよな……。さっきまで一本だったはずだけど、どういう原理だ……?)


「あ、ごめんなさい」


 俺がクロのしっぽに気を取られていると、春先は夢から覚めたように慌ててクロを床へ戻す。

 床を歩くクロのしっぽをもう一度見るが、何ら異常はなく一本しか生えていなかった。


(疲れているのか……?)


 春先は申し訳なさそうに頭を下げる。


「猫のことになると、周りが見えなくなってしまうんです……。」

「……」


 俺はクロのことが気になるあまり、彼女の返答を無視してしまう形になった。


「中山さん……?」


「あ、ごめん、ごめん。で、なんだっけ?」


「あの、どうかなさったんですか?」


「今からちょっと変なこと言うんだけどさ。クロのこと、可笑しいと思った事は無い?なんかいつもとどこか様子が違うなーとか。」


「と、言いますと?」


「例えば、その尻尾が二つに見えるとか……。」


「尻尾が二つ?いえ、そういった事は無いですけど……。ただ、最近クロの様子が可笑しいのは確かです。なんだか、元気が無くて……。」


「それは少し、心配だな……。」


「クロは人の年齢に換算すれと、かなりおじいさんってことになってしまいますからね。早く元気を取り戻してくれた良いんですけど。」


「きっと、大丈夫だよ。猫は案外タフだから……。っと、そういやお代を支払わないと。」


「あ、すいません。お待たせしちゃって。お代は400円ですけど、迷惑をかけたって事で、200円にまけちゃいます。」


 財布事情の厳しい俺には、ありがたい話だった。しかし、ここで素直にまけられてよいのだろうか?


「値引きなんて、大丈夫だよ。少しでもこの店に貢献したいんだ。」


 見栄を張り、我ながら歯が浮くようなセリフを吐いてしまった自分が恥ずかしい。でも、最後くらい彼女の前でも格好つけたかったのだ。


「そ、そんなに私たちのことを考えてくれているなんて……。こちらとしても中山さんお気持ちを無下にするわけにはいけませんね……。わかりました。400円のフルプライスでいただきます。」


 財布からカウンターに100円玉4枚置いた。


「ありがとうございます。」


「じゃあ、また。」

 

「また、来週お会いしましょうね。」


 俺は手を振り、帰路へ着いた。


 以後一週間、彼女の顔も見ることができないし、声も聴けなくなってしまう。

 彼女と一緒にいること。それが、当たり前になる人生が欲しい。

 だが、どれだけ心の中で好きだと叫ぼうが何も変わらない。

 今日も、結局伝えることができなかった。いつになったら、このループは終わりを迎えるのか。

 いっそ、彼女の猫にでもなって飼われてしまいたい。彼女と一緒にいられるのなら、俺は猫として生き、猫として死ねるだろう。非現実的で、根本的な問題から目をそらした夢物語でしかない話だが、そんな夢にすがるしかないほど、今の俺は――


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