第4話
自室に籠り、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、閉じこもっていた。
ベッドの隅で三角座りになりながら、懺悔し続けている。
何故、俺は帰ってしまったんだろう。結局嫌なことから目を背けて残るものは後悔だけだというのに。
「同じことを何回もッ!」
頭を抱える。
俺は、自暴自棄になっていた。
いっそのこと、このまま死んでしまえたらとすら思った。
しかし、人はどれだけ追い詰められていたとしても、欲求には抗えない。例にも漏れず、俺はうとうとと眠りの世界へと誘われていた。
夢を見る。
夢の中には黒猫が出てきた。猫といっても二つの尾を持ち、後ろ足二本で地面を立っていた。
俺はそこが夢だとは思えなかった。臨場感やリアリティがあり、何より意識がはっきりしていたからだ。
俺は困惑しながら二尾の黒猫を眺めていた。
すると、そいつはこういった。
「彼女の側にいたいか?」
と。
彼女とは誰のことなのか言われるまでもなく俺は分かった。
俺は声に出して、はいと答えようとするも口が存在していないかのように開かない。
俺は、頷くことで反応を返す。
「そうか……」
二尾の黒猫は何とも言い難い表情だった。
安堵しているような、悩んでいるような、申し訳ないようなそんな顔だ。
その時、なんとなくクロが夢として出てきてくれたんじゃないかと思った。クロの二尾の尻尾にも見当たりがある。
「しっかりと考えると良い。どちらを選ぶかは、自由だ。」
クロは何を言いたいのか、分からなかった。わからないと聞き返そうとしても、口が付いていないので聞き返すことすら叶わない。
そして、俺はそのまま目が覚めてしまった。
目を開けるとまず最初に思ったのが、異様なほど視線が低いということ。そして、視界が可笑しいということ。
(どうなってんだ?)
俺は、視線を体へと移す。
とても黒かった。しかも体中から毛が生えている。まさに動物のように。
(うわっ!)
「にゃー!」
驚いて声を上げると、自分の声帯から聞いたこともないような高い鳴き声が響き渡る。
俺は、さらに驚きが積み重なった。
体毛に加えこの視線の低さ、そして極めつけはにゃーんという鳴き声。
俺はベッドを跳躍し鏡へと移し出される自身の姿を確認した。自身の跳躍力に驚きながらもいったん保留にする。
鏡に映るのは、くりくりとしたつぶらな黄色い瞳、某運送業者に見られるあの体のシルエット、可愛い肉球のお手てちゃん。
どうやら俺は体が黒猫へと変わってしまったようだ。
「にゃーあ!」
(マジかよ!)
俺は猫に変わったと知るや否や、自室の窓から外へ飛び出した。
恐らく夢で見たクロが原因だろう。それ以外に考えられる原因が思い浮かばない。
かわいらしい肉球に、チャーミングな尻尾。何度見てもこれが自分のものだとは信じられずにいる。
大きさにしては考えられないような跳躍力を持ち、嗅覚も鋭い。まるで超人へと生まれ変わったようだ。
(このまま、楓の元へ行けってことなのか……?)
クロは何を伝えたかったのか。何故俺を猫にしたのか。
彼女の元へ行けば何か分かるかもしれないとそう思った。しかしそれはあくまで建前だ。俺が彼女の元へ行ったのは、何よりも彼女に会いたかったから。
いつもよりも彼女の家が、遠いような気がした。もちろんこれは比喩表現ではなく、自分の体が小さくなったことによるものだろう。
もどかしさが助長され、心臓が高鳴っている。というか心臓の鼓動の速度が、ありえないぐらいに爆速だ。体が小型化されたことによって、代謝がよくなったからだろうか。
障害物を潜り抜け、車道をなるたけ避けるように移動して、ようやく彼女が住まう花屋へとたどり着いた。
幸い、二階の窓は開いているらしかった。
俺は猫の身体能力を駆使しながら、パルクールで二階のベランダへとよじ登る。
しかし、一度頭が冷静になり、ベランダの中で足を踏みとどまった。
今自分のやろうとしていることは、不法侵入。そして、美少女の部屋に忍びこもうという犯罪行為だ。
俺は思い出す。彼女へと伝え損ねてきた日々。そしてようやく伝えられたにも関わらず、彼女を裏切るような自分の行い。全て迷い行動しなかったことによる報いだった。
やって後悔するより、やらずに後悔することの方が俺は辛い。
しかし、最低限の礼儀というものがあるだろう。
俺は、窓を叩く事にした。
コンコン
「誰――?」
楓はまだ起きているようだった。もしかしたら、苦しみに悶えていたのかもしれない。
彼女は恐る恐るカーテンを開ける。
すると充血していた目を大きく見開き、驚く。
「クロ、なの?」
彼女は半信半疑な表情で、未だに目の前の光景が信じられずにいるようだ。
俺は彼女と相対して、複雑な感情に飲み込まれる。彼女と会うことができた喜びと深い罪の意識を感じた。自分はクロではない。中身はヘタレの屑人間なのだ。
彼女は俺の姿を観察しているうちに表情が、訝しげなものへと変わる。
「あなた、クロじゃないよね?」
やはり所詮は張りぼてだった。そして、彼女のクロに対する愛情を見くびっていた。
「当たり前、か……。」
彼女は失望した表情に変わる。
そして、再び俺の姿を見つめ首を傾げた。
「でも、どこの子なんだろう?とりあえず、こっちにおいでよ。」
しかし、クロじゃないと分かってもなお彼女は、俺を家の中へと招き入れた。
俺は言われるがまま、部屋の中へ入った。部屋の中は石鹸の良いにおいがする。
「抱いても良いかな?」
彼女は優しく問いかけてくる。
頷きそうになったが、俺は必死にこらえた。猫が言葉を理解できるわけがない。
とりあえず声を出して返事をしてみる。
「にゃー」
「良いってことなのかな?」
彼女は俺の体を抱き上げる。
「よし、よし。大丈夫だからね。すぐに飼い主さんのこと見つけてあげるから。」
どうやら彼女は俺のことを迷子の子だと思っているらしい。確かに、客観的に見れば俺は人間のことを恐れず抵抗しない人慣れしている猫だ。
彼女はベットに腰掛け抱き抱える俺の頭をなでてきた。
優しくなでられると泣いてしまいたくなってくる。これほのどの愛に触れたのはいつ以来か。
彼女のぬくもりは、荒んだ心を溶かすようだ。クロはいつもこんな彼女の胸の中にいたのかと羨ましくなる。
(ずっと、このままでいたい……。)
俺はそんな願望を抱いてしまう。
彼女の側にいて、彼女に甘えて、彼女に愛されて。
心を誘惑が支配する。
「なんだか、苦しんでいたのが嘘みたい。」
彼女は俺に笑いかけてくる。
「君は飼い主さんとはぐれて寂しい?」
「にゃー」
もちろんニャーとしか返事はできない。しかしなぜか彼女には伝わったようで、
「そうでも、無いんだ。」
彼女は苦笑した。
「クロも私がいなくなって寂しがっていると思ったけど、むしろ一番寂しがっているのは私のほうなのかもね。」
そして、彼女は窓から浮かび上がる月夜を眺めた。
「楽しかった思い出も、悲しかった思い出も、ずっとクロと乗り越えてきた。」
彼女は、涙は瞳に涙を浮かべていた。
彼女の哀しさのすべてを分かってあげられることはできない。猫になっても結局俺は、何も――
「君がいたら明日から、また前を向いて歩けるかな?」
彼女は心の拠り所を求めていた。彼女が求めてくれるのなら側にいたいという俺の願いは叶う。
だが、それは彼女にとっても、俺にとっても良くない答えだった。
同じことの繰り返し、結局依存して悲しむ彼女の顔が見える。それに俺は弱さから逃げて、流されることになってしまう。両者ともに健全とは言えない状況だ。
それでも、俺は流されてしまいたかった。目をそらして、彼女と一緒に落ちてしまいたかった。
このまま変わらないで良い。ずっと彼女の側にいることができればそれで……。
暫く一緒にいるうち、彼女の目はとろんとしていた。そんな彼女の様子を見ていると眠気が襲ってくる。
夢のはざまでふと、俺は田中の顔を思い出した。彼は必死になって、恋愛弁舌を解いてくれて俺の悩みを自分ことのように考えてくれた。変わろうとする俺を応援してくれた。
慶さんの顔を思い出した。彼は、自分がクロの代わりに励ますことができず後悔していた。そのせいで、彼女がクロへの依存を強めてしまったのだ。もし、また俺が彼女と一緒にいれば、間違いなく依存させてしまう。
俺の行為は彼らのことを裏切ることに他ならなかった。
(本当にこれで良いのか?)
一度抱いてしまった疑問はどんどんと膨れ上がってくる。
変わることに恐怖し怠惰でいようとする自分の弱さ。
ここにいれば、彼女の側にいることはできる。しかし本当の意味で、彼女と心が通じ合っていると言えるのだろうか?
変わりたいとあれだけ願っていたくせに、結局道半ばであきらめ状況に甘んじてしまおうとしている。
これでは、だめだ、きっとだめだ。
もう少しだけ、と心が不貞腐れている。でも、だめなんだ。
変わらなきゃだめなんだ!
そう思った途端、はっと目を覚ます。
ピピピピピ!
俺はベットで眠っていた。目覚ましの音がやかましい。
「夢、だったのか?」
昨日の夜記憶がはっきりしない。俺は確かに猫になっていたと思うのだが……。
「異常なほどにリアルな、夢ってことか。」
俺は今まで夢落ちが嫌いだった。いつも良いところで現実に引き戻され虚しさを残していくだけ。
でも、今は少し違う。
「今日だけは、ありがとうな。」
迷いは、無かった。
俺は花屋へと向かう。
俺は気がついたら走っていた。夢で見た時と同じように彼女へ少しでも早く会いたくて堪らない。
花屋のドアを開ける。
すると消えてしまいそうな程、幻想的で少し風が吹くとふわふわ飛んでいってしまいそうな
「春先――」
「あ、中山さん……。」
少し気まずい空気が漂っている。
俺は、しっかり彼女の目を見つめた。
遠回しな言い方はもうしない。
「俺、伝えたいことがあるんだ。大丈夫、かな?」
「……私、夢を見ていたんです。」
「夢……?」
「はい、黒猫ちゃんが私を癒してくれる夢で、いろんな思い詰まっていることを大丈夫だよって言ってくれたような気がしました。今考えるともしかしたら、クロが夢に出てきてくれたのかも。」
俺は驚いた。彼女がそれ知っているということは、昨日の夢は本当に有った出来事だということなのだろうか。
「私、気付いたんです。ずっとクロに心配かけていたんだなって。だから、前に進まなきゃって自然とそう思ったんです。」
彼女は強かった。俺の心配をよそに前を向いて歩き始める準備を始めていたのだ。
「私は、大丈夫です。」
ニコリと笑う楓は美しく、今まで見どの楓よりも強かに見えた。
「――っ」
俺は口を開こうとするも少し噛んでしまう。言うべきことは、分かっている筈だ。後は声に出して届けるだけ。たったそれだけのことを、また俺は……。
その時、何かに肩をポンと押された気がした。
俺はハッとする。
そして彼女の顔を見た。
少し頬を蒸気させながら、俺の言葉を待っている。
そこで、俺は改めて覚悟を決めた。
「春先、いや、楓、好きだ。」
「……はい。」
猫になりたい。 クロネコ太郎 @ahotarou1024
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