第2話
俺はこれ以上一人で抱え込むことに限界を感じていた。不甲斐ない自分、もどかしくて憂鬱な毎日。このままだと、可笑しくなってしまいそうだ。
そして、悩みに悩んだ末、俺はついに田中に洗いざらい本心を打ち明けることにした。
「と、言うわけなんだ。」
「なるほどな。」
田中はしばらく考え込むような姿勢をしているかと思うと、口をむずむずさせ――
「っぷ、はっはっはっは。」
予想外にも田中は、噴き出した。
「お前、猫になってまで、その子と居たいってマジかよ!真剣に聞いてはいたが、そこだけは耐えられなかったわ!もはや、そんなお前がいじらしいよ!」
「可笑しい、よな。やっぱり、情けないよな……。」
「ああ、お前が猫になりたいと思うのは、全部投げ出し逃げてしまいたいっていう弱さが原因だろう。でもなぁ、それだけ一人の女の子へ本気になれるお前を、俺は応援したいとも思った。」
「え?」
「悩んで、抱えて、苦しんで、それを人に打ち明けることは、かなり勇気のいることだと思うぜ?俺のこと信頼してくれて、ありがとうな。」
「田中……。」
☆☆☆☆☆
俺は今日、彼女に思いを伝える。今日伝えられなかったら終わりだというぐらいの気概で挑むつもりだ。
もちろん緊張は止まらない。体の筋肉が凝り固まり、血流が通っていないのが分かる。でも、田中から数時間の恋愛講習アドバイスを受け、自信もつけることができた。
花屋の看板を眺めながら、大きく深呼吸する。
(いける、今日ならきっと!)
心を奮い立たせ、いざ花屋へ。
「こんにちは。」
花屋のドアを開けると同時に挨拶、これからの一挙手一投足が、成否の境目を分けるのだ。
「いらっしゃいませー。今日もカーネーションを取り揃えていますよー」
いつものように、春先は笑みを浮かべて待ってくれていた。腕の中にはクロも抱えている。
「今日は、クロと一緒なんだね。」
「ええ、ちょっと調子が悪いみたいで、こうして様子を見ているんです。」
「そう、なんだ……。」
クロを見てみると、確かにげんなりしている。
心配ではあるが、今はそれに気を取られてはいけないのだ。
「あの、今日はカーネーションを二つお願い。」
「二つ、ですか……?」
「うん、二つ。」
俺は、指でピースを作る。
「わ、分かりました。ちなみにどうして、今日は二つなのか聞いてもよろしいですか?」
俺は、はやる気持ちを抑え少し目を閉じる。
長かった葛藤の全ては、この一言で終ってしまう。感慨深くもあり、嬉しくもあり、ほんの少しだけ寂しくもある。
結果がどうあれ、もはや俺に引くという選択肢は残ってはいなかった。
「君に、あげるためだよ。」
「私、に……?」
いつにも増して真剣な俺に、彼女は困惑気味の顔を作る。
彼女の様子にたじろぐも、ここで引いてはいけない。一度でも弱みを見せてはいけないと、田中は言っていたからだ。
「受けとって、くれる……?」
心臓が、まるで不整脈と勘違いしてしまいそうなぐらいに跳ねていた。両耳は赤に染め上がり、やけどしたように熱い。
「……はい。」
しばらく間を置き、彼女は花を受け取ることに了承した。
「……今、良いって、そう言った?」
「はい、言いましたよ。」
彼女は笑みを取り戻し、えくぼを浮かべながらそういった。
信じられなかった。彼女の言った言葉が。これまでの心労吹き飛ばされてしまったようだ。喜びよりも先に出てきたのは驚嘆、未だ現実味を感じることが出来ていない。
「では、カーネーションとってきますね。申し訳ないですが、その間、クロのこと見ていてくれませんか?」
「う、うん。」
俺は、クロを受け取った。
彼女の去った後、ようやく喜びが心の底から遅れて湧き上がって来る。自分は、今夢を見ているのだろうか?こんなにも幸せで、こんなにも切ない気持ちで溢れていて、これは俺に許されて良い幸せなのだろうか?
いや、卑屈になるのはよそう。これは、俺が行動したことで勝ち取った結果なのだ。確かに田中が決めたレールに乗っ取ってはいたが、何も後ろめたいことなんてない筈だ。
そんな幸せに浸っている時、あることに気が付いた。
クロが、俺の目を見てきている。じっと、哀愁漂うやさぐれた目だ。
尻尾は一つだった。それを見て少し安心したものの、いつもとは明らかに様子が違う。
「しんどいのか……?」
「……」
もちろん返答は無い。すると、突然ポロリとクロの目から、一粒の涙が零れた。
「え?」
そして、今度は訴えかけるような目に変わる。
「何かを、伝えたい……?」
俺がそう言うとクロはゆっくりと顔をしたに向ける。
「今、頷いたのか……?」
そしてクロは、役目を終えたと言わんばかりに目を閉じた。
「く、クロ……?」
名前を呼んでもピクリとすら動かない。
俺は、クロの体を揺すった。
しかし、反応は無い。
「ま、まさか……。」
クロの口元に手をかざして呼吸を確かめるも、空気の流れを感じ取ることができなかった。
焦った俺は、すぐに春先を呼ぶ。
「春先!クロが!」
声を聞きつけた春先は、急いで駆けつけてきた。手元には、二束のカーネーションを携えている。
「クロが、どうかしたんですか!?」
「まったく、息をしていないんだ!」
春先の手からカーネーションがばさりと、落ちた。
「う、嘘……。」
俺は、春先にクロを手渡す。
春先は、耳をクロの心臓のある胸へとあてた。
「動いて、無い……。」
顔が青ざめ彼女の顔から生気が失われる。
「とにかく、早く動物病院に連れていかないと!」
しかし、春先はクロを抱いたまま、そこを動かない。
「春先……?」
「いや……。」
春先の両目が、キラリと光った。
「まだ離れたく無い!私、どうしたら良いの!?クロがいなきゃダメになっちゃうよ……。」
春先はクロをギュッと抱きしめその場にへたり込む。
そして、泣き始めてしまった。
「はる、さき……。」
今、彼女になんと声をかけたら良いのか、何ができるのか。何も、分からない。頭が真っ白になって、ただ情けなく彼女が泣く様子を見るばかり。
考えろと心の中でそう叫ぶが、何も思い浮かばず、空間にはすすり声が響き渡るだけだ。
すると突然、どたばたと二階から駆け下りる音が聞こえてきた。
何事かと思い、振り向くとオールバックでメガネの利発そうな男が鬼気迫る顔でそこに立っていた。
「どうした!何があった!?」
春先楓の父、春先慶である。
「クロの呼吸が、止まっちゃったんです!」
俺の言葉を聞いた慶さんは察した顔になった。
「すぐに車を出す!準備してくれ!」
慶さんは、大慌てで店の隣にある駐車場へ向かう。
「春先、立てるか?」
俺はしゃがみ、春先の視線を合わせながら肩に触れる。
すると、春先はゆっくりと無言で立ち上がった。
「中山君、迷惑かけてごめんね。」
少し落ち着きを取り戻したのか、何とか言葉を絞り出すことができてきた。
「迷惑だなんて、そんな……。」
「クロも、ごめんね。私が動揺している場合じゃないよね。」
春先は、クロの頭をよしよしと撫でる。
彼女の顔は酷く痛ましげで、心が伝ってくるようだった。
そして、俺たちはそのまま車へ乗り込み動物病院へと向かう。
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