最終電車

@tsutanai_kouta

第1話


今泉は最終電車のシートの上で糸の切れた操り人形のようにくったりと項垂うなだれていた。忘年会シーズンのこの時期、彼は今日で三日連続の飲み会参加だった。そんな彼にとって電車の中での睡眠は、何よりの「いこいの時間」であった。電車の揺れに合わせて脱力した今泉の体も揺れる。

 

どれ位の間、眠っていたのだろうか?

今泉は目を閉じ、体は変わらず脱力していたが、意識はゆっくりと覚醒しつつあった。耳には電車が架線かせんを進むリズミカルな音が心地よく響く。

 

 ≪ガラッ≫

 

誰かが車両を移動してきた。今泉は目を閉じたまま、電車の走行音に混じって扉を開閉する音を少し遠くに聞いた。

 

 ≪ズズッ・・・≫

 

何かを引きずる音?

今泉は自分と同じ「酔っ払い」の姿を頭に思い描いた。だが、何を引きずる音なのだろうか?

 

 ≪ズッ・・・ズズッ・・・≫

 

何だか水気の多いものを引きずってるような音だ。そして同時に汚れた雑巾のような臭いも近付いて来る。

今泉は小さく溜息をつきながら「浮浪者」の姿を想像した。もしかしたら自分のような酔客すいきゃくの財布を目当てに車両を見て回ってるのかもしれない。今泉は少し緊張した。

 

 ≪ズルッ・・・≫

 

雑巾の臭いが、今泉の席の前で止まった。ますます緊張する今泉。

 

 ≪クッチャ、クッチャ≫

 

相手が今泉の方を見ているようだ。何かを噛んでいる。水を含んだダンボールを噛むと、こういう音を立てるのではないだろうか・・・。

 

 ≪・・・・・・≫

 

相手が顔を近づけてきた。臭いが更にきつくなる。まるで動物園の檻の前にでも居るような獣臭が鼻をつく。

酔っている今泉には取り分けきつい。

胸がムカムカしてきた。

 

 ≪カ・ゴ・メ・・・≫

 

何かを口の中で呟いている。カゴメ? 篭目? 今泉の心臓がバクバクと高鳴り始めた。目は閉じたまま、スーツの胸ポケットに入れてある財布に神経を集中させる。

 

 ≪カゴメ・カゴメ・・・カゴ・ノ・ナカ・ノ・トリ・ハ・・・≫

 

相手は童歌の『かごめかごめ』を唄っているのか? 今泉の心臓はその鼓動こどうを更に加速させ、神経はピリピリと昂ぶった。

そして今泉の緊張は一挙に臨界点に達し、猛然と顔を上げた。今泉は目の前の「相手」を視界に入れた途端、目と口を大きく開き、全身を硬直させた。次の瞬間、電車はトンネルに突入し、彼の口から発せられた悲鳴は電車の轟音に、そして彼が見た「相手」の姿は暗闇で塗り潰さた・・・。

 


『え、次は野辺山ァ、終点・野辺山です。お忘れ物無い様にお降り下さい』

 


車内アナウンスが流れる中、今泉は電車のシートの上で糸の切れた操り人形のようにくったりと項垂うなだれている。

やがて駅員がやって来て、今泉の肩を揺すりながら「お客さん、終点ですよ!」と声を掛けた。今泉の体は、ゆっくりと傾き、シートの上に横になった。彼の顔やスーツから出ている手は蝋のように白い。駅員は彼の脈を計り、既に事切れているのを確認する。そして苦々しい口調で、呟いた。

 

 

「毎年、この時期には何人か連れて行かれるンだよな・・・」

 

 


  -了-

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