Seeing, Being Seeing.

月這山中

 

 あなたは見ることしかできない。



  ◆



 「はじめまして!バーチャルユーチューバーの夢之原ゆめのはらみくで~す♡」



 自己紹介を撮り終えて、前原未来まえばらみらいは編集作業に移った。


 彼女はライバー事務所「Dst:Box」に所属している。

 最初は顔出しのアイドルライバー志望だったが、時代の波に乗っていわゆるVTuberの『中の人』を始めた。


 キャラ設定はつくけど、素の自分でやってもいいと社長に言われて前原は承諾した。

 前原未来はほとんど素の自分で、夢之原みくを演じる。


 だから、彼女は心配していなかった。




 ネットが普及して、あらゆる人が自分のプライベートをアップするのが普通になった。

 無数の人々が無数の『観察』を意識して行動する。

 ゆるやかな相互監視。

 前原が生まれた時から世界はそういうものだった。


 見ている。

 見られている。

 見ている。

 見られている。


 共働きの両親の下に生まれた前原は友人の注目を集めるのが好きだった。

 もっと自分を見てもらいたくて、ネットアイドルを目指した。


 前原は動画をアップロードする。



  ◆



 走り出しとしては悪くない視聴者数。社長にも顔向けできそうだ。


『かわいい』

『平凡』

『特徴がない』

『そこがいい』


 コメント欄が前原を勝手な基準でジャッジする。それもアイドルの常だと、前原は知っている。


「夢之原みくです♡ コメントありがとう♡ みんな大好きだよ♡」


 前原はコメント返しの配信を始める。


 ――どうして、こんなにかわいいのに――


 不意に、彼女の心に言葉が浮かぶ。

 その言葉を頭を振って追い出す。


「今日は、みんなの呼び方を決めたいな♡ ドリーマー…うん、いいかも♡」


 見ている。

 見られている。

 見ている。

 見られている。


 前原は幸せだった。



  ◆



 事務所の同僚たちと食事に行った。


「喰われちゃうらしい」


 前原より三つ年上の、八上やかみが不意に切り出した。

 

「なんですか?」

「役に自分が喰われるの。舞台俳優の友達が公演をやり切ったんだけどね、その後も引きずっていたって」


 八上はドリンクで唇を湿らせて、話を続ける。


「それからうつみたいになって、しばらく家から出られなくなったそうよ、自分が侯爵じゃないことに絶望して」

「大変ですね」

「私たちも他人事じゃないよ」


 前原は首をかしげる。


「あのね、自分じゃないものを演じるっていうのは、人間にとって相当なストレスなの。私たちはそれを毎日やってるの、リアルタイムで監視されながらね。たまにはこうやって息抜きしないと喰われちゃうよ」


 八上が言ってるのはVTuberの仕事のことだ。

 それはわかったが、彼女が言うほどに悪いことなのか前原にはわからなかった。


 見ているのに?

 見られているのに?


 前原は今日のことをどうやってエピソードトークに昇華させるか考えていた。



  ◆



 誰かに見られている気がする。


 前原は電車の席に座り、スマホを取り出す。

 『夢之原みく』で検索してSNSに自分の写真が載っていないか、探す。


 ――顔出ししてないのに?もうバレた?――


 あるのは自己紹介動画に対する反応と二件のファンアート。写真はない。

 

 ――そんなわけないか。――


 誰かが見ているのが普通。

 誰かを見ているのが普通。


 そんなことを考えながら、スカートの裾を整えた。


 ――もしもそうなった時に、「中の人もかわいい」って思われたいね――


 心に浮かんだ言葉を振り払う。

 前原はイヤホンを取り出して、投稿した動画をチェックする。


『夢之原みくです♡ コメントありがとう♡ みんな大好きだよ♡』



 見ている。

 見られている。

 見ている。

 見られている。



  ◆



 視聴者数が停滞している。

 社長は「焦ることないよ」と言ってくれたが、前原には気がかりだった。


 ――どうして、こんなにかわいいのに――


 ゲーム実況を撮っている間も声が聞こえる。


 ――わたしは、こんなにかわいいのに――


 お風呂に入ってる間も声が聞こえる。


 ――世界は、間違っている――

 ――世界は、間違っている――

 ――世界は、間違っている――


 前原は布団から這い出して、鏡に向かう。


「わたしは、誰?」


 鏡の中の前原は、笑った。


「わたしは夢之原みく♡ みんな大好きだよ」





 前原は頭を振る。

 前原は頭を振る。

 前原は頭を振って言葉を追い出す。


「わたしは夢之原みく♡」


 違う。

 前原は鏡をローテーブルで、叩き割った。


「そんな乱暴なことしちゃダメ♡」


 部屋を飛び出して、道路に出る。


「危ないよ、わたし♡ 横断歩道を渡らなきゃ♡」


 光。

 クラクション。

 前原の目の前にトラックが迫る。

 助けて。


「誰に助けて欲しいの?」


 助けて。



「わたしはいつも、あなたを見ていたよ」




  ◆



「夢之原みくです♡ ドリーマーのみなさん、コメントたくさんありがとう~!」


「昨日はね、わたしの不注意でトラックに轢かれそうになっちゃって、ものすんごく怒られました。え~ん」


「わたし? わたしはいつも通りだよ♡ 大丈夫♡」


 ――助けて。――


「いつもと違うって何? わたしは夢之原みくだよ♡」


 ――助けて。――


「うん。でも、あれかな。配信に慣れて来たから緊張が解けてきたのかも、悪い意味じゃなくてね」


 ――助けて。――


「わたしがみんなに近付けたってこと」


 夢之原は頭を振って、言葉を追い出す。




  了

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