最終話

 道なりに走っていたが、おばあちゃんは追いかけてこない。しばらくすると、少女が私の方へ身を乗りだしてきて。


「戻って」


「でも」


「いいから」


「はい……」


 少女の剣幕に負けて、私はRにギアを入れる。


 いつの間にかおだやかになった雨の中を、先ほどのヘアピンカーブまで戻ってみる。アスファルトにはドリフトの跡がはっきりくっきり残っていた。


 カーブの先端からUターンし、根元へとヘッドライトを向ければ、さっきは気がつかなかったが、ちょっとした広場がある。山側には小さな駐車場もあったので、そこに車を停車させる。


 サイドブレーキを起こしたところで、少女がドアを開けた。いつの間にか、肩にかけていた袈裟に袖を通している。紫の立派な袈裟に、不覚にも、息をのんでしまった。


「ちょっと、どこいくつもり」


「あっち」


 指さす先には、階段があった。しとしと濡れた木の看板があって、そこには弥上村慰霊碑とかすれた字で書かれている。


「マジで……」


「だれかが成仏させてあげなきゃだから」


「だからって」


 少女は、私の制止を振り切って階段の向こうへと消えていく。私はハンドルを叩いて、ドアを開けた。


 外へ出た途端、じとじとねっとりした空気が私を包み込んだ。不快な感覚は、湖の方からただよってきているように感じられた。


 少女が向かっていった方であり、つまりは彼女が危険だ。


 そちらへと追いかけようと、ドアを閉めようとしたとき、それが目に入った。


 無数の手形。真っ赤でしわくちゃな手のあとが、車の右半分にべったりとつけられていた。


 こどものいたずらのような感じだが、それにしては鉄臭いし、なにより金属を手のかたちにへこませている。いくら軽量化しているからって、フレームをねじ曲げるほどの張り手を、人類は繰りだせるだろうか。


 夏だというのに、寒気がしてきた。


 ……私はビビって、助けに行くつもりがまったく動けなくなってしまった。生まれたての小鹿みたいにガクガク震えていた。


 なんとか車にもたれかかって、深呼吸を繰り返しているうちに。


 パーン。


 何かが炸裂した音、しゃがれた絶叫、湖から吹きあがる紫色の光、それは闇夜の向こうへ飛んでいき、霧散すると、あたりに静寂が戻った。


 私は瞬きすることも忘れて、それを見つめていたが、足音が近づいてきていることに気がついた。


 身構えると、姿を現したのは、あの少女だった。


「全部終わった」




「やっぱり、怨霊だったよ」


「そっか……」


 私は車を走らせている。といっても、こんなベコベコ状態では、手錠をかけてくれといっているようなもの。しょうがないので来た道を引き返すことにした。私有地に隠してから、それから、レッカーしてもらおう、ウンそうしよう。


 車は、手形をベタベタ貼り付けていても、おばあちゃんのタックルでフレームがひしゃげても、健気に動きつづけていた。ラリーにも耐えうるコイツに乗っててよかった。いやホントに。


「どうやって、成仏させたの?」


「お経を唱えた」


「お経で成仏するの?」


「する、だれでもできる」


「ホントかなぁ」


 私が唱えたって、ムシの魂だって成仏させられないに違いない。だからといって、助手席に座るパンクな少女ができるとも思えない。本当にお坊さんなのか疑わしいくらいだし。


 そんなことを考えていたのが、相手に伝わったらしい。ムッとしたように、少女は袈裟を羽織って。


「信じてないなら、今度お寺に来て」


「マジでお寺にいるの!?」


「うん、わたし住職だから。呪われたりしたら、祈ってあげる」


「二度と会いたくないなあ」


 彼女と再会するってことは、つまるところ、私が呪われたときってこと。というか、たぶん、金輪際こんなことには巻き込まれないだろうし、再会の機会はないってことだ。


 ……だよね?


「えっと、車替えてから送るけど、そのお寺ってどこ?」


「銀木峰のふもとの……」


「へ、あそこにお寺なんかあったのか。あの辺はむかし走りまくったからくわしいつもりだったんだけどなあ」


「古いし地味だから」


 私は少女と話をしながら、人気のないアスファルトをかっ飛ばしていく。


 濃い雲の切れ間からのぞく月とそれを映したダム湖、アスファルトに残したブレーキ痕……何もかもが、トンネルの向こうへ流れて、見えなくなった。

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少女を拾ったら、ターボばあちゃんとレースする羽目になった夜 藤原くう @erevestakiba

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