第29話 我に永遠の忠誠を尽くせ
月夜が支配するバルコニーに出た。暗がりの向こう側で、王都の街並みがじっと息を潜めている。
ヨハンがバルコニーの戸を閉めた。二人だけの世界になり、ようやく口を開く。
「疲れたかね、エルンスト?」
「今日は過分な会を私のために用意していただき、ありがとうございます」
「当然のことをしたまでだ。公爵家ともなると、何をするにも大事になる。賑やかで大変で――おかげで忙しくて困ったものだ」
ヨハンが小さく笑う。華やかな世界の面倒さを知る男の横顔だった。
「慣れてもなかなか大変だ。君はずいぶん堂に入っていたじゃないか?」
「ありがとうございます、ヨハン様のおかげです」
「受け取り手が優秀だから、教え甲斐があったよ」
「ただ、少しやらかした部分もありまして――」
「ほう、何を?」
「ミレーネ様に叱られました」
「ミレーネに?」
「ヨハン様を独り占めして――奪い返すと宣戦布告をされました」
「ははは! まるでエルンストを私の恋人だとでも思っているようじゃないか!」
おかしそうにヨハンが肩を振るわせる。
「彼女は大切な許嫁なんだけど……ずっと時間をとれていなかったのも事実だ。今度、声をかけておこう」
「それがいいと思います」
じゃないと、俺が第四王女の敵として認識されてしまいますので……という言葉は内心で飲み込んだ。雑談はこれくらいでいいだろうと思い、エルンストは切り出す。
「それで、御用はなんでしょうか?」
「そうだね、私の用はとても簡単だ」
じっとヨハンの目がエルンストを見つめる。
「私たちの歪な関係を終わりにしようと思ってね」
「歪な関係を、終わりに……?」
「そう、
「――――!」
エルンストは思わず後ろによろめいた。ヨハンの言葉は、巨漢のパンチのような威力を誇っていた。精神的な意味で。
(俺は、仮初の従士ですらなくなるのか!?)
仮初であっても、それはエルンストの誇りであった。仮初であっても、ヨハンの従士として恥ずかしくないように、と己を鼓舞することができた。
その支えが、ついに剥奪されてしまうのか。
そう考えると、最近のヨハンの優しさにも合点がいく。手切れ金というか、功労というか。せめて最後にいい思いをさせてやろうという配慮に違いない。
「お、俺は、仮初ですらなくなってしまうのですか……?」
仮初で構わないから、いさせて欲しい――そんな気持ちが湧き出してくる。ヨハンの従士としての特権などには興味がない。ただただ、ヨハンとの繋がりを保ちたかった。
「ん?」
まるで人生の終わりのようなエルンストの表情を見て、ヨハンが首を傾げる。そして、気がついた。
「ああ! 言葉が足らなかったね!」
「言葉が、足りない……?」
混乱するエルンストに、、ヨハンが次の言葉を送る。
「仮初の関係は終わり――これからは、本当の関係になって欲しいんだ」
「――――!?」
その言葉を、エルンストはすぐに理解できた。だけど、信じられなかった。それはいつだって自分が願っていたこと。もしも神様にひとつだけ願いを叶えてもらえるのなら、間違いなく願うこと。
それをヨハンは叶えてくれるというのか?
ヨハンが歌うような調子で言葉を吐き出す。
「エルンスト・シュタール。私、ヨハン・フロイデンは君を従士として指名する。私は約束しよう、深く厳しい寵愛を。代わりに求めよう、命を捧げるにも等しい忠誠を。私とともに道を歩む覚悟はあるか?」
その言葉はエルンストの胸に染み渡った。心が震えて、喜びが騒ぎ出す。
(あ、ああ……)
ヨハンの言葉は独創ではない。これは、従士契約を結ぶ際の決まり文句。今まで王国の貴族の間で何万回と繰り返された言葉だ。
仮初の関係ではない、本物の関係を結ぶための――
「う、うう……!」
言葉に詰まったエルンストは何も言えなかった。代わりに涙が目から溢れてくる。
本当に良かった、仮初の関係だからと嫌がらなくて。本当に良かった、あの辛い嘘と虚栄の1年間を過ごして。本当に良かった、ずっとずっとヨハンに憧れ続けて。
おかげで、自分は自分でも信じられない場所にたどり着けた。
「確認するが、それは嬉し泣きかい?」
「は、はい……。す、すみ、すみません!」
「いや、いいんだ。別に。それほど喜んでもらえるのなら、こちらもありがたい。少し落ち着きたまえ」
エルンストが感情を収めるまで数分の時間がかかった。エルンストの息遣いが聞こえるだけの時間を、ヨハンは何も言わず、静かに待ち続ける。
やがて、喋られるようになったエルンストが口を開いた。
「……どうして俺なんでしょうか?」
「理由か。なくもないし、口にしてもいいのだけど――どうにも真実味がない。気に入った、それだけでいいのではないか?」
気に入られた。王国最強の男に。
これほど幸せなことがあるだろうか。
「何か気になることでもあるかい?」
「ありません! 絶対にありません!」
エルンストは即答した。それは絶対に。そもそもエルンストは熱心なヨハン信者なのだから。
「むしろ、自分なんかでいいのか、という思いです」
「それは悪い癖だよ、君はもう少し自分の価値を高く見積もったほうがいい」
「慣れないですが、慣れます!」
そこで会話が途切れた。
エルンストは満足感でいっぱいだったので、その沈黙をなんとも思わない。気持ちは己を向くだけでいっぱいだった。
やがて、困ったような声をヨハンが吐き出す――
「……ところで、返事をもらっていないのだけど?」
「あ!?」
あまりにも嬉し過ぎたのと、自分の中で否定などあり得ないので、完全に忘れていた。
「もちろんです、もちろん! こちらこそお願いします、ヨハン様!」
「うん、素晴らしい」
ヨハンが満足気に頷く。
「仮初の関係も終わったことだし、これからは真のマスターとして思う存分、容赦なく私が導いてやろう。私は厳しい――覚悟はできているかい?」
「はい!」
後に、王国には2本の剣あり。黄金と漆黒。その強さは無双にして最強なり――と帝国から恐れられる二人が並び立った瞬間だった。
この日から、王国の最盛期は始まる――
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俺は偽物騎士で終わるつもりはありませんから、公爵殿下 三船十矢 @mtoya
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