第1話:ひとりぼっち

山本由紀は半年前大阪にやってきた。

東京で生まれ育ち、大学卒業後は医療機器メーカーに就職。2年間都内で勤めたのち大阪に異動となったのである。


――――――――――――――――――――


大阪のまちにはキタとミナミという2つの繁華街がある。キタの街にはオフィスビルと高級デパートが立ち並び、高そうなスーツを着たサラリーマンや、上品なマダムが胸を張って歩いている。レンガ造りの近代建築と新しいガラス張りの高層ビルが川沿いに立ち並んでいる、とてもおしゃれで洗練された街なのだ。それとは対照的なのがミナミの街である。飲み屋が多く、歩いている人も柄の悪そうなおじさんやヒョウ柄の服を着たおばちゃんが多い。通天閣とか道頓堀とかもミナミにあって、とても元気を感じられる街だと私は思う。


私の職場はそんなオシャレタウンであるキタと、大阪っぽい繁華街のミナミのちょうど中間地点に位置している。高層ビルの合間に控えめに立ち並ぶ中堅ビル達、そのうちのどれか一つが私の会社だ。そして今日もフロアにはパソコンのキーボードを叩く音が響いている。


「ユキちゃ~ん、ちょっと来てくれへん?」


昼下がり、うっかりボーっとしてしまっていると先輩社員の茜さんに呼ばれた。まさか仕事で何かミスでもしてしまったのかと、気持ちを急かしながら茜さんのもとへと向かう。


「何かご用でしょうか」


少し神妙な顔つきで私は茜さんに尋ねる。

茜さんも私の緊張を感じ取ったのかもしれない。


「そんな固くならんとってもええよ~」


茜さんはにこやかな表情で答えてくれた、それにつられて私の肩も下がる。


「今夜、課のみんなで飲みに行こうって話になっとるんやけど雪ちゃんもいかへん?太田さんと辻くん以外はみんな出席するみたいやけど」


なんだ、良かった叱られるわけじゃないんだな…。

顔の筋肉がほぐれ、ホッとして表情が緩くなる。


「はい、出席します。」


「雪ちゃんまだ言い方固いな~笑」


茜さんは笑顔が似合う、私より5年上の先輩である。

こういった飲み会があるとかならず私を誘ってくれる、早く職場に馴染めるように気を使ってくれているのだろう…


しかし当の私はというと、実はこういった飲み会は少々苦手なのだ…


――――――――――――――――――――――


飲み会は会社近くの居酒屋で開かれた。

課の人間十数名がテーブルを2つくっつけた座敷席に押し掛ける。よくある飲み会の光景だ。最初はポツポツと始まった飲み会もお酒が回ってくるとどんどんと話しが弾んでくる。


「最近彼女の束縛がやばくて毎日会いに来いって言うてるんすよ、3日前会いに行ったからさすがにもう今週は会わへんとこうと思うんやけど…」


「マジすか、大変だな~w」


「おいおい将来の奥さんは大切にせんとな~、恋愛楽しめる時間なんてそう長ないんやから、今大切にしときや~」


男性陣は何やら恋愛話で盛り上がってるみたいだ。

女性陣はというと…


「ていうかさ、あの部長ほんまにめんどくさくない?」


「分かる~、ウチなんて前ちょっとしたミスでさあ~…」


「ええ~そらさすがにひどいなあ」


最近私たちの職場に異動してきた評判の悪い部長の話で盛り上がっている。

そして私はというと…


「……」


私はレモンサワーとにらめっこをしていた。

こういうときに話の輪に入ることが出来なのだ。

昔から人の輪に入るのが苦手だった、そしてそれは社会に出た今も変わらない…

男性グループと女性グループ、そのはざまでレモンサワーとにらめっこする私。


「ねえ雪ちゃんはどう思う~?」


「私は別に…そこまで嫌な人じゃないと思うけどなあ~…」


せっかく気を使って話を振ってくれても、曖昧な答えな答えしかできない。

それ以上の返答に詰まり、おどおどとしていると…


「そっか~、雪ちゃんは優しいんやな~…けど油断しとったら、いつかその優しさに付け込まれるで、あの部長はほんまに気を付けた方がええよ」


そうサッと話をまとめると、話を振ってくれた優しい彼女はすぐに元の話の輪に戻って行ってしまった。


ああ…未だに苦手なんだな、人と話すの…

そう強く実感させられる。飲み会でこんな劣等感を感じているのは自分だけだろう。


こういうのって誘われるときは何の根拠もないのになんとかなりそうって思ってしまうんだよね…、だけど実際行ってみると何もできないで黙っているだけ…

そして帰り道はまた自己反省会をする羽目になる。

何度もこんなの繰り返して分かっているはずなのに、


みじめだな…


そうして勝手に暗い気持ちに浸りながら、ちびちびと一人でレモンサワーに口をつける。…突然私はあることに気が付いた。


パソコンがない。


明後日の打ち合わせのために、最後にもう一度資料の確認をしないといけないのに…

こうしてはいられない、今すぐ会社に戻らなければ。

忘れ物が、この場から、そして劣等感から逃れる口実になるのを期待しなかったかといえば嘘になる。


「すみません私、会社に忘れ物してきたみたいで…取りに行かないといけないので早めに出ます。」


いきなり無口な女が大きな声でしゃべり出したから、みんな少し驚いた様子でこっちをみている。

そして一瞬の静寂の後、徐々に口数が戻ってくる。


「…お~お疲れ~」


「また明日ね~」


「おやすみ~」


気の抜けた返事がテーブルの各所から上がってくるけど、自分の目は誰も見ていない…。体が熱い、少しでも早く外気にあたりたい気分だった。

私は小さい声で最後の挨拶を済ませた。


「お疲れ様です。」


そして居酒屋を後にしようと扉に手をかけた時


「あ、雪ちゃん待って!」


茜さんが私を呼び止めた。一体何なのだろうか?少しドキドキしながら振り返る。


「参加費4000円渡しといて! paypayでもええよ!」


―――――――――――――――――――――――――――――


会社にはもう電気はついていなかった。この会社のセキュリティシステムは少し複雑で、もうこうなると自分のパスキーではどうしようもできなくなる。守衛さんを呼んで開けてもらうしかないみたいだ。


事情を伝えると、初老の守衛さんはめんどくさそうな表情をしていたものの、対応してくれるようである。


「少し待っといてね。」


そういうと、守衛さんは管理人室の奥の扉に消えていった。おそらくセキュリティシステムをいじってくれているのだろう。

間に合ってよかった。その安堵感と、あの張り詰めた居酒屋からの解放感で私はホッと胸をなでおろした。


ガラス張りの自動扉から夜空を見上げてみる、今日は半月のようだ。

街路灯は街だけでなく、夜空も照らす、そのせいか星はなかなか見つけることが出来なかった。


「あの、すみません。」


「わっ!」


後ろからいきなり声をかけられてびっくりしてしまった。

振り向くとそこには大柄な、グレースーツを着た温和そうな男性が立っていた。


「は、はい…なんでしょうか?」


「ごめんなさい。驚かせてしまいましたね。」


男性は少しばつが悪そうな顔をしながら続ける。


「実は私、本日御社を訪問した際に忘れ物をしてしまったようでして…少し大切な資料だったので、できれば今日中に回収したいと思い、訪問させていただいたのですが…」


どうやら男性は私たちの取引相手のようだ。


「そうでしたか…実は私も忘れ物を取りに来ていて…オフィスに入っても大丈夫かどうか、上の者電話を入れて確認してみますね。」


「申し訳ない。」


「…どうやら大丈夫みたいです。ご案内しますので、取りに行きましょう。」


「本当にありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ない。」


男性はとても丁寧な性格のようで、自分よりも一回り大きい年齢であろうにも関わらず私に頭を下げて謝った。こちらが驚いてしまう。


しばらくすると守衛さんが戻ってきた、どうやらうまいことセキュリティシステムは解除できたようである。



夜の会社は暗く、静かだった。いつか放課後のかなり遅い時間帯に学校を訪れたのを思い出す。オフィスは私が出た時と変わりない様子で、私のパソコンも男性の資料もすぐに見つけることができた。


「本当にありがとうございました。」


「いえ、自分も用事があったので、大丈夫ですよ。」


私が大丈夫だと言っても、男性はまだ申し訳なさそうである。


「お腹空いてたりしませんか?よかったら少しご飯にでも…あ、これ仕事相手だと断りづらいかな…」


「いえ!本当にお気になさらないでください。」


あ、これ相手と食事するのが嫌って意味だ捉えられちゃうのかな…

まずい、取引相手なのに…訂正しなきゃ


「あ、えと、そういう意味ではなくって…」


私が失言をしてしまったことで焦り気味になっているのを男性も察したのかもしれない。


「大丈夫です、わかってますよ!…ごめんなさい、私もあまりこういうの慣れてなくて笑、なかなかどういう距離感でお礼をしたら良いのか…(苦笑)」


良かった、誤解はされていないみたいだ。私はホッと胸をなでおろす。

そして男性は続ける。


「ただ何もお礼ナシというのも自分の気が許さないので、後日お菓子か何かを会社様宛てにお送りします…」


「いえいえ、本当に…」


「いえいえ…」


≪以下無限ループ≫


あとはもう社会人特有のいえいえ問答の繰り返しである。結局私が折れることになってしまった。



――――――――――――――――――



後日、会社にはやたら高そうなフルーツゼリーの詰め合わせが送られてきた。

お礼の手紙も同封されていたのだがその内容は思い出せない。

フルーツゼリーは大人気でその日のうちに消えてしまった。

私も一つ食べた。とても優しい味だったと思う。




~~つづく~~


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大阪ロマンスと最後の恋 笠井ハルカ @LIKN

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