第6話 合戦の大評定
さてその翌二十日、幸村は威儀を正して、大野修理(しゅり)の案内で登城いたしました。
城内の千畳敷には、有名な七手組七人の大将たちをはじめ、木村長門守(ながとのかみ)、大野道犬(どうけん)、その他の重役が綺羅星のごとく居流れております。
やがて、秀頼公がしゅつざされますと、一同ハッと平伏いたします。秀頼公がお声も涼しく、
「真田左衛門佐(さえもんのすけ)、近う近う」
「ハハッ」
と、幸村は膝頭にて進み出て、御前間近いところで、ハッと平伏いたしました。
「其の方儀、父太閤の旧恩を忘れず、この秀頼を助けんと味方に馳せ参しくれたること、過分の至りじゃ。関東との一戦には、其の方の采配を何分ともに頼むぞよ」
「ハッ、至らぬこの幸村に対し、かたじけないその御言葉、必ず身命を捧げて御奉公を尽くし奉ります。恐れながら、合戦のことお任せ下さいますならば、必ず関東の大軍を打ち退け、豊臣の天下にいたしますこと、掌(たなごころ)を指すよりもいと確かでございまする」
と、忠誠を誓います言葉の頼もしさ。秀頼公も大いに喜ばれ、ここに君臣水魚の契りを固める盃をたまわり、城中の一同にも軍師としてお引き合わせに相成りました。
この幸村の入城に引き続いて、天下の大豪傑、後藤又兵衛基次(ごとうまたべえもとつぐ)、塙団右衛門直之(ばんだんえもんなおゆき)、長宗我部盛親(ちょうそかべもとちか)なんぞと申す一騎当千の面々が、次から次へと入城、大阪城の士気はいよいよ古い質、今にも関東勢押し寄せ来たらば、目にもの見せんと、手ぐすね引いて待ち構えております。
それからは毎日、軍(いくさ)の評議が続けられましたが、困ったことには、この大阪城中には、秀頼公の御母公淀君(よどぎみ)という夫人がおられて、これが大した権勢、ことごとに何かと口を出したり指図をいたされます。その淀君におべっかをつかうのが、大野道犬、おなじく修理、主馬(しゅめ)、織田有楽(おだうらく)なんどという連中。これが淀君の威光を笠に、古参を鼻にかけて、何にでも出しゃばります。
これに引きかえ、新参の真田左衛門佐幸村、後藤又兵衛基次、塙団右衛門直之、薄田隼人兼相(すすきだはやとかねすけ)などの豪傑たちは、とかくにこの連中に頭を押さえられ、せっかくいい計画を思いついても、みんなこの連中の反対に出会うとそれが用いられないという、無念な立場でございます。
そこで、この度の合戦についても、第一番に幸村から
「たとえいかなる名城でも、退いて守るばかりでは、いつかは必ず落城いたします。それよりも、いっそ兵を美濃(岐阜県)尾張(愛知県)あたりまで進めて、関東の大軍を迎え撃ったなら、太閤殿下の旧恩を忘れぬ大名方の内には、必ず我が方へ味方に付くものも出てきて参りましょう。退いて防ぐのと、進んで戦うのでは、軍兵共の勇気においても、大きな隔たりがございます。関東勢を木っ端微塵に打ち破らんと思し召さば、上様御自ら、美濃尾張まで御出馬遊ばしますよう」
と、まことに勇壮なはかりごとをお勧めいたしました。すると、豊太閤(ほうたいこう)の血を受けて、英邁な気性の秀頼公、大いに賛成遊ばされ
「面白し、ではさっそく出陣の支度をせい」
と、勇み立たれましたが、これを傍で聞いていられたのが淀君、そこは気の狭い女心で、
「これ秀頼殿、美濃尾張まで出陣されるとはとんでもないこと。この城は、太閤殿下がお築き遊ばされた難攻不落の天下の名城、この城に立て籠もって敵を防げば、何の危ういこともありませぬに、進んで御出馬なすったら、どんな危うい恐ろしい目に遭うかも知れませぬ。そんなところへお出し申すのは、この母が不賛成じゃ」
と、泣いたり強がったり、脅したりして反対されます。おべっか者の大野父子や織田有楽なども、その尻尾について、しまいに何かと申しますので、せっかく張り切っていられた秀頼公御出馬のことも沙汰止みとなり、幸村が心魂を傾けて練った、せっかくの妙計もめちゃくちゃになってしまいました。
そこで、いよいよ籠城ということに決まりましたが、どうも戦評定に、何も分からぬ夫人が口を出すようでは、いかに軍師幸村が苦心し、豪傑組が奮戦しても、関東のあの古だぬき徳川家康を相手に、堂々と戦うことは難しいと思われます。
「ああ、困ったことだ。大阪城の運命も、秀頼公のご運性も、あの淀君のごときご婦人のために、所詮は崩れ破れてしまうのかもしれぬ。まことに残念千万である」
と、さすがの英雄幸村も、歯噛みして無念の胸を撫でるばかり。仕方なく、籠城と決心はしましたが、
「この上は華々しく一戦して、関東勢の肝魂を取りひしいでくれよう」
と、幸村はわざと大阪城の南に小高い地を選んで、自分で設計した出城を築き、ここに立て籠もって、大阪城と相応じて、敵を防ぎ、敵を攻める計画を立てました。
この出城は真田丸と呼ばれて、関東の大軍を幾度となくメチャクチャに打ち退けたお要害でございます。
さてまた、関東の大御所家康は、紀州の浅野家と松倉豊後守とからの急使によって、九度山の幸村が、大阪城に入城したと聞いて、
「南無三しまったッ。幸村めを要害堅固の大阪城に入れたのは、まるで鬼に金棒を与えたようなもの。厄介なことになった。よし、この上は我が計略をもって、幸村を大阪城中の者どもから疑わせ、軍師の役目がつとまらぬようにしてやろう」
と、何しろ古だぬきといわれるほどの大御所ですから、たちの悪い計略を思いつきました。そこで、幸村の叔父で関東方に属している真田隠岐守(おきのかみ)を呼び出し、
「其の方の甥の幸村は、この度、九度山を抜け出して大阪へ入城したそうじゃ。が、彼のごとき大軍師を、大阪方とともに攻め滅ぼすのはいかにも勿体ない。よって其の方、幸村の元に参って、我が味方に引き入れるよう勧めてきてもらいたい。幸村が我が味方に参るなら、上田城は彼に返し与え、信州一カ国の領主にいたすつもりじゃ」
「ハハッ、ありがたい仰せを承ります。さらばさっそく、大阪へ参って甥めにお言葉を申し伝え、必ずお味方に引き入れますでございましょう」
と、人のいい隠岐守、すっかり喜んでお受けすると、すぐ大阪さしてノコノコと出かけてまいり、真田丸の出城に、甥の幸村を訪問し、
「幸村、叔父が参ったのは余の儀でない。大御所様より、かくかくの仰せを承り、其の方を召し連れに来たのだ。何とありがたい大御所様のお仁心ではないか。さっそく、この叔父と共に関東方へ馳せ参じて、信州一カ国を拝領し、長く忠勤を尽くすがよかろう」
と、大真面目で勧めました。幸村はそれを聞くと、心の内でニヤリと笑い、「ああ、叔父さんはよく出来たお人だ。あの古だぬきに一杯乗せられて、大真面目で拙者に勧めにやって来るなんて、どこまで人がいいか分からない。だが、大御所がそんな計略を用いるならば、よし、こっちでもその裏をかいて、タヌキじじいめを一杯はめてやろう」と、恐ろしいほど目の見える幸村、早くも家康の計略を見破ったばかりか、かえってその計略の裏をかくことまで考えついたことは、どこまで鋭い智謀だか分かりません。
「叔父上、よくぞ勧めて下さいました。いかにも、大阪城内は不和多く、関東に対して、所詮五分五分の戦いは叶いません。せっかくの大御所様の思召し、拙者も心を一つ志を改めて、関東のお味方を仕りましょう。が、信州一国を下されるお約束に、間違いはござるまいか?」
「それはもう、この叔父が太鼓判を押して請け合う。いやよく志を改めてくれた。ではさっそく、大阪から引き揚げ、わしと一緒に関東へ参ろう」
「いや、それは相成りません。さようなことを致したら、城中の豪傑共の怒りに触れて、すぐ追手を差し向けられ、途中で討たれてしまいます。拙者はなおしばらく、何食わぬ顔でここに踏みとどまり、時機を見て逃げ出してまいります。なお、人質として、すぐ後からせがれの大助幸昌(ゆきまさ)を遣わしますから、大御所様の御前へ、よろしく申し上げて下さい」
と、さもさも本心らしく申しました。そこで隠岐守は、ホクホクしながら関東さして帰ってゆく。その後で幸村、
「ああ、しめた。思いがけないいい機会が見つかったぞ。おのれ、今にあのタヌキじじいめの首を打って、タヌキ汁をこしらえてみせるぞ」
と、天を仰いで喜びました。幸村の胸中には、いったいどんな妙計が考え出されたのでございましょうか?
幸村はさっそく、せがれの大助を呼びました。
「お父上、何御用でございます?」
「おお大助、其の方の命を、この父にくれぬか。いや、秀頼公の御為に、其の方潔く死んでくれぬか」
と、まことに意外な幸村の言葉でございます。
【現代語訳】講談 真田幸村 坂口 螢火 @uehara4869
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