第三話 黄泉の誓い


 突然、霊媒師は怨敵退散のような呪文を唱え始めた。その呪文の言葉を噛み締めるように、OLの女性も唱えていた。


 「不動明王さま、ノーマクサマンダ バザラダンカン。毘沙門天さま、オンベイ シラマンダヤ ソワカ……」


 ジャリジャリ、ジャリジャリ……。数珠をこする音がだんだんと大きくなる。そして、太鼓をドーンと打ち鳴らした。霊媒師は、天を仰いで口を開いた。


「よしよし、これで疫病神の怨霊から救われた。南野は最低な奴だ。飲み屋のツケは払わず家賃まで踏み倒した。しかも、覗き魔だ。あんな奴が死んでせいせいする」


 霊媒師の言葉が部屋に響き渡ると、一瞬の静寂が訪れた。その後、部屋全体が明るく照らされ、不思議な光が廊下を満たした。霊媒師はひと息つくと、アパートの住人たちのことを、神のお告げのように語ってきた。私は窓際で聞き耳を立てて、バレないようにそっと聴き入っていた。


「あんたは都会のホストに狂ってみついだOL、金がなくなると男から暴力を受けて逃げてきた。シングルマザーの女性は愛する男の忘れ形見の娘まで失い、駆け込んできた。その隙を突かれて、魔界からの外来種の黒猫に呪われたのだ。野々村という女は職場不倫のあげく懲罰を受けて飛ばされてきた」


 それって、私のこと……。まさに黒歴史やないか。私は心の中で呟いた。


「このアパート、もともと男は出入り禁止だったんや。元カノが自死したのに可愛い顔しとったから、情けをかけてやった。でも、ギャンブルから魂奪われて、サラ金の蛆虫に喰われた根っからの悪人だ。あんたも元気になったら、早く出ていきな」


 霊媒師は、黄泉の国から永遠に生きる証人のように、アパートに住む人々の暗い過去をすべて晒してきた。


 そして、大岩間の地名の由来となる伝説を教えてくれた。


 遥か昔、この地には世を照らす優しい女神と暴れん坊の男神、そして取り巻きの神が棲んでいた。しかし、男神たちの乱暴な行いが原因で、女神は四万十川のほとりにある大きな岩の洞穴に籠り、世界は暗闇に包まれてしまった。


 女神は暗闇を黄泉の国の儚いものの象徴と感じ、嘆き苦しんでいた。そして、世界を正すために、人々を化かす魔物の狐や狸たちを遣わした。女神は悪い者たちを懲らしめ、仏にしてから黄泉の国へ送り届けることで、この世が明るくなることを願っていた。


 祷叶とうかさんは、霊媒師の話を静かに聞き終えると、深い息を吸い込んだ。その瞬間、彼女の顔には安堵の微笑が浮かび上がった。


「ありがとうございます。これでやっと安心です。天井裏から覗かれることもないし、不吉なねんねんころりも聞こえなくなります」


 彼女は小さな声で呟いた。


 その夜、麗子さんの部屋からは子守唄の声は聞こえず、廊下を怪しげに照らす光も消えていた。翌朝、彼女たちはいつものように出勤し、その後の日々も平穏に過ごしていた。


 しかし、大岩間のアパートの謎はまだ解けていない。南野剛居士の死、シングルマザーの子守唄、そしてOLの女性の異変、点検口のシミ跡。これらはすべて偶然の一致なのだろうか、それとも何か別の力が働いているのだろうか。判断は見る人、聞く人、言う人によって異なるかもしれない。


 私は不思議な謎に引き寄せられ、逃げることなど考えていなかった。なぜなら、私自身のどこかで心霊スポットをこよなく愛していたからだ。


 この四週間、一万円という極めて安い家賃で見聞きした恐ろしさは、筆舌に尽くしがたいものだった。けれど、それは私の黒い歴史を塗り替えてくれて、いつしか思い出深いものに変わっていた。

 

 アパートには、都会で疲れた女性たちが集う人生の縮図が描かれており、それは駆け込み寺みたいな存在だった。居住者が入れ替われば、また新しい人間ドラマを楽しめることだろう。


 けれど、この物語はまだ終わりではない。これは、ただの始まりに過ぎないのだ。そして、私の運命はこれからも紡がれていく。


 この物語は、まるで一冊のミステリー小説のような黒歴史になるのかもしれない。そして、その小説の主人公は、私自身なのだ。この物語は、これからが本当の始まりなのだ。


 そして、その恐ろしい結末は、私自身が描くことになるのだろう。自分の命を引き換えにして。


 <完>


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大岩間の謎 - 運命のアパート 神崎 小太郎 @yoshi1449

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