第26話 那須に隠された平安秘話
世界に存在する宗教の主役である神様方は何かしらの形で登場されて人間にアドバイスを致します。これから書くお話にもところどころで神様が登場されてその力の宿るアイテムが手渡されます。
さて、栃木県の北部に現在も噴煙を上げ続ける活火山の茶臼岳を抱えた那須町があります。温泉で知られる観光リゾート地で、現在でも硫化水素ガスを出し続ける『殺生石』なる場所は九尾の狐伝説で有名です。
が、実はこの付近にはそのお話もさることながら、さらに後の時代に起こる有名な伝説までも関係してくる歴史的な場所と人物が存在していたのです。その一連の謎を解き明かすきっかけとなった御由緒を見つけたその神社こそが現在の鹿の湯に隣接する『藤乃稲荷神社』なる一種独特な雰囲気を醸し出している場所でした。
時は1125年頃、インドや中国で悪事を働いて日本に逃げて来た妖狐が、『玉藻の前』なる優美な宮廷婦人を装い、第74代天皇であった鳥羽上皇の寵愛を受けながら宮廷に仕えていました。しかし、不審に思った陰陽師に正体を見破られ、その妖狐は那須の地に逃げたのです。そこで登場するのが第66代一条天皇の時代に関白までのし上がった藤原兼家を祖とする“実在の”『藤原資家』です。彼は鳥羽上皇に願い出て討伐軍を編成し、8万ともいわれる軍勢を引き連れて那須へと向かったのです。ところが、既に本来の姿である『白面金毛九尾狐』と化した妖狐に様々な妖術の反撃を受け、多くの犠牲者を出す結果になってしまいました。
那須温泉には当時から温泉明神を祀った温泉神社の前衛である祠があり、ことあるごとに資家はその祠に向かって祈願をしたそうです。その祠のある崖下の方には当時地元で『でき穴』と呼ばれる洞窟があり、その近くに弓の練習場である『矢場』を設けていたそうですが、ある日のこと、そこで蜘蛛の糸に絡まりもがいていた蝶を助けてあげた時、その『でき穴』から翁が現れ、蝶を助けたお礼だと言って“二本の矢”を渡されたといいます。その場所こそが現在の『藤乃稲荷神社』のある場所です。そしてその時の『二本の矢』が後の伝説に深く関わってくるのです。
妖狐討伐軍の統制に指名された三人の将軍のひとりである三浦介義明が放った二本の矢のうち一本は九尾の狐の脇腹を貫き、もう一本の矢は首筋を貫きました。さらにもう一人の将軍である上総介広常の長刀で斬りつけ完全に息の根を止めることに成功したのです。(その後、翁から渡されたこの二本の矢は資家の子孫に大切に受け継がれることになりました。)
さて、九尾の狐討伐に成功した資家はその後、陸奥国白河郡にある八溝山に潜伏する『岩獄丸』と呼ばれ、伝説で何千年も生きて来た巨大蟹の怪物に例えられるくらい恐ろしく強い山賊と戦うことになります。大勢の人々が苦しめられ殺されていたものの、山中にある賊の潜伏先が全く分からず手をこまねいていました。なんとか居場所が突き止められないものか悩む日々…八溝山に向かう途中にある三和神社(現在の奈良県桜井市三輪の大神神社より勧請)に参拝して祈願したところ、大己貴神が現れて賊が隠れている場所は『笹獄』だと教えられ、さらに一本の蟇目鏑(大きい動物を射る矢)を渡され、それで射るようにと言われました。さらに付け加えて資家の行く末を守ろうぞとまで言われ、喜び勇んで笹獄をめざしました。その場所で賊を発見して頭めがけて射た蟇目鏑の矢は見事に命中し、賊の討伐にも成功を収めました。
その功績により第75代崇徳天皇より下野国那須郡を賜ったことで同地に下向することになりました。その地で始めは藤原資家改め『那須藤権守貞信』と称しましたが、その後「那」を略して『須藤権守貞信』と名乗りました。恐らく「須藤」の「藤」も『藤原』を略したものと考えられます。現在の『須藤』姓はもともとはこの那須の地より全国に派生したものとも考えられます。
ちなみに那須の湯本にあります『藤乃稲荷神社』の御由緒には「蝶を助けた須藤権守貞信にでき穴から現れた翁が二本の矢を渡した」旨がはっきりと記されていますが、ただその時の名はまだ『須藤権守貞信』ではなく、『藤原資家』が正しいのでは…と思いましたが同一人物には間違いありませんのであまり気にしないことにします。
須藤権守貞信はその後、那須神田城を築きます。貞信の死後四代までが居城していたと伝えられています。そして『須藤』の姓が『那須』に変わったのは貞信の嫡男であった『須藤宗資』の長男『那須資隆=那須太郎』からだといいます。この資隆には子が11人いて、治承4年(1180年)から源頼朝が始めた平清盛討伐のための挙兵を伊豆で行った際、それに従って源氏方についたのは“那須七騎”と呼ばれた一人であった十男・千本為隆(=十郎為隆)と十一男・那須宗隆(のちの那須与一)のたった二人だけでした。兄弟の残り九人の兄たちは皆平家についたといいいます。
貞信から見て曾孫にあたる宗隆=那須与一は「壇ノ浦の戦い」に臨んだ際、愛馬鵜黒にまたがり、波打ち際にて(過去に貞信が翁より頂いた)矢をつがえ、平家方の姫君玉虫御前(鬼山御前)が船上で掲げた扇の的を見るや躊躇することなくその矢を放ち一撃で射落としま た。
それには『那須記』にだけ記された後日談があり、弓を構える前に与一にしか見えていない子供の姿をした温泉明神が鵜黒の頭上に現れて、「玉虫御前の持つ扇の日輪(日の丸)から蜘蛛の糸を引いたからそれに従って弓を射なさい」と言って消えたのだといいいます。貞信の頃よりゆかりのある那須温泉神社に祈願してから臨んだ壇ノ浦であったからなのでしょう。余談ではありますが、『那須記』のお話とは別で、その壇ノ浦の戦いの後、玉虫御前は難を逃れ、敵方でありながら与一の長男とその地で幸せに暮らしたという話も存在します。
これらのお話でお分かり頂けたと思いますが、登場する『でき穴の翁』、『三和神社の大己貴神』、『那須温泉神社の温泉明神』なるお三方はいずれも同じ神様で間違いないでしょう。『時代の1ページを飾ることになる藤原家』に対して何かの思い入れがあったのでしょうか守護をされていたようです。世界的に見ても歴史上必要とされた人物たちには少なからず何かしらの恩恵や御加護を授けたのかも知れませんね。
非常識のThe通学 (ZATSUGAKU) EJ えしき @jet_black24
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