本編
《スポット1 草津温泉。草津に歩みし100
(水野仙子の霊)
「ねえ君。私の声聞こえるの? 君は霊感が強いんだね」
「そう。夏は亡くなった人の魂がこの世に戻ってくる季節。今日は草津の幽霊たちとお話できる日なの」
「私、生前は小説家だったんだ。メアリーさんの病院で湯治していたけど、天に与えられた寿命だけは草津の湯でも治せないみたい」
「もっともっと小説を書きたかったな」
「えっ? 幽霊がお風呂なんてヘン?」
「もぅ今日は私以外の幽霊もたくさん来て、とっても賑やかなんだよ?」
「湯畑を囲む石碑を回ってごらんなさい。石碑に刻まれている名前の幽霊が、もしかしたら遊んでくれるかも知れないよ」
「でもねえ。こういうものは決して、最後まで回りきってはいけない」
「石碑は百人分あるでしょう? だから全ての人生に触れてしまうと『百物語』と同じ効果があるの。百物語の最後には『物の怪』に命を奪われてしまう」
「だから……2、3人と話したら、もうおかえりなさい」
《スポット2》
その小学生の少年は草津の病院で亡くなった「お母さん」の霊を探していました。
お盆の夜には、草津に死者たちが戻ってくると聞いて、絶対に会うと決めていたのです。
それにこの夜には、不思議な「おまじない」もありました。
本来、草津の湯でも、もう死んでしまった人を生き返らせることはできません。
でも今日だけは特別。湯畑を回り「大切な人を一人も死なせたことがない霊」に湯をすくってもらうと「死を治す薬湯」になるのです。
少年はお母さんを生き返らせるつもりでした。
でもおまじないには続きがあります。湯畑を一周しても湯を手に入れられなかったら、物の怪に自分の命を盗られてしまうのです。
でも草津には日本武尊から昭和の映画スターまで勢揃いですから、英雄を見つけるなんて容易いと少年は思いました。
《スポット3》
「あなたは神を信じますか?」
「私はイギリスのシスター、メアリー・ヘレナ・コンウォール・リーです。草津の医療に貢献しました」
「あらら可愛いお客さん。今日はどんなご用ですか?」
「今までに大切な人を死なせたことがない人ですか……」
「たいへん心苦しいですが、私はあなたの期待に応えることができません」
「私は草津で、らい病の研究をしていました」
「多くの人を救ってきましたが、救えなかった人も多いのです」
「らい病で苦しんでいる人は世界中にいます。愛のため、草津を世界に広め続けねばなりません」
「さ、もっかいお風呂いってきましょう!」
「もう! 遊んでいるんじゃありません。これは研究です!」
《スポット4》
お囃子の音
「加賀百万石!! 前田利家じゃ~~ッ!!」
「ごほごほ。利家ともあろうものが重い病を患ってしまった。もう草津の湯しか頼るものがない。早く金沢に駆けつけねばならぬのに……!!」
「なに? 大人しく休んどれって?」
「あのな。北陸は自然の険しいところじゃ。豪雪に苛まれ、晴れる日など十に一度しかない」
「しかし険しいからこそ利家が行って豊かにせねばならぬ」
「なに? 利家ほどの猛将なら、仲間をみな守ってきたろって?」
「残念じゃが、信長様も秀吉どのもみんな死なせてしまったわい」
「まだ隣に残ってるもんといえば、まつ姫くらいじゃ」
「ところで気をつけよ。おかしな霊がいた。温泉はふだん会わないような輩ともすれ違うところじゃからの」
すると。
ひたひたひた。(後ろをつけてくる音)
「きひひ。罠にかかったね」(物の怪)
おかしな声が聞こえました。
《スポット5》
「わしは大阪軍の大谷吉継や。草津で、らい病の治療しとった」
「わしの顔見てみい。この通りじゃ」
「大谷善継を知らない? 江戸と大坂の決戦で、勝ち目のない大阪軍について戦死した義理堅い武将や。わしは誰一人見捨てることはない。疑うなら先生に大阪の陣を聞いてみい」
「死を治す湯?」
「あかんあかん。大切な者など一人残らず失ってもうた」
「なぜわざわざ負ける方に味方したかって?」
「茶々さまは天下に独りぼっちやった。負け戦やからみんな江戸へ寝返ってもうた。可哀想やろ。戦国時代のやつらは姫さん残して一人残らず逃げたって、カッコ悪すぎて後世に語り継げへんやろ?」
《スポット6》
「おや、わしが誰か分からん?」
「朝日姫。秀吉の姉だぎゃあ!」
「おっと失礼。今は家康の妻でした。おほほ」
「死を治す湯? そんなもん関東にあるなら、秀吉は家康に関東をやらんわい。長生きした家康に天下をかっ攫われるからな」
《スポット7》
「源頼朝じゃ」
「ふむ。負けを知らない天下人なら、死を治す湯を汲めるかと?」
「わしには無理じゃ。乱世が静まらない限り、民の命を失い続けておる」
「天下人は頂上ではない。平穏な世を築く道の登り始めに過ぎぬ」
《スポット8》
「吾(わたし)は日本武尊だ。東征の帰り草津温泉でしばし湯治をしていた」
「なに? 神さまなら、大切な人を失わずにきただろうって?」
「ならば、おぬしに草津の伝説を話そう」
「吾には弟橘姫という、病の妻がいた」
「姫が闘病している日々、吾は東征を命じられた」
「吾は逃げた」
「戦より一日でも多く姫と一緒にいたかった。しかし連れ戻され関東を攻めた」
「姫は、戦の間に亡くなってしまった」
「吾は戦に勝利し英雄となったが、草津を出る時に、ふと」
「姫の命と引き換えに、関東を切り取った哀しみが押し寄せた」
「どれほど褒め称えられても、もう姫がいない世界は生きている意味がないようにも思えた」
「あづまはや。こうして草津より東を関東とし、神が妻を思い出す地として『吾妻(あづま)』と呼ぶようになった」
「関東の地を踏む度に、涙が零れる」
(油で揚げる音)
「尊。揚げまんじゅうが冷めてしまいますよ」(弟橘姫)
「おお姫、せっかくあの世で会えたのだからな」
すると背後で声が聞こえました。
「グフフ。……まだ気づいてないね。実は死を治す湯なんて……クスクス!」(物の怪)
《スポット9》
「拙僧は行基菩薩。救いの旅をするついでに日本地図を作っています。ついでに温泉も見つけて回っています」
「死んだ母を探している?」
「ほう、お盆の夜ですからね。そんな散歩も悪くはないでしょう」
「なれば拙僧が、ありがたい話をしてしんぜよう」
「昔々、天竺に幼子を亡くした母親がいた」
「母親はお釈迦様のところへ飛んでいった」
「どうか我が子を生き返らせてください」
「するとお釈迦様はこう仰った」
「誰も死者が出たことがない家から、芥子の実を貰ってきなさい」
「母親は言われたとおり天竺を駆けずり回った」
「しかし、どんな幸せそうに見える家でも、死を経験したことがない家なんてなかった」
「芥子の実は見つからなかったが、母親はもう死者を生き返らせようと考えなくなった。そして我が子をようやくお墓に入れた」
「これ以上は何も言いますまい」
《スポット10》
「十返舎一九たぁおいらのことだ」
「江戸時代は、おいらのおもしろ本『東海道中膝栗毛』を案内にして、草津まで旅をしたんでぇ」
「しけた顔だな! とっておきの怪談で笑わしてやる!」
「弥次郎兵衛と喜多八が草津に泊まった時のことでい」
「おう喜多、この宿どうやら『出る』ってぇ噂だぜ?」
「へえ弥次さん。出るってえのは、弥次さんの三日も詰まったウンのコかい?」
「べらぼうめっ! 出るっつったら、うらめしやに決まってんじゃねえか!」
「ウラの飯屋で出たのかい。そいつぁめでてぇ!」
「えっ? もういい?」
「あっそ」
「薄々気づいてんだろ? 誰かの死を経験したことがない者なんていないって」
「そして母ちゃんの霊もどこにもいねえと」
「すべての霊が草津へ戻れるわけじゃねぇ。草津へ来たと歴史に残ってる者だけさ」
不安を煽るBGM
ひたひたひた。後ろをつけてくる音。
「そう。死を治す湯を汲めるヤツなんて初めからいないのさ。でも一度探し始めたら嘘と気づいても引き返せやしない。人間の心は弱いからな!」(物の怪)
《スポット11》
「しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、壊れて消えた」(子どもの歌声)
《スポット12》
ついに百人目の石碑を巡りました。
でも石碑はまだ続いています。何も書いていない石碑は、誰も祀られていないのではありません。
名前にできない者たちが祀られているのです。
これ以上は物の怪たちの世界。
でも少年は歩くのを止めません。
物の怪なら、死を治す湯を汲めるでしょうか?
お母さん、会いたい。
あの、やさしい声。もう一度聞きたい。忘れてしまう前に。
たとえ人の道を外れたとしても。
怖いBGM
《スポット13》
「ひゅ~どろどろ~。館林のお化け、ぶんぶく茶釜だっ!」
「おおいっ! おまえ人間の子じゃないか! こっちは彼岸だ入って来ちゃまずい!」
「お化けの威信に賭けて、絶対無事に帰らせてやる!!」
ぶんぶく茶釜はぽんっと茶釜に化けました。そして。
「タヌキだぞ~っ! 怖いだろ~っ! 頼むからもう宿に帰れよっ!!」
《スポット14》
「おーいっ!」
何かに声をかけられました。見ると、ナマズがいました。
おとぼうナマズは前橋市の妖怪です。前橋で自分の名前を呼ぶナマズが釣れてしまったら、絶対返事をしてはいけません。不吉なことの前兆ですから。
「おーいっ! お前~っこっち向け~。にししししっ!」
《スポット15》
とても怖いBGM
「きひひ。お母さんだよ」(物の怪)
妖怪の石碑を奥まで進んだ頃。目の前にお母さんが立っていました。
でもなんだか笑い方がヘンです。
ふと石碑を見ると『送り狐』と刻まれていました。
送り狐は桐生市の妖怪です。
親切な人に化けて、旅人を「間違った方へ案内する」妖怪でした。懲らしめられて、迷子を案内する良い妖怪になったはずですが……その瞳は呪いに満ちています。
「そう、私があんたに『おまじない』を吹き込んだ物の怪さ」
「教えてやろう。死を治す湯の本当の作り方は」
「このおまじないで誰かを騙し、生け贄にすれば、代わりに誰かが生き返るという仕組みのもんさ。ただし生き返るのは、1人の命を捧げてわずか1分間という……詐欺じみたもんだけどね」
「私はね。妖怪になる前、人間に子狐を殺されたんだ。人間どもからすりゃ狐の命なんて、食い物にしか思ってないんだろう? このくらい当然の復讐さ! あの子のためなら、私はどんな妖怪にだってなれるんだっ!!」
「今度はお前らが食い物にされる番だ! ざまあみろ! 人間め!」
(しばらく無音)
少年は何を思ったか、送り狐に歩み寄りました。
そして。
(抱きしめる音)
抱きしめました。
湯畑を巡り、誰かを亡くした哀しみは、神さまでも、天下人でも、妖怪でも同じだと気づいたからです。
しばしの間、沈黙が続いて。
狐の目から涙が零れました。
狐も少年の後ろから湯畑を回り、同じ思いに気づいていたのです。
同じ思いを抱きながら、その命を奪う矛盾に悩んでいたのです。
「お前は母を探し、私は子を探している」
「私が、お前の本当のお母さんだったら、何もかも丸く収まったのに」
すると狐はぽつんと呟きました。
「……あ。なれる方法、思いついちまった」
そういうと狐は少年を抱きしめ返しました。
「私の命で、お前のお母さんを蘇らせてやろう」
《スポット16》
石碑を見ると『お母さん』と刻まれていました。
「……これはいったい」
懐かしい声でした。送り狐が砂に変わると、そこから湯が湧き出て、お母さんが現れたのです。
少年はお母さんに抱きついて、泣きじゃくりました。
するとお母さんもすべてを悟り、少年の頭を何度も撫でました。
「ごめんね。もっと長く居てあげたかったのに……」
死を治す湯は、ひとつの命で1分間です。
一緒にいられる時間はそう長くありません。お母さんの瞳からも涙が流れていました。
「生まれてきてくれてありがとう。だからその命で、お母さんを追うことはしないで。あなたはこれから沢山の人と出会う。愛される。未来のあなたを置いてこっちへ来てはいけない」
「湯畑を一周したら、もう私は消えてしまうけど……」
「その一歩は、あなたの意思で」
「恐れず未来へ」
《スポット17》
BGM止まる
賑やかな雑踏の音
振り返ると、もうお母さんも霊たちもいませんでした。
ただ草津温泉がそこにあるだけでした。
みーんみんみんみん……(蝉の音)
草津鏡(くさつかがみ) あづま乳業 @AzumaNyugyo
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