第8話 大団円
今回考えている探偵小説では、気になっていることを織り込んでいくように考えた。
そのうちの一つは、
「中二病」
という発想であった。
「背伸びしたい」
という感覚が強い気がするのだ。
その強さがどこからくるものかということを考えると、
「女性目線で見ている」
ということであった。
この女性目線というのも、
「女の子が男性を慕っている」
という感じではなく、相手も女性、いわゆる、
「GL」
という感覚になってくるのであった。
「じゃあ、どちらが、男役なのか?」
ということになると、ピンとこないのだった。
それぞれのパターンにおいて、
「男にもなれば、女にもなる」
という感じで、今回の小説に関していうと、
「自分は女だ」
という感覚であった。
そう考えてみると、
「やはり、自分には、半分、女性の血が混じっているというのか、男になり切れないところがあり、そういう意味では、女性にもなりきれないという、中途半端な感じになっている」
という風に感じてしまう。
そのせいというか、おかげというか、双方向から見ることができるようになった。
だからこそ、今回のこの事件を頭に抱くことができるようになったのだ。
双方向の事件。普通の殺人事件という発想とは違っているのを感じるのだが、それがどういうものかというと、前述のように、
「パッと見、完全犯罪ができるような気がするのだが、冷静になって考えると、どんどん、ほころびが出てくるような気がする。そのほころびが、次第に強くなってくると、一度、こんな犯罪は不可能であることに行くつくのだ」
しかし、そこからが、発想の転換で、自分が、双方向から見ることができる。まるで夢の中での、
「夢を見ている自分」
あるいは、
「夢の中の主人公の自分」
というものが、
「どういう立場で見ているか?」
ということである。
隆は、今回の小説における、トリックのパターンを、
「交換殺人」
と決めた。
交換殺人というのは、メリットとデメリットの差が大きすぎる。メリットとしては、
「殺人の実行者は、被害者とまったく面識がなく、しかも、主犯には、完璧なアリバイを作っているので、疑われることはない。警察は犯人を特定することすらできない」
という意味で、
「一番、完全犯罪に近いのではないか?」
ということである。
しかし、デメリットとしては、
「犯行を決めてから、その後は、半永久的に、二人が知り合いであることを誰にも知られてはいけない」
ということである。
知られてしまうと、完全犯罪を行うという意味での交換殺人の趣旨がなくなってしまうからであった。
何といっても、二人の関係は、時効が成立するまで、知られてはいけないことなのであった。
そして、さらにもっと大きな問題がある。
この問題が、交換殺人という方法の、
「どうしようもない問題であり、気付かなければ、一人だけが得をして、もう一人は、地獄を見る」
ということになるのだ。
それは、いわゆる
「どちらが、先に犯罪を犯すか?」
ということである。
先に実行犯になってしまうと、地獄を見ることになる。
なぜかというと、
「人間というのが、そんなに甘いものではない」
ということだからだ。
「先に犯罪を犯すと、今度は、もう一人がその見返りに、自分が殺したい相手を殺してくれる」
などというと、とんでもない間違いである。
なぜなら、もう一人は、自分の殺したい相手を、相手が殺してくれたのだから、もう危険を犯して、人殺しなどする必要はない。
相手が、警察に行くことはありえない。何しろ、何の恨みもない相手を殺しているのだから、その罪の重さは計り知れない。そして、警察で、
「これは交換殺人だ」
といったとしても、証拠がないのだから、どうしようもないだろう。
何と言っても、
「実行犯」
であるということに変わりはないのだからである。
つまり、どのように言って、先に相手に犯罪を犯させるかということに成功すれば、完全犯罪になりえるということである。
だから、この犯罪は、交換殺人が、その犯行のトリックではなく、
「交換殺人で誘っておいて、相手を騙すことができれば、完全犯罪が完成する」
というものである。
そのためには、
「相手に、自分という人間を完全に信じさせる必要がある」
ということである。
それを考えると、
「BL、GLの関係」
というのは、お互いの精神だけではなく、肉体の関係でもあるので、相手を信じ込ませるには、十分なのかも知れない。
精神だけではなく、肉体での結びつきというのは、気持ちの上での結びつきを強くすると思っている。
特に、相手が同性であれば、その気持ちは強い。
しかし、隆は、
「男同士」
というのを、気持ち悪いと思っている。それでも、同性の身体の結びつきにどうしても憧れてしまうのだ。
そう感じていると、その結びつきを強くするものは、
「女性同士」
ということんいなり、その思いが、
「俺が女だったら」
という発想となり、そこから、あたかも、
「GLに走ったのではないか?」
と考えたのだが、そうではなく、
「逆からの発想」
だったのだ。
それこそ、
「対偶の関係」
といえる、
「ヘンペルのカラス」
の中に出てきた発想としての、
「すべての黒くないものは、カラスではない」
という帰納法的な発想になるのだ。
そこから感じるものが、
「意識と視界」
そして、
「灯台下暗しと、光ることのない、暗黒の星」
という考え方に結びついてくるのだ。
「暗黒の星の発想」
が、いかに、
「自分を信じ込ませて相手に自然な行動として、殺害するということに対しての暗示をかけるか?」
ということが問題になるかということである。
完全犯罪というものが、どういうものかというと、普通であれば、
「ありえない」
ということである。
特に、密室殺人であったり、交換殺人と呼ばれるものは、
「密室殺人」
の場合であれば、物理的に不可能だといっても過言ではないだろうが、
「交換殺人」
の場合は、物理的というよりも、考え方、つまり、論理的に不可能なのだ。
そういう意味では、
「密室殺人よりも、交換殺人の方が、可能性はあるが、企むとすれば、密室殺人の方が考えやすいのではないか?」
と思うだろう。
もちろん、密室殺人といっても、
「針と糸などを使った、機械的なトリック」
などというのは、正直、簡単に看破されるであろう、
しかし、それが看破されたことによって、そこから出来上がる、
「心理の密室」
というものは、容易に解決できるものではない。
機械トリックが解明された時点で発動する、
「心理の密室」
これは、
「交換殺人」
において、
「相手を、いかに、自分の言いなりになるように、信じ込ませるか?」
ということに近いものがある。
そういう意味では、交換殺人というのも、交換殺人を刑事が少しでも疑ったら、初めてそこで発揮されるのが、
「相手を言いなりにさせるテクニック」
という効果である。
それによって、警察の方も、普通に考えれば、
「交換殺人なんてありえない」
と、事件の背景を見ると気づくに違いない。
何といっても、最初に殺してもらった方が、有利だからだということは、誰が考えても分かると思うくらいの発想だからである。
そんなことを考えていると、今回の事件を引き起こしたのが、高校生であるという発想になったのだが、小説を書いている自分は、高校生ではないのだ。
確かに、高校生くらいから、小説をまともに書けるようになったと思うようになった。書き始めたのは、中学時代だったが、最後まで書けるようになったのが、高校時代。
つまり、小説の処女作は、
「高校時代に書いたものだ」
と感じるのだ。
その時に書いた作品が、確か、GLものではなかったか。
他の人には、
「絶対に見せられない」
と思った。
「人に見せるということは、自分の恥をさらけ出すようなものだ」
と思ったからだが、実際には、皆に知ってもらいたくて、書いていたはずではなかったのだろうか?
そんなことを考えていると、今回の作品が、日の目を見たのは、今の年齢である、35歳になってからだった。
やっと、この年になって、自分の感性が花開いたような気がしたのだ。
「中二病という性格が、花開いたのが、今なのかも知れないな」
と感じた隆だったのだった……。
「これこそ、中二病による犯罪」
と言えるだろう、
( 完 )
中二病の犯罪 森本 晃次 @kakku
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