絶望は続くよ

 全く気が付かなかった。

 言い訳する訳では無いが、本当に気が付かなかったのだ。

 大牙たちを追うラプトルを注視はしていたが、それでも、周囲の経過は怠らなかったはずなのに、何処からともなく現れた3体の紫煙のラプトルたち。

 一体奴等が何処から現れたか分からない。

 だがそんなことよりも…。


 「クソッ!ここまで来て…。やむを得ん…奴等の間をすり抜けるぞッ!こっちから触れられんなら、奴等も俺達に触れられんはずだッ!!」


 作業員の1人がそう言った。

 恐らく椿のボールがラプトルをすり抜ける所を見ていたんだろう。

 そして作業員の男性の言葉も納得だ。


 普通に考えれば、こちらが干渉出来ないのに、向こうが干渉出来るはずがない。

 街中でよく見かける最新プロジェクションマッピンを使った3Dモデル。


 洋服ブランド店などが導入していることが多いが、モデルの女性を立体的に写して洋服の機能性や魅力を全面にアピールする宣伝目的で使っているのをちらほら見る。


 もちろん映像なのでこっちが触れてもただ通り抜けるだけで、例え映像が動いて自分たちに触れても、同じように通り抜けるだけなのだ。

 だからこのラプトルも同じで、自分たちには触れることは出来ないと考えるのが普通だ。


 1人の作業員の言葉で納得した他の作業員たちが、我先にとラプトルたちの居る方へ突っ込んでいく。

 この先に進めば、自分たちは助かると、そう信じて…。


 「待って下さいッ!?確証もないのに危険ですッ!!1度立ち止まって…ッ!!」


 冷静になった椿は、無闇に突っ込んでくる作業員たちを制止しようと叫ぶが、彼らは聞く耳を持つことは無かった。

 助かりたい。逃げたい。死にたくない。生きたいと言う生存本能が、思考を鈍らせ、周りの声を遮断してしまっていたのだ。


 一種の錯乱状態だ。

 

 (確かに冷静に考えれば…アイツらも私達には触れられないはずだけど…。でも何?この違和感は…。)


 頭は理解していても、本能が何かを警告してくる。

 しかしその正体が分からない。

 そうこうしている内に、先頭の作業員がラプトルに近づく。

 その時…。


 「ダメだ椿ちゃんッ!!彼らをラプトルから遠ざけてッ!!」


 ホールから聞こえてきた、耕太の逼迫した声。

 多分これが最終警告だったと思うが、それでも全てが遅すぎた。


 「やった!!助かったぞ!!」


 紫煙のラプトルの真横を通り抜け、攻撃してこないとみるや、作業員の男性は両手を上げて喜び、椿の横を抜けホールに向かおうとした。

 しかし…。


 ドスッ


 「……え?」


 鈍い音と男性の困惑した声が同時に響く。

 そして直ぐに、男性が口から大量の鮮血を吹き出したのだ。

 吐き出された鮮血が、困惑した表情の少女の頬に飛び散る。


 「……が…?え…?」


 血を吐き出してなお、自分の身に何が起こったのか分からない男性は、ゆっくりとお腹辺りを見ると、そこにあったのは薄紫色をした尻尾のようなもの。

 男性は理解した。

 自分はラプトルの尻尾で、腹を貫かれたと…。

 そしてその後ろを見れば、ラプトルが赤目をギラつかせニヤリと不敵な笑みを溢していた。

 

 「あぁ…ああ…ああぁッ…アアァァァアアッ!!!!」


 困惑、疑念、恐怖、絶望、全てが入り混じった断末魔を上げた男性。

 しかしそれも長くは続かず、突然叫びが止まったかと思えば、膝から崩れ落ちドシャッ!と水分を含んだ音を鳴らし、その場に倒れた。


 男性が事切れたことを確認すると、ラプトルは尻尾を引き抜き、まるで侍が刀に付いた血を落とすように尻尾を一振りする。


 誰も何も発することが出来なかった。


 決意を固めた椿でさえ、動じる事のないあの大牙でさえ、言葉を失ってしまったのだ。


 一瞬の沈黙。

 

 「や、山田さん?」


 1人の作業員が、その沈黙を破った。

 倒れた男性に向け、恐る恐る名前を呼ぶ作業員。

 だが倒れた男性は動かない。もう二度と動くことはない。

 それを理解した時、作業員が狂ったように叫び始めた。


 ギリギリまで保っていた細長い糸が、プツンと切れたような音が、椿の耳に聞こえた気がした。


 その途端、周りから絶叫のように阿鼻叫喚が湧き出す。

 もはや場を収めることなど、出来ないに等しかった。

 整列して順番にホール内へ入っていた人々は、我先にとホール内へ逃げようと人を押しのけ、罵声を上げ規律の何もかもを崩壊させていく。

 耕太たちも必死に落ち着かせようとしているが、全てが無駄に終わっていく。


 椿は状況が掴めず、その場で立ち尽くすしか無かった。


 「ヤメロッ!!止めてくれ!!」


 「助けてくれ!!誰か!!!」


 山田という作業員が殺されてから、それを皮切りに他のラプトルたちも次々と作業員たちを襲い始め、声亡き姿へと変えていく。


 (あぁ…ダメだ…。何も…出来ない…。私の力じゃ…誰も救えない…。)


 椿の呼吸が粗くなり、心拍数がどんどん早くなる。

 血は巡っているはずなのに、思考が回らない。

 

 (大牙が…何か言ってる…。ごめん…やっぱり私には…。)


 幼馴染の声すら耳に入らない椿は、ダラリと腕を力無く下ろし、反撃する力を失ってしまった。

 それを感じ取ったのか、1体のラプトルがいつの間にか椿に目の前に居た。

 ヤツは椿の表情を見るなり、ニヤリと笑みを溢し、長い前脚を片方振り上げ、ギラリと光る鉤爪を見せつける。


 (ごめん…龍…。生きて帰ってきてって…偉そうなこと言ったけど…。私…ここまでみたい…。)


 その瞬間を見ていた大牙が声を荒げ、近くにいた篭旗が発狂しながら椿の元へ走ってくるが、もう間に合わない。

 死を覚悟した椿は、ゆっくりと目を閉じる。


 (大好きだよ…。)


 ラプトルの鉤爪は、無慈悲にも椿の心臓へと振り下ろされ、誰もが黒髪少女の死を予感した。

 

 赤き剛拳が…現れるまでは…。


 グラッ!?


 耳に聞こえた、ラプトルの戸惑った声。

 その直後に、ドゴッという鈍い音が響く。

 不思議に思った椿は、恐る恐る目を開ける。

 そして目の前に広がる光景に唖然としてしまったのだ。


 「……え?」


 最初に目に飛び込んで来たのは、真っ赤に燃え上がる炎。

 一瞬火事でも起きたのかと思ったが、違う。


 拳だ。


 拳が燃えているのだ。


 ラプトルの顔面にめり込んだ拳が、煌々と炎を上げているのだ。

 現実ではまずあり得ない光景。

 そしてそれを実現して見せた人物を、彼女は知っていた。

 拳を突き出した者は、オレンジのパーカーに黒に赤の縦線が入ったハーフパンツ、そして拳に纏った炎に負けない程の真っ赤な髪を持つ少年_炎城龍騎だった。


 「龍…ッ!!」

 

○◆○◆○◆○◆○◆○◆○


 渋谷スクランブル交差点付近。

 本来であれば、ここは多くの人々でごった返しているはずの、渋谷のシンボルと言ってもいい場所なのだが、今は人っ子一人居ない。

 それもそうだ。

 突然現れた漆黒の怪物たち。

 ソイツらが全てを破壊してしまった。

 日常も、幸福も、営みも何もかもを…。

 そう…原因は全て…。


 ズン…ッ


 コイツだ。

 

 誰も居なくなったスクランブル交差点を、我が物顔で徘徊する漆黒の暴君_ティラノサウルス。

 生気のない白眼で周囲を見渡す暴君は、まるで何かを探すように必要以上に建物の中や、乗り捨てられた車などの車内を見ていく。

 一体何をやっているのか皆目検討もつかないが、鼻をヒクヒク動かして匂いを嗅ぎ、犬のように辺りを歩き回る。


 ふとその時、暴君がいきなり立ち止まった。


 何か気になりだしたのか、ある一定の方角を見ると、暴君は不敵な笑みを1回浮かべる。

 そしてそのまま、その方向へと歩き去っていったのだ。


 誰も居なくなったスクランブル交差点。


 その側に、ある誘導看板が立っていたが、暴君が向かった方向には“ESNS株式会社”の文字が掘られていた。

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仮面の英獣使い TOBU虎 @tobutora2244

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