自称の神
かなぶん
自称の神
奇跡だと喜ぶ人々を前に、その中心にいる少女はぎこちなく笑む。
何をそんなにも喜んでいるのかは知っている。
それが自分のことだと分かってもいる。
それでも……少女一人だけは、素直に喜べない。
喜んでいられない。
奇跡などという言葉で片付けられはしないのだ。
少女の身に起こった「異変」は。
「!」
裏付けるかのように襲ってきた悪寒から病室の窓を見る。
綺麗な月夜だった。
何もない、綺麗な。
だが、少女は確かに視た。
冷ややかな双眸が月明かりの中、ベッドの上にいる自分を見つめている姿を。
そこから始まる「日常」は、「奇跡」を次第に蝕んでいった。
* * *
「ただいま……あ?」
この日も何事もなく、振り分けられた地域の見回りを終えた魔女は、挨拶がてら居間を見て眉を顰めた。
長い黒髪の家主と、オレンジと白が入り交じった猫耳のような髪型の少女が、揃いも揃って背を向け何か――魔女からは見えないテーブルを見ている。
「あ、おかえりなさい、
「おかえりにゃさい、魔女様」
振り返って各々に返事をした二人の間から、もう一つ声がやってきた。
「おかえりなさいませ、魔女殿」
深々と頭を下げたのは、二人の視線を釘付けにしていたテーブルの上のソレ。
「……誰?」
近づきつつ改めて見たソレは、石膏像であった。
緩く波打つ長い髪に、ゆったりとした布の衣服に覆われた体格は成人女性。
造形は端正だが、足元は台座になっており、歩けそうな足は見当たらない。
「女神像……?」
見たままそんな感想を呟けば、石膏像はコクコクと頭を振った。
「ええ、ええ、そうですわ! わたくしは自称女神ですの!」
「自称……」
「ええ、自称ですわ!」
胸を張って高らかにそう宣言する自称女神に、魔女はどういうことかと問う視線を、似たような顔の二人へ向けた。
――曰く。
それぞれ用事で出かけていた家主と猫耳少女は、屋敷の前で偶然出くわし、そして偶然、この石膏像が扉の横にあるのを発見したらしい。この時点で二人とも、少しくらいは奇妙に思っても良さそうなのだが、常人には感知できない屋敷の扉横にあったその像を、何故だか揃いも揃って「
魔女を訪ねてきた、と前置いてから。
「それで魔女殿、いかがでしょうか? わたくしをご覧になられて、何かおかしな点にお気づきになりませんか?」
(いや、お気づきになりませんかって聞かれても)
何から何まで全てがおかしい問いかけに、数秒悩んで考えた魔女は答える。
「あー……目がない、かな?」
自称女神には、人型の女神であるなら、あって然るべきところに目がなかった。目蓋も、目玉と思しき膨らみもない。ただつるりとした平面があるだけだ。
場合によってはそういう造りだったのかもしれないが、
「ええ、ええ、ご明察ですわ!」
魔女の回答にはしゃぐ自称女神。
どうやら元々は目に該当する部位があったようだ。
「女神の
「ごめん、どういうことかさっぱりなんだけど」
分かる?、と遠巻きにこちらを見ている家主へ目だけで問えば、ふるふると首が振られた。ちなみに猫耳少女は話の途中で飽きたらしく、耳以外も猫に姿を変えては居間から去っていた。大方、寝床で丸まっているのだろう。
いっそ同じように去りたい魔女と家主の心情を露知らず、無い目をたおやかな手で覆った自称女神は、しくしく流れもしない涙を拭うように顔をこする。
「申し訳ございません。目がないことに気づいてから、以前よりわたくしを女神として敬い、日々拝まれていた方が先ほどの言葉を仰っていたのです。語呂がいいとかなんとか。正直なところわたくしも意味までは分からないのですが、故人との思い出でもございますし、勢いがあっていいな、とも思っておりましたものですから、つい」
「そう……」
薄々気づいていたことだが、この自称女神、独特な性格をしているようだ。
色々と触れにくい話に迷っていれば、両手をトンッと合わせてきた。
「つまりはですね、魔女殿にわたくしの目を探していただきたいのですわ。この地域を管理されている魔女殿でしたら、わたくしの小さな目であっても見つけ出していただけるのではないかと思いましたの」
「地域を管理……小さな目、ね」
引っかかる単語は端々に。
幾度となくした何とも言えない顔を、もう一度、十歳前後の少女の顔に浮かべた魔女は、大きなため息を一つついた。
* * *
自称女神の目は、思いの外、すぐに見つかった。
それどころか、魔女は一年ほど前にソレを見ていた。
自称女神が目を探し始めたのは最近とのことだったので、最初は思い違いと思っていたのだが、よくよく話を聞くと、そもそも目を探し出したのが最近だっただけで、いつ失くしたかは知らないらしい。
生物と違い、石膏像であるため、所定の位置に目がなくとも見え方に違いがなかったのが、長らく気にしていなかった原因だという。今になって探し始めた理由については……最近になって持ち主――自称女神を自称女神たらしめた元凶を亡くしたところ、面白半分に目玉代わりのボタンを貼りつけてきた輩がいたため、だそうだ。
それならそのままでも不便はないのではと問えば、さすがにボタンなどを付けられるのは自称女神として受け入れられない、とのことで、これ以上妙な顔にされないよう、一刻も早く目を取り戻したいという話になり、魔女と自称女神、成り行きで家主は、目の在処だというマンションの前に辿り着く。
「うーん……。ちょっと、放置し過ぎたかも」
夜空を背景に、そびえ立つマンションを見上げた魔女が眉を寄せた。
「どういうこと?」
同じように見上げた家主は、魔女の視線の先を確認するように、魔女の顔とマンションを行ったり来たり、見比べる。
「あの時は正直、そこまでのモノだとは思わなかったのよね。ここまで長く続くモノでもないと思っていたから……でも」
言って腕に抱えた自称女神を見た魔女は、ため息をついた。
「神の目だったなんてね」
「へ? わたくしのことでしょうか? ですがわたくし、自称でございましてよ?」
「自称はあくまで貴方の言い分だもの。自称臨時地域魔女、自称化け猫……そう称することで一時的に自制しているだけ。でも、私はどんなに否定しても魔女と呼ばれるし、魔女の力を行使することができる。貴方だって、貴方を女神と崇めた人がいたんでしょう? その時点で貴方は、結局のところ、どんなに否定しても、女神だったのよ。貴方を崇めた人がそう望んだように」
「はあ……」
自称自体にプライドでも持っているのか、魔女の言葉に女神は曖昧な返事をする。
やり取りを見ていた家主は、首を傾げて問う。
「それで梢さん、神の目だったら何が問題なの?」
「「…………」」
「え……? へ、変なこと言った?」
神という単語に対して、ただの言葉としか思っていない口振りに、顔を見合わせる魔女と女神。人どころかこの世界のモノでもない家主は、これまでとは違う揃った反応に狼狽えた。
* * *
失明は免れないと言われた病。
その奇跡的な快癒に喜ぶ人々を見て、一度は「異変」を敢えて見過ごした魔女は、一年の時を経て、再び少女の前に現れた。
「誰……?」
問う少女の目は、あの時偶然にこちらを捉えた時と同様に怯えていた。
(……その意味をあの時気づいていれば――でも)
神の目を備えたと知った今なら分かる。あれは偶然ではなく、神の目が作用してのことだったのだと。そして、あの時知っていたなら、魔女は躊躇いなく、彼女の目から神の目を――光を奪っていただろう。
それ以外に取り除く方法がないのだから。
この、今の少女の窮状を、未然に防ぐために。
一年前の喜びは今この場にはなかった。
当然だ。
只人であれば見なくて良いモノを視、知らなくて良いモノを識り、それゆえに独りを余儀なくされてきたのだ。神の目の力を求めるモノから、大切な周囲を遠ざけるために。守る術を持たない少女には、できることも限られていた。
ふと、今の彼女の目に、自分はどう映っているのかと魔女は思う。
少女より年下に見えるはずの自分は――……。
(……まあ、この反応が何よりの答えか)
一人暮らしの部屋に現れた年下の少女。
それだけでも十分怖い要素だろうに、彼女の怯えはそれ以上だった。
手を伸べればそれだけで短い悲鳴を上げ、壁に背中を押しつける。
頭を抱えて、ぎゅっと目を閉じる。
何も視ない。
それこそがきっと、この一年の間で彼女が手に入れた対処法。
束の間、手に入れた「奇跡」を放棄することが、唯一の。
(間違ってはいないけど……正しくはない)
閉ざされた分、その間に蓄えられた力は次に開かれた時、増して鮮やかに輝く。
首を振った魔女は、耳も塞いでうずくまる少女へ告げる。
場を支配する魔女の声は必ず届くと知っているがゆえに、静かに、淡々と。
「貴方に良いモノをあげる。見えないモノと隠すモノ。……ああ、隠すモノは少しおしゃべりかもしれないけど、貴方や周りを害するモノではないから」
そうして近くの机に置いたのは、眼鏡と女神像。
眼鏡は神の目の漏れ出る力を調整し、視力を常人とするために。
女神像は本来の神の目の持ち主として、彼女の姿を隠すために。
このまま家主の待つ外へ出て行っても良かったが、不意にうずくまる姿を憐れんで魔女は付け足した。
「もし……何もかも見えない方が良いなら、隠すモノに願いなさい。そうしたら、私が貴方の光を奪ってあげるから」
直後、少女の顔が上がった。
今にでも奪われることを願うようなソレを目の端に、魔女は立ち去る。
「お疲れさま」
マンションから箒に乗ってきた魔女へ手を差し出せば、そっと掴まれる。
そのまま地に降り立った身体を抱き留めたなら、体重が預けられた。
見た目通りの軽い重みに腕を回す。
「……上手くいくかな」
珍しく弱気な言葉を聞き、労うように小さな背を叩いた。
「大丈夫だよ、たぶん。なんたって自称女神と自称臨時地域魔女の加護を得たんだから。後はどっちに転んでも、彼女次第でしょ?」
「……
「うん」
「……何でもない」
続く言葉は「冷たい」だったのか、それとも「無責任」だったのか。
どちらにしても自分にピッタリな気がして、場違いに小さく笑い、「帰ろう」とだけ促した。
数日後、慣れない眼鏡に苦戦する少女と、滑らかに動いて流暢に喋る石膏像型AIロボットの噂が、どこかの高校で真しやかに流れたとか、流れなかったとか。
自称の神 かなぶん @kana_bunbun
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