美男美女が現れて去っていく

浅賀ソルト

美男美女が現れて去っていく

 着ている服が透けて見える眼鏡というのが違法商品としてネットで出回った。しかし現実は期待したものとはちょっと違った。単にAIで合成する代物だったのである。

 俺はそれを手に入れた。ネットで送金して商品が送られてきたのではない。ネットで知り合った怪しげな人から怪しげな人を紹介されて、なぜか登戸で待ち合わせをして現金を手にスマホでメッセージのやりとりをして案内された変な住宅街を歩いて行くと、公園前の道路のガードレールに若い男が腰を引っかけていたのである。アスナと名乗っていたので以降はアスナと呼ぶ。世の中にたくさんいるアスナさんとは似ても似つかないが、ある意味で非現実的だった。

 パーカーのフードを被っていたり、妙に痩せていたり、目がギョロギョロしていたりはしていなかった。スーツを着て、ネクタイを締め、一流企業にエリートコースから就職したようなイケメンだった。顔でエリートコースって判断するのも今になって考えると間抜けな話である。一目見て男性モデルか何かじゃないかと思った。モデルというものを生で見たことはそれまでなかった。しかし話には聞いていた。実際に会うと存在感が違うと。で、そのアスナの顔を見たとき、一目でモノが違うと思った。なんじゃこりゃ。顔の肌に皺や染みがなくテラテラしてて気持ち悪い。目とか口とか、あと鼻も、バキーンって感じで——サインペンで枠線が引いてある感じ——自己主張がすごい。そんでもって足が長い。腰も細いけど上半身はがっしりしている。こういうのを見ると普段の俺はビジネスマッチョと馬鹿にしてたが、ビジネスでマッチョにできる人間は偉いと思った。やりたくないのにトレーニングするなんて偉い。とはいえ、モデルだとしたら、胸板の厚さで収入が変わるんだから、やって当たり前か。

 やれば収入が上がるのにやってないことは俺にはたくさんある。英会話とか。

 話が脱線した。

「もしかしてアスナさんですか?」と聞くと、「初めまして、アスナです」と返事がきた。低くて渋い声だった。完璧かよ。

 アスナは眼鏡をしていなかった。対面している間、全然似てないのに俺は五条悟を連想していた。呪術廻戦の。

 彼はスーツのポケットから眼鏡ケースを取り出した。灰色の、光沢があり、曲線の無いソリッドなデザインのケースだった。SF映画のアイテムっぽい。

「これがその眼鏡になります」

「あ、はい」俺はこういう取引には慣れてない。慌ててポケットに手を入れて下ろしたての10万円を握った。しかし出さなかった。ここで現金を渡すほどには馬鹿じゃない。相手がどんなイケメンだとしてもだ。「じゃあ、まず、試させてもらっていいですか?」

「どうぞ」

 アスナはニコリと営業スマイルを見せてケースを開いた。

 眼鏡はちょっと無骨だった。ケースほどにはソリッドではない。フレームの色は黒。かなり太い。最初からAIで裸を合成するなんちゃって透視眼鏡であることは知っていたので小型化の期待はしていなかった。レンズの部分は小さいのにフレームは小指より太いくらいだ。画面は小さく、構造部分は大きく、なにか製品化の努力の跡が見えた。

 失礼しますと俺は言ってポケットの10万から手を離し、眼鏡を手に取ってみた。軽くはないが思ったほどには重くない。の部分も太い。俺はそれを広げて、まずは耳にかけずにレンズを覗いてみた。登戸の歩道が見えるだけだ。アスナを見る。下から眼鏡を持ち上げていく。靴も履いてるし——ブランド品なんだろうな。知らんけど——パンツも穿いている。へそのあたりまで持ち上げたとき、「顔にかけて電源を入れないと見えませんよ」と言われた。

「なるほど」俺は納得して眼鏡をかけた。

 アスナは自分のこめかみのあたりを触った。「電源スイッチはここにあります」

「はい」俺は眼鏡のそのあたりに触れた。機械式ではないらしく、タッチで電源が入ると、スマホのロック解除のような音がした。

「電源オフは長押しです」

 眼鏡のレンズが一瞬だけ白く曇り、それから目の前に全裸のイケメンが現れた。

「うおっ」思わず声が出た。目を逸らす。

 チンポまでイケメンだ。

 いやいや、これは合成だ。本物じゃない。

 それからまたチラっと見た。無修正のチンポがまた見えた。また目を逸らし、また見た。

 ……あらためて書いてみても、何やってんだろうな、俺。

 これは市販はできないわなあ。

 じっくり見ていいのか分からず地面を見ていた。

 アスナは「どうぞ、ご遠慮なく」と言って手を広げて真っ直ぐに立った。ファッションモデルというより、奴隷見本のような立ち方だった。どっちも見たことないけど。

「あ、はい」

 俺は気を取り直してアスナをまじまじと見た。たまに眼鏡を外して裸眼との差分を確認したりした。

 顔はイケメンのままだ。レンズを通さなくても肌に修正がかかった様子はない。しかしこれはアスナ以外の人間で確認する必要があると思った。

 首から下に視線を動かすと、自分が見ているものは、あの、期待した、服が透けて見える眼鏡の見た目とまったく同じだった。

 アスナは少しずつポーズを変えた。腕を組んだり、腰をひねったり、ガードレールに片足を乗せたりした。その動きに裸がきっちり追従してくる。ラグもない。

 裸の衝撃が過ぎると——あまり股間は見ないようにした——この商品の技術に感心してしまった。「すごいですね、これ」

「そうでしょう?」

 アスナは最後にくるっと回ってみせた。眼鏡を通してもきちんと回っていた。チンポが遠心力でちょっと広がって、回転の終わりで太股にぶつかってペチンと……音はしなかったが挙動は完璧だった。

 俺はもう一度言った。「すごいですね、これ。オーバーテクノロジーでは?」

「だから非売品なんです」

 絶対に10万は安い。100万してもおかしくない。もっとも100万ですと言われたらこんな風に登戸に来たりはしなかっただろう。

 そして登戸はそんなに田舎でもない。ちょっと離れた住宅街でも普通に人は歩いているし、車も走っている。俺はそっちを見た。散歩しているおっさんも全裸だし、車を運転している誰かの肩も裸だった。

「試着はそろそろいいですか?」アスナは言った。ちょっと焦っているようだったので俺が黙ると、「いくらでも試していいですが、試着だけして返す人がいるんですよ」と補足してきた。

「そんな人、いるんですか?」

「嘘だと思うみたいですね。お金ないって言ってくる人もいましたよ」

「あー」なんとなく分かる。「なるほど」

「なので、焦らせるわけじゃないですが、嘘じゃないと分かったらお引渡しをしたいのです」

「分かりました」俺は眼鏡を外した。アスナに渡す。そしてポケットの現金を取り出した。「はい」

 眼鏡を受け取ったアスナはそれをケースに入れて、そのケースを一旦ポケットに入れた。現金を受け取り、それを数えた。確かにと彼は言い、お金を内ポケットに入れると、また外のポケットから眼鏡ケースを出した。

 俺はそれを受け取った。

 一連の動作はすりかえ詐欺っぽい。一方でこんなにすごい本物を用意しておいて、ここで偽物とすりかえるなんてことをするだろうか? まあ、路上で禁制品の取引をするのに用心しすぎということはない。俺はまたケースから眼鏡を出し、かけて、電源を入れた。再び目の前に全裸のイケメンが現れた。

 全裸のイケメンは微笑んで、「お買い上げありがとうございました」と言って頭を下げた。

 裸で礼儀正しいというのはなんとも奇妙なものだ。お辞儀をすると肩から背中、そして尻の割れ目までが見える。きゅっと締まったいい尻だ。

 合成なんだけど。本当の尻ではない。俺はアスナの本当の尻を見てはいない。見たこともない。

 混乱するな、これ。あまりに自然なので本物の裸にしか見えない。理性でこれは合成だと自分に言い聞かせないとすぐに脳が本物と錯覚してしまいそうだ。

「それでは。私はあっちに車を停めてますので」

 アスナは颯爽と——全裸で——駅とは反対方向に歩いていった。俺は眼鏡をかけたままそのケツを見ていた。足の長さは本物だよなと疑問を感じた。眼鏡を外して見た。身長と腰の位置は変わらなかった。やがて彼は見えなくなった。

 俺は眼鏡をかけ直し——空のケースはポケットに入れていた——そのまま駅の方へと向かった。

 人数が増えるとどうなのかと思ったが、5人や10人では性能は変わらなかった。全員が見事に裸である。こういうときは技術的疑問が出てくるものだ。ネットではあまり質問に答えてもらえなかったのでそのあたりの疑問は自分で調べるしかなかった。

 アクセサリーは消えるのか。手に持ったハンドバッグは消えるのか。元の服がベージュだったらどうなのか。鏡で自分を見たらどうなるのか。

 もう一つの疑問が女体の神秘への疑問である。我々はその秘密を知るためにアマゾンへ飛んだ。というか普通に一人で駅前へ歩いた。

 ……。

 駅前で通行人を見ていた。そして早くも俺は飽き始めていた。

 これは詐欺商品ではない。最初からAIで合成した全裸を実際の映像にはめこむものですと説明を受けていた。無修正だとも聞いていた。だから市販もできないアダルトグッズだと。真面目に捜査されたら猥褻物陳列罪か何かで捕まるかもしれないので、真っ当な商品ではない。一方で、誰かの裸を覗くというような犯罪ではない。幼女の全裸データなど、元のデータのことを考えると見て見ぬふりをするのもどうかと思う代物で、犯罪を助長しているかもしれない。そのあたりのボーダーは自分では了承して購入した。騙されたわけではない。

 しかしこうやって通行人の裸を見ていると、あれもアスナのチンポだくらいは気づく。こっちも同じおっぱいだ、とか。バリエーションはそこそこあるが、それでも想定の範囲内におさまる。みんなナイスバディだ。

 これ、ただ、AI画像を延々と見るのとそんなに違いなくね?

 性器とか明らかに無修正ポルノからの拝借っぽいし。

 電車に乗って帰路に就く。渋谷に行くつもりだったがそんな気も失せてしまった。

 乗客がみんな裸なのは面白い。こういう合成画像もネットで見た気がする。リアルタイム性がこの眼鏡のキモで、それがあるから刺激にはなる。

 眼鏡を外した状態からゆっくり目の前にもってくることで、みんなの服がすーっと消えていくのも面白いのは最初だけだった。

 やがて、容量が不足していますと視界の隅に表示が出て、それから5分後にはバッテリーが切れた。みんなの服が戻った。

 なんだこれ。

 俺は眼鏡ケースを取り出して中を見た。マニュアルのようなものもなければ電源ケーブルや端子のようなものも見当たらない。

 どうやって充電するんだ?

 俺はスマホを取り出しメッセージを送ろうとした。すでにアカウントは削除されていて送れない。

 うお、騙されたと思った。それから、こんな無修正ポルノを扱っていて捨て垢じゃないわけがないと思い直す。充電とは関係ない話だ。これは。

 それはそうとこれで終わりではたまらない。俺はスマホで何かヒントを探そうと検索を始める。

 小田急線の隅に立っていた女がこちらに近づいてきた。背が高いとは思っていたが、スタイルはこの眼鏡だとみんないいので気にしていなかった。生で見るとこれまたすごい美人だった。人生二度目の生モデルだ。アイドルとか女優と違って細くて薄い。腰の位置がおかしい。座っている俺の目線とほとんど同じ高さにある。高そうな服だが俺はそれを表現する語彙を持ってなかった。

 目の前に立つと俺を見下ろした。

 俺は目を上げて、その小さい顔の大きい目を見た。「アスナさんですか?」

「まあ、それでいいよ」そして手を出す。「ん」

 それが意味することは分かる。

 周りの乗客がジロジロ見ていた。

 俺は動けないでいた。

「回収に来たんだけど、分かる?」

 俺はうなずいた。「分かります」

「ん」その女は出した手をずいとさらに近づけた。

 俺はケースを取り出した。女アスナの手は突き出されたままだ。俺は開いて中の眼鏡をかける。電源を入れると起動してくれた。全裸の美女が現れて、電源が切れ、すぐに服が戻った。

 女は無表情のままだった。

 俺は眼鏡をケースに入れ、それを渡した。

 受け取った女アスナはそれをバッグに入れると、「楽しめた?」と言った。

「はい」

「言っておくけど、この眼鏡に私のデータは入ってないからね」

 俺はこの女アスナが好きになっていた。笑顔になって、「それは残念です」と言った。

 彼女の顔に嫌悪感はなかった。諦観と、ちょっとした母性すら感じた。まあ、気のせいかもしれないけど。

 彼女は、「あっちに車を停めているので」と言った。そして俺の前から離れていった。周りの客が男女問わずジロジロと見ていた。立っていた元の場所に戻るのかと思ったら、扉を開けて隣の車両に行ってしまった。

 足なげえと俺は思った。

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