名が隊を表す

とりのめ

ここも居場所

「……あれ、タロさんは」

 イテツが経営する喫茶店にアヤメだけが現れたので、そう問うと、彼女はいつものカウンター席に座りコーヒーを注文すると、ちらりと隣の席見る。

「……この時期は、欠かさず『帰る』のよ、身内のお墓参りにね」

「……そう」

 イテツはそれ以上は問わずコーヒーを置き、アヤメもそれ以上は言わず受け取ったコーヒーを口に運ぶ。


 今日は静かな時間が流れていく。




 タロウは大きな花束を抱え、とある共同墓地の一角に立っていた。目を閉じ、ここに眠る者へ謝罪と感謝を心の中で述べた。

 しかし、この棺に入っているのは指輪とその指輪をはめていた指の骨、そしてドッグタグだけだ。その他の全ては、遠い異国の戦地にまだ残されている。


 タロウはしゃがんで花束を墓石の前に置く。その花束の上には大粒の涙が降った。声を殺し、ぼたぼたと音を立てて涙を落とし、タロウは泣いた。


 ―友よ、すまない。―

 ―弱い俺のせいで。―

 ―一緒に帰れなくて。―



 未だ迎えに行くこともできず、己の無力に打ちひしがれ、毎年涙を落とすしかできない己に怒りが湧き、結局のところ何故泣いているのかもわからなくなる。

 友のため、と言いながら、突き詰めれば自分の感情に振り回されているだけではないのか。


 途中で落ちる涙を拭いつつ、立ち上がってタロウは墓地を後にする。




 バイクに跨り、荒野をひた走ると今まで何もなかった地平線の向こうにぽつりと建つ建物が見えた。ガソリンスタンドと小さな売店と飲食店が一緒になったような造りのそこへ、タロウは進む。駐車場にバイクを停め、迷いなくその店内へ入った。薄暗い店内には何人もの客がいる。入ってきたタロウを店内客が同時に見た時、その内の一人がゆらりと立ち上がる。黙ったままタロウに歩み寄るその男は、彼より更に一回り大きく見えた。

「……テメェは」

 男はタロウを見下ろしながら呟くと手を伸ばす。

「……」

 その手は拳になることなく、タロウの背中に向かった。つまりはがっしりした両腕が勢いよくタロウを抱きしめたのである。

「……シュガー! 生きてたか、シュガー!! おい、テメェら、友がまた一人帰ってきたぞぉ!!!」

 ハグというよりはもはや拘束に近い状態で締め付けられているタロウは、店内に響き渡る歓声に力なく笑って見せた。

「……おいおい、ペッパー。嬉しいのはわかるが、そろそろ離してやれや」

「……ソルト……」

「……お元気そうでなによりだよ、シュガー」

 締め付けを受けながら、恩人の偽名を呼ぶと、彼は穏やかそうに笑って応える。

 ここでようやく解放されたタロウは、ソルトと共にカウンター席についた。


 ソルトはタロウが傭兵になるきっかけをもたらした男だった。出会ってから何かと世話を焼いてくれたこの歳上の男に出会わなければ、タロウは今ここに生きていないとさえ思っている。

 傭兵をしていく上で偽名が必要だと言われた時、自分のファミリーネームの佐藤を砂糖に読み替えて、英語変換しシュガーと名乗った。自分でもセンス無さすぎるとは思っていたがそれ以外、思い浮かばなかったのである。

 それを聞いたこの男は、じゃあ俺も名前変えよう、今日からソルトにする、と言い出した。ファーストネームがトシオだから、サトウ、トシオで砂糖と塩だな、と笑った。それまでは鈴木の木でウッディだったらしい。

 それを聞いていた他のメンバーも面白がってこぞって調味料の名前を名乗りだし、名前だけは珍妙な集団が出来上がってしまったのである。


  因みに隊長兼教官、現在はダイナーの店主をしているカウンターの男は、ミソという。


 タロウに水を差し出したミソは、墓参りの帰りか、とぽつりと言った。タロウの表情に力が入ったのを二人は見逃さない。

「……いつまで、縛られている気だ」

「……さぁな。ミソ教官が心配してくれるのはわかってるが…俺にはこの解き方がわかんねぇんだ」

 己を庇い、地面に倒れ伏した彼の姿はいつまでたっても鮮明だ。ホアジャオと名乗っていた彼は、最期まで自分ではなく他人を優先していた。丸い眼鏡の向こうの細められた目が、常に誰かを案じていたのを知っている。表情がわかりにくいとの定評があったが、彼の優しさは誰もが感じていた。

 調味料偽名ブームで、自国の調味料の名を選び、発音しにくいという文句にもにんまり笑って応えていた。懐かしい記憶と失った記憶が常に押し合い圧し合いしている。

「……シュガーの助けになるかはわからねぇし……いや、もしかしたら逆効果かもしれないと思っていることがあるんだけど……いいか?」

「……おぉ」

 ソルトはどこか迷っていたようだったが、意を決して布に包まれた物を取り出すとタロウの前に置いた。

「……棺に納めるべきか……ずっと悩んで……」

 ソルトのかすかに震える指が布を開くと、そこには丸い細いフレームの眼鏡があった。変形しレンズはもちろんなく、焼け焦げたそれは紛れもない、彼のもの。眼鏡のつるの刻印に間違いはない。

「……一度だけ、あの地へソルトと潜入した際に辛うじて見つけられたんだ。……これは奇跡でしかない」

 ミソは静かにタロウに向かって言った。なんとか失った仲間を取り戻そうとしたが、数点見つけるのが精一杯だった、と続ける。

「……他は遺族へ渡してきた。……でも、この眼鏡だけは、なんかシュガーに伝えなきゃいけない気がしてて」

 しばらくの沈黙が流れ、タロウは震える指で布に触れその眼鏡を丁寧に包み直す。

「……ありがとうよ、また会わせてくれて……」

 これは、いるべき場所に帰るのがいいんだろう、と俯いて呟いた。ソルトは再び布に包まれたそれを丁寧にしまいこむ。

「……わかった。後日、ミソ教官と行ってくるよ」


 それに応えたかったが声が出ず、タロウの頬に伝った一筋をソルトは、応えとして受け取った。

 

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